第二話 出会い変わる
長いことお待たせしましたー。書けないのです、御劔は。
朝から、昨日の少年を探すために、町を彷徨い歩いた。特にあてはない。見つけられる自信もない。けれども、探したかった。見つけたかった。殺してほしかった。もう一度、会いたかった。
道を歩けば、通りかかる主婦や老人が、私に聞こえるか聞こえないかの距離でひそひそとなにかを話している。聞かなくてもわかる。あの家の子だ、とか、学校にも行かせないで、とか、そんな内容だ。聞き飽きている。
ふらふらと、屋根の上や植えられた木の上、半都会化している町にしては珍しく多い自然などを見て歩いた。なんとなくそういう場所にいるような気がしたから。
「おい、そこの君! 学校じゃないのか?」
後ろから声をかけられ、振り返ると警官がいた。私の顔を見ると、不良への怒りの顔から、まるでゴミでもみるかのような表情に変えた。あまりに露骨ではあるけど、いつものことだ。
「あ〜、君か……」
それだけ呟くと、自転車をまた漕ぎだした。もう、慣れてる。何も感じない。去る警官を見送った。
日がとうとう、真上からずいぶん下がってきた。もしかしたら、見つからないのかもしれない。そう思うと寂しくなってきた。最後にもう一度だけ、会いたかった。歩き疲れた私の足は、知らず知らずのうちに公園に向かっていた。
日が沈みきり、茜色の空が少しずつ深い青色に変わっていく。私はそれを、いつものベンチに座って見上げている。この景色も、今日で最後か。そう思うと、いつも見ているはずの景色が、やけに新鮮に感じられた。うっすらと光を放つ街灯。風に揺られて葉の擦れる音が響く林。ほとんど人の座らないベンチ。花の植えられた花壇。私は、こんなに素晴らしい場所にいつもいたのか。
それらに見入っていると、いつのまにか辺りは闇に包まれていた。照らすのは、街灯と月だけ。私は深いため息を吐き、立ち上がった。ポケットに忍ばせてある、裏路地に捨てられていたナイフを手で触って確認した。今朝、家を出る前に一生懸命石で研いたので、私の首を切る分にはなんの問題もない切れ味のはずだ。
私は今一度、自分の覚悟を固めるために、その柄を強く握り締めた。そして、あの林の中へと、ふらふらと向かっていった。
町の中にある林なので、外からは丸見えになるが、公園の真ん中で死体が見つかるよりはいいと思い、ここに入った。別に、公園じゃなくてもよかった。しかし、私は、狐が死んだこの公園を、自分の死に場所にしたかったのだ。ただの我儘、だ。
いよいよ、ポケットからナイフを取り出す。その手が震えている。知らずのうちに、やはり恐怖が私を覆っている。震える右手を、震える左手が支え、その手に握るナイフの刃を、私の首筋に――
「誰かと思えば、昨日の人間か。ここで何をしてるんだい?」
聞き覚えのある声が聞こえた。急いで振り返ると、そこには、今一番会いたかった人物がいた。それも、結構近くにだ。いつのまにそこに来たのか、まったくわからなかった。草木を踏みしめる音すらしなかったはずだ。
私は今にも泣きだしそうになりながら、少年のほうに振り返る。
「そんな貧弱な刀で、僕と戦おうって言うのかい? 僕もなめられたものだね」
少年はさも可笑しいといった様子で嘲笑う。私ははっとして、右手に持ったナイフに気が付いた。慌てて投げ捨て、首を左右に振って否定した。声に出して言おうと思ったが、うれしさや恐怖や悲しさなどの色々な感情によって、喉が凍り付いたみたいに音を発せなかった。
「それじゃあ、ここでそんな物を持って、何をしようとしてたんだい?」
そう言う少年の目は、冷たく鋭く私を刺し貫いていた。おそらく、返答次第では殺す、と言いたいのだろう。
ここで嘘を言って殺されるのもいいと思ってはみたが、私は彼に嘘をつきたくなかった。
「……自殺、です」
そう言った瞬間、少年の表情は冷たいものから、見下すようなものに変わった。
「へぇ、自殺。自分で自分を殺すって言うのかい? 本当に人間はくだらない生き物だね。自分から命を捨てようなんて。……難なら、僕が殺してあげようか?」
――この時、この少年は冗談のつもりでそう言い放った。“殺す”という表現が出れば、ひるんだり、やはり嫌だ等と弱音を吐いたりするだろうと思ったからだった――
「……お願い、します……」
