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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
11章 机上の風雲
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カイルの独壇場

何で!?


私は、頭の中が真っ白になった。

息がうまくできない。心臓の音ばかりが喉の奥で跳ねて、頭の芯が熱くなる。


とにかく止めなきゃ、助けなきゃ。


「カ、カ、カイル! カイル! 良くないですよ!? ぺっ、ぺってして!」

 

声が裏返る。

言葉を、気にする余裕は一切なかった。自分でも何を言っているのかわからない。


思わず彼の肩を掴んで、がくがくと揺さぶる。

けれどカイルは少しも動じず、むしろその様子を見ておかしそうに微笑んだ。


「あ、あ、えーと、どうしましょう。アデラ。場所がわかれば、そこを――」

口の中で言葉が迷う。

 

どうしたらいいの、どんな癒しをすればいいの、わからない。


“死”を呑み込んだなんて、聞いたことがない。


どうしよう、どうしたら――


「――あー、リシェリア、リシェリア」

 

カイルが、やれやれというように小さく息を吐いた。

 

「落ち着いて。大丈夫だから」


その声音は、あまりにも普通だった。

彼は少し面白がっているようにすら見えた。私の手を軽くほどくと、何事もなかったように瓶の蓋を閉め直した。


カチリ、と小さな音。


その音を合図にしたように、異能がもたらしていた結界の光がゆっくりと消えていく。皆の緊張も、そこでようやく途切れたらしい。

防護の層がほどけて、空気が軽くなる。


けれどその空気の中に漂ったのは、安堵ではなく――奇異の視線。

高等祭祀官たちの目が、まるで未知の生き物を見るように、カイルへと集まっている。

恐怖でも軽蔑でもなく、ただ理解できないという沈黙。


カイルはそのすべてを受け止めながら、胃の辺りに手を置き、淡々と口を開いた。

「皆さんも、知覚で見ていただければわかる通り――何の問題もありません」


手を広げ、どこか芝居がかった仕草で続ける。

「まあ、後ほど少し腹を下すくらいはあるかもしれませんが」


誰も笑わなかった。

ただ、アデライナだけが息を詰めたように彼を見つめていた。


「アデライナ」

カイルが彼女の名を呼ぶ。

「その辺も、既に調査は進んでいるだろう」


問いかけというより、確認するように。

まるで答えを知っている人間の言い方だった。


「……ええ、はい。ご存じだったんですか?」

アデライナの声には、驚きが滲んでいた。

その反応からして、その情報はカイルに事前共有されたものでもないようだった。


「考えれば、わかることだ」


あっさりと言い切るカイル。


「招集は即時ではなかった。故に緊急性はない。選別された人員を見れば、重大度もおおよそ見当がつく。……これは、ある程度、伝達を統制する必要はあるが、完全に秘匿する予定のものではない。観覧すら危険な代物なら、これほど人を呼ぶはずもない。すなわち、この場の総員を壊滅させるような危険物でもない」

彼の横顔が、光に照らされて一瞬だけ柔らかく見えた。

「あまり表にお出にならないローネン師までおいでになっていると気づいた時は、さすがに緊張しましたが」


カイルは、大祭祀官の左奥に座る人物へ、ほんの少しだけ視線を向けた。知り合いなのだろう。その目元が、わずかに優しく伏せられる。

 

彼は冷静で、どこまでも理性的なのに――優雅で。その確信に満ちた表情が、どうしようもなく美しいと思ってしまった。


……こんな状況なのに。

私の胸の中で、恐怖と安堵と別の感情が、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。


「大体……皆さん、名前や見た目に惑わされすぎています」


カイルの声は、先ほどの鋭さを取り戻して低く響いた。

それまで沈黙の続いていた議会室に、その声だけがくっきりと浮かび上がる。

まるで演壇に立つ演者のように、彼は一歩前へ進み出た。


「“死”が怖い? では、その恐怖の根源はどこにあるのでしょう」


誰も返さない。

彼の言葉に反論を挟める者はいなかった。

むしろ、高官たちの目が――理屈よりも、カイルの立ち姿に吸い寄せられている。


「では、私たちは毎日、何を食しているのか」

彼はゆっくりと視線を巡らせる。

「生き物の死肉を、植物の残骸を、口にしていますね。発酵食品は“腐敗”させて作るものだ。これらはすべて“死”の形ではありませんか?」


ざらり、と誰かの衣擦れが響いた。

返す言葉を探しても見つからないのだろう。

カイルは一歩、机の方へ歩み寄り――コンコン、と節を二度叩いた。


「この机の素材は木。恐れ多くも“大樹”の類縁――その遺骸です」

彼の口調は皮肉めいて、それでいてどこか美しい。

「この恩恵を受けながら、死を“穢れ”と呼ぶ。……それは、少々思慮が足りないのではないでしょうか?」


彼は両手を広げた。

まるで舞台の上で幕を開くように。

光がその銀灰の髪を撫で、瞳の奥が一瞬、紫がかって見えた。


「世界には、生と死が同じだけ満ちている。

それなのに、どうして“死”だけが恐ろしいのか。

――どうか、言語化してみてください」


挑発にも似た微笑み。

今や完全に、場は彼の独壇場だった。

彼の周囲の空気だけが別の温度を帯びていて、

その熱に、誰も踏み込めなかった。


「私が、その恐れをひとつずつ解体して、凝り固まった頭を解すのを――手伝いましょう」

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