七
殺風景な部屋だ。中央に大きな会議用のテーブルが設置され、壁には本社を中心とした世界地図が貼られている、それだけの部屋である。
この場所に集ったのは皆陰気な人物で、腹に一物抱えていそうな者ばかりだった。厳かな雰囲気で細長い楕円形の机を囲んだちょうど尖っている部分——世界地図の壁の真下に位置する男が、苦悶の表情を浮かべている。
「この状況はいかん、いかんぞ」
男は顎と口とにたっぷりとたくわえた白髭を揺らしながら、落ち着かない様子だ。
「この危機的状況を切り抜けるには、マルコー! お前が次期会長となって、皆を導く他あるまい」
この男にマルコーと呼ばれた若者は、目を細めて少し会釈した。
「アメスト様。しかし、ここは現在『デスティニー』内実質ナンバーワンの地位におられるアメスト様が、会長に就任なさるべきでは」
「ワシはもういいのじゃ。もう抗争などにはこりごりなのじゃ! ワシはもう隠居して、日本の精巧なプラモデルを眺めながら余生を過ごしたいのじゃ」
「……アメスト様が、そうおっしゃるのならば」
マルコーは特に顔色も変えず、机の上の資料に目を落とした。
「そういうことじゃ。皆もそれで異存ないな? はい、けってー」
「異議あり」
強引に会議を終わらせようとしたアメストに待ったをかける声が、冷たく響いた。
「何? ……貴様、見ない顔じゃな」
「ああ、僕は足田光一っていいます。新しい日本支部長ですよ。小手川支部長の後任の」
足田はニヤと笑ってみせた。
「小手川の……」
「アメストヨーロッパ支部長。僕はそんな強引な決め方には、賛成できないなあ」
「何だと?」
アメストは顔を強張らせた。
「ハングリッシュ前会長をお側で支えた我々四天王と呼ばれるもののうち、二人がもう『大和』の連中にやられた! そうすると、残された我々二人のうちのいずれかが次期会長となるのは道理だ。そして、私が辞退すると宣言した今、次期会長がマルコーに決定したのだ。そうだな? 諸君」
足田はニヤニヤと笑みを浮かべたままである。
「なんだ貴様は。さっきからヘラヘラとしおって」
「ラルー局長も小手川支部長も、まだ大和にやられたって、決まったわけじゃないでしょう? ……ところで、アメスト議長。僕も会長に立候補しちゃったりしても、いいのかな」
「!!」
会議室中がどよめいた。落ち着いているのは、足田と、その立候補をあらかじめ知っていた秘書だけである。
「どういうことだ」「あの新人が次期会長だと?」「ただマルコーが次期会長と言うのに納得がいかないのも事実だ」
「ええい! 静かにせい!」
アメストがしゃがれた大声を出しても、一向にざわめきはおさまらない。代わりに足田がおもむろに立ち上がり、「こうしてはいかがでしょう」と提案を始めた。
足田は一組のトランプを自分の目前の机上に置いた。
「このトランプの山から、僕とマルコーくんが順番に引いていくんですよ。そうして、先にハートのエースを引き当てた方が会長に……どうですか?」
足田の突拍子のない意見に今度は皆、あっけにとられた。
「リン! 日本支部の連中はどうなっている?」
中国支部の顔流渓が、足田の隣で静かに座っているリンを咎める。
「ふ、ふむ。そう言えば、リンハクセツ殿は日本支部の方に回られていたのでしたな」
アメストはリンに対しては先刻までの偉そうな態度を一変させ、機嫌をうかがように言った。
「で、そこの足田と言う男、まさかリン殿が支部長に推薦したわけではないでしょうな……なにぶん、こんな無礼な奴は初めて見たもので」
アメストはずっとにやけている足田を一瞥した。
「いえ、足田様はそもそも、日本支部ではナンバーツーの地位におられましたから」
「は、はあ」
リンはアメストの方を見向きもせず、淡々と答えた。
「では、足田の会長への立候補は無効ということで……」
「どうしてでしょう?」
リンは鋭い視線でアメストを突き刺した。
「支部長が次期会長に名乗りをあげるのは、おかしなことではないと思いますが」
アメストは歯ぎしりをして、はげ頭を抱えた。
「ああもう! どうしたらいいんじゃ、ワシは。のう、マルコー教えてくれんか」
マルコーは端正な顔つきで眉をキリとさせて、「そうお悩みにならないでください」と老人をいたわると、立ち上がって言った。
「たしかに、この場にいる全員に会長に立候補する権利があるでしょう。まあ、そういった規則もおいおい決めて行く必要があります。何しろ、これが我々が立たされる初めての岐路なわけですから」
多くの幹部が頷いたり、唸ったりした。
「他に会長になりたい方がいらっしゃれば今受け付けますが……いないですね」
「やけに締め切りが早いねぇ、マルコーくん。平静を装ってはいるけど、実は焦ってるのかな?」
足田が嫌みたらしく言うのには構わず、マルコーは「では投票をしましょう」と呼びかけた。
「僕と足田日本支部長の決選投票です。異存はありませんね?」
