12話・後から悔やむから後悔。
サイレウス視点です。
これにて完結です。
ユリシーラと婚約を解消しておよそ2ヶ月が経った。あの日……学園の高等部が始まって3日目のあの日にユリシーラと会話したのが最後だった。あの日以来、ユリシーラを食堂で見かけなくなった。噂では学園の有る日は毎日、ジェノリア侯爵令息に誘われて上位貴族のサロンへ赴いているらしい。同時に社交界……つまり貴族の間では衝撃的なニュースが駆け巡ったという。それは、ユリシーラとジェノリア侯爵令息の婚約だった。
俺はそれをネフェリから聞かされて笑い飛ばした。嘘だろう、そんな訳が有るか。と。貴族ではない俺でも身分差が有る事が解るぞ、と言えば国王陛下が承認している、という話だった。俺とユリシーラの婚約も実は国王陛下は知っていたらしい。それは家族から聞かされていた。ドルレク商会を気にかけて頂いていたから、ご存知だったのだ、と。国王陛下に知られていた婚約を解消してしまったのは、ちょっと痛いが、破棄じゃないだけマシか。と父さんは寂しそうに言葉を溢した。母さんと兄さんはあからさまに落ち込んでいた。
それから。
父さんはユリシーラの父親経由で密かに聞いた、と前置きした上で王太子殿下が即位する前後には貴族も代替わりをする。その代替わりに合わせて派閥争いを無くしていく、と。それを聞かされた父さんは、だから俺を絶縁する必要も無くなった、と。ただ、ユリシーラを傷付けたのは間違いないから、ソレイン兄さんの片腕として働くのではなく、商会の新人と同じくコツコツと働け。と言われた。
その頑張り次第で俺とネフェリの結婚を認めてくれる、と。ネフェリにその話をしたら少しだけ機嫌が悪くなった。
「なんで商会の会長子息が下積みからなのよっ⁉︎ 私は、それなりに稼げるまでは結婚なんてしないからね⁉︎」
と。
俺は言葉を失った。
可愛く俺を励ましてくれていたネフェリが。何の役職にも付けない新人なんて、と声を荒げるなんて思ってもみなかった。だから
「商会に入れてもらえるだけ有り難いんだよ。本当は俺、学園を卒業したら絶縁される事になってた。色々あって絶縁は無しになったんだ。だからネフェリ、俺が新人でも一緒に頑張っていこうっていつもの笑顔で言ってくれ」
そう説明した。きっと今までみたいに笑って励ましてくれる、と信じて。
「はぁ⁉︎ 嘘でしょ⁉︎ 絶縁されそうだったの⁉︎ なんで⁉︎ あー、もう、やだぁ。いくらちょっとバカでも、もう可愛いなんて思えないっ。こんな事ならメイサ様に言われた時に政略結婚を受け入れておけば良かったぁ! もう、お父様にもサイレウスと婚約するって言っちゃったから仕方ないけど、早く稼げるようになってくれなきゃ、婚約破棄するからね⁉︎」
だが。
俺が恋した女性は、こんな本性を持っていた……。俺は呆然としつつも、稼いで養えるようになるのは、年単位掛かると言えば、さすがにそれは納得したのか「5年よ! 5年は待ってあげるわ!」と言われた。待ってあげる。上から目線でモノを言われて俺はバカにされているのか、と悔しくなった。
ーーユリシーラは絶対こんな言い方をしないのに。
そう思った途端に、ユリシーラとの思い出が過ぎっていく。ずっとずっと側に居て俺は俺だ、と兄さんとは別だ、と認めてくれていた女の子。
「ユリシーラ」
その名前を1人になった所でポツリと呼ぶ。もう、穏やかに微笑んで「サイレウス様」と呼んでくれる彼女は側に居ない。
ユリシーラの存在が大切だった、と知った頃。俺はふと自分の周りに居るやつらを見た。俺の小遣いで楽しげに笑って食べて遊んでいる。俺の小遣いが無くなれば、サアッといなくなって、小遣いが入れば寄ってくる。そういう友人。それは本当に友人なんだろうか。そう思って小遣いが入っても今月は少ない、と断って小遣いが無くても遊ぼうと誘ってみる。誰も俺に見向きしなかった。
俺はそういう相手としかこれまで付き合って来なかったのだ、と理解した。
そうして高等部に上がってから3ヶ月が経って俺は自分なりにまともな学園生活を送り出した。勉強も頑張って人付き合いも今までとは変えてみた。そうすると、随分と考え方も色々有ると知って、いつの間にか勉強も楽しくなっていたし、金が無くても友人として接してくれるやつも出来た。
そうして思うのだ。
ユリシーラは、本当に俺の事を好きで良く見てくれていたのだ、と。でも、もうユリシーラは俺じゃない男と婚約している。国王陛下も知っている婚約だ。ゆくゆくは侯爵夫人の座が約束された人生。
だけど。
ユリシーラ自身は、果たして望んでいるのだろうか。
本当はまだ俺の事が好きで。
だけど、色々な事情で婚約するしかなくて。自分の意見が言えないんじゃないか、と俺は思う。
もし、そうなら。
俺が幼馴染みとしてユリシーラを助ける。
だから俺は、その日の授業終わりに領地経営科に足を伸ばしてみた。ユリシーラが困っているなら助けるつもりで。堂々と待っているのはさすがに恥ずかしいから、少し隠れてユリシーラを待っていた。
「ユリ」
「リュウテル様」
「違うだろ。ユリ」
「リュウ様」
「うん。帰ろうか」
「はい」
ユリシーラの声が聞こえて来て、そっと其方を見れば、嬉しそうに微笑みながらジェノリア侯爵令息にエスコートされていた。
「なんで、だ……」
俺はユリシーラを見送るしか出来ない。
なんでユリシーラは、あんなに嬉しそうに笑ってる?
