婚約者は悪役令嬢と婚約破棄しない
「俺は婚約破棄はしたくない」
ロゼの目の前までやって来たキールは、ロゼの瞳を真っすぐ見て深呼吸をして、そんなことを言った。
まったく思いがけない言葉だった。
「え?あ、貴方、家に気を遣っているの?貴方も知っての通り、私たちの婚約は母親同士のおままごとみたいなものでしょう。それが良く今日まで続いたわよ。親には事後報告でいいから、さくっと破棄していいわよ。貴方だって、性格の悪い悪役令嬢は嫌いでしょう?」
「そうだな、悪役令嬢は好きではなかった」
「ほら、私のことは嫌いなんじゃない。貴方もしかして、婚約を嫌いな人間と過ごす修行だとでも思ってるの?聖人様にでもなるつもり?御大層な志ね。貴方が幸せになれることなんてないっていうのに」
「違う。確かに悪役令嬢だった君のことは好きではなかった。話が通じないと思い込んで他愛ないことを話す努力を怠っていた。でも今は、君のことを少し知った気になっていて……気になっている。単純なやつと思うかもしれないが、本心だ」
言い切ってから、キールが堪らず目を逸らした。
少し赤くなった顔を隠すように口元を手で隠している。
……そ、そんなの!
狡いのでは。
本当に、本当に気があるように見えてしまう。
そんなことをされては、分不相応にもその気になってしまう。
焦りながら、ロゼは自分の熱が上がってきているのを感じていた。
「き、き、き、気になってるだけでしょ。多分、貴方は色々と勘違いをしているだけよ。目を覚ましなさい」
絞り出すように反論したが、ロゼの顔は真っ赤だった。
これでは嫌がっていないことや、まんざらでもないことがバレバレだ。
「目は覚めてる。君のことはきっと、好きになる。もっとそういう顔をさせてみたいからな」
ロゼが慌てふためいていることを良いことだと判断したキールは、悪戯好きそうな顔で笑った。
信じられないのに期待しそうになる心臓が何よりもうるさいので、ロゼはキールから逃げるように顔を背けた。
「で、でもそちらのご令嬢の方が客観的に見て素敵じゃない?ほらそれに、貴方と相思相愛なのではないの?さっきだって仲良さそうに一緒に歩いていたわ」
「彼女はただのクラスメイトだ」
何だまだいたのかという視線を向けられたソフィアはビクリと肩を震わせた。
そして隣のリードと顔を見合わせたが、2人ともロゼとキールの間に割って入っていく勇気は無いようだった。
「私は性格も悪いし口も悪いし、つり目よ。婚約は早めに破棄した方がいいわ」
「俺は婚約破棄はしたくないと言っているだろ。それにつり目は嫌いじゃない」
「あ、あら。つり目の女が好きなの?なら私には、つり目くらいしか取り柄が無い。自分でも分かってるわ。だからやっぱり貴方は私を好きになんてならないのよ」
「勝手に決めるな」
「心配してあげてるの!貴方、見かけによらず変な女にコロッと騙されそうだから!気づいたら爵位も土地も取られて無一文になるかもしれないわよ。先に言っておくわね、ご愁傷様」
「その点も君なら大丈夫だ」
「なんでよ」
「君がそんな器用な女性なら、今頃学園の天使でもやってるよ」
キールがちらりとソフィアを見たが、その続きは何も言わなかった。
「それより、俺は今まで君に対してあまり態度が良くなかった……だけど今から頑張ったら、俺は君に好いてもらえるだろうか」
と、気を取り直したキールが真剣な顔で尋ねてきた。
押し問答は終わりにして、きちんとした答えが欲しいとキールの目がロゼの目を見据えていた。
ロゼの黒い目が、キールの炎のように赤い目を訝し気に覗き込んでも、それは揺らがなかった。
冗談を言っているようにも、嘘を言っているようにも見えなかった。
こんな風に真っすぐ気持ちを伝えられたことなんて、初めてだ。
それも、この人から。
それは全身の血が沸き立つくらい熱かったけど、同時に嬉しかった。
「む、無駄なことを心配するのね。そんなに恵まれているのに傲慢だわ。貴方、帰って鏡を見て、これまでの行いを思い返してみた方がいいわ。き、嫌われる要素なんてないと分かるから……」
何とか答えを絞り出してみたが、日ごろの行いが祟ってこんな言い方になってしまった。
これがロゼの限界だった。
それでも伝えたかったことの片鱗は伝わったようで、キールは微笑んだ。
「顔が真っ赤だ。なんだ、恥ずかしかったか?」
「そ、それを聞くの?!私にそれを言わせるの?見て分からないの?」
優しく微笑んでくれたと思ったのに、次の瞬間のキールは悪戯っ子の顔で笑っていた。
「やっぱり君は可愛いと思う」
「え?!や、や、や、や、や、やめなさい!貴方、私を虐めて楽しんでない?!」
「はは、虐めているつもりはないが、そうだな。楽しいな」
キールが自然に間合いを詰めてきて、そっとロゼの手を取った。
後日談。
リードをはじめとした何人かはまだ侯爵がどうのと言っていたが、ロゼの父親はあらぬ疑いを掛けられるべきではなく、悼まれるべきだと皆は分かったようだった。変な噂は煙のように消えていった。
そして、最近のロゼは婚約者のキールと過ごしていることが多いようで、いつもの冷たい顔以外の表情もたびたび目撃されるようになっていた。
悪役令嬢も、あんなふうに照れたり笑ったりできたのか。
生徒たちは驚いた。
そして、彼女は皆が思っていたような意地悪な女の子ではないのかもしれない、と誰かが気が付き、また一人また一人と考えを改めていった。
……
それから学園では、ちょっと丸くなったロゼと、ちょっと意地悪になったキールが見られるようになったのでした。
おつきあいありがとうございました。
ロゼ氏もキール氏も物凄く破天荒なやつらになってしまいました。
でも、暇つぶしに役立っていたのならなによりです。
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それでは、皆さんお体に気を付けて!