第1話 ERROR
第1話 ERROR
人は、こんなにもあっさり死ぬのか――と、黒瀬零はどこか他人事のように考えていた。
視界は白く霞み、耳鳴りがやけに大きく響いているのに、救急車のサイレンも、誰かが自分の名前を呼んでいる声も、まるで分厚いガラス越しに聞いているように遠く、現実感というものがまるでなかった。
病院の廊下は冷房が効きすぎていて、夏だというのに少し肌寒く、さっきまで手に持っていたカルテも、床に散らばった書類も、どうでもいいことのように思えてしまうほど、体から力が抜けていくのが分かった。
——ああ、また徹夜明けだったな。
三日前に家に帰った記憶が最後で、それからは当直、外来、手術、急患、ナースコール、仮眠二十分、また急患、そんな繰り返しで、気がつけばまともに食事も取っていなかったことを、今さらのように思い出す。
医者になりたかった理由なんて、もうはっきりとは覚えていない。
ただ、人を助ける仕事がしたいと思ったのは確かで、目の前で苦しんでいる人を見て見ぬふりをするような人間にはなりたくなかったし、誰かがやらなければならないなら自分がやればいいと、そんな妙な責任感だけでここまで走ってきた気がする。
気づけば同級生は結婚して、子供が生まれて、家を買って、そんな話を聞くたびに、少しだけ遠い世界の話のように感じながらも、自分は自分で選んだ道を歩いているのだから後悔はないと、そう思うようにしていた。
……思うように、していた。
床に倒れたまま、天井の白い蛍光灯をぼんやりと眺めながら、零はゆっくりと息を吐く。
体が動かない。
指先の感覚も、足の感覚も、もうほとんど分からない。
ああ、これ、やばいな。
医者だから分かる。
これは過労とか貧血とか、そういうレベルじゃない。
多分、心臓だ。
誰かが胸骨圧迫を始めたのか、体が上下に揺れているのが分かるが、不思議と痛みはなく、ただ遠くで自分の体が処置されているのを、他人のことのように感じていた。
——俺、結構頑張ったよな。
そんな言葉が、ふと頭に浮かぶ。
特別なことは何もしていないし、世界を救ったわけでもないし、歴史に名前が残るわけでもないけれど、それでも自分なりに、目の前の命を救うために必死に働いて、怒られて、失敗して、また勉強して、手術して、泣かれて、感謝されて、また次の患者のところへ行って。
それなりに、悪くない人生だったんじゃないかと思う。
もし生まれ変わることがあるなら、今度はもう少し、ゆっくり生きてもいいかもしれない。
そんなことを考えた瞬間、ふっと意識が途切れ、音も光もすべてが遠ざかっていった。
そして、完全な暗闇の中で、どこからともなく機械的な声が響いた。
『個体番号未登録。魂データを確認できません』
無機質なその声は、感情というものが一切感じられず、まるで機械が読み上げているだけのような、不気味なほど平坦な音だった。
『転生処理を開始します』
暗闇の中に、青白い光の文字が浮かび上がる。
まるでゲームのステータス画面のような、半透明のウィンドウがいくつも開き、文字列が高速で流れていく。
『職業データ照合……失敗』
『スキルデータ照合……失敗』
『ステータスデータ照合……失敗』
『存在情報を再検索……該当なし』
文字が一瞬止まり、次の瞬間、大きく赤い文字が表示された。
《ERROR》
その文字が表示された瞬間、どこかで警報のような音が鳴り響き、画面の色が一斉に赤へと変わる。
『不具合を確認』
『原因不明の例外データを検出』
『当該個体を通常転生プロセスから除外します』
淡々と処理を読み上げる声が続く。
『例外処理を実行』
『世界座標をランダムに設定』
『記憶データ保持……許可』
『個体名:黒瀬零』
『存在属性――』
そこで一瞬だけ、声が途切れた。
そして、わずかな間のあと、初めてノイズ混じりの音声が響いた。
『存在属性――バグ』
その言葉と同時に、零の意識は強烈な光に包まれ、暗闇の世界は崩れるように消えていった。
はじめまして。
この作品を開いていただき、ありがとうございます。
本作は「もし異世界が完全なシステムで管理されていたら?」という発想から生まれました。
勇者や魔王が存在する世界の裏側に、“運営”という概念を置き、
そこから外れてしまった主人公――黒瀬零の物語です。
主人公は最強ですが、万能ではありません。
“バグ”という不安定な力ゆえに、世界そのものや運営との衝突が避けられない構造になっています。
戦闘だけでなく、世界の仕組みやルールの裏側、そして「正しさとは何か」みたいな部分も描いていけたらと思っています。書けないかもしれませんが…
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




