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成果物5-4.スキル至上主義の世界へスキル無し貧弱ボディで放り込まれました。検証は好きなの で魔力操作を極めます

1話 異世界転移

俺の名前は版賀ばんが世狸せり

ゲームの検証動画を作るのが好きな、しがない40歳のサラリーマン男性だ 。

毎日仕事から帰っては、ひたすらゲームの隠し仕様や効率を検証する日々を送っていた。


ありがたいことに、配信している検証動画はそれなりに人気があった。

動画視聴者から、差し入れとしてエナジードリンクをもらうことも多かった 。

だが、検証作業に没頭するあまり、そのエナジードリンクを1日に30本も飲んでしまったのが運の尽きだった 。


異常な量のカフェイン摂取で自律神経が完全に乱れ、俺は心臓が止まり亡くなってしまった 。

あっけなく、そしてあまりにも間抜けな人生の幕引きだった。


「あーっはっはっは! エナジードリンクの飲み過ぎで死ぬなんて、本当に傑作ね!」

目を覚ますと、真っ白な空間で神々しい光を放つ女神様が、腹を抱えて大爆笑していた。

どうやらここは死後の世界らしい。


「あなたの死に様、本当に面白かったわ。その異常な検証魂に免じて、特別に私が面倒を見てあげる!」

女神様は俺の死因をすっかり面白がって、なんと異世界転移させてくれることになった 。

現世に未練はないし、未知の法則が支配する新しい世界での『検証』ができるなら、願ってもない話だ。


「ただし、そのままのおじさんじゃつまらないから、10歳にしてあげるわ」

そう言って女神様が指を鳴らすと、俺の体は光に包まれた。

こうして俺は、10歳という年齢で異世界へと転移することとなったのだ 。


◇ ◇ ◇ ◇ 


2話 忌み子


光が収まると、俺は見知らぬ街の路地裏に立っていた。

石造りの建物が立ち並ぶ、中世ヨーロッパのような風景。

情報収集の結果、ここは『シービアダ』という街らしい。


10歳の子供が一人で生きていくためには、まず金と身分が必要だ。

俺はまっすぐに、街の冒険者ギルドへと向かった。

だが、窓口の受付嬢からは「登録は15歳以上から」と冷たく断られてしまった。


俺が身寄りもない孤児だと伝えると、受付嬢は少しだけ同情してくれた。

孤児院が併設されている教会があるらしく、そこを紹介してもらう。

「仕方ない、まずは孤児として生きるか」


教会での生活は、掃除や水汲みといった雑用がメインだった。

手伝いの合間に、神父様たちからこの世界のいろはを学んでいく。

この世界は『スキル』が全てを決める、完全なスキル至上主義社会のようだ。


15歳になれば、誰もが教会でスキルを授かることができるらしい。

俺は将来の『検証』に向け、こっそりと魔力操作の練習を始めた。

いざスキルを貰った時、すぐに最高効率で動けるよう下地を作っておくのだ。


前世の癖で存在しないメガネを押し上げながら、地道な反復練習を続ける。

そうしてあっという間に5年の月日が流れ、俺は15歳になった。

孤児院の子供たちと一緒に、スキル授与の儀式に臨むことになったのだ。


祭壇の前でひざまずき、神父様が俺の頭に手をかざす。

しかし、待てど暮らせど、俺の体に光は灯らなかった。

ステータスを確認しても、スキルの欄は空欄のままだ。


「……スキル、なし。まさか、忌み子だったとは」

神父様が汚いものを見るような目で俺を睨みつけた。

(おい、女神様? 適当なスキル一つよこさないってどういう仕様だよ)


この世界において、スキルを持たない者は異常だった。

『前世で大罪を犯し、神から嫌われた者』であるという明確な証明らしい。

前世の俺は、エナドリを飲みすぎただけのただの社畜サラリーマンなのだが。


弁明する隙すら与えられず、俺は犯罪者として罵倒された。

そしてその日のうちに、俺は孤児院を追放されてしまったのである。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第3話 理不尽な仕様と街からの逃亡


