外伝 ~七夕の客人~ 第4話
鳥居をくぐって真っ直ぐに行けば、辰巳山へ登って行けば、行き着く先は辰巳神社しかなかった。その事に涼は漠然とした恐ろしさを感じる。
嫌な考えが浮かんでくるのを押さえられなかった。考えまいとしても、一度浮かんできた考えは消える事はない。
紅の髪と瞳の女と神崎のぞみは別人ではあるが、紅の髪と瞳の女は神崎のぞみでもあるのではないか。
そんな思いである。
神社の境内に車を停めて、紅の髪と瞳の女はついてくるように促すと、先に立って隣接地に建つ神崎家へと向かった。
拒否する事は頭から無い。いや、出来なかった。
神崎家の者にとって涼は、歓迎すべき客人ではないようで、涼を見る目が恨めしいような、なんとも言えない顔だった。
娘の姿であって娘ではない紅の髪と瞳の女に対しても同様であり、涼と紅の髪と瞳の女はあからさまに敬遠されている。その事に戸惑っているようにも見え、それは今の涼にはありがたかった。
涼が通されたのは、女性らしい小物が置かれた部屋である。
南側の窓の側に、机があり隣りの本棚には、大学で使う参考書とコミックが一緒に並んでいた。
「座るが良い」
真ん中に低いテーブルあり、紅の髪と瞳の女は先に座っている。
「我が話すより、ぬしが問えば良い」
紅の髪と瞳の女の向かいに腰を降ろした涼は考えてしまった。
問えばよいと言うが状況がわからなく、一体何を問えば良いのかわからない。
結局、昨夜の事しかないと思った。
「昨日の夜、何があった」
「なにも。ぬしは我と契りを交わしただけである」
それは、どう言う意味だと尋ねたい気もしたが、尋ねる訳にはいかない。
返ってくる言葉は、容易に想像ができた。しかし、それだけで紅の髪と瞳の女に良いようにされるのは、考えものである。
結局、尋ねる事は決まっていた。
「契りを交わした者か……」
「いかにも」
「なぜ、俺は逃げなかった」
「我に見惚れたのであろう」
臆面も無く言い切る紅の髪と瞳の女に、涼は少し呆れてしまう。
が、確かに紅の髪と瞳の女の言うように、その姿は見惚れてもおかしくはない容姿だった。
「だから、俺は契りを交わし者か?」
「いかにも」
「俺が覚えていないのにか?」
「ぬしが覚えておらぬとも、我が知っておる」
溜め息が出てしまう。
記憶に残っていない昨夜の事が口惜しかった。記憶があれば、こんなやり取りはしなくてすむ。
「おまえは……」
「おまえではあらぬ。我はほむら、そう伝えおいた。それすら忘れておるのか?」
記憶に残っている最後は『始めましてだな、客人。我はほむら』だった。
紅の髪と瞳の女がそう言った事を思い出した涼は、一度口を開けてから何も言わずに閉じると、がっくりと肩を落とす。
そんな涼を、ほむらは首を傾けて見ていた。
やがて涼は、はっきりと口にする。
「神崎のぞみはどうなった?」
「ぬしは見ておったではないか。我はほむら。神崎のぞみではあらぬ」
ほむらの言いたい事は理解できる。
認められない事ではあるし、認めるには理解の範疇を超えていた。
そんな事は常識外だった。
実際に起こるとは、目の前で見ていたにもかかわらず、まだ信じられなかった。しかし、すでに神崎のぞみとほむらが、別人であると涼は認識している。
理解する事と納得する事は別だった。
眼の前のほむらと名乗った女は、涼の知るどんな女とも違っている。
紅の髪は染めればあるかもしれないが、ほむらの髪よう様に鮮やかな紅と呼べるものではないはずだ。そして、紅の瞳は人には有り得ないはずである。
「その身体は神崎のぞみの身体であり、おまえは神崎のぞみに憑依した」
幽霊か何かを表す言い方だと自分でも思っていた。だが、他に言い表しようが無いと言うしかない。
「憑依とは失礼であるな。これは……」
ほむらは、自分の身体を指差していた。
「我の器。我は器に戻っただけの事」
「おまえは何者だ」
「ぬしは、存外愚かであるな」
ほむらは溜め息をつく。
「幾度、同じ事を言えばよい? 我はほむら、と伝えておるであろう」
「そうじゃない。おまえは、どんな……」
聞いても無駄だとわかった。
