プロローグ
初めまして。西亥はるまです。
「もうっ、なんなのよあの人たち」
全力で走り、苦しみに顔をゆがめながら女が呻く。
もうどのくらい走っているだろう。確か、始まりの町であるアーテクトで襲われて以来、ずっと走り続けている。
はじめは平原を走っていたが追っ手をまくため、少し前に森に逃げ込んでから余計に体力を消耗しているのを感じる。街から森までの距離だけでも現実の世界で考えれば数十キロは走ってるはずだ。
しかしまだ立ち止まるわけにはいかない。
汗を流しながら走っている女の名前はクレハ、彼女はVMMORPGのプレイヤーだ。VMMORPGは数年前に確立されたゲームのジャンルの一つで、仮想現実の世界を自由に動き回れることが売りのゲームで現実では不可能な体験ができるため人気に火をつけ、今までゲームに興味がなかった人々をもゲームの世界へと引き込んだ。
仮想現実技術はゲームだけに使われるものではない、もともと治療の一環として医療用に開発された技術だ。精神的なケアのための治療として使うほか、先進医療の開発に利用される。
利用方法は様々で、軍事訓練にも使われる。死ぬことも体験できるため使い方次第で、死を恐れない兵士を育てることもできる。もちろん倫理的な問題があり、国際条例で禁止されているが、最小限の刺激ということを条件にゲームでのフィードバックも認められている。
話は戻るが、クレハが逃げているのは魔物に襲われているからではない。冒険者にとって始まりの街であるアーテクトの街で襲ってきたプレイヤーから逃げているのだ。
◇
「んー、最初は短剣にしようかな」
クレハはショーウィンドウに入った武器を眺めながらつぶやく。
つい先ほどキャラメイクが終わり、やっとゲームを始めることができた。
手持ちのお金はわずか100銅貨、贅沢をしなければ10日は食べ物と住むには困らない金額だ。しかし冒険者としての装備をそろえるには少なすぎる。ご飯は1食1銅貨でも食べれる店があるが、この武器屋に売っている武器はどんなにガラクタでも10銅貨以上するらしい。
チュートリアルで受けた武器の種類ごとのメリット、デメリットを思い出しながらかれこれ30分ほど悩んでいる。優柔不断だと自分でも思うがこの性格はちょっとやそっとでは変わらそうにないし、悩んでいる時間が好きでもあった。そんなわけで、ゲームを始めるまでのキャラクターメイクにも1週間時間をかけてしまったのだ。
「あー、そんな武器じゃその辺のモンスターでも苦労しちゃうよ、これ使いなよ、お金はいいから」
気が付くと、隣に白銀の鎧を身に付けた体格のいい男が立っており、クレハを見下ろしていた。手にしたナイフが差し出されている。
「ひっ!」
隣に男が立っていることに全く気付かなかったクレハは突然声をかけられたことに驚いて一歩後ろに下がる。
現実の世界で小柄なクレハは男の人が苦手だ。しかもコミュニケーションをとることも苦手で、人と会話をするといつも声も小さくなってしまう。相手が言葉が聞き取れず、聞き直されたり顔をしかめられることも多い。それは体格差の大きい男性を相手にするとなおさらひどくなる。自分より大きな相手に見下ろされるだけでかなりの威圧感を感じてしまうためだ。
「ど、どうも。せっかくですがまだゲームを始めたばかりですし、しばらくは手探りで頑張りたいんです。ご親切はありがたいのですが大丈夫です」
クレハがVMMOに求めているのは、自分のペースで遊べることだ。数あるVMMOの中からエルドラドを選んだのも、他のVMMOと比較して、やりこみ要素が多いこと、キャラメイクが比較的自由にできる事、そしてソロでのサポートが充実していることの3つが優れていたからだ。
特に、ソロでのサポートが充実していることは、コミュニケーションが最小限でも楽しめることにつながるためかなり重要性は高い。
そんなわけで、初日から他人に手伝ってもらうのは急かされているようで自分のペースとは言えないし、自分で工夫する楽しみが奪われる行為のため正直迷惑だ。
クレハにとって精一杯の”お断り”を丁寧にしてお辞儀をする。