孤児院を追い出された俺は、冒険者として登録するため再びギルドの門を叩いた。

スキルがなくても、日雇いの依頼でもこなせば当面の生活費は稼げるだろう。

だが、受付嬢の顔は5年前の同情的なものから、完全な嫌悪へと変わっていた。


「スキル無しの大罪人を登録するわけにはいきません」

聞けば、このギルドは現世で強盗や殺人を犯した前科者でも登録できるらしい。

だというのに、前世の罪(仮)を背負う俺は問答無用で登録拒否だというのだ。


「現世の犯罪者ですら冒険者として登録できるのかよ。酷い仕様だな」

やれやれとため息をつきながら、俺はギルドを後にした。

バグめいた理不尽なヘイト管理だが、この世界を作った神に愚痴を言っても始まらない。


「仕方ない、街で住み込みの仕事でも探すか」

そう思考を切り替えて商業区を歩き回ったが、結果は火を見るより明らかだった。

俺がスキル無しの忌み子であるという噂は、すでに街中に広まっていたのだ。


「この大罪人め! 街から出ていけ!」

食堂や宿屋の店主から塩を撒かれるだけでなく、道行く住人からも罵声が飛ぶ。

しまいには、面白半分で石や瓦礫を次々と投げつけられる始末だった。


俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、飛んでくる石を最低限の動きで避ける。

このまま街に留まれば、いずれ致命傷を負うか、最悪殺される可能性が高い。

完全なクソゲーだが、ここでゲームオーバーになるわけにはいかないのだ。


俺は身の安全を確保するため、シービアダの街の北にある森へと駆け出した。

魔物が出る危険な森だが、理不尽に石を投げてくる人間たちよりはよっぽどマシだ。

図らずも、俺の『完全なソロプレイ環境』がこうして整ったのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第4話 過酷な縛りプレイとサバイバル生活の幕開け


森の奥深く、人が立ち入らない安全そうな場所を見つけた俺は、ようやく一息ついた。

よし、ここなら誰の邪魔も入らない完全なソロプレイ環境だ。

さっそく、長年やりたかった魔法の『検証』を始めようとしたところで、一つの事実を思い出す。


孤児院の座学で習った、この世界の残酷な基本仕様。

スキルを持たない人間は、最大魔力も体の頑強さも、成長率が通常の50分の1しかないのだ。

限界値がないのが唯一の救いだが、人並みになるだけでも途方もない時間と労力がかかる。


「スキル無しに加えて成長率も最悪か。本当にクソゲーだな」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、小さく嘆息した。

だが、嘆いていても腹は減る。今は検証よりも、生活環境を整えることが先決だと頭を切り替える。


幸い、前世ではリアル志向のサバイバルゲームを嫌というほどやり込んでいた。

ゲームで得た知識のおかげで、拠点作りの手順はある程度理解できている。

「まずは水、食料、そして寝床の用意。あとは……」


この世界ならではの危険、つまり魔獣への対策も必要不可欠だ。

戦闘力皆無の貧弱ボディではまともに戦えないため、自衛用の罠でも作るしかない。

石や木の枝を集めながら、俺はふと孤児院での5年間を思い出した。


あの教会の孤児院はひどく貧乏で、掃除道具から日用品まで自作させられるのが日常だった。

理不尽な労働だと思っていたが、図らずもその時の経験が今のサバイバル生活で役に立っている。

俺はそんな数奇な巡り合わせに、思わず苦笑いするのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第5話 検証者のサバイバルキットと安住の寝床