彼の手にかかれるなら、本望だと、そう思ったから、私はそう返した。しかし、彼の表情は、私がこう返すことがまったくの予想外だったかのように、唖然とした顔をしてみせた。
「……本当に死にたいって、わけか」
少年はそれだけ呟くと、目を細めて私を見た。そして、昨日のように不意に歩み寄ってくる。
「よければ聞かせてもらえるかい? 君がどうして死にたいのか」
少年は私の目の前まで来て、そう言った。何故? と、声にできない分、彼の瞳に目で訴えた。
「僕は君に興味が湧いたよ。殺すのはその後に、ね」
少年はさも面白そうにそう言った。私は、少年に興味を持たれたことがうれしかった。今まで、「興味がある」なんて、一度も言われたことがなかったからだ。これだけのことで、私は、今まで生きててよかったと、本当に思えた。
しかし、私の身の上話は本当につまらないものでしかない。話して聞かせたところで、笑ってもらえるようなものでも、聞いて得したと言えるようなものでもない。私の話がどうか、彼の興味を満たすものでありますようにと、祈りながら口を開いた。
私が「生まれなければよかった」と言われ続けて育ったこと。
私が「可哀相だ」と言われ続けて生きてきたこと。
私が「あいつ、根暗で気持ち悪い」といじめられながら学校に通っていたこと。
私が、母親に食事すら与えられなくなったこと。
私が、中学校に生かせてもらえなかったこと。
私が、狐に餌をあげて、それ以来何回が出会って、うれしかったこと。
私が、少年に殺された高校生に汚されたこと。
私が、狐が殺されてとても悲しくて、怖かったこと。
そして、少年に出会えて、不思議と会いたくなったこと。
それらすべてを、彼に話して聞かせた。私の人生なんて、紙一枚で済ませられると思っていたのに、意外と長くなってしまった。途中で立っているのがつらくなって、彼に申し訳なく思いながら木の根元に腰掛けさせてもらった。
「……それで、君は憎くないのかい?」
長い話を聞き終えた彼が、そう尋ねてきた。あまりにも意外で、私は顔を上げて彼の顔を見た。
「憎い? なにがですか?」
そう聞き返すと、彼はまた意外そうな表情をした。私はそれをみて、わからないと目に込めて訴えた。
「そんなふうにされてさ、憎くないのかい? 人間が」
憎い。私はそれを考えてみた。私を捨てているも同然の母親。思い起こしても、憎いと思わなかった。悲しみと恐怖だけが、私の心に影を落とす。他の人も同様に思い起こしてみても、感じるのは悲しみや恐怖だけ。憎いと思ったことは、一度もなかった。
「思い、ません」
そう言うと、彼は一度も見せたことのない表情を、私に見せた。それは、いつも母親が私を見るときにする表情に似ていた。つまりは、怒り。
「どうしてなんだい? だって、非道い扱いを受けてきたんだろう? ゴミみたいに捨てられて、虫けらみたいに暴力を受けて。いつか……害虫みたいに殺されてたかもしれないんだろ?」
声を荒げるようなことはしなかったが、彼は私の肩をしっかりと掴み、私になにかを言い聞かせるかのように一言一言、重みを持たせて放った。私にはそれが、過去に身近に起きたことで、それを思い返しているように見えた。
しかし、なんと言われても、私には憎しみの心は生まれなかった。憎いと思えないのだ、すべてのものが。狐を殺された時でさえ、高校生が憎いとは思えなかった。ただ、狐が死んだことが悲しかっただけだ。
「それでも私は、誰も憎いなんて思えません」
本心からそう言うと、彼の表情がまた変わった。今度は、悲しみを帯びた表情だった。
――彼の中では、この少女の顔の上に、別の少女の顔が重なって見えた。見掛けも、顔の造形も、髪の色も、声も、種族も、話すことも……とにかく、なにもかもが違うというのに、少年には記憶の中の少女と目の前の少女が同じに見えた。それは、“魂”が、似通っていると言うことなのだろうか――
「何故、何故君は憎いと思わないんだい?」
彼は哀れむ表情で、そう尋ねてきた。哀れみの表情をされたのは、私にはショックだった。悲しまれるのは好きじゃない。いや、嫌いだ。みんな口先だけで可哀相可哀相って言うだけで、誰も救いの手を差し伸べてくれるわけじゃないし、私の手をつかんでくれるわけじゃない。
泣きそうになった。表情を誤魔化すのは得意だけれども、感情までは誤魔化せない。自然と涙が出た。
「そんな顔、しないで……イヤ……」
