第六章 覚悟 ー その1 ー
退院したこころと課長である俺。二人きりの部屋を俺の呼吸音とこころの呼吸音が満たしていく。数ヶ月前はいつ亡くなってもおかしくなかった子が、今は目の前で生きている。その事実は飛び上がるほど嬉しいもので。しかし、この子は触れられることさえ怖がってしまう。過去にあんなことされ続ければ当然のことではあるため受け入れているが、やはり一抹の寂しさは覚えるもので。依然、足は全く動かない。生きている時間の殆どを燃える鎖で宙吊りにされてきた子だ。逃がさないようにしたのか、はたまた、残虐な加害者たちが好きなようにするためなのかは分からないが、この子の足は神経が千切られ動かなくなっている。目や耳付近に手が触れるだけで怯えてその場から動かなくなってしまう。それでも俺たちは声をかけ続けた。こころに付いた深い傷は治りにくいだろう、しかし傷の有無はあまり関係ない。この子が生きていてくれればそれだけで充分幸せなのだ。
───────────────────────────
こころを愛娘として育て始めてから、早くも三ヶ月が経とうとしていた。少しずつ確実に育っていく娘の姿は愛らしく誇らしい。全く動かなかった足が幾度にも及ぶ大手術で動くようになり、行動も最初に比べればかなり動くようになった。俺たちにも少しは懐き始めたのか、近くにいるようになった。近寄るだけで身を固くし、呼吸が苦しくなっていた子が、今は近寄るだけなら穏やかな呼吸をそのままにしていて、嬉しさのあまり笑ってしまう。両の掌に収まり、片手でも軽々と持ち上がっていた体長は、今や両手を使わないと持ち上げられなくなっていた。緩やかに成長しているのだろう、赤ちゃんぬこの声らしい鳴き声を出したり、怯える様子を見せながらも一課の大人たちから逃げようとしない様子が見られる。そんな世界一可愛い娘を俺たちは本気で愛しているのだ。
ある日突然パパ、ママ、にぃだけは言えるようになったこころに呼ばれるだけで全員が笑顔になっている。チームとして結束力が上がっていくのが体感的に分かる。齢は二、もしくは三歳くらいだろうと予想が出来るため、良い塩梅で成長を始めていると感じる。
───────────────────────────
「ぱぁ、ぱ……」
「おん?どしたのこころ」
「ん……」
冷たい風と肌を包む暖かさが季節の地位を取り合う時期。東国政府警察局異能犯罪対策本部 神食人抵抗殲滅特務一課、通称GCR一課の宿舎にある部屋で俺とこころは休息を取っていた。先程まで寝ていたためか、どこかぼんやりとした眼で俺を見つめてくる娘も可愛くて、つい撫でてしまう。その度に困惑と僅かな光を湛えた顔で見つめられるため、あまりの可愛さとこの子の過去で胸が痛くなる。突然ポロッと一語文と鳴き声を発するようになった娘の成長が愛おしいと共に、受けてきた扱いに涙が出ることもある。正直に言えば、何を言っているのかこちら側で推理しないとこの子の言いたいことが理解できないこともよくある。しかし、それは大人の役目でありこころがするべきは声を出すことなのだ。
だから今日も推理する。可愛い娘の声を聴き逃したくないから。
「…っ、……」
「こころ、いいか?子どもは痛くないのが当たり前だ。色んな奴から痛みを与えられて育ってきてると受け入れられないかもしれないけど、子どもは全力で愛されて護られて育つもんなんだよ」
「……ぁ、い………?」
「それは愛じゃない、痛いのはただの虐待であり暴力だ。ここの奴らはそんなことしないから安心してね」
「……」
「何か言いたいね。周りに言いたいことが伝えられる何かがあるなら、それ引っ張っていいよ。……お、洋服引っ張ってるね。色は?赤か。赤って……」
「……」
そこまで言葉を紡いだ俺は理解してしまった。この子が引っ張って示した赤、この子にとって赤は血のことだと。暴力のたびに自身から溢れていく多量の鮮血が目に焼き付いて記憶を蝕んでいるのだろう。生温かい液体と耐え難いような激しい痛みが全身を包み、呼吸もままならない。それが彼女にとっては当たり前の日常であり、他人から与えられる最大の愛情だと思っているようで。齢三歳にしてこの考えを持っている事実に絶句してしまう。何も言えぬまま、こころの傍で横になる。この子が抱え続けたものが本人の思う現実なら、せめてその現実を少しでも幸せなものに変えてあげたいと願ってしまうのは俺に親としての自覚が湧いてきているからなのだろうか。
