2.第6会議室前の鏡 ☆
はあぁ。西研究棟第6棟の辺りって、人の気配が希薄なのよね。表口まではひとやロボット、自動運搬メカの出入りがあるから、そこそこ賑やかなんだけど。
裏手に回るとブナの林が拡がっていて、半野生の小動物たちが姿を現わすほど静かなの。研究に集中するには良い環境かもしれないけど、シーンとしていて、なんだか心細くなっちゃうのよ。
なんでヴィゴったら、こんなところへ来るのよ。あ、ヴィゴって、迷子の男の子の名前だから。
「ヴィゴ〜、どこにいるのぉ」
建物の周りには姿が見えない。呼んだって、返事してくれないし。
かくれんぼのつもりかしら。
えーい、仕方ない。残留思念を拾って探そう。レチェル4内だったら、能力を使っても怒られないから。外部――一般市民生活エリアでそんなことしようものなら、大目玉だけどね。
少しだけ神経を研ぎ澄ませると、ヴィゴの思念波が読めた。
あらら。第6棟の内に入っちゃっている。
勝手に研究棟の建物内に入り込んじゃダメだって、いつも言い聞かせているのに!
(あとできっちり叱っておかなくちゃ)
そう心に決め、あたしは第6棟の内へと入っていった。
「ヴィゴ! どこなの。ヴィゴ、出てきてよぉ」
人の気配のない研究棟って、どうしてこうも不気味なの。まっすぐな廊下が続いているだけでも、なんだかイヤな感じがする。
上の5階にはヨーネル医師の研究室があって、それなりにひとの出入りも活気もあるのよ。けど、ひとつ階を降りただけでこの静けさって、殆どホラー映画のノリだわ。
ふえ~ん。
前にも言ったけど、ここは政府の秘密の研究機関所属の施設。研究内容の漏洩防止のために、レチェル4敷地内の各建造物――その建物内も各階ごとに厳重な防犯装置がガッツリ設置されているの。
超常能力保持者のあたしでさえも、他所の様子を能力で覗き込むのは骨が折れるわ。(ええ、正直に言えばやってやれないことはないわよ。でも非常時でもない限りやりませんってば!)
感じられるはずの気配が感じられなくなると、そういうことに敏感な能力者は余計に世界から切り離されたような、猛烈な孤独感が襲ってきたりする。
言いようのない不安が沸いてくるのよ。
落ち着かない気持ちを抱えながら、あたしは廊下を進む。ヴィゴの思念の残り香は、まだ先へと続いている。
もう! どこまで行ったのよ。
(もうすぐ日が沈むわよ)
ふっと、隣に影が映った。
「ひゃあん!」
よく見たら、その影はあたし。鏡に映ったあたしだった。
イヤだ、恥ずかしい。飛び上がるほどびっくりしちゃったじゃない。自分の影に怯えてどうするの! 等身大の影だったから、誰かいるのかと思ったのよ。
心臓に悪いったら!
ああ。ここにも壁一面特大サイズの鏡があるのね。もう、本当に職権乱用して設置してくれちゃっているんだから。
あたしもアダムとディーと一緒に抗議しようかしら……なんて考えが浮かんだとき、ようやく彼らの言葉を思い出したの。
そこにあるのは第6会議室の扉。
じゃあこの鏡って、さっき彼らが話してくれた会議室前の鏡。
ほら、鏡の端に、斜め横の壁に掛かっている絵の額が映り込んでいるわ。
しかも、夕日が沈みかけて……。
沈み掛けている、その……、今は夕暮れ時……だよね。
ああん、アダムとディーは、なんて言っていたっけ?
確か絵の中に……、
(絵は緑深い森の絵よ!)
絵の中に……、
(だから、風景画!)
人影が……とか……。
恐る恐る視線を移動させて。
見たくはないけど、絵を見てしまう。
緑深い森の絵が…………!!
「きゃあああああああああああああああああああああああ!!」
悲鳴と共に、大きな鏡は粉々に飛び散った。
♡ ♡ ♡ ♡
「聞いたで。武勇伝」
「また盛大にやってくれたな」
医務室で治療を受けるあたしの前に、笑いをこらえきれないアダムとディーの顔がある。
治療っていったって、日頃の訓練のおかげで咄嗟に飛び散る鏡の破片は、防御壁で防御したわよ。
でも精神的ショックからちょっとした錯乱状態だったので、周りの安全(あたしの、じゃない!)のために、医務室に隔離されてしまったの。
酷い!
「けどな。幽霊見たからって、第6会議室前を念動力で半壊状態にするか、普通?」
「せぇへんわ!」
「第一、なんであそこで幽霊見んのや」
どうして見るのかって、だって、出るって言ったの、アダムとディーじゃない!