声は擦れたが、ちゃんと届いていた。彼は気が付くと、一度下を向いて、感情を押し殺した表情を作った。こっちのほうが何倍もよかった。
「……何故、君は憎いと思わないんだい?」
私が落ち着いたころを見計らって、彼が再び尋ねてきた。私は、その問に対する答えは持っていない。しかし、その代わりになりそうな思いなら、昔から心に秘めている。それがなぜか、彼への答えになるような気がした。
「……すべての人間が、そうじゃないから。たまたま、私の周りの人間が酷い人なだけで、世の中には、いい人がたくさんいると思うから、です」
それは、言ってしまえば私の願望。我儘。こんな私を受け入れてくれる人が。必要としてくれる人が。友達と、仲間と呼んでくれる人が。そんな人達が、この世界のどこかに必ずいるという、私の妄想。そんな人が居るはずが無いと言い聞かせ、しかし、諦めきれなかった希望。
彼は鼻で笑うだろうと、柄にもなく予想してみた。その予想は、まんまと外れた。
「なんで、そんなふうに言い切れるんだよ……」
彼は、納得できないと言った様子で、急に私の目を覗き込んだ。
「なら、賭けをしないかい?」
「……賭け?」
彼の言ったことが、理解できなかった。
「これから先、僕が君にあらゆるものを見せてあげるよ。それを見てもまだ、何も憎いと思わないんだったら、ご褒美をあげる。それだけの話だよ。簡単でしょ?」
彼は、意地悪そうな笑みを浮かべている。しかし、突然すぎて私は理解しきれていない。やっと理解したころに、彼に尋ねてみた。
「それじゃあ、もし私が、何かが憎いと思ったときは、なにがあるんですか?」
「そうだなぁ……手足を引き千切って、無理矢理寿命まで生きててもらおうかな。死ぬまで絶望を味わいながら、さ」
聞いててぞっとするようなことを、まるで友達との軽い口約束であるかのように言い放った。乗るわけがない。断ろうと思ったとき、ふと、もう一つ気になる点を聞いてみた。
「その、どうやって見せるんですか? 昨日みたいに、不思議な力を使うんですか?」
すると、彼は軽く首を振った。
「いや。君を、僕の手下にするのさ。そうして、人間たちとの戦いに力を貸してもらおうと思ってね」
え? それって、つまり……。
「わ、私……私の力を、借りるんてすか?」
私がそう聞き返すと、彼はしめたとばかりに目を細めた。
「そうさ。今まで必要とされなかった君に、僕が居場所と生きる理由をあげるよ。僕のために戦うかい? それも、何も憎まずに、ね」
その言葉を理解した時、私の頬を温かいものが流れ落ちた。この涙は、前に一度だけ感じたことがある。この感覚、そう、あの狐に、餌をあげなくてもそばにいてもらった時に流した涙と一緒だ。
私は嬉しさで流れた涙を拭おうともせず、彼の言葉に頷いた。何度も、何度も。
「そう。じゃ、君の名前を教えてもらえるかな? 手下にするには必要だからね」
それを聞いた瞬間、私の胸が強い力で締め付けられた。
私の名前。それは、イジメられた要因の一つでもあった。母親が邪魔な子である私につけた、とても非道い名前。とても人の名前とは言えないようなもの。
言うのにためらっていると、彼の冷たい視線が私を刺す。しばらく黙っていたが、いよいよ耐えられなくなってしまった。私の人生を笑われるのはいい。だけれど、名前で笑われるのはどうしても嫌だ。
「……あの……笑わないで、くれますか?」
「ん? ああ、笑わないよ」
釘は刺したけれども、やはり、心配だ。笑われたときは、そうだ、彼を怒らせよう。そして、殺されてしまおう。そう心に決め、口を開いた。
「……こ……くさ、こ……」
それだけ言うのが必死だった。いざ言うとなると、また喉が凍り付いた。
「漢字は?」
彼は意に返した様子もなく、そう聞いてきた。私は笑われなかったことで、少し救われた気がした。
「……雑草に、子で……くさこ……」
少しだけ勇気を奮って、少しだけ大きな声で言った。といっても、ささやく程度の大きさでしかなかったが。
「ふうん。雑草子って書いて、くさこ、か……」
それだけ言うと、彼は懐から何かの器を取り出して蓋を開いた。そして、中の真っ赤な液体を人差し指に付着させた。
「動かないでね」
そう言って、私の前髪を避けて額にその液体を付けた。なにかを描いているようだったが、よくわからなかった。
「服、脱いでもらえる?」
そう言われて一瞬、あの高校生達にされたことを思い出して、体が強ばった。恐怖が顔に浮かんでしまった。
