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魔石物語~妖精郷の花籠姫は奇跡を詠う  作者: 宵宮祀花
漆幕◆忘れじの子守歌
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忘れじの子守歌

 ――――村が荊に覆われたとき。

 ミアは、魔骸……マイアの元に駆け寄った。


「お姉ちゃん……」


 ミアが声をかけると、マイアは思いの外優しい顔で振り向いた。下半身は影にとけて無数の荊に変異しつつあるが、上半身は人の原型を保っている。


【あら。あら。だめよ。野蛮な奴らが来ているから、出てきたらだめよ。いけない子。危ないわ。ここは危険なのよ。怖い奴らがいるんだから】


 ズルズルと荊を引きずりながら、マイアがミアの元まで近付いてくる。枯れ枝のように変異した腕を伸ばし、棘のような指先でミアに触れるが、その指先は決して白い頬を傷つけることはなく、何処までも優しかった。


「それなら、怖くないようにお歌を歌ってちょうだい」


 ミアはあくまで、彼女の妹であり続けた。怖がりで寂しがりな、幼い妹ミリーとして。

 少なくともそれはマイアにとって正解で、先ほどまで強烈な怨嗟に囚われ異形を露わにしていた彼女の姿が、再び赤い髪の少女へと緩やかに戻っていった。

 マイアの足元にある影だけは相変わらず村中に広がっており、景色が黒く塗り潰されているが、言ってしまえばそれだけなのだ。ローベリア王女やピエリスのように人の形を忘れてしまった者もいる中、彼女はたとえ歪んでしまってもマイアであり続けている。


【いいわ。一緒に歌いましょう。いつもみたいに。ねえ、ミリー】

「ええ……お姉ちゃんと一緒なら、わたし、怖くないわ」


 震えるミアの手を握り、寄り添い、マイアは子守歌を歌い始めた。遅れてミアも声を重ね、音の波が村中へと広がっていく。幼子に眠りを促す、ほんの少し恐ろしげな歌詞の、優しい歌が。

 どれほど恐ろしい目に遭っても、どれほど苦しい思いをしても、魔石に心と体を侵蝕されても、この歌だけはマイアの心にあり続けた。

 いつか故郷に帰ったとき、弟妹たちに歌ってあげるために。


 パキリ。ピシッ。薄氷を踏むような乾いた音が、どこからともなく聞こえ始める。

 黒く塗り潰されていた景色に、光のヒビが入る。頑なに絡み合っていた荊が、ほろほろほどけてとけていく。

 ガクリと膝をついたマイアにあわせてミアも座り込み、彼女を支えた。

 細い体が端から剥がれて崩れていく。仮初めの命がほどけてゆく。


【ミリー……あたし、あなたを守れたかしら……】

「ええ。ええ。お姉ちゃんがいてくれたから、わたし、少しも怖くないわ」


 腕の中で横たわるマイアを抱きしめ、ミアは静かに涙を流した。

 何人もの子供が犠牲になっている。彼らはきっと怖くて寂しい想いをしたのだろうとわかってはいるのに、ミアはそれでもこの悲しい魔骸を悪だと思うことが出来なかった。――――否。過去に出逢ってきたどの魔骸も、誰一人として純粋な悪ではなかったのだ。

 魔石に歪められた願いも、元を辿れば誰もが抱くほんの小さな望みでしかなかった。


《Sess mia musa asferria yoa.》


 子守歌を歌い終え、ミアが詩魔法最後の一節を紡いだとき。

 マイアはボロボロと崩れ行く手をミアの頬に伸ばして、赤黒い涙を零しながら微笑んだ。


【ありがとう。……ごめんね、クー……】


 その言葉を最期に、マイアは光の粒子となって空に溶け消え、詩に乗って魔素へ還った。彼女は肉体全てを魔石に侵蝕されていたがために、ルゥの兄弟のように遺体の一部も残らなかった。

 あとに残されたのは、小さな黒い魔石の欠片のみ。


「ミア様!」


 駆けつけたクィンが膝をつき、ミアを抱きしめた。

 ヴァンもシエルも続けて追ってきて、ルゥは魔獣馬車を引きながら最後に合流した。


「クィン……ごめんなさい、涙が止まらないの……」

「ええ、わかっています」


 クィンに縋り付いて泣き続けるミアの背を撫で、自身も細く稚い体に縋り付く。手が震えるのを隠すことも出来ず、二人は暫くのあいだそうしていた。


 どれくらいの時が経ったのか。

 ミアがふと、涙に濡れた瞳でヴァンを見上げた。


「ねえ、ヴァン……クーって名前に覚えはあるかしら……?」


 ヴァンは僅かに目を瞠り、そして少しだけ悩む素振りをしてから頷いた。


「……それ(クー)は、俺の幼名だ」


 不思議そうな視線が、三方向から注がれる。ミアと、クィンと、ルゥだ。

 シエルだけは「一部のヒュメンの文化だよ」とおっとり微笑んでいる。


「因みにエルフも年を経るごとに名前が増えていくよ。私は若いからまだ三音しかないんだ。そのうち一つは父性だから、正確には二音かな」

「そうだったのですね。では、ヴァンの名前は……」

「ヒュメンは成人で名前が一つ増えるだけだな。抑もそんな長生きする種族じゃねえし」


 そう前置いてから、ヴァンは「クー・ドゥ・ヴァン・ラファール。これが俺の名だ」と、改めて名乗った。


「クーが幼名、その次がさらにその次を成名であることを示す音で、最後が所属名だ。俺の場合はラファロ村の男だからラファールってわけだな」

「確か、所属名が村や町じゃなくて家族単位だったりする土地もあるんだっけ?」

「おう。俺んとこは見ての通りちっせえ村だからな、家族別に名前を持つ必要がなかったのさ」


 そう言って、ヴァンは村を見回した。

 ミアの詩魔法によりいまはすっかり花園になっているが、長いあいだ見渡す限りの荒れ地だった場所だ。家や納屋などの建物は魔骸が生み出した幻影だったため、彼女と共に姿を消している。


「……で、なんで嬢ちゃんがその名前を?」


 村には出自を表すものなど欠片も残っていないというのに。そう思ってヴァンが問えば、ミアは哀しそうに目を伏せてから答えた。


「マイアが、最期に言ったの」


 ――――ごめんね、クー……


 それは確かに、弟を想う姉の言葉だった。


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