本来なら与えられる無数の幸せや楽しさはどこにもなく、正当な理由も事実もない理不尽な激痛と苦しみばかりを味わってきたこの子の傷は俺らが想像するよりも大きく、深い。声をあげて笑うことも泣くことも出来ず、少し動いた時もすぐにこちらの様子を伺い、次の行動は何かと探り、怯えたように固まっていることが多い。そんな彼女の心身に刻まれ続けた深すぎる傷を少しでも癒せるなら俺たちはなんだってしたいのだ。
そっと頭に手を伸ばして、髪の質感ごと確かめるように慈しむように優しく指に髪をまとわせ、手を左右に柔らかく行き来させる。最初こそ息を詰めて怯えていたが、少しずつ体勢が懐いたぬこのそれになって。クーイングが漏れ、詰まらせていた息を聞こえるか否か程度の弱さで吐き出している。
「うん、いい子だ。自分で呼吸もしてえらいね、世界一いい子だね流石だよこころ」
褒めて伸ばし、この子にとって最高な環境を作り上げる。それがいつかこの子の明るい未来に繋がることを信じて。
───────────────────────────
「えっ!こころ関係で色々なことが判明した!?すぐ行きます」
雨上がりの空に浮かぶ太陽に照らされた東国の片隅にある、東国政府警察局異能犯罪対策本部 神食人抵抗殲滅特務一課の本部ビル。そこのGCR一課課長室に俺はいた。溜まった書類仕事を必死に片づけていたら、机の上の電話が震え着信音を奏でた。ワンコール内で出れば、電話口の相手は娘の主治医で。内容を聞けば、娘の年齢が分かったらしい。これで殊更寄り添える、そう思った俺は、書類を爆速で机に並べ部屋を出た。向かうは、本部ビルの離れにある医療技術課だ。
「お待たせしました、ご連絡ありがとうございます。雅さんもお久しぶりです」
「いえいえ!こちらこそ急な連絡で申し訳ありません。急ぎでお伝えしなければならないことがいくつかありまして……」
「奥澤さんお久しぶりです。こころちゃんに関して私からもお伝えしたいことがいくつかあるため、同席させていただいています」
部屋に入れば、医療技術課の紗季と異能研究室の雅がいた。着席し、机を挟んで向かい合う。挨拶の後、二人が口を開いた。年齢のこと、種族のこと、そして、異能力のことに関してだった。まず言われたのは、娘の種族が間違いなく神工物であること。これについてはすぐに納得できた。どことなく、人じゃない気配がしていたから。しかし、年齢のことと娘の異能力に関しては耳を疑った。
「え、こころって八歳なんですか!?」
「はい。雅さんの方が神工物について造詣が深いため、こちらから話をして共同研究させていただいていました。雅さん、解説お願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい。こころちゃんのコアを拝見した時に、コアに刻まれる年輪を数えたら八歳でした。この年輪はどんな扱いを受けても、破壊されない限りは永続的に刻まれます。いうなれば、木の年輪と同じです。神工物の年齢を測るものです」
図式にして説明された。あんなに小さい子が八歳という事実が徐々に脳へ送られる。しかし、脳はそれの理解を拒んで。こころを受け入れるにあたって、神工物の資料はある程度読んでいた。それで判明したのは、普通なら小学校三年生くらいの身長があってもなんらおかしくないという種族であることで。
「じゃ、じゃあ……なんであの子はあそこまで小さいのでしょうか」
「そこです。それがこの子の不思議な出生に関わってきます。この子は……」
声が一度切られた後、俺の耳が貫かれるような錯覚さえ覚える程の衝撃的な言葉を捉えた。この子は様々な者の血がぐちゃぐちゃに混ざっている存在だと。通常なら生まれた直後に自壊していてもおかしくないような混ざり方だと。外的要因がないと生まれるはずのない存在、と。無駄に回る思考も、錆び付いた歯車の隙間を通るようにしか言語として排出されない。声が出ないくせして思考だけは清明だからこそ、こうなっている。紡ぎ出した言葉は、声は、酷く掠れていた。