俺が好きだっただろう?
「ユリシーラ」
微かに呟いた彼女の名前。ユリシーラは俺が呼んだ事には気付かなかったけれど、隣に立つ男……ジェノリア侯爵令息は、気付いたらしい。俺をジロリと睨んでからユリシーラの腰に手を回した。
まるで、ユリシーラはジェノリア侯爵令息のものだ、とでも言うように。
急に腰に手を回されて驚いたのかユリシーラがジェノリア侯爵令息を見上げ、ジェノリア侯爵令息が微笑んだら恥ずかしそうに俯いて、少し身を寄せた。そんなユリシーラにジェノリア侯爵令息が満足そうな笑みを浮かべるが、俺はそれよりもユリシーラの仕草に衝撃を受けた。
その、仕草は、ネフェリが俺に好きだ、と言いながらする仕草と同じ、で……。
ユリシーラが?
他の男を?
俺以外の男を好きになった?
「嘘だ……」
口から否定の言葉が溢れるけれど、目の前の光景は現実で。
俺はフラフラとその場から離れるしかなかった。
そうして知るのだ。
俺は本当はユリシーラが好きだった事を。
何故そんな大事なことを忘れていたのか。
幼馴染みとしてずっと側に居たから好きだった気持ちが見えなくなってしまっていたのか。
そして……。
ユリシーラが俺をずっと好きで居るのだ、と思い込んでいた事を。
何が有っても何をしても好きでいると思い込んでいた。
俺に「幼馴染みとしての情しかない」と言われ、婚約解消という大切な話の場に恋人だと言ってネフェリを同席させ、「俺の事を別に愛してもないだろう」と決めつけられ。
そんな事をされても、まだユリシーラが俺の事を好きでいるなんて、何故思えたのだろう。
ユリシーラが幼馴染みだから?
ユリシーラが俺を好きだから?
何をしても許されるわけ、ないのに。
心の何処かでいつまでも俺を好きで居続ける、と勝手に思っていた。
婚約を解消しても幼馴染みとして俺の側に居るのだ、と勝手に思っていた。
「そんなわけ、ないのにな」
俺に近づかないから、俺も近づくな、と言って俺の手を振り払ったあの日を思い出す。あの時、追いかけてきちんと話し合っていたなら……いや、幼馴染みだから……とユリシーラのことを放ったらかしにしていないで、きちんと向き合っていたなら……ユリシーラと婚約を解消しなかったし、今、ジェノリア侯爵令息が立つ位置は俺のものだったのだ。
俺はようやく、何を手放したのか知った。
只の幼馴染みなんかじゃない。
ずっと俺を支えてくれて、俺を見つめて想ってくれていた女の子を手放したのだ。
もう、あの子は俺の手に入らない。
俺は浅はかで愚かな浮ついた心で、築いていた関係を壊してまで望んだ人と、歩んでいくしかないのだ。それもいつまで共に歩んでいられるか分からないけれど。
それが俺の望んだこと。
自分で築いてきた絆を壊したのだから、誰にも文句は言えない。
だからせめて。
「ユリシーラ、ごめん。俺は本当にバカだった。だけど、俺、ユリシーラの幸せを願っているから」
もう見えないユリシーラの背中に、俺は心からの言葉を送った。多分、こんな俺の言葉なんて不要な程、ジェノリア侯爵令息はユリシーラを大切にして幸せにしてくれるのだろうけど。
あんな風に愛称を呼ばれて嬉しそうなユリシーラを、俺は、知らなかったのだから。
後悔しか、ない。後から悔やむから後悔とはよく言ったものだ。そう、思った。
だけど、俺は俺で頑張っていくしかない。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
これにて完結です。オマケも番外編もリクエストも有りません。
尚、ネフェリさんは気付いているのかいないのか。もし、サイレウスが彼女が思う程稼げなくてそれに苛立って婚約破棄したら、お相手探しに難航すると思われます。その場合、サイレウスは平民なのでそれなりのお相手を探せるという事実に……。
ネフェリさん。その辺を良く考えた方がいいよ。