それは、自分が何者かと尋ねる事と同じである。聞いても意味のない事だった。尋ねる事を変えるとしかない。
「俺に何をさせる気だ?」
「ぬしは我の言葉を聞いておるのか?」
涼は知りたい事を手に出来ないもどかしさを感じていた。ほむらが話をずらしているとは考えられない。
では、何が悪いのかと言うと、涼の尋ね方が悪いのだが、本人はそうとは気がついていなかった。
しばらく涼とほむらは、無言で見つめあってしまう。
真っ直ぐな紅の瞳、揺らぐ事のない強さに涼は魅入ってしまった。
自分に持ちえないものを目の前に突きつけられた時、人はそれを好ましく思うのだと知ってしまう。そして、それを失う怖さも知っていた。
だから、紅の瞳に惹かれそうになっている自分がいる事を理解した。
それ以前に、覚えはないが肌を重ねたと言われれば、抵抗する気力さえ衰えてしまう。
人ではないと頭ではわかっていても、目の前のほむらは人の姿で、人の言葉を話している。神崎のぞみに憑依したのであれば、その身体は人でありバケモノの類ではない。人と言っても良かった。
それが涼を迷わせる。
「俺は契りを交わした者か……」
「いかにも」
涼の呟きに、ほむらが答えた。
「俺はほむらから離れられないのか?」
「否。ぬしが離れられぬのでない。我がぬしを離さぬ」
「離れれば、さっきのようになるのか?」
「否。七夕が過ぎればサカイを超えられる。七夕が過ぎぬ限り、サカイを越える事は叶わぬ。違えば、ぬしは死ぬ」
「死ぬ……?」
意味が判らなかったが、ほむらは頷いている。
「ぬしは客人。七夕と呼ぶ七日は、サカイの客人ゆえ、サカイを越える事は死を意味す。我もまた、ぬしと同じくサカイを超えられぬ」
「なんだ、それは……」
理解できなかった。
「あれは、おまえではなかったのか?」
坂井を越えた駅で会ったのは、この女ではなかったのかと、あれはいったいなんだったのかと困惑する。
「我の力の一部とも言える」
「力の一部?」
「我はサカイを超えられぬ。ゆえに、力のみを送った。ぬしが、サカイを離れた事がわかっておったからの」
理解しろと言うほうが無理である。
「なにが、なんだか……」
「きまりであるな。我も七夕の終わりと共に消えゆる」
わからなくなった涼は、ほむらを止めていた。
考えなければならない事は多いのに、それに対しての情報が少なすぎる。ほむら以外で、七夕の事を知る者が他にいないのかと思った。が、今はまだ、ほむらの話を聞くほうが先である。
「ほむらの存在は七日間だけなのか」
「いかにも。我は七夕のみの存在でしかあらぬ。七夕の間に力を蓄え勝たねばならぬ」
「勝つ? 相手がいるの」
「おる。我と同じくする者が、すでに七夕のサカイに存在しておる。我がこうして、ここに折る以上はな」
ほむらの口元がつりあがっている。それは確信し、敵を倒す事を決めている笑みとも言えた。
「戦うのか、その相手と」
「それが七夕の運命。それゆえ我らはおる。我らに力を与えるのはぬしら客人」
客人。
訪問者とも言うが、この場合は異邦人とも言うべきだろう。
古来より、地の者では無い者が来訪し悪鬼を打倒す……そんな物語は、良く聞く話だった。
が、現実にあるとは思えなかった。しかし、それと似たような意味で、ほむらは客人と言ったのだと思える。
そして、自分に与えられた役割は、悪鬼を倒す事でなくほむらに力を与える事。
それが睦む事とは、頭を抱えたい思いだった。
「何を考えておる、客人」
「涼だ、神野涼。だから涼と呼べば良い」
「涼、か」
少し驚いたように、ほむらは涼の名を口にする。
「どうした?」
「なんでもあらぬ。して、涼よ。ぬしは我に何を示す?」
「示す……? なにを?」
戸惑う涼にほむらは近づいた。
「ぬしは……自分がわかっておらぬ。我は……」
なぜか、ほむらは嬉しそうに笑う。
「ぬしが客人である事を嬉しく思うぞ……」
肩に手を掛けられて涼は押し倒された。覆い被さってくるほむらを、涼は跳ね除けられなかった。
「まて、ほむら……」
「何を待つのだ。ぬしと睦む事で、我は力を得ると伝えおいた」
紅の瞳は真っ直ぐに涼を射抜く。