「アホか! 俺らは、奇妙な動きをする、大きな影……言うたンやで。幽霊なんて、一言も言うてない」
「絵の中とも、言うてへんよ。絵の辺りに、言うたやン」
ふたりは口の端を上げた。嫌みったらしく、同時、に。
「ヨーネル医師は夕方になると、ひと気の無い薄暗いあの廊下の鏡の前で、ひとりで筋肉動かして悦に入っとる云う噂があんねん」
「実際、医師はあの時間になると、息抜きと称して研究室を抜け出し、あの場所で筋肉体操を始める」
「律儀な医師のことやから、立ち位置はいつも決まっとる。丁度鏡に映った絵の辺り――」
「そうそう」
「その動きがめっちゃおもろいと評判になっとってな。誰か動画上げへんかと待っとるンやけど、会議室前なんで盗聴防止の妨害電波の影響で撮れへん言うとったな、研修室の連中も」
平然とした顔で、とんでもないこと言ってない、アダム?
「楽しそうなんで暇つぶしにふたりで観に行っンよ。したら、これがもう、噂に違わずの爆笑パフォーマンスなん。だからテスにも見せたろ思ってなぁ」
親切心から情報提供……みたいな顔しないでよ、ディー! そういう伝え方じゃなかったからね!
それに。あたしはヨーネル医師を観たんじゃないわ!
「あれま。医師のオモロな筋肉体操見て悲鳴あげたんやないの?」
ええ。
「けど、目ェ回したテスを医務室まで担いで来たンは、ヨーネル医師やったし……」
ええ、そうよ。
オーウェンさんのマッチョ仲間で、ヴァイキングの末裔でもあるエミール・ヨーネル医師は2メートル近い巨漢でガタイがいいから、あたしなんか軽く持ち上げちゃう。
アダムが言うとおり、パニック状態に陥ったあたしを文字通り担いでここまで運んで来てくれてのは医師なの。
「第6会議室に忍び込んでおったヴィゴと一緒に、血相変えて医務室に飛び込んで来たらしい。めっちゃ焦っとったんやろ、な。ストレッチャーも使わんと、おのれでテスの身体を肩に担いでダッシュして来たちうハナシやったで。
そんで、あそこの廊下で念動力暴発させた言うてたから、てっきり……」
待って!
いくら小心でも、いつもお世話になっている医師を見て、悲鳴を上げるほど薄情じゃないわよ。あたし!
たとえ奇妙な体操をしていたからって!
「ほんなら、なにを見たんや?」
「怖い目をした男の人!」
「はあ!?」
ふたりの声がそろった。
「眉間に縦ジワが何本もある、髪の長〜いコワ~い眼をした男の人が睨んでいたの。あれ、絶対お化けだわ!!」
あたしは半泣きで必死に訴える。
けれどアダムとディーは顔を見合わせて、首を横に振るばかり。
「でも、見たんですもの!!」
思い出したら、また怖くなってきた。ボロボロ涙を流すあたしの頭を、アダムの右手とディーの左手がポンポンと叩く。
「ああ、もう泣くんやない。あそこの鏡は誰かさんに粉々に砕いてしもたから、幽霊が映り込むか否か確かめようがないやん」
「問題の絵の方も、額が壊れたから修復に出す言うて外してしもたしなぁ」
「強化鏡を簡単に砕く程の能力持っとんのに、なんで幽霊がダメなんやろな、テスは」
「だって……」
反論しようと顔を上げ、開いた口に、ポンとなにかを投げ込まれた。
フシャっと潰れる、軽い食感と甘さ。あれ、これは!
「ほれ。テスの好きなマカロンや。これ食べて機嫌なおせ」
「甘いもん食べたら、少しは気分も上がるやろ」
でも、涙が止まらない。
「なんや、マカロンじゃダメかいな」
「テスの好きなフランボワーズ味やで」
「い、今は……塩キャラメル味の……気分なのぉ」
「じゃ、次はそれにしたろ」
「レ……レア……チーズケーキもぉ……」
涙を拭き拭き、しゃくり上げる。
ホントに涙が止まらなくなっちゃった。
「怖かったんだからぁ……」
「わかった。レアチーズケーキ、な。ハイハイ」
「ふぇ~ん。アダムもディーも大好きよぉ……」
「まかしとけ!」
「かわいいテスのためやからな」
「たとえ火の中水の中」
「俺ら、テスのためならなんでもしたるで」
頭をポンポンして、頷くふたり。
うんうん。頼りにしているから――。
あたしはこの後、能力を暴走させたことについて、オーウェンさんからこんこんと厳重注意を受けることになった。
でも!
その場に、この騒ぎの仕掛け人アダムとディーの姿は無かったわ!!