公女の酒肴
「リコ……あんたさぁ。セランもジェスも任務に関係ないでしょうが」
外遊から戻った部下を労うために催す予定だった酒場行きは、気づけば部外者が増え、さらには聖女本人まで参加したいという話になっていた。その報告をリカリオから聞かされた時、私はさすがに困惑した。
そもそも今回の席は、打ち上げや慰労会などという名目こそついているが、本質は別にある。祭祀庁から正式な報告書が届くのは数日後だ。それまで待つのが面倒だった私は、今回の外遊について、現場で何を見て、どう感じたのかをリカリオ本人から直接聞きたかっただけなのだ。
私が後見しているリシェリアは、外の人間たちの前で問題なく受け入れられていたのか。成果を残せていたのか。異能や存在そのものに、不穏な兆候はなかったのか。
腹心の目で見た現実を聞き出す。そのための場だったはずなのに。
「いやぁ、面目ない。ですが、その場に下の者がいれば、引き連れて美味いものを食わせてやるのが、上の人間の責務ってもんですからなぁ」
リカリオはどこ吹く風で、まるで悪びれもしない。
「……自分の財布でやるなら、立派な心構えと言ってあげてもよかったけれど」
この男、自分の人望を私の金で買おうとするとは、なかなかいい度胸をしている。睨みつけると、リカリオはわざとらしく肩を竦め、大袈裟に身震いして笑った。
「おお、私への信望とは、つまるところ殿下への信望でございます。臣を磨くことは、殿下の剣を研ぐことと同義――その点、いかがお考えでしょうか」
屁理屈を平然と押し通してくるあたり、本当に面倒な男だ。けれど、こういう悪ふざけめいた立ち回りを好むのは、昔からの癖でもある。
意思も強い。腕も立つ。権力に飼われることを嫌う男だ。城内最優とまで呼ばれていた頃、そんな男が騎士として私に忠誠を誓った時は、周囲も随分ざわついた。どうやって手懐けたのか、何を与えたのか、探りを入れてくる連中も多かった。
けれど、今のこの様子を見ると、単に――私が一番手綱を緩く持っているだけなのではないか、と思えてくる。
「あー、わかったわかった。好きにしな。リシェリアもね、構わないわ。……問題なかったってことでいいんでしょ?」
「そりゃもう。民衆も、部隊の誰も、魅入られたようなことはない」
真面目な顔へ戻ったリカリオは、襟裏から精神干渉を感知する護石を見せた。色に変化はない。
「今のところ問題ないでしょう。異能をそれなりに使わせておけば発現しない――ってのは、セランの坊主が言ってた通りかと」
「それは重畳」
そこが最重要確認項目だった。ダリオの件を繰り返させるわけにはいかない。今後、遠隔地への外遊や、他国との外交を視野に入れるなら尚更だ。
「まあ、黒いほうの小僧は相当のぼせているようですがね」
リカリオが“赤と黒”の片割れであるカイルと間近にしたのは、今回が初めてだったはずだ。道中での何かを思い返したのか、リカリオが笑う。
「うんざりするほど知ってるわ。あれはただの恋煩い。重症のね」
そうして、私たちは合流して街へ出た。
今日は周囲の空気がどこか浮ついていた。笑い声と酒の匂いが入り混じる夜の街を歩きながら、懸念も晴れた今夜くらいは、私自身も気楽に酒を飲めそうだと思う。
「リシェ、あんまりきょろきょろするなよ。目立つから」
私の腕を抱えて歩くリシェリアへ、セランが小言混じりに声をかけている。
こいつだけは妙に足取りが重い。リシェリアが私に腕を絡めているのが、よほど気に入らないのだろう。男として見られたいくせに、こういう時の顔は、置いていかれた子犬みたいに湿気ている。
「わかってるよ」
振り返ったリシェリアの目は、少しだけ不満そうだった。そのくせ、口元は拗ねたように緩んでいる。
「目立たないように、聖女ってばれないようにでしょ」
「なんで許したんだよ。夜の酒場なんて……危ないだろ」
私にまで苦情を向けてきたものだから、思わず笑ってしまった。
兄というより、完全に親の顔じゃないの。
「これも、あんたが望んだ“普通の生活”でしょ」
以前、私に向かってそう言ったのはこいつ自身だ。図星を突かれたセランは気まずそうに黙り込み、そのまま反論を引っ込めた。
これも、きっといい経験になる。
リカリオは上機嫌でジェスに絡み、周囲の兵士たちも和やかに笑っている。その光景を見ているうちに、ふと昔を思い出した。
二人を拾ったばかりの頃。宿の一階の食堂で、初めてまともな食事を振る舞った夜。
世の中の何も信じられないような顔をしていたセランと、人の多さに戸惑っていたリシェリア。
あの頃より、二人ともずっと人間らしい顔をするようになった。
セランの空気は柔らかくなり、多少は他人を信じるようになったし、リシェリアは笑うようになった。たくさん食べて、清潔になって、健やかになっている。
私の守る民が、そうやって変わっていくのを見るのは、素直に嬉しかった。
――私は、こういうものをもっと広げていきたいのだ。
「セラン、これも美味しい。ほら、食べて」
リシェリアが匙を差し出す。こっちはこっちで、妙に甲斐甲斐しい。
「なあ、ひとりで食えるから」
そう返すと、リシェリアはにこりと笑って首を振った。
「だめ。今、セランを甘やかしてるの。私にとっては久しぶりのセランなんだから、大人しく甘やかされててよ」
その声音があまりにも嬉しそうで、聞いているこちらまで妙にくすぐったくなる。
「なんでだよ……もう酔ってんのか?」
ぶっきらぼうに返しながらも、隠しきれない嬉しさが滲んでいる。
「まだ大丈夫だよ。でも、酔ってもいいってアスティに言われたから、酔ってることにしようかな」
そう言って笑うリシェリアの頬はほんのり赤い。本当に酔っているのか、単に上機嫌なのか。
どちらでもよかった。
初々しくて、見ていて飽きない二人だ。
その時、セランが周囲の目を気にしながらも、さりげなくリシェリアの腰を引き寄せたのが見えて、私は眉を引き攣らせた。
……あいつ。
降誕節の頃には、“赤と黒”の噂を気にして、一歩引くようなことを言っていたはずだ。最近も表立って距離を詰めるような真似はしていなかったのに。
リシェリアが不在だったせいで里心でもついたのか。酒が回ったのか。あるいは、関係を知っている身内ばかりだから気が緩んでいるのか。
……咎めるか。
上官として、後見として、外敵に隙を与えるなと叱責するのは簡単だ。
けれど、セランが距離を取ろうとしていた時、私は確かに罪悪感を抱いていた。そして、この場へリシェリアを連れてきたのも私自身だ。
……店の中だけ、警護の一環ということにしておいてやるか。
「ま、今日はいいか。そのほうが酒が美味い」