(ごめんなさいまたどこかでお会いしましょう)
さよならを心の中で言いながら顔を上げるとそこには戦士の顔がまだあった。心なしかさっきより距離が近い気さえする。
「まあまあ、遠慮せずに、使わなくてもいいからもっときなよ、たいして高いものでもないし、お近づきのしるしだから」
そういうと男はクレハの手をつかみナイフを手のひらに乗せる。
「――――ありがとうございます……」
先ほどの挨拶が精いっぱいのお断りだったため、思わずお礼を言ってしまった。
この男は世話焼きな人で初心者が少ないため親切にして回ってるのかもしれない。装備を眺め続けるクレハが困っていると思い声をかけたのなら断る方が悪い気もする。
(使わなくてもいいって言ってるし、また会ったらその時返そう……)
武器屋を出たクレハは街の外へ向かう。魔物を狩るためだ。しかし渡されたナイフは使う気になれなかったためリュックに入れたままである。いま装備している短剣は結局男と別れた後、自分で購入したものだ。
男に会うまで入念に品定めを行っていたのだが、男とのやり取りで興をそがれ、結局一番安かった短剣を選んだ。
クレハからすれば先ほどの男はしつこかった。
「ちょっとかっこよかった気もするけど、一度断った時に察して欲しかった」
これが正直な感想だった。
プレイヤーは自分で顔や体格を作れるため基本的に美形が多い、悪意を持って不細工にしたであろうPCに出会うことも有るがほとんどのPCは現実よりも美形にしているのではないだろうか。クレハも顔だけでなくスタイルもかなり割増しで作っているため人のことは言えないのだが。
「ふぅ、これで5レベル、ちょっと戦闘にも慣れてきた気がする、MMOと違って体を動かす分疲れる気がするな」
実際には疲労という機能がないため勘違いだろうが、実際に体を動かしていると脳が勘違いするため精神的には疲労を感じているのかもしれない。
街を出たすぐわきでクレハが狩っているのはワイルドバニーだ。
ワイルドバニーはこの世界の普通の動物だ。街の近くには主に野生の動物が生息している、街の外のフィールドやダンジョンには魔物がすみ、人里を離れるほど強さも上がっていく。
野生の動物や魔物は時間が過ぎると決まったエリア内で自動発生(POP)するのだが、自動的に発生しないものもいる。周囲の個体と違い二つ名を持つ者達、ネームドモンスターだ。ネームドモンスターはクラス名だけでく個別に名前を持っている、周辺の魔物との強さの違いからその凶暴性を知らしめるため討伐対象に指定されるからだ。いわれの通り周囲の同族より強い戦闘力を持つ。
ネームドモンスターはさまざまな発生条件をもつ、自動発生する以外にも個別に発生条件があり、決まった時間にアイテムを使わないといけない物や、決まった数の同族を倒さないといけないものなどだ、無数に条件がある為無意識のうちに条件を満たしていることがあり、意図せず遭遇する可能性もある。
それに他人がPOPさせても襲われるため、冒険者にとってこの世界で情報は非常に大事なものだ。
何も知らずに強いNMの前に踏み出せば不幸な運命は想像に難くない。そのため倒すつもりがなくても周辺エリアのモンスターの情報を集めるのである。
これらのことを踏まえ、クレハは街の城壁のそばまで敵を釣ってきて倒しているのだ。効率はとても悪いがソロで冒険する以上リスク管理は重要なので不満はない。むしろレベル上げや習熟度を上げるような地味な作業にこそクレハは魅力を感じる。綺麗な自然を見ながら一人で世界を駆け回るのは旅行をしている気さえする。
弱い武器で効率の悪い狩りであっても、自分なりに工夫して最適化する。これがもしかしたらクレハの数少ない長所かもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えながらモンスターが落とした皮や肉をマジックバックに詰め込むと再び背負う。
「さて一回売ってもうひと頑張りしようかな」
クレハはそうつぶやくとエランテの門を再びくぐった。