マルコーは妙に語気を強めて、高圧的に議会の空気を支配しようとした。しかし、それをやはり全くものともしない男が一人。
「僕は反対だなあ」
「何だい、足田くん。これ以外にいい方法があるのかな?」
「それじゃ不公平だろ? 君はもう名前が売れてるからいいかもしれないけど、僕は今日初めて会う人たちも多い新参者だよ? 投票なんかしたら、君が勝っちゃうに決まってるじゃないか」
「まさか、さっきのトランプゲームを僕にやらせる気じゃないだろうね。人望じゃ勝てないから、運に頼ろうって寸法かい?」
マルコーは首を後ろに反らして、足田を見下ろすようにした。実際は足田の方が背が高く不可能なのだが……一方足田は微笑をその顔に含みながら、じっとマルコーを見つめている。
「君は四天王の中でも若手だから、知らないかな、『デスティニー』の会長というのは文字通り、その運命を背負って担う者なんだよ」
「何だ。そんな事くらいわかる」
「いいや! 分かってないね」
足田は途端に声の調子をあげた。
「なぜこれほどまでに『デスティニー』という企業が短期間に急成長を遂げることができたか、君には分かるかい」
足田はマルコーに答える猶予を与えず、続けざまに言った。
「ああ、君の答えは分かってる。ハングリッシュ前会長が有能な人物だったから、とでも言うんだろう」
マルコーは微動だにせず、足田の話に耳を傾ける。
「それは違う。そもそもハングリッシュを陰の一番近くで支えていたのは僕だし、彼がただ有能なだけじゃここまで異常な事はなしえない」
「異常……だと?」
「そう。……やっぱり思った通りだ。君には現状への考察が足りない」
足田は朗らかな笑みを浮かべた。
「ちょっと待ってくれ、今君がハングリッシュ前会長を支えていたとかほざかなかったか?」
会議に出席していた一人が発言した。
「ああ、そうだよ。僕はもともと開発課にいてね。ハングリッシュのもとで表には出せないことを色々やってたのさ」
「ハングリッシュ会長に敬称をつけないとは、この礼儀知らずが」
また違う一人の声がとんだ。
「勘違いしちゃいけないよ。あの老いぼれは死んで、もう会長じゃない」
足田は自分を注意した男を目の奥から睨んだ。その男はチッ、と舌打ちして足田から目線をそらす。すると足田は、また満足げに気持ちの良さそうな笑みを浮かべるのだった。
「さあどうだい? マルコーくん。君にこの巨大な『運命』を背負う覚悟はあるのかな?」
「……何が言いたいのか、さっぱりだね」
マルコーはちらちらとアメストの様子を窺い始めた。アメストは机に肘をつき、手の甲を組んででこを乗せ、じっと俯いている。だから、その表情をうかがい知ることはできない。
「トランプゲームなど、会長選出にふさわしいとは到底思えない。皆さん、この足田光一という男、野放しにしては危険でしょう」
議会はざわつき始めた。
「ひとつみなさんに思い出してほしいんだけど……ハングリッシュが物凄い強運の持ち主だったってことさ」
「なんだと?」
マルコーがいぶかしげに足田を見る。議会はいっそうざわめいた。
「僕はハングリッシュとその研究を共同でおこなっていたんだ。つまり、何故ハングリッシュはこんなにも運がいいのか、って研究をさ」
「ハングリッシュ前会長が、強運の持ち主……」
マルコーがアメストを窺うと、アメストは頷いた。
「たしかに、ハングリッシュ会長は恐ろしく強運じゃった。会長の元に集まる科学者たちは次々に大発見を成し遂げ、それを実用化した。経済回りも常に良好じゃった。とにかく、何をされても成功されるお方だったのじゃよ」
「そんなバカな」
マルコーは疑って周りの人々を見渡したが、誰もそれに異を唱える者は出ないようである。マルコー自身、ハングリッシュには何度も会ったことはあったが、そんな話を聞いたのは初めてだった。
「マルコーくんが知らないのも無理はないよ。その話は社内では禁句だったのさ。ハングリッシュが『失礼だ』とでも言って怒り出すからね。まあ、実際は、その研究を秘密裏に行うためだったわけだけど」
「私は知らんぞ」「私もだ」「そんな研究は知らん」とあちこちで声が上がる。
「で、どうなったんだね。原因は分かったのか」
中国支部のガンが聞いた。
「それなんだけどね、アメスト議長にはリンちゃんが少し話をしたと思うんだけど……それをいまから証明しようと思うわけさ」
「……『ドロー』理論のことか。オカルトじみてて、ワシにはなんのことやらさっぱりじゃったが……」
アメストはひとつ、大きな鼻息をついてヒゲを揺らした。
「オカルトの証明とな。おもしろいじゃないか。やってみろ! 足田光一」
「そんな」
マルコーは不満そうに眉をひそめた。
「正直、ハングリッシュ会長に代わる人材がいるとは思っておらんかったが……同じ強運の持ち主が『デスティニー』を背負うならば、それも悪くなかろう」
