第十九話
場面は八回裏へと移り、順調に行けば後攻チーム最後の攻撃となる……まあ、先攻チームが九回表で逆転するビジョンは、全く見えないけれども。
「フォアボール!」
……俺がここにきて、一体何回目の四球なのだろう。
先攻チーム、ノーアウト満塁で押し出し。
ついにスコアは99-0となり、と同時に、王女様が肩をいからせながらやってきた。
「あんた、交代してもらうわ」
それだけ言って、主審の元へと向かっていった。
……相変わらず、状況は分からないけれども。
ここはラフレッチェであることは確かで、ラフレッチェのチームと相対しているということは、これが入団テストであることは間違いないだろう。
俺が今からやるべきことは、この二番から始まるバッターを抑えることだ。
マウンドへと向かった。ゆっくりと、内野の土を、踏みしめるように。もう夕暮れに近く、ナイターの照明が点灯していた。
ぐるりと観客席を見渡す。久しぶりの風景だ……観客は、さっきよりも少なくなっていた。
「おい」
足元から声がした気がして、下を向く。そこでまた驚いた。
女の子だ。身長は俺の腰位の、まだあどけない少女がそこにいる。肌が浅黒く、瞳も髪もどんよりと黒い。
キャッチャーマスクを被り、キャッチャーミットも持ってる。プロテクターだってつけている。キャッチャー? この小学校低学年くらいの少女が?
「今日お前の球を受ける、レイ・レイモンドだ」
「ああ、はい。よろしくお願いします……?」
俺は困惑気味に応対した。それに構わず、レイは告げる。
「挨拶は良い。ともかく、抑えてくれ。頼んだぞ」
とだけ言って、小さなキャッチャーは背を向けた。
「ちょ、ちょっと待って。サインは?」
と言うと、レイは片眉を上げた。
「……この状況では必要ない。思うように投げてこい」
「えっと、リードをしてくれないということですか?」
「出来ないんだ」
それだけ言って、彼女はホームベースを越えて、座った。
……まあ、確かに。俺のテストならば、この状況を俺が考え、投げろで合っているんだけど。
何とも言えぬ、違和感を覚える。
「プレイ!」
まあ、何であれ、抑えることだ。
しかし、打者はアダム・テッド。都市対抗戦年間驚異の打率三割九分八厘、一発長打もあり、長打を打たれればランニングホームランを覚悟せねばならない走力がある。俊足豪打の凄い奴だ。
その相手にして、この場面。ノーアウト満塁で抑えろと言うのである。……入団テストとしては、やっぱり厳しいよなあ。
欲しいのは、内野フライ。ゴロは良くない。一番いいのは、三振だが。
「ふー……」
いよいよアンダースローのデビュー戦だ。
セットポジション。ランナーを見て、左足を上げて、腰を捻り、体を沈みこませながら、左足を大きく踏み出す。手首を体の方に曲げ、スナップを利かせて、投げた。
スパ―ン!
内角高めへ、ボールが収まった。
「ボ、ボール!」
主審はおろか、アダムは驚きの表情をする。そりゃそうだ。下から浮き上がってくるボールなんて、初めて見たはずだ。
第二球。
もう一度、ストレートを放つ。浮き上がっていくボールがミットに収まる。
「ットライーク!」
主審が手を上げる。アダムが主審を睨みつけて、「入っているのか?」と尋ねた。
入っていない。先ほどと同じコースだ。主審が誤審したのだ。どうあっても審判は人間の目で行われるため、こういうこともある。
もうけた。ならば、第三球。俺は、グラブの中で握りを変えて、投球モーションに移る。……頼むから、上手く変化してくれよ。
投げた。
一度浮き上がった球が、打者の内側を突くように沈み込んでいく。シンカーである。
スパーン!
「ッットライーク!」
見逃した!
浮き上がってくると思っていたので、その虚をついたのだ。
これでワンボールツーストライク。よしよし。追い込んだぞ。
半信半疑だったアンダースロへの自信が、静かに確固たるものとなりつつあった。
しかし、まだアウト一つとれていない。第四球は、よし、またあのシンカーで勝負だ。
投球モーションに入り、投げた。
あ。
やばい。
抜けた。
棒球気味の真っすぐが、キャッチャーミットど真ん中に吸い込まれていく。
アダムがバットをスイング――万事休す。
鈍い音がして、打球が空高く舞い上がる。レイがマスクを投げ捨てて、落下点に入る。
「アウト!」
キャッチャーフライ……危なかった。
おそらくは、浮き上がってくるボールが効いているのだ。それで、目測が誤り、ボールの下を叩いてしまったのだ。
次の打者が、ネクストバッターサークルからバッターボックスへ向かう際、アダムが何事か耳元で囁いた。
何かしらのアドバイスを、しているのだろうか……
三番バッターは、イルム・ウィリアム。アダムとは一枚落ちる打率三割二分。だが、ヒットが全てホームランという超怪力の凄い奴。
当たれば飛ぶ。こんなに嫌なバッターはない。ましてや満塁の場面。
ロージンバックを拾う。ぽんぽんと跳ねさせて、粉を手にこすりつける。
ふーと深呼吸して、セットポジション。
体を沈みこませて、地面に這うように腕をしならせる。
スパーン!
「ッットラーイク!」
このイルムは所謂待ち球のバッターであり、一球目は殆ど様子見で手を出してこないことを、俺は知っていた。何せ、ラフレッチェは常勝チーム。手本とするべく、パーシモンに来た時は観戦をしに行っていた。
ましてや初物のアンダースローだ。遠慮なくストライクを貰った。
さて、第二球……ここは、外角に外して様子を見よう。ただイルムは身長があるので、かなり外さないと腕が届いてしまう。
念のために、スライダーを投げて行こうか。もしかしたら、振ってくれるかもしれないし。
それを見越して、俺は投球モーションに入り、なげ……
あ。
ま た 抜 け た。
完全なる暴投だ!