「待って、ください……!この子はなんの、誰の血が混ざってるんですか!」
「説明しましょう。こころちゃんを生み出した二柱の血、これは当然です。産んだ神の血を薬越しに分け与えることで神工物は生まれるのですから。……ここからはるか昔に遡ります。約三千年前にクレア=ネージュという神格が、五百年前にシエルという名をした白ぬこの祖がおりました。また、シエルと同時期に善神ブローディア=アングリスという神もおりました。こころちゃんは、その三人の血も一つになって混ざっています。だから髪や肌、猫耳や尻尾の毛に至るまで透きとおるように白く、自己再生した方のバツマークがあるのです。また、昔は両目ともバツマークだったようです。猫耳と尻尾はシエルの、目のバツマークはブローディアの影響でしょう。こころちゃんは何一つ悪くありません、しかし危険な異能力や不思議な出生からして生命を狙われ続ける生を送る可能性が高いです。それは、本人だけでなく家族であるあなた方、要するにGCR一課の皆さんもです」
「たとえどれだけ生命を狙われても、あの子を手放す気は毛頭ございません。……異能力について聞かせていただけますか」
「お伝えします。こころちゃんの異能力は人が使えるものではありません。また、ブローディアの血が混ざったせいでこころちゃんには異能力が二つ宿っています。青雪というあまりに危険なメイン異能力と、ブローディア由来の青光という回復系の異能力。本来なら絶対に混ざることのない異能力があの体躯に流れています。……今を生きる存在の中で、最も神に近い存在かもしれません。いつ神格化してもおかしくないでしょう」
言葉のとおり、絶句した。純を望む天界にとって異種族が混ざりあったこころは最初からサンドバッグでしかなかったのかもしれない、そんなことを想像するだけで視界も精神も狂いそうになる。膝の上で握りしめた手は細かく震えていた。
思考を整理出来ぬまま質問をし、返答が返ってくる流れを繰り返した。返答のたび、未来のビジョンが二手に分かれていく。最高のビジョンと最悪のビジョンが脳に浮かんでは泡のように散っていく。報告は以上という言葉で、無意識に詰めていた息を空に溶かした。
「情報提供ありがとうございました。あとはこちらで考えます」
言い残した言葉が息同様、空に溶ける。よろけそうになる足を根性で保ち、GCR一課のフロアまで戻った。震える手でこころの部屋の戸を開け、部屋を覗く。そこには稚い顔で寝息を立てる娘の姿があった。可愛い娘の真実、これは誰にも言えない。言ってしまえばどこからか情報が漏れ、この子を狙う奴らが増えていく可能性がある。GCR一課の子たちを信じていない訳じゃない、しかし、我々の会話や姿は週刊誌に抜かれていることがある。そこから娘の情報が漏れないとは限らないのだ。この子が神格化した姿を見られれば、情報を抜かれれば我々の責任にも直結する。そこまで考えて、俺は失笑した。最初から自分の保身しか考えていないことに気づいたから。責任がなんだというのだ、保身でしか守れない責任ならこちらから反故にしてやる。
(馬鹿か俺は!信じろ、彼奴らを信じろ!上司が部下を信じなくてどうすんだ!……これ以上傷つけさせないと全員で誓ったろ、俺。反故にしようとすんな、神の血が流れてようがこころはこころだろ)
寝る娘の頭をそっと撫でてから部屋を出る。少し歩き課長室に入って、長く息を漏らす。こうするしか情報量で煮え立つ頭を冷やす方法がなかったのだ。
───────────────────────────
どれだけ吃驚する出来事があっても、どれだけ来るなと願っても、みなに等しく朝は来る。普段なら愛おしい陽の光も今、この瞬間だけは疎ましい。
