第二章 現状
平和な国、そんな言葉の意味が分からなくなるほどには忙しい日だった。早朝から通報が入り、遠方から食人を撃ち殺して空腹のまま帰路に着いたり護りたくもない貴族を警備したり…ようやく一息つくことができた。GCR1課の本部ビルに設けられた12の自室を爽涼な風が吹き抜け、汗をかいた身体を撫でていく。アウターは返り血で汚れて。そんな彼等は東国政府警察局異能犯罪対策本部のGCR1課戦闘班に所属していた。シャワーから上がった戦闘班班長が大ホールに入る。班長は目が染まるほど鮮やかで艶のある赤の髪をさらさらふわりと揺らし、椅子に座り込む。否、椅子に崩れ落ちたといっても過言ではない。長いまつ毛に隠された瞳が開く。1対の紅玉は宝石のように光を保っていた。すらりと長い手足には美麗ながらもしっかりとした筋肉がついていて、絶世の美女にふさわしい。班長の名前はフィンレー=ウィルメニア。勤続18年のベテランだ。そんな美女が美しい瞳を細め、吐息とともに本音を漏らす。
「…流石に忙しすぎるわね。昨日寒かったから現れなかった分を補うように出てくるのは遠慮願いたいのだけどね…」
「フィン、お疲れ。援護助かったありがとう。今日多いよな…欲望のまま生きるのが食人とは言え湧いてくる量がおかしすぎる。手が回らねぇ」
ライラック色の長い髪をタオルでまとめた長身の男がフィンレーに声をかける。右の瞳は木賊色だが左の瞳は半分が木賊色でもう半分は蘇比色という特殊な瞳の男だ。どこか憂いを孕んだその瞳は微かに細められる。班長と同様に、すらりと長い手足には美麗ながらもしっかりとした筋肉がついていて美男子といっても過不足は一切ない。声をかけられたフィンレーは風をまとい振り向いて、柔らかな笑みを浮かべた。
「悠哉上がったのね、おかえり。こちらこそ主撃助かったわ…私だけじゃ倒しきれなかったと思う。…今日だけじゃない、ここ3週間くらい量がおかしい。ワンオペで10体くらい食殺刑執行してる気がするの。今までこんなに現れたことあまりなかったのに…」
「同感。任務が早朝からあるのも疲労に拍車かけてる気がする。貴族の護衛くらい軍がやってくれ…俺らの任務内容から外れてんだよ…あいつらもそれなりには戦えるんじゃないのかよ…!」
椅子に崩れ落ち、机に肘をついて顔を伏せた男。その顔には疲労が色濃く浮かんでいた。そんな男の背に軽く触れて視線を向ける女。互いをねぎらっていると大ホールに5人の男が入ってきた。全員シャワー終わりに立ち寄っている。群青色の長い髪を揺らす角と尻尾が生えた男や茜色の髪の男、白銅色の長い髪の男、浅縹色の髪の男、一重梅色の髪の男だ。皆一様に疲労していて。椅子に座り込んで数分後、フィンレーは口を開いた。
「みんなお疲れ様。最近本当に戦闘が激化してるわよね、だから1つだけ忠告させて。みんなもう分かってるだろうし耳に胼胝ができるくらい聞いてるだろうけど絶対に深追いはしないで。だけど、手負いのままで逃がすのは出来る限り避けてほしい。手負いの食人はなにするか分からないから。…矛盾してるのは分かってる、でもこう言うしかないの。ごめんね、立場低すぎるのよ私たち…!…国王撃てば何か変わるかしら」
静かな怒りを滲ませた彼女の口から発せられた言葉の通り、東国で食人による被害が拡大している。1日の死者は50人を超え、国王からは非難されているのだ。どれだけ命がけで国を護ってもヒエラルキーは低いのがGCR1課で、このヒエラルキーを覆すのに何人の食人に対して刑を執行し、何人の人間を説得しなければいけないのか。…途方もない数というのはその場にいた全員が理解していて、だからこそ現状に焦りと微かな苛立ちを感じていた。
「びっくりするくらいに難儀だよなぁ、俺ら。国王もちっとは認めてくれよほんと…お前の命護ってる存在の中に俺らいるんだが。国を見ろ国を!」
「それ。確かに俺らを認めてくれる人はいるよ?でもさ?国のトップが認めないのは違うんじゃねぇかな!」
自分たちの本音は国王に届くことはない、その事実を理解しながらも彼等は戦っていた。
寸刻、部屋に沈黙が響く。思い思いに休憩していたが部屋に響いた放送が彼らを休息から強制的に抜けさせた。赤、青、緑、灰、茶…色を持った14の瞳がスピーカーに鋭い視線を向け、耳をそばだてている。放送が終わり、苛立ちとともに流れる沈黙を破ったのは白銅色の髪の男と浅縹色の髪の男、茜色の髪の男で。
「はぁ!?なんで王宮で集会があるんだよ!?理由は!?ねぇ!」
「王宮の雰囲気苦手なんだが…煌びやかすぎて腹立つし何より遠い!疲労取れるかこんなんで!」
「…史上最悪の国王だろこれ…退けよガチで。今からする意味ないだろ、頼むから休ませろ」
彼等が怒りを感じるのにも理由がある。大ホールで話せばよいのにわざわざ王宮に召集したから。彼等だって生身であるから疲労だってたまるし感情の昂ぶりもある。その場にいる全員が国王を嫌っているのも怒りの原因だろう。しかし行かない理由を作ることは出来ないのだ、国の公的組織として参加しなければならない。重い腰を上げて彼等が立ち上がるとほぼ同時に部屋の戸がノックの後に開いた。
「お疲れ様。…放送、聞いたよな。面倒だろ、本当は俺も行きたくない。でも俺は参加しないといけない。お前ら来るか?」
「お疲れ。まじでこれ職務量調節した方がいいと思う。そのうち誰か殉職すんぞほんとに!和樹、上に掛け合おう。これじゃダメだ」
「何度も掛け合ってはいるが聞く耳さえ持たん。何より大切な存在だから護りたいんだがな」
濡羽色の髪の男と青竹色の髪の男が部屋に入ってきた。戦闘班とは違うデザインの制服をまとう彼等はGCR1課指示班に所属していた。2人とも困り顔で戦闘班を慰めている。また、部屋の戸が開いた。
「召集ありましたのでとりあえず連れて参りましたら…皆さんお揃いでしたか。お疲れ様です。なんでもおっしゃってください」
「お疲れ!なんか最近食人増えたよな…俺にできることないか?なんでも手伝うぜ」
「お疲れ様。後でなんか差し入れ持ってくわ…全員糖分足りてねぇもん。やれることあるなら言ってくれ、出来る限りなんでもやる」
丁子色の髪の男と紺碧色の髪の男、山吹色の髪の男が部屋に入ってきた。他の2班とは違うデザインの制服を身にまとう彼等はGCR1課補助班に所属していた。甘味を作ることを約束し、戦闘班を慰めている。
思い思いに準備を終わらせた頃、濡羽色の髪の男の携帯電話に着信があった。宛先を見て顔を顰める男。深いため息をついて、電話に出た。
「奥澤…申し訳ございません、すぐに向かいます。はい、はい…申し訳ございません、失礼いたします。…うるさいな国王。みんな、嫌だけど行こうか。我儘国王がお怒りだ」
12人は王宮に向かって車を出した。