外角というか、左バッターボックスの外側に、大きくボールが外れていく。
え? えええええ!?
レイが飛び上がっていた。驚くべき跳躍力で、外角に外れていくボールを素手でキャッチ。キッとレイの瞳が三塁方向へと向かった。
レイから魔力光が発せられる。そのまま投げた!? 鋭い球が三塁へ転送。暴投に反応していたランナーは、慌てて帰塁するが、タッチ。
「アウト!」
なんだそりゃ……
思わずため息も出る。
立ち上がったレイがタイムを要求し、怒り肩で俺に近づいてきた。
「カバーしろ、バカ!」
あああ、そうだ。この場面は、ホームへカバーしに走って行かなきゃいけないのだ。レイのスーパープレイに魅せられて、棒立ちしてしまった。
「す、すいません。助かりました」
思わず敬語も出てしまう。
「……あれ位、当然だ。我がゴブリン族ならばな」
あ、レイさんはゴブリン族だったのか。
いわゆる亜人の一種だ。
ゴブリン族は手先が器用であり、素早い敏捷性がある種族だ。パーシモンでは、なかなか見ない種族である。
「そんなことより、お前」
ぽん、と胸をキャッチャーミットで叩かれた。
「もっと腕を振ってこい。最初の一球だけで、全然腕が振れてないぞ」
「え? そうですか……」
「そうだ。打者に気おされて、縮こまっている……気持ちは分からんでもないがな」
ふう、とため息を吐き出すレイさん。
「お前が野球選手のテストを受けに来たのは、姫様から聞いた。ならば、勇気を持って腕を振れ。全力投球できない投手に、未来なんてないんだ」
それだけ言うと、再びレイさんはキャッチャーボックスへと向かっていく。
「プレイ!」
主審の手が再び上がる。
カウントはワンボールワンストライク、ツーアウトの場面。
勇気を持って、か。
俺は、再びセットポジション。意識する。何度も繰り返した投球モーション。左足を蹴りあげながら、腰を捻って、体を沈みこませる。左足を大きく踏み出して、手首を立てながら、投げる!
ブンッ スパーン!
「ッットライーク!」
フルスイングの空振り。まさに当たれば飛ぶという、凄まじい速度でバットが回転した。バットは、完全に球の下を通過した。
この感覚。
そうだ。これが、アンダースローのストレートだ。下から上に浮き上がっていく軌道、球速よりも打者には速く見える幻惑する投法。
ようやく、思い出した。これが、あの時できたストレートなのだ。
第四球目。
スパーン!
「ボール!」
内角高めに浮き上がってくるボールは、僅かに外れている。いや、外したのだ……誤審で取ってくれなかったか。
ここで、ストライクを取りに行っては駄目なのだ。
投手の経験からいうと、四球を怖がってストライクを取りに行くと、絶対に打たれる。いわゆる『置きにいったボールが打たれる』と言う奴だ。
とにかく、厳しい所を突くのだ。
「ボール!」
第五球目もボール。フルカウント……バッターもよく見ている。
ツーアウトなので、打たれたら走られる。またボールなら、四球で満塁。カウントがリセットして、一からストライクを取りに行くことになる。
ましてや、次は四番。ここできっちり抑えなければ、打ってくるのが四番という打順だ。
だけど、ストライクを取りに行ってはいけない。
イルムも、次は『ストライクを取りに来る』と思っているはず。
アンダースローのストレートは、下から上に浮き上がってくる。
ストライクと思ってバットを振れば、先ほどと同じくバットを振ってくれるはずだ。
前の打者で、シンカーを見せたことも、効いているはずだ。
まさか、四球続けてストレートは来ないと思っているはずだ。
はず、はず、はず。
まだ短い時間しか経っていないのに、額が汗で濡れている。手汗で滑らないように、ロージンバックを再び使うことになる。
怖がるな。
今、俺の一番いい球は、このストレートなのだ。本来、覚えたての変化球で打ち取れるような打者ではないのだ。前のバッタは、運で抑えられただけ――力で抑えなければ、この先、どうしようもない。
とにかく、目いっぱい、腕を振れば、絶対に空振り三振を取れる。
もはや祈りに近い信仰が、頭の中で占領している。
セットポジション。
第六球。
ランナーが自動的にスタート。打たれれば不合格確実。嫌な予感を、思い切り腕を振ることによって振り払った。
いっけえええええええええええ!
地を這うストレートが、浮き上がりながら内角高めめがけて飛んでいく。
ぶるん。
スパーン!
「ッットライーク! バッターアウト! チェンジ!」
悔しそうな表情で、バットをへし折るイルム。
空振り三振。へなへなとマウンドの上で、力なく膝を折った。いやいや……あんたらさっきまで滅茶苦茶打ってたんだからいいじゃん。
アンダースローがこの世界に存在しないことから、俺はこの投法を会得しようと思った。
だが、威力を発揮しているのもさることながら、一つの思いがこの時俺に去来していた。
それは、アンダースローって、面白い! ってことだ。
半人前の俺でも、超人のような打者を抑えることが出来たのだ。
これが、もっと変化球を磨けば、もっともっと、強くなれる。
――まあ、やっぱり、アンダースローにみんな慣れていないから、なのだろうけど。
でも、このアンダースロに、希望の光を見出すのは、十分な成果だった。
楽しい気分は、ベンチに帰ってからすぐに失せることになってしまったけども……




