一方通行の神術
-第32説 一方通行の神術-
状況は好転していないと分かっていながらも、瞬く間に変容していく周囲の景色に、選也は息を飲んだ。
「環境変動ってここまでのものなんですね。」
先程までの閉鎖的な筒状の空間は既に視線の先にはない。そこにあるのは大きく花開き、まばゆい光を放つすり鉢状の地形。それは火山の「継続の儀」しか目にしたことのない選也にとっては初めての大規模な「変化」の瞬間だった。
すっかり目を奪われている選也に、智美は少し不機嫌そうに声をかける。
「山一つ位なら変えられるから、これくらいなら簡単だよ。」
選也が智美の方を向くと、彼女は先手を打とうと、吠える獣の方に身体を向けたまま、詠唱を始めていた。先程の声のきつさは油断するなという警告だろう。それが分かった選也は、遅れをとってはいけないと慌てて魔法陣を呼び出した。
獣は相変わらず、姿に似合わないさえずりの様な呪文の唄を続けている。もう目に見える変化は無いが、何処かで何かが変わり続けているのだろう。
変化をもたらし続けるその姿は、地下であるはずのこの場所になぜか上から差し込み続ける光受け、神々しくさえ感じた。
しかし、そうして尊敬の念を抱くと同時に選也は悲しそうな表情を浮かべる。
「お兄さんも、あの術で変わってしまったんですかね。」
選也は、獣の透けた身体から放たれる白い冷気を見つめた。強力な術にはやはり、必ず代償が伴うものなのだろうか。だとしたら自分が今使っている魔法も、いつかこういう結果を呼ぶのかもしれない。
「魔法は危険、か。」
マイナスの無いプラスは存在しない。
それは技術が人を救うと信じて止まない、選也にとっては認めたくないことであった。
獣は選也の言葉のすぐ後、唄を全て歌い終わったのか地鳴らしと共に、見る間に距離を詰めてくる。
既にそれを予期して術の用意をしていた智美は、即座に地面に手を着けて獣と自分達の間に氷の壁を持ち上げた。獣は壁に気付いて、乗り越えようと地面を蹴るが、恐らく間に合わないだろう。
大きなヒビを作って激突する轟音。
選也はその隙に、ようやく作り終えた魔法陣からボロボロな布の巻き付いた太い鉄製の棒を勢い良く引き抜いた。
「崩れろっ! 」
棒は巨大なハンマーの柄の部分で、振り下ろされた丸太程もある頭は智美が作った壁ごと獣の身体を砕く。
「よし。」
確かな手応え。
魔力が失われ、空気に溶けるように消えていくハンマーを手放して、選也は拳を固めた。
しかし智美は警戒を解かず、木っ端微塵になった獣を見たまま次の魔法陣を呼び出し、危機感のこもった声を選也にかける。
「選也くん、まだだよ。」
彼女の言葉の通り獣の破片は直ぐに複数の氷柱が結合した球に変わり、そこから完全に再生した獣が姿を現した。
「燃やして駄目なら、って思ったんですけど、これも効果無しとは………。」
選也は思わず苦笑いを浮かべる。
智美は短い詠唱と共にその背に透けた翼を生やすと選也に駆け寄り、自分よりも長身な彼の身体を抱えて空中に飛び立った。
次の瞬間、二人が立っていた地面からは鋭い氷のトゲが突き出す。あの場に居続けていたら、選也の魔法生物と同じ目にあっていただろう。前兆を全く感じられなかった選也は唖然とするが、智美は淡々とした口調で指摘した。
「選也くん、手加減はやめて。」
抱えられたまま彼女の顔を見ると、その表情は、それこそ氷のように冷たい。
「そんな、俺は別に………。」
選也は言葉を失った。
先程までとは違い、彼女からまるで感情を感じない。まるでその背に生えた後光の様な翼に心を吸いとられてしまったように。
彼女に翼を与えたあの詠唱は、彼女の兄をあの姿に変えてしまったのと同じ術だと選也は感じた。
智美は、何かを言いかけ口を開けたままの選也に、念を押すようにゆっくりと先程の言葉を言い直す。
「本気でやって。」
選也は言い返せなかった。
手を抜いたつもりは無いが、獣を殺す気があったかと聞かれれば答えはノーだ。
なんとか無力化して、元に戻す方法を探ろうと思っていた。いや、今でも思っているし、まだまだ諦める気もない。
だから、言い返す変わりに彼女の目を威圧するように見返した。
目を見られると、智美は直ぐに顔を反らして目を瞑り、小さな声で詠唱する。すると、今度は彼女の手先から腕までが氷へと変質し、下から飛んで来た氷弾を受け止めた。その人並み外れた行動に目を丸くする選也に、彼女は心の無い声で言う。
「もう、元には戻らないよ。」
選也は怪訝な顔で智美の方を見たまま、並外れた脚力で二人の高さまで飛びかかってくる獣の方に5枚重ねで防御陣を展開して、攻撃を弾き返すと、彼女に早口に言葉を投げ掛けた。
「なんで、そんな事が言えるんですか? 技術は常に進んでいるんですよ? 今は無理でも、いつかは………。」
智美は冷たい声で直ぐにそれを止める。
「そのいつかはいつ来るの? 」
元の智美なら考えられない、残酷すぎる言葉だ。今、地面から打ち出される氷柱を避けて飛行する智美は、やはり選也の知っている智美ではないのだろう。
「いつって………。」
選也は言葉に詰まった。
当然だ、未来なんて誰にも分からない。
智美は獣が打ち出してきた氷柱のうちの一本を握り、逆に持ちかえて、獣に投げ返すと、黙り込む選也に追い討ちをかけるように言った。
「私はね、10年待ったよ。10年間、隠れて封印を続けて、助けられる時を待ち続けて。でもね、何も変わらないどころか、状況が悪くなっただけ。逃げてばっかりじゃどうにもならないの。」
選也は無言で獣を見る。
獣は情け容赦などなく、智美を狙ってきている。選也自身、思い付く手もない。
しかし、認めることはできなかった。
選也は智美に言う。
「それでも俺は、助けたいんです。」
それは根拠も自信もない言葉。
ただの感情論。
「俺が、なんとかしますから。」
智美は選也の目を見返した。
上空を飛び回りながらの、二人の無言のやりとり。
智美は少し後、地上に降り立ち腕を元に戻すと、選也を降ろして言った。
「………分かった。でも、私は、止めを刺す気で行くから。」
智美は翼を使って、上空へと移動していく。選也は地面から生えてきた刺をかわして、智美を見上げた。
(さっき、先輩は変化させた腕を元に戻せていた。なら………。)
獣の声は、さっきよりも大きくなっている。やるのなら、できるだけ早く。
「不幸への一方通行なんて、俺が断ち切ってやるよ。」
選也は記憶を辿ると、両手に剣を構えた。
-つづく-