心のどこかで信じていた。神などいない、天界にいるのは食人だから死刑執行し続ければいつかは滅び、そこで俺たちの任務も達成できる……と。しかし、状況は変化した。神を否定することで娘の存在まで全否定することになってしまう。 しかし、合点はいった。手袋ごしに石を触ったら一瞬で溶けたのも、負傷したフィンレーの手首を撫でたら痛みが消えたのも、娘が青雪で痛みを弱らせたり手袋の繊維を弱らせたりしたからだ。我々は宿舎の中だと基本的に手袋を外している。そしてこころは宿舎から出たことがない。結果、手袋をしている俺たちを見た回数が少ないのだ。だから手袋を無意識に敵認定してしまっているのだろう。部屋の外から、こころをあやす一郎の声が聞こえる。低音ながら深い愛を感じられるその声に思わず笑みがこぼれた。
「そう、だよな。彼奴らは全員悪くない。はは、何を悩んでんだか俺は……家族が生きてりゃそれで良いだろ」
開け放った窓から涼しい風が吹き込んできた。もう疎ましくない、いつもどおりの朝が来た。一人増えたところで特段受け入れられないわけじゃない、むしろ敵を殺せる可能性が高くなる。もしも、こころが神や食人に対して叛逆する日が来たら、その日は運命が動いた日なのだろう。まだ、こころは感情を自分じゃ認知できていない。自我があるようにも思えないし一人で動くこともままならない。異能力を有していることにもおそらく気づいていない。しかし、こころは日々緩やかに成長している。儚くて、小さくて、浮世離れした見た目の麗しい幼子が俺の娘という事実に慣れなどない。されど、GCR一課に所属しているのなら俺は全力で娘を、家族を護る。
今は外部からの暴力からこころを護る目的で戦闘班に所属させているが、こころが望むならどこにだって行かせたいと思っている。一度、こころに全員の異能力を見せるのもありかもしれない。もしも、GCR一課や異能一課に正式加入する時が来たら、異能力の光に慣れてなければならないから。
(こころだけじゃなくて一課の全員がそうだけど、思うまま幸せに生きてほしい。お前らが幸せになることが俺の幸せなんだよ)
不意に緊急招集アラームが鳴り響く。外も慌ただしい。さぁ、普段の日常が始まった。死と隣り合わせの日常が。
───────────────────────────
日常が飛ぶように過ぎていく。そんなある日の昼過ぎ、俺は総課長に招集された。異能力を少し使いつつ、全速力で総課長室に向かう。部屋に着いてノックを行えば、入室を促す声がした。
「奥澤です、失礼します。お待たせしてしまい申し訳ございません」
「いや、こちらこそ急にすまんな。そんな硬くならんでいいさ。さ、本題に入ろう。単刀直入に言うと、新入りの件でお前さんに報告してもらいたいことがある。あの子をGCR一課に正式加入させて良いのかかどうなのか。加入しても遜色ない力があるという証拠を出してもらうために、現在発生している児童連続殺人事件の捜査に新入りを連れていってほしい」
寝耳に水とはこのことだろう。素っ頓狂な声を上げた俺に微笑みを向けた総課長の思考は、捜査に連れていって他の者に異能力を使わせれば紹介にもなるし捜査も進むというもので。
「私としては構いませんが……あの子、未だ全く歩けませんよ?それに、酸素吸入機も常に着けています。」
「案ずるな、それなら用意する。酸素ボンベとチューブを入れられるポケット付きのベビーカーを購入するのはどうだ?お前さんたちが望むなら購入し、贈与するのも良い。予算に関しては俺が薫子に頼み込む。……まぁ、GCR一課の方で話し合ってくれ。これに関しては俺の一存で動かしてはならん問題だろうから。戻っていい」
「承知いたしました。失礼いたします」
部屋から出て、課長室に向かう頃には西日が廊下を照らしていた。俺の願いと上からの命令が一致するとは思っていなかった。大人たちの異能力を発現させれば紹介になるし、こころの異能力も発現完了するかもしれない。
ベビーカーは買ってもらうことにして、問題は部下たちの説得だ。なんやかんや言いながら彼奴らはこころを溺愛している。そして、強い。歴代最強の陣営なのではないかと思うくらいに個々でも集団でも強いのだ。だからこそ扱いも平等かつ平和が好ましい。どちらにせよ、話し合いをしなければ何も変わらない。
