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十二

 足田は不機嫌そうに眉をひそめながら歩いた。どうも不愉快でならない。ここのところはずっと愉快な気分だったのに、今は心がざわざわとうるさい。

 大きな扉の前に来た。早歩きで来た勢いそのままに、部屋へと突入した。その部屋は実験場で、随分堅固なつくりになっている。

 そこに、銃を二丁持って構えた、灰色髪の男が待ち構えていた。それを見て足田は、また何か愉快な心持ちを取り戻した。いつもの不敵な笑顔でその男に語りかける。

「『大和グループ』の火灰くんじゃない! ……久し振りだね?」

「足田光一……随分手荒い歓迎を受けたぜ? あんたの部下には」

 火灰はサングラスの下で奇妙に笑った。そして、足田に向けて銃を構えた。

「この距離で当たるかな?」

「当ててみせるさ」

 火灰は、引き金にゆっくりと力をこめ始めた。その時、足田の前に秘書が立ちふさがった。足田の身長を飛び越えて降り立ったようだった。火灰は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに気を取り直して、

「へえ、そいつも強化人間かい? ますます興味深いねぇ」と元のにやけ顏をとり戻した。

 リンも火灰に銃を向けた。

「言っとくけど、リンちゃんは外さないからね」

 火灰は狂気染みた笑みを浮かべながら、

「望むところさ」と左足を引いて横向きになった。

「足田様」

「何だい、リンちゃん」

「私にご命令を」

「何? 言うまでもないだろ? ——あいつを撃て」

 足田は冷ややかな目をして言った。

「何を……ですか?」

「何だい? リンちゃん、決まってるだろ、あいつの……」

 突如、足田は言葉を失い、右手を額に当てた。

「あいつの……」

 足田の脳裏によぎったのは、ある約束であった。幼い日の、指きりげんまんの、約束——

 だが、それはもう、棄て去らなければならない。 何故ならそれを守るのは、既に不可能だから。

 しかし、ようやく見つけた、いや、見つけたと思っていた。たったひとつ夢を叶える方法を……

 ——『幸せ』なんてのは人工的につくるもんじゃねぇ——

 チッ、と足田が舌打ちしたのと同時に銃声が鳴り響いた。続けて三発、それから間をおいて一発。

 リンの銃口から煙が上がっている。

 向こうを見ると、火灰が右手を押さえて痛みにうずくまっている。

「は、ハハッ、ドローのおかげだね」

 足田はぎこちなく笑った。

 そんな足田の方を秘書は中途半端に振り返りながら、銃を落とし、右腕を抱え、膝をついた。

「リンちゃん?」

 足田は痛みに息を荒くする秘書を抱えた。

 火灰は何とか態勢を立て直し、胸ポケットから新たな銃を抜いた。しかし弾がなく、カチカチッと乾いた音が響いた。

 癇癪を起こして声を荒げる火灰を尻目に、足田はリンに肩を貸しながら部屋から逃げ出した。そして、無線で

「青山くん? 五分後に爆破だ。スイッチを入れてくれ」と告げた。

「あれ? 足田さん……秘書さん! 大丈夫なんですか?」

 外にいた青木と小川が口をぽかんと開けて、部屋から飛び出した二人の有様を眺めている。

「早く逃げた方がいいよ? ここは五分後には跡形もなく消し飛ぶからね」

「えっ?」

「足田様、走れます」

 秘書が顔をしかめながら言った。

「僕、止血しますよ!」

 小川はカバンから探偵七つ道具のうちの二つ、布切れと小型ナイフを取り出して、それを慣れた手つきで秘書の腕に結んだ。

 四人は走り出した。しかし、必死に走っているうちに足田と秘書のペースが遅れた。

「足田さん! リンさん!」

「先に行けぇ!」

 足田が声を荒げた。青木が小川の袖を引っ張る。小川は後ろを何度も確認していたが、そのうち二人は見えなくなった。

 青木たち二人は、可能な限り遠くまで走った。無我夢中で走って、後ろの方で轟音が鳴り響くまで走った。その頃には港の外まで来ていたが、振り返ると、陸から突き出した埋め立て地の先が火の海となっていた。港のあちこちから火の手が上がっている。二人はそれを直立不動で、しばらく呆然と眺めていた。

「足田さん達、無事に逃げられたでしょうか……」

 小川の問いかけに青木は何も答えず、代わりに唾をゴクリと呑み込んだ。

 遠くからサイレンの音が響きだした。

 青木も小川も、しばらくその場から離れられないでいるうちに、野次馬たちが二人の周りに群がり始めた。普段の生活の中ではなかなか見られない光景に、皆興奮気味に連れと会話を交わし、スマートフォンで撮影をした。既に消火活動が盛んに行われている。

