第1A話:「ハンターになりたい!」
ノル・タケダには、母親が死んだ日の記憶がほとんど残っていなかった。
ただ鮮明に刻まれているのは、サズマ侵攻の光景だけだ。街は炎に飲み込まれ、崩れ落ち、そこにあった日常は一瞬で消え去った。気づいたときには見知らぬ町におり、隣には父と妹だけが残っていた。
父の話では、彼らを救ったのは“ダイヤ級の狩人”だったという。
その言葉を聞いた瞬間から、ノルの中にひとつの願いが焼き付いた。
――いつか、自分もあの存在のようになりたい。
ダイヤ級。それは十人しか存在しない、世界最高峰の狩人。
この世界には当然のように“モンスター”が存在している。人類は“オーラ”と呼ばれる力でそれに抗う術を持つが、それでもなお、多くの命が失われてきた。
だからこそ狩人は必要とされる職業であり、希望でもあった。
そして今日、ノルはその第一歩を踏み出す。
組織への入隊試験。
この日のために学院で積み上げてきた努力を、無駄にするわけにはいかなかった。
朝。ノルの部屋の窓からは街の景色が見える。壁には「Rottenrow」と書かれたポスターが貼られ、その下には“最高の狩人が生まれる場所”という言葉が添えられていた。
午前6時。ノルは胸の高鳴りを抑えきれないまま食堂へ向かう。
そこには姉のオユキ・タケダと、父マコト・タケダがいた。
「今日はずいぶん早いじゃない。兄さんがそんなことするなんて思わなかったわ」
オユキがからかうように言う。
「今日は大事な日だからな。遅れたら終わりだ」
ノルは短く答えた。
そこへ父が朝食を運んでくる。
「……本当に行くのか、ノル」
一瞬の沈黙。
だがノルは迷わない。
「もう話しただろ。去年も一昨年も落ちた。でも今年は違う」
「努力はしてきた。今ならいける」
父は深く息を吐いた。
「止めるつもりはない。お前の母さんなら、きっと同じことを言っただろう」
しかしその声には、拭えない不安が滲んでいた。
「この世界はな……いつ誰が死ぬか分からない」
それでも父は、静かに続ける。
「気をつけて行け」
ノルは頷いた。
「分かってる。絶対に一流のハンターになって戻るよ」
駅は人が少ない。出発前の静けさが、逆に現実感を強めていた。
オユキはノルの背中を軽く押す。
「ほら、早く行って。早く出てくれた方が私が兄さんの部屋使えるし」
「動機が最悪だな」
ノルは呆れながら軽く頭を小突いた。
父が切符を渡す。
「名声地区か。面白い場所らしいな」
「聞いたことある。歴代の狩人の遺産があるんだろ」
「まあレプリカらしいけどね」とオユキが即座に冷やす。
やがて列車が到着する。
「行ってくる」
ノルが乗り込むと、扉が閉まり、列車が動き出す。
窓の向こうで、二人が手を振っていた。
列車は街を抜け、外周へ向かう。
巨大な壁の内側には緑が広がり、外側には荒廃した都市と枯れた大地が続いていた。
世界は、明確に分断されている。
名声地区。
ノルは駅に降り立つ。
「迎えが来るはずなんだけどな……」
しかし誰もいない。
軽く周囲を歩いた末、彼は駅のトイレに入る。
その瞬間だった。
視界に違和感が広がる。
ガス。
床下から静かに侵入してくるそれに気づいた時には、もう遅かった。
意識が途切れる。
次に目を開けた時、ノルはベッドの上にいた。
周囲にも同じように目を覚ます者たちがいる。
石造りの建物、整備された空間。
「管理局……?」
つまりここが組織の入口。
ノルは受付へ向かう。
「受験者パスを」
言われるがまま手紙を差し出すと、端末で照合が行われた。
「確認できました。奥の廊下を左、ポータル1番・緑色です」
装備一式と腕バンドを渡される。
ノルは小さく息を吐いた。
(……これ、もう試験始まってるな)
ポータルルーム。
三つの転送装置が並んでいる。
学院で学んだ知識が蘇る。
「数秒で別地点へ転送する装置……」
ノルは勢いよく踏み込んだ。
だが直後――
ゴンッ!
「いってぇ……!」
中央で待機時間が必要だったことを思い出す。
今度は慎重に進み、光の中へ消えた。
転送先は静かな村だった。
木造の建物、石畳、落ち着いた空気。
自然と人の生活が共存する、小さな聖域のような場所。
そこへ、ひとりの男が現れる。
「遅れて悪いな。ノル・タケダだな?」
ファクロウと名乗るその男は、ノルのガイドだという。
森へ歩きながら説明が始まる。
腕のバンドは身分証であり、色は志願者の白。国の紋章も刻まれている。
ロッテンロウはパンダ。
他にも複数の国家が存在する。
説明は淡々と続くが、突然ファクロウの動きが止まった。
「……静かにしろ」
茂みから現れたのは、小さなウサギ。
しかし次の瞬間、ファクロウの姿は消える。
ノルが気づく間もなく、空中から急襲し、ウサギは捕獲されていた。
「今日の飯だ」
淡々とした言葉。
それはこの世界の現実だった。
さらに森の奥へ進む。
ファクロウはサバイバルキットを説明する。
武器、道具、薬品。
木製の剣をノルが手に取った瞬間――
刃が走り、手に小さな痛みが走る。
確かな“切れ味”。
「文句あるか?」
それ以上の説明はなかった。
そして森の奥。
開けた円形の空間。
そこでファクロウは足を止める。
「ここはどこですか?」
ノルの問いに、男は肩をすくめた。
「知らん。遠くまで連れて行けって指示だけだ」
一瞬の沈黙。
次に続いた言葉が、すべてを変える。
「試験開始だ」
「運が良ければ、夜明けまで生き残れる」
ファクロウはそのまま森の奥へと消えた。
残されたのは、静寂と――開始された“生存試験”だけだった。