話し合いはスムーズに進み、ベビーカーも貰えた。飛ぶように日々がすぎ、捜査決行日を迎えた。異能一課を持ってしてもなかなか見つからぬ証拠のせいで事件は迷宮入りしかけていた。被害者は推定三人だが、遺体は二人しか見つかっていない上に証拠もない。だからこそ三人目がいたという事実が必要なのだ。今までよりもさらに範囲を広げてルートを探るも、やはり見つからない。諦めて本部に通信をかけようとしたタイミングだった。不意にベビーカーの中でこころが動いたらしく、ベビーカーを押していた凛月がこころの様子を見始めた。
「どした?ベビーカー嫌かな?……いや、違うな。何か言いたそうだね」
「ぁ…わ、ぷ……」
「あれ、そっち?……気配的にいるな」
指さした方に顔を向ければ、嫌な匂いと気配が漂っていることに気づいた。紛れもない、奥に食人が出現している。全員気づいたのだろう、即座に腰の魔法石と魔力を同調し武器を構えた。流石は優秀な部下たちだ、視線で食人を威圧できている。食人がこちらを向き、咆哮を響かせる。
GCR一課にとってはこれが日常であり主要任務だ。
戦いの火蓋は切って落とされた。
───────────────────────────
琉唯の幻影が音もなく食人を囲むが、食人はそれさえ気づいていない。相当な愚か者なのだろう。
耳に着けたインカム越しに叫んだ。
「総員!戦闘に入れ!」
瞬間、フィンレーの放つ青い雷が食人を穿ち、その隙間を埋めるように悠哉とイリヤの斬撃が鎌鼬状の風と紅色の氷柱を伴って食人を襲う。斬撃が止んだ刹那、琉唯が見せる幻影が凛月の炎を伴って爆発した。弾け飛んだ幻影が食人の手足に突き刺さり、深い傷を与えていく。一郎の操る大きな岩石が食人の脳天に叩きつけられ、倒れる食人に睦希が燃える釘を貫通させ、地面ごと固定する。俺も食人の耳の中に向けて空間を開き、玲音が奏でた轟音を直接鼓膜に流し込んだ。激痛と轟音に暴れ狂う食人の口を楓牙の紡ぐ糸が塞いでいく。こころの方に慎と蒼生が走ったのが見えていたため、任せることにした。食人の攻撃が慎の方に飛んでいく。
「慎、いけるよな」
「余裕!」
空中で攻撃が止まり、食人も停止する。慎の異能力である時止めが発動していた。ナックルダスターで強化された右フックが、強化魔法を巡らせた左ストレートが交互に食人を殴り、確実で深刻なダメージを与えていく。数十秒後、慎がインカム越しに解除と叫んだ瞬間、止まっていた時の流れが戻り食人の体に連撃が入る。食人の体が地面に崩れ落ち、動かなくなる。首元の目玉に全員で異能力を当てれば、食人は血溜まりに変化した。
「悠哉!イリヤ!一郎!琉唯!やっちまえ!」
「当然!」
所謂、第二形態だが血溜まりの中に冷暴風を伴う斬撃と岩石、幻影の破片を落下させればその形態も保てない。醜い呻き声が空間に響いた直後、血溜まりは目が痛くなるような紅い光となり空中に浮かび上がった。最終形態に移行したことを告げている。
「フィンレー!睦希!やれるよな!」
「当たり前!」
青い雷と燃える釘が光に向かい発射され、直撃する。光が爆散し、弾けた時の血と子どもの遺骨を残して消え去った。この血は、食人を撃退した証で。
遺骨を回収し、一報入れる直前だった。蒼生がいる方に反対方向から別の食人が向かっていることに気づいた。一番近い位置にいた琉唯を先頭に全員で駆け寄るが、どう足掻いても、足が早くても食人の方が倍近いスピードで間に合わない。蒼生が咄嗟にレイピアで食人の足を貫いて浄化したのは見えたが、それだけでは止まらないタイプの食人で。
足元の石につまづいて転び、一瞬視線を下げていた琉唯が、バッと顔を上げた。何事かと思えば、俺たちの耳に霜を踏む音が届いた。ぱき、ぱき……という音は次第に大きくなり、骨を折っているかのような音に変わっていく。視界が極薄青色に染まった。いつの間にか現れた、美しい蝶と極薄い青色の桜の花弁が空間を埋めていたのだ。こころがいる場所から、大口を開ける触手が3本生えていた。
「はっ……?」
「これって青雪じゃねぇの!?」
素っ頓狂な声と、焦りを孕んだ声が極薄青の空間に反響し、溶ける。咄嗟に口を覆った俺たちの目の前で食人が大量に血を零した、いや、溢れさせた。毒々しいほどの青雪が食人に降り注ぐ。幾度も幾度も体を震わせる食人。やがて食人は激しく衰弱し、他の形態を吹っ飛ばして食殺刑を執行された。元に戻った瞳で娘を見れば、ベビーカーの中でネックレスに付いていた石を強く握りしめ、虚ろながらも儚く美しく輝く瞳を敵に向ける様子が見られた。その瞳の奥の奥は、神工物という兵器の本能とGCR課の者としての理性に挟まれ揺れている。幼い彼女は本能に負けそうになっていた。