 二人はだんだん暑くなってきて、群衆をかき分け、開けた場所に出た。

「あれ?」

 小川が素っ頓狂な声を出してポケットを探る。

「何か入ってました」

 手紙のようで、それを広げると中に一万円札が三枚、挟みこまれていた。紙には丁寧な手書きの字で、メッセージが連ねられている。

 ——まず、私はあなた方に謝らなくてはなりません。私はあなた方に嘘をつきました。小手川社長の暗殺事件などというのは、全くのデタラメなのです。

 小手川社長は、二ヶ月前に病気で、偶然亡くなられました。しかしその時、足田様が何かを思いついて、そしておっしゃったのです。「しばらくその事実を伏せておくように」と。そして、また本当にたまたまなのですが、時期が重なってアメリカの『デスティニー』の権力者であったラルー局長までもが、亡くなられました。足田様はこの二つの事件を、ご自身が会長になられるために利用されたのです。そして、実際足田様は会長の座を手になさいました。足田様は『ドロー』と呼ばれる理論の実験の成功によって、自分が会長になり得たのだと思い込んでおられます。『ドロー』とは、あなた方がパラダイス島で聞いた『人を幸せにするエネルギー』のことです。

 私は足田様に思いとどまって欲しかった。足田様は、悪い方ではありません。世界を平和にしようと、本気で考えておられた人です。それが『ドロー』というものに出逢って、少し、おかしな方へ向いてしまっただけなのです。それをあなた方に止めて欲しかった。

 本当に身勝手なことだと分かっていました。しかし、それ以外には思いつきませんでした。ささやかな抵抗——あなた方のような、『無償の絆』で結ばれた同士であれば、足田様に気づかせてくださると、期待しています。この手紙をあなた方が読んでいる頃には、既に結果は出ているでしょうが……

 そして、せめてもの気持ちとして、ここに全ての真実を述べさせていただきました。依頼を受けていただき、ありがとうございました。  秘書よりーー

「これって……」

 手紙を読み終えた小川は顔を上げて、青木を見た。

「うむ……やはり俺の推理が正しかったようだな」

「足田さんは……世界を平和にしようとしていたんですか?」

「それはわからんが……一つ気になるところがある」

 青木は手紙を小川から取り上げた。

「この『ラルー局長』とやらが小手川社長のあとに死んだという記述だ。これだと、足田はまるでラルー局長も死ぬことが分かっていて、小手川社長の死を伏せていたように聞こえるが」

「えっ?」

 小川は背伸びして手紙を覗いた。

「でも、本当にたまたまだ、って……」

「もしかすると、認めたくなかったのかもしれんな、秘書は。足田に何か思い入れがあるようだから」

「認めたくなかったって……もしかして……」

 青木は何も言わずに、小さく手紙を折りたたんでコートのポケットにしまった。

 二人は群れを離れ、帰り路を辿り始めた。

「僕たちが足田さんの考えを変えてくれるかもって、リンさんが突然強い口調になって青木さんを追求したのも、そのせいだったんでしょうか」

「ふむ……」

 青木は考え込む仕草を見せた。

「そういえば、青木さん。『幸せはつくるものじゃない』とか偉そうなこと言ってましたよねえ。足田さんを改心させるには、あんな答えでよかったんですか?」

 小川は青木をからかって言った。青木は心持ち顔を赤らめ、「うるせぇ」と吐き捨てると、「俺の本音だ」と続けた。

「本音?」

「……おれはなぁ、おがわ。昔、絶対に幸せにしてやるっつって家を飛び出したことがあるんだ」

「えっ、何をですか? ……それって、まさか駆け落ちですか!?」

 小川は上ずった声を上げた。

「ああ……そんなところだろうなあ。それがさ、結局相手にはすぐ逃げられちまってよ。そんで、それがすげえ悔しくってな、俺、大荒れで呑んだくれて、刑事までクビになってよ。それからも毎晩酔っ払って」

「へぇ……でもそれは今も同じような気が……」

 小川がボソッとつぶやく。

「でもさあ、意外だったな、おまえがある日、ひょっこりうちの事務所に現れて、そんで今お前とこうして推理ごっこしてんのがこんなに楽しいなんてよ」

「……」

「毎晩、晩酌して、おまえと不真面目で真面目な探偵やってんのが俺にとっての幸せだ。そんで分かったんだ。幸せってのは探したり奪ったり、あげたりするもんじゃねぇ、気がつきゃそこにあるもんなんだ、ってさ」

「青木さん……!」

 小川は感激の眼差しを青木に向けた。

「青木さん、これからもよろしくお願いします!」

「何だぁ、急に改まって」

 青木はまんざらでもないように口を尖らせて頭を掻いた。

「まあ、でもよ、一つ気に食わねえのは……」

「えっ?」

「謝礼が三万円ぽっちってどゆこと? 割りに合わないどころじゃねえ!」

 小川は一転、肩を落とした。やっぱりいつもの青木さんだ。

 探偵事務所への道を歩きながら、青木はずっと謝礼の少なさへの文句を並べ立てている。小川はうんざりして青木から目を背けた。そして、一つ、誰にも見えないようにクスと笑った。

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