#10
丘を越えると涼しげな風が通り、ルイーゼは目を細めた。驚くほど老朽化した狭い小さな小屋がぽつんと建っていた。これが、かつてマエストロとして世にその名を知れ渡せた巨匠の魔法使いが棲んでいるというのか。小屋のそばには井戸があり、黙々と水を汲んでいる少年がいた。
「あ、クライ様、いらっしゃい」
「こんにちは、シャチ」
ルイーゼはその少年にまじまじと魅入っていた。十二歳くらいだろうか、少し浅黒い肌に白い服を着ていた。彼女は一瞬心臓が固まった。久々に少年という人種を目に入れた!! そういや私ってば、ここんところ旅ばかりで、依頼してくるオッサンとか村の長老とか宿屋のおばはんとしか接してなかったわ。なんて青春無駄にしてるんだろう。先生もさーこの子みたいな子を弟子にすればいいのにさー。原石を磨くのって楽しいじゃないうふふ。
ここ数か月分の少年エキスを吸収するため、彼女は食い入るように彼――シャチを観察した。
「アグリー様のお見舞いですか。そちらの方たちは……」
「ぼくの子息と娘です」
クライが真顔で言う後ろでルイーゼとシーナはまともに足をすべらせ、しかしシャチの目はまるまると大きくなった。
「えええええええっ! もうそんなに大きなお子さんがいらっしゃったんですか!! 全然しりませんでしたっ! あ、失礼ですよね、こんな言い方、すみませんっ!」
「あはははは。いいのいいの。じゃあお邪魔します」
クライはにこにこと、笑顔の面をかぶっているかのごとく顔で、小屋の扉を開けた。小屋の中は空気が外とは異なり、ぴりっと緊張の糸が張った。ルイーゼはクライに続いて、ゆっくりと扉をくぐった。
***
「アグリー様、クライ様とそのお子様たちがいらっしゃいましたよ」
「ああん?」
お世話係としてアグリーに雇われているシャチは、昼間だけこの小屋に働きにきて、夜は夜学に通っている。シャチにそう言われ、ベッドに掛けて分厚い本を開いていたアグリーは、不機嫌そうに声を高く上げた。白髪を長く伸ばした小柄な老人だった。現役時代の傷跡だろう、痩せた腕には青い痣が刻みついていた。アグリーはクライになど目もくれず、三白眼でじろりとルイーゼを見てきた。
(えっ、なに)
シーナも同じように見るならともかく、明らかに自分にしか向いていない。なんなのこの失礼爺さん! ルイーゼは思わず、むかっとして睨み返していた。
「お前にそんなデカいガキなんていたかね。泣き虫ボウズが」
「お久しぶりです、アグリー様」
クライはいつもの軽薄さをここでは排し、今まで見たことのない敬意を師匠に示していた。でも泣き虫って? 先生のことだろうか?
「で、そいつらはなんだ。端的に述べよ。私は今読書で忙しい」
「はい。こっちがシーナで、そっちがルイーゼです。ぼくの弟子です」
「いま、弟子といったな」
「いいました」
びりびり。場の緊張感は最高になった。なぜこの二人の魔法使いはこんなに張り詰めているのだろう。もしかして仲たがい中だったのか? なら会いに来なくても――
「そっちのルイ14世とかいう方は、女じゃないか。それともオカマか、最近流行のトランスジェンダーとかいう新種か? 若者のことはよくわからんのだが――」
「あーもう、突っ込みどころが多すぎて全部対応できないんですが、私の名前はルイーゼです!!そうですよ女ですよ、なにか悪いんですかっ!」
「たわけーっ!!」
ルイーゼの強気は一瞬で静まった。アグリーはベッドの上に仁王立ちになり、クライを見下ろしてお茶がのっていたサイドテーブルをひっくり返した。ばちゃ。お茶は見事にクライの頭に命中し、彼はお茶を浴びおまけに頭を打った。彼はしたたかに額をさすりながら空とぼけた。
「あいてて……なにか、問題でもありましたかね?」
「大有りだ。マエストロの伝統を無視しながって。女など言語道断、今すぐ破門しろ。でなきゃ、私がお前を破門するぞ、クライ!!」
「はっはっは。破門もなにも、もうぼくは貴方から魔法をすべて習得してしまいましたよ。遅かったですね」
「このクソガキが……魔法の腕は確かだが、性格が破綻していることをもっと考えるべきだったわい」
アグリーは大粒の汗を流していた。すかさず、シャチは濡れタオルで彼の額を丁寧に拭いた。
「アグリー様、あまり興奮すると御身体に障ります」
「……もう知らん、お前ら出ていけ、さっさとだ。二度と来るな」
アグリーはベッドに横になり、背を向けた。
クライは「ええそうしますお邪魔しましたさようなら」と句読点をつけずに言い、出口に向かってすたすたと歩いた。
* * *
帰り道は三人でてくてくと丘を下った。誰もが言葉少なくなっていたとき、ルイーゼが我慢できずにつぶやいた。
「先生、ひどいじゃない」
「なんのことですか、ルイーゼ」
「なんで私を弟子になんてしたの。どこにいいっても歓迎されないんじゃ、私だってプライドが傷つくわ。なんで女の魔法使いはダメなの? そんな伝統、古臭いったらないわ」
「そのくだらない伝統をぼくは破りたいんですよ。きみは度胸がいい。怖いもの知らずだ。アグリー様に初対面であんな強烈な突っ込みを入れた人は初めて見ました」
「だってあのジーサン失礼なんだもん!」
「クライ様、いくらなんでもこいつは礼儀作法を勉強しなおさないと、女うんぬん以前の
問題ではないですか?」
「いいんですよ、それがルイーゼなんだから」
クライは突っかかってくるシーナに、にこにこと対応した。その一言は、今まで虐げられてきたルイーゼが認められた瞬間だった。
(まったく、なに考えてるんだ、この人は)
ルイーゼは複雑な気分でクライを見た。師匠を敵に回してまで、なぜこんな見込みのない奴を――魔法が使えるわけでもないこんな無作法の面倒なんて見てるのやら。
その時だった。
「ねえ、なんか地面揺れてない?」
ルイーゼが、ふとつぶやいた。
「あれ、そういえば……」
シーナも辺りを見回した。
「いやあ、気のせいでしょう」
クライだけは歩く速度を落とさなかった。
すると――アグリーの小屋の方から、どどどどどど、という馬が掛けてくるような音が聴こえてきた。
ついでにこんな声も。
「クライ~~!!」
女性の黄色い声である。ぱかっぱか、ひぃぃぃん。馬である。馬に乗っている。乗馬して近づいてくる女性がいた。彼女は長い栗色の髪を振り回し、叫んでいた。
「クライ~~!!」
「ねっ先生、先生のこと呼んでる」
「クライ様のお知り合いで?」
両側から弟子に服を引っ張られ、
「あー、えーと……」
と煮え切らない態度で、クライはゆっくりと後ろに振り返る。そこには、馬から降りたクライと同年輩ほどの長身の女性がいた。ロングスカートを持ち上げ、彼女はクライに駆け寄ってきた。
「会いたかった!」
迷いなく狙いをさだめ、彼女はクライの胸に飛び込んだ。