声は出なかった、否、掠れた声しか出せなかった。現在、食人は居ない状況だから、全員を招集した。
───────────────────────────
「蒼生大丈夫か!援軍出来なくてごめんな……こころ、ありがとう。助けてくれたんだね、もう大丈夫だから戻っておいで」
「大丈夫ですよ皆。無傷ですし援軍しようと思ってくれただけありがたいですから。こころお嬢様、ありがとうございます。貴女のおかげで痛い痛いありませんよ」
全員の無事を確認して、こころに触れる。俺の頬にこころの手を添わせれば、怪我の痛みが取れて。先程の攻撃はなんだったのだろうか、そのような思考と異能力の解除方法を教えないといけないなという思考を同時に持った。
「こころ、おててふーふーしようか?疲れちゃうからね。おてて、そうそれ。それに向かって、ふーってしてみて」
弱く息を吹きかけたら、極薄い青の光は空に還った。くたりとベビーカーにもたれ込む娘の様子に慌てて声をかける。その顔は疲れを濃厚に漂わせていた。全員で労るように頬を撫で褒め続ければ、目を瞑ったまま頬を擦り寄せてきた。
食人が現れた場所を絞り、重点的に探る。地面の奥深くに埋まった遺骨、それに刻まれた食人の噛み跡と今回の児童連続殺人事件には悪人も関わっている確固たる証拠が見つかった。捜査が一気に前進した、その事実に俺は身勝手に希望を見出していた。この子がGCR一課に来ればもしかしたら今度こそ完全に神を殺せるかもしれない、そう思わせるだけの力をこの子は有している。
(神に縋るような奴もきっと同じように希望を見出したから信仰してるんだろうな。……だけど、これは違う。実力を知ってしまったが故に抱いた希望だ、信仰なんかじゃない)
先で聞いた話と、娘の力の恐ろしさを体験した。任務完了の連絡を入れ、帰還した。総課長にはどう抵抗したって隠せないのを理解しているから、娘の異能力のことも含めて全て報告する。
「……このことから、我々はこの先も妖白こころを所属させようと考えています。また、こころ本人も戦闘班の人員といると安心する様子が見られています」
「そうか。とりあえず任務ご苦労であった、奥澤。妖白の所属に関してはこちらに最終決定権がある。良い結果になるように尽力しよう」
「承知いたしました、ありがとうございます」
───────────────────────────
時は少し流れ、夏の足音が日々駆け寄ってくる時期になった。東国政府警察局異能犯罪対策本部のビルの中にある大ホールに、GCR課と異能課の全員が集合している。正確にいえば、総課長から集まるように命令があった。要するに招集された。
「御足労おかけした。これより、妖白こころの入隊式を開会する。妖白、前へ。……あ、まだ歩けないのか。すまんGCR一課の誰か連れてきてくれ」
その声に呼応し、課長である俺が連れていく。大ホールの机の上にある入隊許可書が視界に入った。そう、こころはGCR一課戦闘班への加入を正式に認められたのだ。場がどよめいた。当然だ、こんな小さい子を入隊させるなど誰も想像していなかっただろうから。総課長がこころと目を合わせる。そして、入隊許可書を手渡した。
「妖白こころ。貴殿を東国政府警察局異能犯罪対策本部 神食人抵抗殲滅特務一課戦闘班班員として採用する。規律を守り、殉職することが無いように努め、この先も我々の癒しとなることを命ずる」
周囲のどよめきが大きくなる。それはそうだ。本来、一課になるには一課の者と模擬戦を行う昇格試験を受けないといけない。しかし、こころは生命を狙われやすいため、保護を目的とした飛び級をさせた。これに関しては俺と総課長、フィンレーで話し合った結果こうなったから、責任は俺たちにある。
