魔女
木漏れ日が、顔の上で揺れていた。
「ライク」
聞こえないふりをする。
「起きろ」
「起きてる」
「目、閉じてるだろ」
「休めてるだけだ」
「それを寝てるって言うんだよ」
目を開けると、ディントが呆れた顔で立っていた。
学院の裏手にある大樹。
午後になると日陰が広がって、風もよく通る。
講義を抜けるには、なかなかいい場所だった。
「またサボったのか」
「今日は難しい話ばっかりなんだよ」
「戦術論だろ」
「だから難しいんだよ」
「剣術の実技には出るくせに」
「身体動かす方が楽だろ」
「いつなら聞くんだ」
「面白い話の日」
「卒業まで来ないな」
ディントが隣に腰を下ろした。
しばらく二人で、遠くに見える王城を眺める。
「今日も騎士団?」
「ああ。学院が終わったら」
「大変だな」
「親父に言ってくれ」
「騎士団長に? 嫌だよ」
「俺だって嫌だ」
ディントが笑った。
「卒業したら、本格的に王宮へ行くよ」
「知ってる」
「陛下の下で働く」
「それも何回も聞いた」
「俺は本気なんだよ」
「はいはい」
「この国を、少しでも良くしたい」
「立派だねえ」
「他人事みたいに言うな」
「他人事だろ」
「お前もこの国の人間だ」
「そうだった」
「忘れるな」
肩を小突かれる。
「じゃあ、ライクはどんな国がいいんだよ」
「俺?」
「そうだよ」
少し考えた。
王様になりたいわけでもない。
偉くなりたいわけでもない。
「夕飯の時間には、みんな家に帰れるくらいでいいんじゃないか」
「……小さいな」
「毎日帰れるなら十分だろ」
「それを作るのが大変なんだよ」
「じゃあ、お前が頑張れ」
「お前もやれ」
「考えとく」
「絶対やらないやつだ」
また笑う。
風が枝を揺らした。
◇
屋敷に、一通の書状が届いた。
バレンティアは、それを最後まで読んだ。
もう一度、最初から目を通す。
途中で、指が止まった。
「旦那様?」
使用人の声に、バレンティアは顔を上げる。
しばらくして、書状を静かに畳んだ。
「馬を出してくれ」
「今からですか?」
「ああ」
立ち上がる。
「王宮へ行く」
声はいつもと変わらなかった。
だからこそ、使用人はそれ以上何も聞かなかった。
◇
「お兄ちゃん」
学院からの帰り道。
聞き慣れた声に振り返る。
アリナが、両手に紙袋を抱えて立っていた。
「何してんだ?」
「見れば分かるでしょ」
「買い物」
「分かってるなら聞かないで」
紙袋を一つ押しつけられる。
「重っ」
「だから探してたの」
「俺を?」
「荷物持ちを」
「兄をなんだと思ってるんだ」
「便利な人」
「ひどいな」
アリナは笑いながら歩き出した。
「今日、何食べたい?」
「なんでも」
「それ一番困るやつ」
「じゃあ肉」
「昨日も肉だったでしょ」
「なら聞くなよ」
「一応、兄の意見も聞いてあげようと思って」
「採用する気ないだろ」
「ない」
即答だった。
「父さん、今日いるかな」
「いるんじゃない?」
「じゃあ三人分か」
アリナが紙袋の中を覗き込む。
「足りるかな」
「俺の分を多めにしとけ」
「自分で買って」
いつものやり取りだった。
市場も、いつも通り騒がしい。
野菜を売る声。
肉を焼く匂い。
客同士の笑い声。
その中に、最近になって妙な話が混じるようになっていた。
「北の街、ひどいことになったってよ」
「またその話か」
「女の魔法使いが暴れたとか」
「誰から聞いたんだよ」
「酒場で」
「じゃあ半分は嘘だな」
笑い声が上がる。
「街がなくなったって話もあるぞ」
「だったらもっと大騒ぎになってるだろ」
どこまで本当なのか、誰も知らない。
そんな噂だった。
「ねえ」
「ん?」
「今度は聞いてた?」
「何を」
「もういい」
アリナがむっとする。
そのときだった。
馬のいななきが響いた。
荷車を引いた馬が、市場の中を暴走してくる。
人が左右に逃げた。
その先に、小さな子供がいた。
「危ない!」
俺が走る。
その横を、アリナが抜いた。
手を伸ばす。
風が鳴った。
荷車が止まった。
いや。
浮いていた。
車輪がわずかに石畳から離れ、暴れる馬まで何かに押さえつけられている。
アリナ自身が、目を見開いた。
「……え?」
次の瞬間、力が消えた。
車輪が石畳へ落ちる。
子供は無事だった。
怪我人もいない。
それなのに。
市場から声が消えていた。
人々がアリナを見る。
驚き。
戸惑い。
恐怖。
その中で、一人だけ。
袖口に小さな金属器具を着けた男が、アリナをじっと見ていた。
怯えてはいなかった。
何かを確かめるような目だった。
そして。
「魔女だ!」
男が叫んだ。
空気が変わる。
「魔女……?」
「あれが?」
「まさか……」
アリナが俺の袖を掴んだ。
「お兄ちゃん」
その手が震えていた。
俺は、アリナの前に立った。




