眠れよい子よ
心からの怨嗟を受けたとき、最早自分はこの村の民ではなく自らが憎んできた盗賊と同類でしかないのかと絶望した。魔骸になっていたとはいえ、ずっと探してきた姉に拒絶されたのだ。助けに行くことが出来なかった自分への戒めだと思っていたのに。
「マイアは……俺のことも、思い出してくれたのか……」
ひどく掠れた声で零すヴァンの服の裾を、ルゥが小さく摘まんだ。
「兄弟のことは忘れない。あのときも、声がしてた。誰のことだろうって思ってたけど、クーって名前、ヴァンのだったんだな」
「……? どういうことだ?」
あのときというのは、恐らく一行が荊の外に閉め出されたときのことだろう。
拒絶が形となり、村と外を切り離した、あのとき。魔骸は人ならざる声で叫んでいた。
絶対に許さない。その言葉は聞き取ることが出来たが、そのあと。これまで出会ってきた魔骸と同じような、古代語ともエルフ語とも異なるノイズのような叫びは誰も理解出来ていないとばかり思っていたのだが。
「クー、どこ? たすけて。そう、叫んでた」
「…………ッ」
短く息を飲み、ヴァンは胸元をキツく握りしめた。
手が震える。嘗ての悪夢が頭の中で幾度となく蘇る。
ああ、きっとあの日も、そうやって叫んでいたのだろう。攫われた先でも、きっといつか自分が助けに来るだろうと信じて、願って、諦めて、そうして――――マイアは願いの虚に堕ちたのだ。
彼女の絶望を思うだけで胸が潰されそうな心地になる。
それは、ヴァンだけの心痛だけではなかった。
「……おれの兄弟も、そうだった。ずっと、呼んでた。気づけなかった。でも……」
ルゥはやわらかく微笑み、自らの肩に手を添えて頬を寄せる仕草をした。
まるで其処に誰か、愛しい人が寄り添っているかのように。
「いまは、ここにいる。ずっと一緒だ。ヴァンの兄弟も、たぶん、魔素になって還ってくる。また会える。大丈夫」
世界の理として、肉体を失った魂は魔素に還る。
魔素と繋がりが薄いヒュメンが正しく世界に返還されるために葬送術師が存在し、火流葬などの葬送術が生み出された。獣人族は、本来であれば葬送術を必要としないが、魔骸にされた弟たちは特別措置として火流葬が行われた。
それゆえだろうか。ルゥの兄弟の魂は風の魔素と強く結びつき、とけ消えることなくルゥの傍に留まったのだという。
「そんなことがあるのか……」
「さすがにルゥの弟さんの件は特例でしょうが……あり得ない話ではありませんよ」
「マジか。……けど、アイツ……マイアは、完全に魔石と一体化しちまってたろ? いくら何でも体ごと魔石と消えちまったら……」
詩が魔骸を浄化し始め、荊がほどけたことで、ヴァンもマイアが消える瞬間を目撃していた。
ルゥの弟と違い、体も残らず消滅したのをはっきりと見届けているのだ。ローベリア王女の件と同様、残るものがあるとは思えない。
「そうですね。いまは無理でも、すべて終われば……魔石に利用された魂も解放されるはずです。そのためにも、我々は先に進まなければ」
「クィン……」
ミアは涙の跡が残る頬を拭って、クィンに支えられながら立ち上がった。
背後を振り返れば、花の中で眠る幼い犠牲者たちの姿がある。一部の子供は体が所々骨になってしまっている。
「あの子たちも、せめて魔素に還してあげたいわ」
「そうだね。全員連れ帰るのは無理だから、他の子は此処で送ってあげるとして、宿屋のご夫婦の娘さんが誰かだけでもわかればいいんだけど……」
「んー……おれ、わかるかも」
そう言うとルゥは一行が見守る中、子供たちが纏まって横たわっているところへ近づいていき、一人の少女の傍らでしゃがみ込んだ。
「この子。宿にあった肖像画? と同じ。薄い茶色の髪で、ミアと同じくらい」
ミアたちもルゥに続いて少女の周りに集まると、確かに。見た目の年齢はミアと同じに見える。そして髪色が宿屋の奥方と同じで、薄く開かれている光のない目は主人と同じ濃緑色だ。
良く見てみれば、着ている服にもマギアルタリアで広く親しまれている刺繍が施されている。
それを踏まえて他の子供を改めて見ると、夫婦の子として考えてしっくり来る子はいない。
「間違いなさそうだね。私もその絵は見たよ。カウンターの背後にある棚に飾ってあった絵だね。ヴァンくんから娘さんの話を聞く前だったから、注目はしていなかったけれど……」
ルゥの傍にしゃがみ、少女の開いたままの瞼をそっと閉じると、シエルは立ち上がって村の中を見渡した。近くには険しい山があり、反対側を見れば遠くに海がある。山からの吹き下ろしと濃い海の魔素、二つがぶつかり合って厳しい環境が作られている。
だからこそ自然物は良く育つ。木々や草花は放っておいても伸び放題で、作物もきちんと選べば不作知らずなのだが。とにかくヒュメンには優しくない。
「凄いところで育ったんだね。でも、これだけ木があれば木材には困らなさそう」
「おう。どうせだ、簡単に棺を作って連れ帰るか。一人分なら明日には出来んだろ」
「えっ、棺って作れるの?」
ミアが目を丸くして驚くのを見下ろして、ヴァンは久しぶりの笑みを見せて頷いた。
「馬車の修理用に大工道具も積んであんだろ。それがありゃ、何とかなるぜ」
ひらりと手を振って、ヴァンは一度馬車に寄って大工道具一式を運び出すと、それを抱えて山に入っていった。遠ざかっていく後ろ姿を、ミアたちはただ見送ることしか出来なかった。