議長であるアメストの決定により、前代未聞のカードゲームが行われることとなった。このゲームで、世界を股にかける大企業の次期会長が決定するのだ。
「じゃあ、やろうか。リンちゃん」
合図を受けて、リンは小さな円卓を運び込んだ。足田はその中心にトランプの山を置いて、椅子を持って来て座った。
「ほら、マルコーくんも」
マルコーは会議室中を見渡した。信じられないことになった、と小さな舌打ちをすると、椅子を抱えた。
「じゃあ、ガンさん、カードを切ってくれないかな」
「あ、ああ」
「いや、」
マルコーはガンが立ち上がるのを低い声で遮った。
「ここはアメスト様にやっていただくのがいちばんでしょう」
「それもそうだね」
足田はポンと手を叩いて驚いた顔をして見せた。その演技がかった様にマルコーは顔をしかめた。
「ワシには無理じゃ! 手が震えてカードのシャッフルなどできん」
「アメスト様!」
「リンがやれば間違いなかろう」
マルコーはリンを不信の目で見つめた。
「リン様は、足田側なのでは?」
「いや、リン殿に限って間違いはせん」
アメストの言葉に、会議室中が大きく頷いた。
「じゃ、決まりだ。リンちゃん頼むよ」
足田がカードを渡すと、リンはしぶしぶ立ち上がった。リンは滑らかにシャッフルを終えると、カードの山を円卓の中心に戻した。
二人はじゃんけんをして、勝利したマルコーからゲームが始まった。ゲームと言っても、かなり単純なものではある。ただ順番に、一枚ずつ引いていくだけなのだ。
マルコーはペラッといい音をさせて、山札の一番上からカードを一枚引いた。そして、それをそのまま表にして置いた。カードはクローバーの三だ。
「ハートのエースをドローした方が、勝ちだからね」
足田は不敵に笑うと、マルコーと同じような気持ちのいい音を立てて、トランプを一枚めくった。——足田は口元の端を少し引きつらせ、細い目を見開いた。
「僕の勝ちだ」
「バカな!」
足田が円卓に置いたカードの柄を見て、マルコーは椅子が後ろに倒れるほど勢いよく立ち上がった。
「ありえない! 一度目で引くなんて」
マルコーは急いで残りのトランプの絵柄を確認し始めた。全部で五十二 枚、それぞれ別の数字、絵柄で、二枚目以降のハートのエースは見つからなかった。
「これがまさに『デスティニー・ドロー』ってやつさ」
足田は嬉しそうに言った。
「『デスティニー・ドロー』だと? ふざけたことを!」
一同も驚きを隠しきれない様子で、ゲームのフィールドをのぞく。
「マルコー! 本当にイカサマではないのか!」
「分かりません……」
「しかし……これだけでは信じられん」
アメストは腕を組んで嘆声をもらした。
「あと四回やってくれ。それで足田が全て勝利すれば、認めよう」
「そんな!」
リンが抗議するべく、勢いよく立ち上がろうとしたが、足田はそれを制した。
「いいんだよ、リンちゃん。ハングリッシュならやるだろうさ。こんなゲーム十回やれば、十回勝つよ」
「確率的にそんなことはありえない!」
マルコーが声を張り上げた。
「現実的じゃない。十回連続で勝てる確率は千二十四分の一だ」
「ありえないわけじゃないだろ? まあ、たった千二十四分の一かって感じだよね」
足田は手を広げて、冷や汗を額に浮かべるマルコーを嘲笑った。
「さあやろうか。マルコーくん。……ああ、そうだ。五度目に僕がハートのエースを引いたら、その時は君、できるだけ僕から遠くに離れたほうがいいよ?」
マルコーは眉間にしわを寄せた。しかし、千二十四分の千二十三で返り討ちである。そう思って奮い立った。懸念は『ドロー』とかいう訳のわからない話だけだ。
——不安はあった。一度目、こうもあっさりと足田がハートのエースを引き当てたことは、その存在を疑わせるものに十分なり得たからだ。しかし、運のいい悪いなどというのは幻想に過ぎず、全ての出来事には原因があるのだ、などと自分に言い聞かせることでなんとかゲームを続けた。結果的には三分後、マルコーは青ざめて席を立ち、覚束ない足取りで部屋を出て行くことになる。——足田は毎度一回目のドローで、勝負を決めてしまった。
この瞬間、足田光一がとうとう世界の覇権を握ったも同然となったのである。それは彼の計画がひとつ、階段を上ったことを意味した。
幹部たちは絶句し、声にならない唸り声をあげる者がいれば、ぼんやりと天井を見上げる者もいた。
「じゃ、みんなこれからよろしくね〜。一緒に頑張っていこうよ! この会社の『運命』を背負ってさ」
足田が手を振って、意気揚々と退出する。リンがそれに続いた。
皆、自分たちが先刻まで知りもしなかった人物が会長——つまり自分らの上司となった事実に衝撃を受けた。この『デスティニー』の最高機関であるはずの議会が、てんで無力であったのだ。部屋に残された誰もにとって、現実を受け入れるまでには多少なりとも時間が必要だった。そして、『トランプゲーム』の残骸は、子どもが遊び飽きて外に出かけた後腐れのごとく、そこに沈黙していた。




