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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
4章 開戦
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魔女との初対面

「シルヴィナス王国公爵レオグラント・イェルス、偉大なる大樹と王の下、祭祀と騎士の両翼を統べる者である」

己はそう名乗った。


その場に集めたのは、祭祀庁の中でも最高の力を持つ者たち。彼らを数名、距離をとって控えさせ、常に感知を巡らせている。精神への干渉を弾く護符を胸元に忍ばせ、鎧の内にも術式を刻んだ。ここまで用意を固めて、ようやく決心をつけたのだ。あの女を呼びつけるために。


「大樹が作る木漏れ日が美しい今日、お目にかかれて光栄です。初めまして。リシェリアでございます」


現れた少女は、驚くほど端然と礼を取った。その所作は寸分の狂いもなく美しい。ヴェールの下からこぼれる銀の髪は流しただけで柔らかに光を帯び、耳に心地よい声色で名乗る。おそらく顔立ちも相応に美しいのだろう。清楚可憐という評が似合う輪郭をしている。――なるほど、いくらかの男が恋をするのも分からぬではない。


「楽にしていい。今日は単なる面談だ」


口にした瞬間、自らの胸の内を測った。こんなことを考えられるのだから、まだ平気なはずだ。護符も術式も、己の知覚も異常を示していない。

彼女の姿勢を崩す許可を与え、私自身も椅子に身を預けてみせた。ほんのわずかでも寛ぎを演じなければならなかった。


「はい、承知しております」

リシェリアは軽やかな声で応じた。


……その瞬間、気づいた。

私は安心しようと必死になっている。


己自身の力も、それなりにはある。選定の場で彼女が見せた発露も、まだ兆しはない。もし発動したとしても、あの小娘を切り伏せることなど容易いはずだ。

それでも――警戒が解けない。胸の奥底から這い上がる恐れが、己を縛っていた。


「この半年。城にて手習いや生活をして。どうだ?」


問いは静かに投げた。


「どう……とは」


小首を傾げる声。


「なんでも良い。楽しい、面白い、飯が美味い、それとも辛い、辞めたい、壊したい、とかな。何かあるだろう。庇護に感謝してもいい。勤めに飽きたと吐露してもいい」

言葉を重ねながら、自分は彼女の奥を探ろうとした。飾った答えに価値はない。

「――人間になれたか?」


突きつけるように吐いたのは、腹の底に沈んでいた疑念そのものだった。


「……イェルス様。セランを人間の社会に受け入れてくれてありがとうございました」


リシェリアは、まず彼のことを口にした。

その声音はやわらかく、けれどどこか譲れぬ響きを含んでいた。


「彼は、私のせいで獣のような生き方を強いられていました。今は、以前よりずっと健康で健全です。人の輪の中で生きる糧を得られることは幸いです」


……そちらの話ではない、と言いかけて飲み込む。

彼女にとっては、それが前提なのだろう。そう思い直して続きを待った。


「それで?」


促すと、リシェリアは一拍置き、言葉を選ぶように唇を動かした。


「私は……。私も人間らしさを知り始めています。何が嬉しいことか、悲しいことや苦しいことがなぜ起きるのか。知ることで前に進めていると思います」


慎重な口ぶり。背後に控える祭祀官たちの息づかいすら鮮やかに感じられる沈黙の中、彼女は続けた。


「私たちが辿ってきた道は、ご存じなのですよね?」


その瞬間、ベールの奥で光ったものは感情の欠片を持たぬ瞳――冷たく静まり返った眼差しだった。


「外側からわかることの大体は。不法侵入、窃盗、喧嘩、詐欺、暴行……。特にお前の連れの仕出かしたことは明確だ」

嫌な予感が胸をよぎる。だから、事実だけを落とした。

「だが、お前が魔眼で人を惑わせただとか、人心を掌握しただとか、天変地異を引き起こしただとか……その真偽はわからぬ」


「……これは真偽が定まらぬものを責める場では無い。それとも赦免がないなら力を貸さぬと?」


試すように問う。


「いいえ、ただ。御国の大事である大樹の近くに寄るに、ご信用に値しないのではと思ったのです。」


思いがけぬ答えだった。自己弁護ではなく、国の大事に値しないかもしれぬ己を測っている。


リシェリアは静かに言葉を紡ぐ。


「私は今大樹の影に、この王国に一時的に身を寄せていますが、いわば通り雨です……決してこの地を氾濫させたいとは思っていません。ですが、アスティ…アストリット殿下と引き合わせてくれたことを大樹様に感謝しています。ですから、恵みの雨になるように力の限りつくします」


