26.命の記憶
光が大きく脈動した。
瞬時に闇の世界が白くなった。
どこまでも続く白いレンゲ畑、山々や畑の積み藁に積もる雪。
美しく懐かしい部分のみを抜き出して、強調したかのような心の中の郷里の風景。澪と見た白い風景。
『ここでリタイアするか?あなたは選択することが出来る』
光は僕に問いかける。僕は質問の意味が分からず、答えられない。
僕は白い風景を見回す。
光は僕を責めることもなく女の声で続ける。
『あなたは今、苦しみの中にいると感じているのでしょう。しかし、それはあなたが選んだ道でもあったのです』
僕は、そんな人生を選んだつもりはない。
『私はあなたに過去を見せました。あなたは何を感じましたか?』
僕は考える。
「私は……。私は忘れることの出来ない想い出の世界へ帰ることができました。結果として、何かを失うたびに、別の何かを得たことにも気がつきました。……そして、初めから暗示に満ちた様々な事象が周到に準備されており、今につながっているように感じました。……しかし」
『しかし?』
「それは、あなたが私の運命を弄んでいるからではないのですか?」
『あなたは、ひとつひとつの試練を乗り越えることによって、生きる意味を見つけていく課題を自らに課したのだ。まだ、思い出せないか?』
大勢の声が答えた。
「課題?……私一人の課題だというのなら、分かりもします。しかし、それならばなぜ、私以外の人間を巻き込むのです?なぜ、くるみの幼い命を絶ち、翔太に障害を持たせ、秀人に遺伝的な不安を置かなければならないのですか?なぜ、澪に苦労を背負わせるような生き方を選ばせなければならないのですか?これはあなたのかけた呪いなのではないのですか?私たちがあなたに何をしたというのですか!」
言葉にするうちに、知らず知らず感情的になってしまった。だが、光には何の変化も起こらず、そこには動揺も同情も感じられなかった。
『あなたの選んだ道は、一人で決めたものではなく。今あなたが言葉にしたすべての名前の者が、それぞれの課題を乗り越えるために用意した道なのだ。まだ、思い出せないか?』
「悲しみや苦しみが生きる意味になるとは思えません。そもそも生きるとは何ですか?」
『悲しみや苦しみを乗り越えることこそが生きるということなのだ。生きるとは手段なのだよ』
男の声が答えた。
「手段?……生きることが手段?では、その手段の結果、達成される目的があるはずです。それはいったい何なのですか?」
『命は繰り返す。命は成長し続ける。まだ、思い出せないか?』
「それは宗教でいう輪廻転生の考え方ですか?」
『そう思いたければそれで良い。人は何のために生きるのか?なぜ人は苦難に遭遇するのか?苦難のあと肉体を離れた命はどこへ行くのか?あなたは知っているはずだ。そして、何を目指しているのかも』
「では、どうして山崎さんや中川さんは死んだのです?」
『命の成長度合いに見合った課題があるからだ。彼らにとっての課題は、乗り越えることが大変難しく困難な課題だったのだ。だから、私は彼らに決めることを促したのだよ』
「あなたが殺したのですか!」
『私は決めることを促しただけです』
女の声が答え、続けた。
『命は繰り返します。何度でもやり直せばよいのです。すべては自らが決めればよいのです』
そのとき、その光の中に山崎と中川冬美の顔が穏やかな幻のように見えた。僕は少しだけ思い出せたような気がした。
僕はおそらく目的を持って生まれてきた。喪失感の中から新しく生み出される世界、その尊さを学ぶことを目的として生まれてきた。そんな気がした。
『失うことは完全なる喪失を意味してはいない。あなたは代わりに多くのものを手に入れたではないか?思い出しただろう?』
大勢の声が問いかけてくる。
「では、くるみの死は、私やくるみに何をもたらしたのですか?」
『あなたはそのことも知っているはずだ』
光は諭すように続けた。
『あなたは命をいとおしむという気持ちを手に入れたのではないか?』
「では、くるみには?」
『あなたにくるみと名付けられた命は、あなたとは別の目的がある』
「私とは別の目的?」
『あなたの選んだ道は、一人で決めたものではなく。あなたの道には、それぞれの目的が交差し合流し枝分かれしている』
「では、いずれまたくるみと会えるということですか?」
『その命は、もうすでにあなたと合流しています。その命が誰だかもう分かっているはずです。それが分かれば十分でしょう?』
女の声が答えた。
「それでは……」
『それでは?』
「くるみや翔太は、命や健常さを自ら奪われることを目的に生まれたとでも言うのですか?」
