カイルの独壇場
何で!?
私は、頭の中が真っ白になった。
息がうまくできない。心臓の音ばかりが喉の奥で跳ねて、頭の芯が熱くなる。
とにかく止めなきゃ、助けなきゃ。
「カ、カ、カイル! カイル! 良くないですよ!? ぺっ、ぺってして!」
声が裏返る。
言葉を、気にする余裕は一切なかった。自分でも何を言っているのかわからない。
思わず彼の肩を掴んで、がくがくと揺さぶる。
けれどカイルは少しも動じず、むしろその様子を見ておかしそうに微笑んだ。
「あ、あ、えーと、どうしましょう。アデラ。場所がわかれば、そこを――」
口の中で言葉が迷う。
どうしたらいいの、どんな癒しをすればいいの、わからない。
“死”を呑み込んだなんて、聞いたことがない。
どうしよう、どうしたら――
「――あー、リシェリア、リシェリア」
カイルが、やれやれというように小さく息を吐いた。
「落ち着いて。大丈夫だから」
その声音は、あまりにも普通だった。
彼は少し面白がっているようにすら見えた。私の手を軽くほどくと、何事もなかったように瓶の蓋を閉め直した。
カチリ、と小さな音。
その音を合図にしたように、異能がもたらしていた結界の光がゆっくりと消えていく。皆の緊張も、そこでようやく途切れたらしい。
防護の層がほどけて、空気が軽くなる。
けれどその空気の中に漂ったのは、安堵ではなく――奇異の視線。
高等祭祀官たちの目が、まるで未知の生き物を見るように、カイルへと集まっている。
恐怖でも軽蔑でもなく、ただ理解できないという沈黙。
カイルはそのすべてを受け止めながら、胃の辺りに手を置き、淡々と口を開いた。
「皆さんも、知覚で見ていただければわかる通り――何の問題もありません」
手を広げ、どこか芝居がかった仕草で続ける。
「まあ、後ほど少し腹を下すくらいはあるかもしれませんが」
誰も笑わなかった。
ただ、アデライナだけが息を詰めたように彼を見つめていた。
「アデライナ」
カイルが彼女の名を呼ぶ。
「その辺も、既に調査は進んでいるだろう」
問いかけというより、確認するように。
まるで答えを知っている人間の言い方だった。
「……ええ、はい。ご存じだったんですか?」
アデライナの声には、驚きが滲んでいた。
その反応からして、その情報はカイルに事前共有されたものでもないようだった。
「考えれば、わかることだ」
あっさりと言い切るカイル。
「招集は即時ではなかった。故に緊急性はない。選別された人員を見れば、重大度もおおよそ見当がつく。……これは、ある程度、伝達を統制する必要はあるが、完全に秘匿する予定のものではない。観覧すら危険な代物なら、これほど人を呼ぶはずもない。すなわち、この場の総員を壊滅させるような危険物でもない」
彼の横顔が、光に照らされて一瞬だけ柔らかく見えた。
「あまり表にお出にならないローネン師までおいでになっていると気づいた時は、さすがに緊張しましたが」
カイルは、大祭祀官の左奥に座る人物へ、ほんの少しだけ視線を向けた。知り合いなのだろう。その目元が、わずかに優しく伏せられる。
彼は冷静で、どこまでも理性的なのに――優雅で。その確信に満ちた表情が、どうしようもなく美しいと思ってしまった。
……こんな状況なのに。
私の胸の中で、恐怖と安堵と別の感情が、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。
「大体……皆さん、名前や見た目に惑わされすぎています」
カイルの声は、先ほどの鋭さを取り戻して低く響いた。
それまで沈黙の続いていた議会室に、その声だけがくっきりと浮かび上がる。
まるで演壇に立つ演者のように、彼は一歩前へ進み出た。
「“死”が怖い? では、その恐怖の根源はどこにあるのでしょう」
誰も返さない。
彼の言葉に反論を挟める者はいなかった。
むしろ、高官たちの目が――理屈よりも、カイルの立ち姿に吸い寄せられている。
「では、私たちは毎日、何を食しているのか」
彼はゆっくりと視線を巡らせる。
「生き物の死肉を、植物の残骸を、口にしていますね。発酵食品は“腐敗”させて作るものだ。これらはすべて“死”の形ではありませんか?」
ざらり、と誰かの衣擦れが響いた。
返す言葉を探しても見つからないのだろう。
カイルは一歩、机の方へ歩み寄り――コンコン、と節を二度叩いた。
「この机の素材は木。恐れ多くも“大樹”の類縁――その遺骸です」
彼の口調は皮肉めいて、それでいてどこか美しい。
「この恩恵を受けながら、死を“穢れ”と呼ぶ。……それは、少々思慮が足りないのではないでしょうか?」
彼は両手を広げた。
まるで舞台の上で幕を開くように。
光がその銀灰の髪を撫で、瞳の奥が一瞬、紫がかって見えた。
「世界には、生と死が同じだけ満ちている。
それなのに、どうして“死”だけが恐ろしいのか。
――どうか、言語化してみてください」
挑発にも似た微笑み。
今や完全に、場は彼の独壇場だった。
彼の周囲の空気だけが別の温度を帯びていて、
その熱に、誰も踏み込めなかった。
「私が、その恐れをひとつずつ解体して、凝り固まった頭を解すのを――手伝いましょう」