この少女は、随分客観的に自分をわきまえている。

聞いているより経歴も、学がないと思えないほどに謙虚で聡明だ。

なんとなく、という自ら出てこないような曖昧さで、善良さを信じてしまいそうになる。


……これは精神を侵されているからなのか。それとも、私自身の理性が揺らいでいるのか。


念のため、問いを重ねた。

「実際に、お前は相手を洗脳するのか」


「そんなことは……。もしできていたのなら、セランの起こす事件も罪も、もっと少なくできていたはずです」

返ってきた言葉は筋が通っており、確かに納得のいくものだった。

それでも不安は拭えない。

己の精神が侵されていない確証が欲しかった。


懐から、至宝である護符――守りの貴石を嵌め込んだ装身具を取り出す。掌に乗せ、凝視する。色は変わらず、澄んだ薄緑のまま。まだ侵されてはいない。


……そもそも、警戒しすぎているのではないか。癒しを授けられるだけの小娘に過ぎぬのではないか。急にそんな考えが広がった。

全ては他人の話――噂と証言の積み重ねだ。人は恐怖に容易く支配され、現実を歪めてしまう。リシェリアが精神に干渉できるとする証など、まだどこにもないのだ。


「……いいだろう。最後に、王の御前に出すことができるかを確認させてほしい」

静かに口を開く。

「この石の色を変えることができるのか」


差し出したのは、ただの美しく飾られたブローチにしか見えぬ護符。しかしそれは、装飾ではない。王侯に対する高度医療にも使われる至宝で大樹の主根の近くで生まれる特別な鉱石であり、精神や意識に関する干渉を吸着する作用を持ち、霊的強度は並みの石の比ではない。


リシェリアの掌に転がすと、彼女はそれを摘み上げ、光にかざしながらしげしげと眺めた。


「……変えたら元に戻らないと思います。弁償できません」


――できる前提の答え。

だがまだ変わってはいない。


「戻せるなら何の証にもならぬだろう? できるなら、変えて構わない」


「……何の証になるのかわかりませんが……承知しました」


リシェリアは心底不思議そうに頷き、指先で石に軽く触れた。


その瞬間――空気が一変した。

冷気のようなものが室内を走り抜け、背筋に粟が立つ。


息を呑む。


護符の石は瞬く間に濁り、薄緑の輝きの奥に、樹状の筋が走った。凍りつくように白へ。そして次の瞬間、血のように鮮やかな紅が広がり、石全体を塗りつぶした。


リシェリア自身も驚いたように目を瞬かせる。


「……不思議な石です。思った色になりませんでした。こちらでよろしいでしょうか?」


返そうと手を伸ばしたが、私が受け取らなかったため、彼女は机のこちら側にそっと置いた。


「……ああ。感謝する。……これで面談は終わりにしよう。今後の貴殿の尽力に期待させてもらいたいと思う。……下がってくれ」


リシェリアは静かに礼をして、警備に連れられて足音も乱さずに退室した。


――まさか、石の色すべてを塗り替えるとは。

できるとは思っていなかった。仮にできたとしても、一部の変色に留まるはず。だが彼女は、石そのものの力を超えて完全に上書きしてしまった。


これこそ証明だ。リシェリアは精神に干渉する――それを可能とする力は確かに持っている。


それでも、控えの祭祀官たちからの報告も、自身の鎧に刻まれた護紋も異常はない。私は正気だ。


全てを身をもって体験した。

深く息を吐き、ようやく緊張を解いた。


魔女と呼ばれてきた女――魔女の如き異能を纏うリシェリア。

だが彼女は、あの場で「汚染できる力をもっちながら」誠意をもって「何もしていない」ことを証してみせた。


少しは信用してもいいのかもしれない、と……ほんの僅かに、ようやく思えた。

だからこそ、下がらせた。


静寂の戻った室内にひとり残り、机の上に置かれた紅の石を見つめる。

禍々しいほどに染まり切った色。生々しい血を固めたかのような輝きは、護符としての姿を完全に失っていた。


……もし彼女が何かしでかすなら。

その時はこれを証拠に糾弾すればいい。


「リシェリアが精神支配を行った」とでっち上げることもできる。


管理できる力なら、使い道もあろう――そう考えて、石を手元に戻そうと指を伸ばした。


「……は!?」


だが、持ち上がらない。

石はただ冷たく、手袋を濡らすようにして指先から蒸気を立て、音もなく消え去った。そこには何も残らなかった。

色を変えろ以外には何も指定しなかった。元に戻せないともいった。


だからといって、物質として変えてしまうとは思わない。

証拠にすらならぬ。掴んだそばから消える、幻のような存在。


……何かあれば。

リシェリアを抑える勘所は、セランか……あるいは彼の家族。盾に取るしかない。


唇を噛む。


――なんてものをこの国に連れてきたのだ。

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