3話 出会い
夜空を切り取ったような濃紺の長い髪に、妖しく輝く黄金色の瞳。すらりと背が高く、浮世離れした美しい顔の奥に近寄り難い危険な雰囲気を孕んでいる。
そんな男が、感情の読めない表情でキャロラインのことを見ていた。
辺りを覆っていた、黒い炎が消える。煤けた床に灰だけが残されていた。
呼吸さえも忘れ、まばたき一つできずに男を見つめたままキャロラインは固まっていた。
そんな彼女を見て、男は深いため息を吐く。
「そうも怯えた顔をしなくてもいいだろ。あのまま教団の騎士に見つかれば殺されていたかもしれないのだから、寧ろ感謝してもらいたいところだ」
腕を組み偉そうな態度の割に穏やかな声音だった。さっきまでの惨状を考えれば、不釣り合いでいっそ不気味にすら思えた。
キャロラインは大きく二、三回深呼吸を繰り返した。少しだけ冷静さを取り戻す。
「……確かに、貴方のお陰で騎士は退きましたが、教団の目的も貴方の目的も分からない状況で、助かったと楽観的になるのは難しいですね」
目の前に居るのは正義の味方ではない。容赦なく人を焼き殺せるような推定犯罪者だ。簡単に隙を見せるわけにはいかない。
「別に危害を加える気などない。俺は今夜、稀人を、お前を買うつもりでいたんだからな」
ドミニコはオークションの目玉商品として稀人の存在を宣伝していたようだ。
男はそんな情報を聞き付けてやって来た客の一人のようだ。
「貴方も稀人が神の加護を持っているなんて話を信じてるんですか? 残念ながら、生まれてから二十年、神の加護を感じたことは一度もないのですが」
特別な力が無いことは、黙っていたところでいつかはバレる。ならば、初めから話しておいたほうが良い。
この事実を知って男が逆上でもしないか、キャロラインの内心は命綱なしの綱渡りをしているような緊張感に包まれていた。
しかし、男はキャロラインの内心なんか見透かしたようだった。
「安心しろ。そんな迷信は信じてない。手元に稀人が居ることで教団を牽制できる。価値などそれだけで十分だ」
彼の言葉で先ほどから渦巻いている疑問が大きくなる。
キャロラインは確かめずにはいられなかった。
「牽制できる? 教団にとって稀人って何なんですか」
「一言で言ってしまえば邪魔な存在。もしくは世界の秩序を壊しかねない不穏分子と言ったところか」
それは、キャロラインにとって受け入れ難い理由だった。
そもそもこの男は信頼できる人物とも言えない。彼が自分の都合が良いように適当なことを言っている可能性だってある。
でも、なぜか嘘だと思えなかった。
「魔法すら使えない、何の力も持ってない人間がどうやって世界の秩序を壊すって言うんですか」
「少なくとも教団の上層部はそう考えている。稀人の持つ知識、思想、価値観、それら全てがこの世界にとって脅威になると」
どうにか反論の余地を見つけたかった。
しかし、彼の言っていることの意味も理解できる。
なにせ、キャロラインは自分がこの世界において異質な存在だと自覚があるから。
「貴方は稀人の正体を知ってるんですね」
キャロラインはどこか諦めたように笑った。
「ああ、姿と記憶を継承したまま、この世界に生まれ直した異世界人。稀人が魔法を使えないのはそもそも魔法が使えない世界の人間だからだ」
それは、親しい友人や家族を含め誰にも明かさなかったキャロラインがずっと隠していた秘密だった。
黒い髪に黒い瞳、親族と似つかない容姿は前世由来のもの。鏡に映る姿は年々、記憶の中の自分とそっくりになっていった。
「やっぱりそうなんですね。あーあ、魔法使ってみたかったな。前世にはなかったからなー」
彼女は残念そうに呟いた。
物心つく頃には自分が異世界転生したのだと理解していた。だから、誰もが魔法を使える世界だと知った時は胸を躍らせたし、自分は魔法が使えないのだと悟った時は酷く落胆した。
「俺には想像できん世界だ」
「そうですねー、わたしが生まれ育った国は少なくとも、魔法がなくても便利で豊かな国でしたよ」
この世界においての魔法は、日常生活にごく普通にありふれたものだ。それが無い世界と聞くと原始的で非文明的な社会を想像するかもしれない。
しかし、彼女の記憶の中にある世界はこの世界と同等以上に発展した場所だった。
「魔法がなくても便利で豊か……それこそ教団が世間に知られたくないことだな。だからこそ、口封じをしたいんだろ」
魔法を必要としない発展は教団が理想とする世界の姿ではない。具体的な技術に関する知識がなくても、魔法なしで実現可能だと知られることさえ、教団にとっては危惧すべきことだった。
「どれだけ魔法至上主義なんですか。過去には稀人であっても歴史に名を残した人物がいるって話じゃなかったんですか」
「それは一部例外の話だな。世界再興に貢献した英雄王は教団が力を持つより前の人間だから論外。社交界の華・アントワーヌ王妃は生家の権力が大き過ぎて教団も手が出せなかった。監視対象ではあったがな。医学博士ジョゼフは本人が信仰に厚かったことと医療知識の重要性から特例として扱われていた」
彼女の悪態に男は丁寧な説明で返した。稀人でありながら歴史に名を残すことを許された者たちの条件は、どれも簡単に真似できるものではない。本人の才能と取り巻く環境の両方が揃う必要がある。
「つまりお前が助かるには、教団に対抗できる後ろ盾を手に入れるか圧倒的に世界の役に立つ知識を披露する必要があるわけだが……心当たりは?」
「あるわけないですよ。今世のわたしはただの田舎娘で、前世だって何かの専門家だったわけじゃないので」
「なら教団に捕まり軟禁または始末されるのを待つか、もしくは、俺たちの仲間になるのなら助けてやる」
俺たちのと言うのはつまり犯罪組織のと言うことだ。
彼女は目を閉じで考え込んだ。
この返答次第で今後の人生が決まる……いや、この男に会った時点で決まっているのか。
「まるで、わたしに選択権があるみたいに言いますけど、断ったとして、見逃す気ないですよね」
男は薄く笑ったまま何も応えない。
無言は肯定の意だ。
「わかりました。貴方たちの仲間になります。その代わり、わたしの人生の責任取って貰いますから。人並みの生活、最低でも、美味しいご飯は保証して下さい」
彼女の宣言を聞いて、男は一瞬面食らった顔をしてから声を上げて笑い出した。
彼にとって彼女の発言は余程、愉快なものだったのだろう。
ひとしきり笑った後、男はもう一度、彼女に視線を合わせた。鋭い金の瞳から彼女は目線を逸らさなかった。
「いいだろう、希少な稀人様だ。丁重に扱ってやる。俺は黒焔会首領のシェンだ。お前の名は?」
「……チトセ。わたしの名前は、チトセです」
彼女が名乗ったのは、前世の名前だった。
もう、善良な一般人、キャロライン・ベイカーとして生きることはできない。
そんな、決意の現れであった。




