その後
かつての華やかさが色褪せた雨漏りのする安い集合住宅の一室で、ジュリアとデイジーは肩を寄せ合いどん底の現実に取り残されていた。
夜会の夜、テオからの容赦ない最後通告と、社交界全体に知れ渡った醜態によって、彼女たちの繋がりは一瞬にして崩壊した。実家からは追い出されこれまでパトロン気取りで群がっていた男たちは、厄介払いするように蜘蛛の子を散らす。貢ぎ物を遊び歩いて使い果たしていた二人に、生活を立て直すだけの蓄えなど残されていなかった。
「ちょっと、デイジー!あなたが前夜祭のドレスに無理な特注なんてかけるから、こんな無駄な出費がかさんだんじゃないの!」
ヒステリックな声を上げながら、ジュリアは安物のソファの上で色褪せた雑誌を投げつけた。その身体には、かつて誇らしげに着飾っていた大粒の宝石も、高級なブランドドレスの影すらない。
「私のせいにするわけ!?あなただって、見栄を張ってあそこのクラブでシャンパンを何本も開けた挙句、男から貢がせることしか考えてなかったくせに!」
デイジーも負けじと声を荒げ、ボロボロになったフリルの裾を乱暴に引っ張る。お互いに責任を押し付け合い、罵り合うその声は、かつて夜会の中心で他人の不幸を嘲笑っていた誇り高い令嬢たちのそれではない。それは、すべてを失った者同士の泥仕合にすぎなかった。
窓の外では冷たい雨が打ちつけ、天井のしみからはポツリ、ポツリと雨漏りの水滴が落ちてくる。
自分たちの浅ましさと、他人の痛みを踏みにじってきた代償が、重い現実となって彼女たちを締め付けていた。華やかな舞台から転落した二人に、救いの手を差し出す者は誰もいなかった。
地方の薄汚れた酒場の片隅で、ネイサンは曇ったグラスを見つめながら、底知れぬ孤独と後悔に身を焦がしていた。
あの夜会での失態は、瞬く間に王都の隅々まで駆け巡った。かつて伊達男ともてはやされ、周囲の笑いの中心にいた自分の姿はもうどこにもない。社交界の仲間たちは見かけるなり蜘蛛の子を散らすように去っていき、取引先も次々と契約を打ち切った。
「くそっ……!」
酒に溺れ、赤茶けたカウンターに額を押し付けて呻く。
実家からも家名を泥水に沈めた者として厳しく断罪され、勘当同然の扱いでこのうらぶれた地方の片田舎へと放り出された。もはや都に戻る伝手も、かつての輝かしさを維持する金も残されていない。
ふと脳裏によぎるのは、かつて自分が捨てたナタリーの姿だった。
あの時、彼女を地味で退屈な女と切り捨て、嘲笑のままに手放した。だが今になってようやく気づく。自分の虚栄心を一身に受け止め、静かに寄り添ってくれていた彼女の気高さこそが、どれほどかけがえのないものだったのかを。
「……あの時、手放さなければ……」
うめき声とともにグラスの酒をあおるが、胸の穴が埋まることはない。
他者を踏みにじり、己の慢心に酔いしれていた男の結末は、誰にも見向きもされない暗い酒場で、取り返しのつかない過去の影に怯え続けるだけの、あまりにみじめな孤独だった。
伯爵邸の私室は、今日もどこまでも穏やかで、甘いハーブの香りに満ちていた。
窓辺の小さなテーブルには、焼き立てのクッキーが乗った皿と、湯気の立つ紅茶が置かれている。その傍らで、ナタリーは淡い色糸を縫い合わせた刺繍枠にそっと目を落としていた。ふと、椅子の背もたれから回ってきた温かな腕が、彼女の体を優しく包み込むように引き寄せる。
「ナタリー。あまり目を酷使しては体に障るよ」
耳元で囁くテオの声には、かつての影などない。あるのは、溶けてしまいそうほどに甘く、深い慈愛の響きだけだった。
あの夜会の一件以来、テオのナタリーに対する執着はさらに拍車がかかっていた。一歩たりとも離れたくないと言わばかりに常に側に控え、妻が少しでも笑顔を見せれば、この世のすべてを手に入れたような顔をする。そんな夫の過保護な愛情に包まれながら、ナタリーはくすりと小さく笑った。
「テオ様、私は大丈夫です。それに、これくらいで疲れたりはしませんわ」
そう言って振り返ろうとした瞬間、ナタリーはふと、こめかみを走る軽いめまいに眉をひそめた。その微小な変化を、テオは見逃さなかった。
「……どうした?顔色が悪いぞ」
表情が一瞬にして強ばり、テオの瞳に焦りの色が浮かぶ。すぐさま彼は専属医を呼び寄せ、ナタリーをソファへと丁寧に横たえさせた。
部屋に駆けつけた医師が緊張した面持ちで聴診器を当て、脈を測り、そしてしばらくの沈黙ののちに顔を上げた。医師の口元に浮かんだのは、安堵と、祝福に満ちた穏やかな笑みだった。
「――伯爵様、奥方様。おめでとうございます。新しい命が宿っていらっしゃいます」
その言葉が、静まり返った部屋に落ちた。
静寂。
テオの動きが、ぴたりと止まった。
「……今、なんて……?」
かすれた声で、テオが問い返す。医師が恭しく微笑みながら、お腹のお子様は大変健やかでいらっしゃいますと繰り返した、テオの中で、かつての絶望や孤独に満ちていた世界が音を立てて塗り替えられた。
「な、ナタリー……っ」
震える手が、ナタリーの小さく膨らみかけたお腹へとそっと添えられる。
テオの黄金色の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは悲しみでも苦しみでもなく、あまりの幸福に心が溢れ出した、人生で初めての歓喜の涙だった。
「私たちの……子供が……」
言葉を詰まらせ、テオはナタリーの胸に顔をうずめた。かつて他人の裏切りを恐れ、誰のことも愛せなくなっていた男が、今、愛する妻と、まだ見ぬ我が子の存在に全身を震わせながら、子供のように泣いている。
ナタリーは愛おしそうに、彼の背中にそっと手を回した。
「ええ、テオ様。私たちの未来が、ここにちゃんとあります」
窓の外では、春の温かな陽光が庭の花々をまばゆく照らし出していた。
悪意の夜は過ぎ去り、傷だらけだった二人の手はしっかりと結ばれている。愛に満ちた温かな奇跡を胸に抱きながら、彼らは眩しい光の中へと、本当の家族としての新しい未来を歩み出していった。