式はつつがなく進行し、いよいよ俺たちが正式にこの子を娘であり部下、もしくは同僚にする式目を迎えた。こころに書類を握らせ、俺たちはそっと彼女を抱っこする。俺たちには慣れてきたのだろう、弱々しいがそれでも抱きしめ返してくれた。小さくて暖かくて柔らかい、そんな生命を捨てさせる理由などどこにもない。頭を撫でれば、最初こそ怯えて身体を固くしたものの、少しすれば肉体の緊張はなくなっていた。肩に手を置かせ、耳元で語りかける。
「改めて……ようこそGCR一課へ!私はフィンレー、GCR一課戦闘班の班員をしているわ。よろしくね、こころ!貴女はこれから先、ここの人間に愛され護られる。何があったって私たちは味方だよ」
「こころー!兄ちゃんたちが全力で護るし味方だよ、いっぱい愛を教えるから安心してね。何も怖がらなくていいし、ここでお前が望む限りの時間をのんびり過ごそうぜ!」
「こころ、俺たちの一課へようこそ!もう独りになんてさせないからね。お前は愛されて当然の存在だ、暴力なんて振られていいわけない存在だ。戦闘以外でもう痛い思いはさせない、これは俺たちがお前に向ける約束であり決意だ」
撫で続ければ、こころの服が湿り始めた。何かと思いこころの顔を覗きこんで見れば、目から大粒の涙が溢れていて。俺たちも総課長も場も動揺した。
「え、わ、ごめん痛かった!?ごめんごめん大丈夫だよ何もしないよ」
「ん、ん……」
俺の言葉に首を振る娘は、少しだけ動くようになった体で俺にしがみついてきた。俺の服を強く握り、言葉ではない鳴き声、否、泣き声を漏らし続けている。産まれてから永続的に暴力を受け続け、ニーナも起動出来ず心理的に孤独だった彼女にとって、ここでの暮らしは初めてのことばかりだろう。だから俺たちが支える。人生の先輩として、家族として全力で愛し、護り、支えよう。
「こころ、身体が良くなってもっと大きくなるまでは前線に出さないことにしているよ。だけど、こころの力が必要な時は力を借りる。いいか?」
部長に何を言われても、一般部下に何を言われても俺たちはこの子と生きることを諦めようと思わない。何か言われたら、見た目が白ぬこで何が悪いと質問してやろう。恐らく論理的な反論は出来ず、黙認されているという差別的な思考から来る感情的な反応しか出来ないだろうから。
式が終わり、休む間もなく制服用の身体測定を行った。退院した時から身長は高くなり体重も増えている。毎日必死にミルクを飲んでいるからだろう、そう思えば思うほどこの子の存在が愛おしくて仕方ない。契約書等の重要書類を受け取りサインを代筆する間、許可を得てこころをカーペット上に寝かせていた。不意にこころの体勢が変わる。悠哉が目を向けて、近づくとこころが寝返りをした。
「こころ?こころ!?おま、いつ寝返り出来るようになったの!?めっちゃくちゃすごいじゃん!」
撫でれば目を瞑ったものの、すぐに開けてくれた。無事に書類も書き終わり、宿舎に戻った。明日はこころさえ元気だったら街に出ようと思うことを伝えると、首が縦に振られた。この子なりの賛成のサインだった。あとは、夜が明けるまでいつも通りの日を送っていた。
───────────────────────────
翌日の昼過ぎ。風が冷たく、若干肌寒さはありながらも日光はそれなりに出ているから総合的には過ごしやすい気温だった。こころにも服を着せ、ベビーカーで外に出る。ベビーカーの揺れと気温が心地よいのか単純に眠かったのかぬこの特性であるロングスリープが影響しているのかは分からないが、途中から眠気と戦っている。最終的に眠気に負けて穏やかな寝息をたて始めた。寝ているのももちろん可愛いが、今寝られたら夜寝ない可能性の方が高いから起こす。頑張って目を開ける様も愛おしい。
「ん……」
「おはよ、こころ。起きたの?」
「ぴゃ、ぅ……」
「自分で起きたねぇ、偉いぞー!かわい子ちゃんの上にえらい子ちゃんなのか、すごいぞこころ!」
こころを褒めていたら、左側の視界に揺らいでいる人影が見えた。視線を向けると、男の輪郭をとった幽霊がいた。そいつがこころを見た瞬間、声を上げた。武器を構えるも、そいつからは殺意も悪意も感じられない。
「おま、生きてたのか……!良かった、本当に良かった……!」
男の声を聞いた瞬間、こころは驚いたように声を上げた。