「僕は人間の身体なんかに興味はないよ」
彼は心外だと言わんばかりに不機嫌そうに言った。それで私も、その心配はないとわかり、恐る恐る服を脱ぎさった。
彼は胸元にも赤い液体を付着させていく。やはりなにかを描いているようだが、よくわからない模様、とだけしかわからなかった。それからヘソまで真っ直ぐ線を引いて、お腹にもまた違った模様を描いていく。それがくすぐったかったが、唇を噛み締めて我慢した。
「よし、と。確かこうだったな」
どうやら模様描きは終わったようで、指先を私の脱いだ服で拭いていた。
「さて、仕上げに入るかな? ああ、成功するかどうかまでは、僕にはわからないから」
わざと私を不安にさせるようなことを言う。失敗したらどうなるか聞こうか迷ったが、聞いたら怖くなりそうだったので聞かずに黙った。それを見た彼は、嘲笑うように小さく笑った。
やがて、彼は真面目な表情をした。いよいよ始まるのか。私も彼の雰囲気に当てられ、緊張した。私の額に向かって、彼は手の平をかざした。
「我、玉藻絶狐丸が書す」
額が熱くなってきた。どうやら赤い液体が熱を帯びてきているようだ。
「人たる汝の道程に、我ら人ならざる者の性を」
額が火傷しそうなほどに熱くなっている。叫んでこすりたい気持ちを、歯を噛み締めて押さえこんた。目に涙が滲んで彼の顔が見えない。額が焼ける。燃えているように熱い。
目の前を、何かが降りていったような気がした。すると、額の熱さが嘘のように無くなっていった。代わりに、胸元の辺りが熱くなり始めた。
「人たる道程を外れ、我らに帰化せよ。道を外れよ、邪を脱せよ」
胸元が熱い。焼け溶けてしまいそうだ。このまま焼け死ぬのではないかと思えてくる。熱くて、痛くて、涙が次々に溢れて落ちていく。声は、出さなかった。気力を振り絞って、耐えた。
そして、額と同じように熱さが引いていくと、彼が引いた胸元とお腹を結ぶ線が、熱を帯びていく。上から下へ、その線を熱が通って行くようだ。風に吹かれて冷えた液体が、燃え上がるように熱くなっていく。
次はお腹、か。私は歯を食い縛って、次に来るであろうお腹への熱を覚悟した。
「そして我を主と崇め、讃え、従え。汝は我が僕なり。汝は我が僕なり」
お腹が、特にヘソが熱くなっていく。ヘソの周りも熱いのだが、それが気にならないくらいにヘソが熱い。焼けたタバコを腕に押しつけられたこともあったが、あんなものは虫に留まられた程度にしか思えないほどの熱さが私を襲う。
感じたことのない熱さだが、たとえるならば、燃える油を、いや、溶けた鉄をヘソに流し込まれているようだった。泣き叫びたくなり、暴れだしそうになった身体をなにかが押さえ付けてくる。動けない分、喉が裂けんばかりに叫んだ。
死ぬかと思う暇もない。思考は真っ白で、激痛色のペンキを常に縦横無尽に塗りたくられているようだった。とにかく叫んだ。彼はこの間も呪文のようなものを唱えているのだろうが、今は何も聞こえない。自分の叫び声すらも。もしかしたら聞こえているかもしれないが、脳が痛み以外の感覚を拒絶しているのだろう。
最後に、本能的に、さっき聞いた彼の名前を叫んでから、私の意識のヒューズが飛んだ――
――彼は、術を掛け終えた途端に崩れ落ちた彼女の体を、優しく抱き留めた。途中から声帯が裂けて擦れ声しか出さなかった彼女が、最後に自分の名前を叫んだのを、聞き逃しはしなかった。
面白い玩具を手に入れた。心ではそうほくそ笑んでみても、実際の自分は彼女を優しく抱いている。彼は自分自身がわからなくなっていた。なぜ、人間“であった”彼女が、こんなにいとおしく思えるのか。
……彼女に被って見えたからか? 心で呟いてみてから、まさかと打ち消した。彼女を殺した人間に、彼女を見いだすなんてこと、あるはずがない。そう自分に言い聞かせた。
「さて、そろそろ行こうかな? 人間達がくる前に」
遠くに聞こえたサイレン。付近の住民が、ただならぬ女性の悲鳴を聞いて、すぐさま110番したのだろう。面倒事を嫌う彼は、少女を抱き上げて、夜の闇へと消えていった――
読み直したら落ち込みました。なんてヘボい文章だよ、と……。しかし、上手く書く術を知らない御劔には、上手く書くなど夢のまた夢、と……。「作者クソだ」等の評価は、作者へのメッセージでお願いします。評価欄には書かないで〜!