『そのとおり』
大勢の声で光が答え、そして続けた。
『その命の課題は、命を愛しく思う心を学び学ばせること。けなげに生き、強く純粋な命を得ること。強く生きる勇気を人に与えること』
まるで、合唱のように響いてきた。
その瞬間、僕はすべてを思い出せたような気がした。
死と生の間。
肉体を得る前の期間。
命には次の人生を構想する場所がある。そこが、光が居るこの場所だ。ここで、僕たちはそれぞれの役割を決めたのではなかったか。
『思い出しただろうか?命は繰り返す。繰り返しながら成長する。成長すればまた次の役割が待っている。成長しながらやがて若い命の指導役としての役割も持つ。最後は私と同化するのだ』
大勢の声が言った。
それはおそらく地球や宇宙の意思とでも言うべきものだ。古代の人間はそれに神話や宗教という衣を纏わせ世界に広めた。
『ここでリタイアするか?あなたは選択することが出来る』
光が再び僕に選択を促す。そして男の声で続ける。
『やり直すことも、それはあなたが決めればよい。あなたの言う山崎、中川といった命はそちらを選択したまでのこと。私が過去の情景を見せたのは、肉体を得る前に自らに課した課題と目的を思い出させるためだ。あなたが私から運命を弄ばれているように感じた様々な暗示は、私が行なったものではない。あなた自身が目的を見失わないように準備したヒントなのだよ』
光が再び静かに言った。
『あなたは選択することが出来る』
僕はそれには答えず、ひとり言を装って呟いた。
「過去の扉を開けるうちに、私は喪失感と同時に尊いものを手に入れてきたことに気づきました。くるみが翔太として生まれ変わったのなら、翔太とくるみの命の成長を助けることも私が使命としてやらなければならないことなのでしょう」
光は沈黙していた。
「いえ、私が導かれているのでしょうか?」
光は僕の言葉を遮るように補足した。
『命の年齢は、肉体の年齢とは異なる。あなたの命はまだ若い』
そして女の声で続ける。
『あなたは選択することが出来ます』
それでも僕は、今この場で光の言葉を整理しておかなければならない。そんな気がして呟き続けた。正しい選択をするために。
「家族とともに歩き、すべてを受け入れ、守り、導かれ、希望に溢れたり、あるときは苦しんだり、悲しんだり、……そうやって生きて、生きた意味を次の命に繋げること。それが今の役割なのでしょうか?」
『言葉を紡ぐことは、目的を朧なものにする』
大勢の声が響いた。理屈を並べるより、思い出せということなのだろう。
『あなたは選択することが出来る』
現実は、時につらく悲しい不安と苦悩に満ちている。たとえ、自らが課した課題だとしても、逃げ出したくなる気持ちを偽ることは出来ない。しかし、今の生を受ける前、僕たちはこの場所で、家族としてそれぞれの役割を持ちながら生きていくことを選んだ。
そう、すでに選択していたのだ。
僕は決心して答えた。
「リタイアはしません」
光は大きく脈打つと、年齢を感じさせず、しかし深い経験を重ねた声で言った。
『では、次に会うときを楽しみに待っていよう』
次に会うとき……。それは、僕が課題を乗り越え目的を達した後のことなのだろう。
すぐに視界がまぶしくなった。そのとき、怒鳴るような駅の構内放送に突然気づいた。
「危ないですから白線の内側にお下がりください!」
同時に風圧が押し寄せて来た。
「危ないですから白線の内側にお下がりください!」
とっさに一歩後ろに退いた。
瞬間、僕のほとんど目と鼻の先を急行電車が猛スピードで通り過ぎていった。
突風が、髪とコートを激しく揺らし、僕は少しだけよろめいた。
リタイアを選んでいたのなら、中川冬実や山崎と同じ運命を辿ったのだろう。だが、僕は選ばなかった。
夢の記憶は、目が覚めれば覚めるほど薄れてゆく。光との会話はちょうどそんな感じだった。すぐにおぼろげなものとなり、掴もうと腕を伸ばしても、もはやそれが何のために伸ばした腕なのか思い出せない。だが、それでも意識の内側に残っていることがある。
『人は何のために生きていくのか?』
生きることは手段。その先に目的がある。
人は命を意味のあるものにするべく今を生きている。
だから、今が大切で美しいのだ。
意味ある命になることを願いながら今を生きている。
だから、日々の小さな喜びやつながりも、そして悲しみや苦しみさえも、かけがえのないものなのだ。
生きることそのものが意味深い瞬間で満たされながら、その先の目的に向かって進むことができるのだ。
そう考えることで人は生きて行ける。




