聖女の登城
「近くまで来ると‥…本当に、お城ですね」
向かいの席に座る少女があまりにも素朴な感想をこぼした。
広くはない馬車の、窓に引き寄せられるように身を乗り出し、無意識のまま顔を寄せて外の景色に見入っている。
「もちろん正真正銘、あれがこのシルヴィナスの王城で、これからリシェリアが住む場所になる。楽しみにしていて。今までの住まいとは、広さも堅苦しさも比じゃないよ」
苦笑しながら頷き、窓の外を見る。
馬車の窓の外に広がる光景は、何度見ても規模がおかしい。
見上げてもなお全容を捉えきれないほどの大木が、空を覆うように伸びているからだ。
幹はただ巨大なだけではなく、積み重ねられた時間そのものを閉じ込めたような重みを帯びていて、どこか生き物の胴のように脈打つ気配すら感じさせる。
そこから張り出した根は、当たり前のように人の営みに入り込んでいる。だが侵食という印象はなく共存している。建物の壁に沿い、石畳の隙間から顔を出し、作られた街路は避けている。街そのものの一部として溶け込んでいる。
これがこの国の前提だ。人は大樹の下で生きている。支配されているとも、守られているとも言える曖昧な関係のまま。
視線を遠くへやれば、白亜の城がその根に抱かれるようにして立っている。象徴としては出来すぎているほどの構図だ。信仰と政は大樹のもとにある。その視覚的な証明のように、城はそこにある。
そして——これからあの場所に、次代の”聖女”としてこの少女を送り込む。
対面にいるのは、まるで一級の芸術品のように、惹きつけられる様な引力のある少女だ。
年は十代も後半に差しかかっていながら、顔の造作や細い体つきはまだ幼さを残し、銀糸のような髪と澄んだ青の瞳には、透明な光が宿っているのに不思議と感情の色が見えにくく、その色彩は氷でできた人形を思わせる。
呼吸で微かに上下する肩や、景色を食い入るようにみて瞬きする動作で生きているとようやく安心できる。
その背景となる車内の設えは、あまりに武骨で味気ない。装飾は最低限で、しかも荷物まみれだ。
もっとふさわしい装飾の最高の椅子に座らせて、早く鑑賞したい。そう思ってしまった。
彼女の名前はリシェリア。家名なし、出自不明。我が国に戸籍もない。
つい数年前まで、あてどなく彷徨う難民の生活をしていたところを、自分が保護したのだ。そしてこの数年間、王城に上がるための令嬢教育を我が家で与え、磨き上げてきた。
彼女は、私が拾い上げ、聖女として擁立し、正式に認められた。
リシェリアの様子を横目で観察する。窓に引き寄せられるように身を乗り出し、無意識のまま顔を寄せている。視線は上へ、上へと吸い上げられている。あの規模を前にすれば当然の反応だが、同時に不用心でもある。まだ市井に情報は出ていないとはいえ、この子は目立つ。顔を晒していいことはない。
「それより、リシェリア。あまり窓に近寄らないでおこう」
「っ……ごめんなさい」
声をかけると、はっとしたように体を引いた。反応は素直だ。指摘の意図を深く考える前に、まず従う。まだ、貴族社会というものに怖気があるように見えた。
「いいよ、大丈夫。今日はただの搬入日で、非公式だから誰も見てないと思うけど、一応用心しておこう」
軽く流しながら、姿勢を整え直す。わざと空気を緩める。必要以上に緊張させても意味がなかった。
今はまだ環境に慣れさせる段階だ。
「まだ、聖女として公布されてるわけじゃないから特徴も知られてないけどね。……ただ、リシェリアは可愛いから気を付けておこう」
冗談めかして言えば、案の定、照れたように視線を逸らした。反応がわかりやすい。こういうところは、年より少し幼いけれど致し方ない。
「もう。……おだてないでください、アスティ」
リシェリアは、不満と照れを仄かににじませて長い睫毛をを伏せた。
そして再び外へ視線を向けるが、先ほどのように身を乗り出すことはない。
改めて、その横顔を観察する。無垢さの残る表情、内側に何かを抱え込んでいる気配。
荒地で見つけた時の姿を思い出す。
大樹を象徴とする王国シルヴィナスは、建国より千年を目前にした、由緒ある古き王国だ。
王都の中央にそびえる大霊樹は、建国王と初代聖女が共に植えたと伝えられてきた。
だがその物語も今や遠い昔話となり、聖女の役目も様変わりした。
今では、年ごとに選ばれるうら若き美しい乙女が、豊穣を祈る祝祭の偶像として奉じられるだけにすぎない。
しかし千年祭を目前にした今、その大樹が静かに病を抱えていることを知っている人間は少ない。
大樹は麓の王都を護り、その根は国土の大半を支える、他に比類なき大霊樹であり、国境を覆う森すらその根で繋がっている。
もしこの礎が砕ければ、王国そのものがどうなるかは誰にも分からない。
その根が傷み、芯が枯れ始めているという事実は国を揺るがせてしまう。
大樹はここ数年で地下の根が急速に風化、枯死、根腐れなどを起こしていた。そのままにしていては大地は陥没し上の土地は実りが痩せる。
手を打たなければ国土の全てが崩れ去る可能性があった。今も祭祀庁では調査や大樹を癒す施策を行い対象を続けている。
その中で、建国神話に謳われる、“大樹を植えた”という聖女。その本物の聖女を探すことにしたのだ。実際に、聖女の力とされる癒しは明確に大樹の症状を良くすることはわかっていた。神話が本物であろうとなかろうと、聖女に大樹を癒させる。それが大きな計画になった。ゆえに、建国の初代聖女のように、真に力ある異能者を見出し、大樹を癒やすという使命が王によってひそかに下され、選ばれた者たちが探索に旅立った。
――この私、アストリット・メイスンもその一人。
私の身分は、王立騎士団の近衛長に任じられた女騎士、そして国王陛下の実姉の娘……すなわち王の姪。
王族に連なる公女として、国の大地を揺るがす災厄を、未然に食い止めねばならなかった。
そんな私がリシェリアと出会えたのはただの偶然だった。
聖女候補の捜索を始めてしばらくたったころ、家の領地の集落から、管理する祠堂に難民が住み着いたという報せを受けてついでに立ち寄ったのがきっかけだった。
森の奥深くにあったあの廃墟のような祠堂には、二人の男女の子供が住みついていた。痩せこけ、薄汚れ、貧困に苦しむことに馴れているような風情がが痛々しかった。
初めて足を踏み入れたとき、息を呑んだ。
異常なほどに木々が繁茂し、捻れた植生。実る果樹、あふれる生き物。暦の上では秋深いはずが、そこだけ二か月遅れて紅葉すらまだ訪れていなかった。
同行した兵士たちには口外を禁じたほど、異常で、畏怖すら覚える光景だった。
後からわかったことではあるけれど――その冬、そこにだけは冬が来なかった。
その場を作り上げていたのが、リシェリア。
あれはただ癒しているのではない。
大樹の根を甦らせ、干渉し、生まれ変わらせている。
通常の聖女が担う「傷を癒す」領分を超え、根本から環境を作り変える力。私はそう確信した。
だから、ここまで連れてくる価値があると判断した。
そして今、王都の内側、大樹の前に辿り着こうとしている。
選択が正しかったかどうかは、きっと、これから証明される。
祭祀庁は教会、神殿といったこの国独自の宗教組織です。