森の空気は冷たく、それでいてどこか清々しい。

街から投げつけられた罵声も、背中に当たった石の痛みも、この静寂の中では遠い過去の出来事のように思える。

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げると、手元の『検証結果』を眺めた。


「ふむ、切れ味は及第点といったところか」

俺の手にあるのは、その辺に落ちていた硬い石を割り、さらに別の石とこすり合わせて研磨した『石の包丁』だ。

現代社会ならただの石ころだが、この状況では命を繋ぐための最重要デバイスである。


どの程度の角度で叩けば鋭い破片が出るか、どの程度の時間研磨すれば肉が切れるようになるか。

石を叩き割る作業一つをとっても、俺にとっては立派な検証の対象だ。

試作1号から15号まで、その過程で得られたデータは俺の脳内に確かに蓄積されている。


次に、この石の包丁をさらに応用する。

真っ直ぐで丈夫な竹を選び出し、その先端に包丁をあてがう。

強靭な草を器用に編んで作った紐で、ガチガチに固定すれば『石の槍』の完成だ。


「リーチがあるのはいい。これなら貧弱ボディでも、多少の自衛は可能だな」

さらに、余った草を編み込んで、収穫物を入れるための『カゴ』も作った。

竹の節を利用した『水筒』も忘れない。

孤児院時代、道具一つ買う金もない生活の中で嫌というほど叩き込まれた「自作」の技術。


当時は地獄のような下働きだと思っていたが、今の俺にとってはこれ以上ない初期スキルだ。

女神様から貰ったわけではない、俺自身がこの世界で5年間かけて『デバッグ』してきた生きるための力。

「さて、次はリソースの確保だな。水は……あっちだ」


俺はこの森の地理を、おおまかに理解している。

孤児院での過酷な薪拾いや山菜採りで、何度もこの境界線を往復させられていたからだ。

浅い場所でウロウロしていれば、また別の孤児たちと遭遇して面倒なことになるだろう。


俺は迷わず、さらに森の奥へと足を進めた。

一般の冒険者が「危険」と判断して引き返すライン、そこが俺にとっての「完全なソロプレイ環境」の入り口だ。

魔獣の気配は強くなるが、理不尽な人間関係に消耗するよりは、計算可能なリスクの方がずっと付き合いやすい。


「よし、今夜の拠点はここにするか」

俺が選んだのは、地上から数メートルほどの高さにある、大きく平たい枝を持つ大樹の上だ。

地面で寝るのは、この世界では自殺行為に等しい。

魔物だけでなく、毒虫や湿気からも身を守らなければならないからだ。


「まずはこの木の上が俺のセーブポイントだな」

今のままでは狭いが、いずれ竹を運び込んで、床を拡張すれば立派なツリーハウスになるだろう。

竹を並べ、草の紐で固定し、安定性を検証する……。

その工程を想像するだけで、俺の胸は静かな熱を帯びた。


カゴに入れてきた少量の野草をかじり、竹の水筒から水を飲む。

寝心地は決して良くはないが、誰にも干渉されないという贅沢が、最高のスパイスだった。

俺は木の幹にもたれかかり、闇に包まれ始めた森を見下ろす。


「スキルがなくても、仕様を理解して工夫すれば詰むことはない。……検証は、これからが本番だ」

ステータスの成長率は50分の1。

だが、工夫の余地は無限大だ。

俺はゆっくりと目を閉じ、明日の検証プランを練りながら、異世界で初めての安らかな眠りについた。


◇ ◇ ◇ ◇ 

第6話 拠点の拡張と「味気ない」初戦


森に逃げ込んでから、早いもので一か月が経過した。

俺の『ソロプレイ環境』は、この短期間で驚くべき進化を遂げていた。

かつてはただの大きな木だった場所は、今や立派な「要塞」へと姿を変えている。


まず着手したのは、拠点の防衛ラインの構築だ。

俺は自作した『石のスコップ』を手に、大樹の周囲にぐるりと堀を巡らせた。

スコップといっても、鋭利な石を木に固定しただけの粗末なものだ。


だが、どの石が一番掘削に適しているか、どの角度で土を削れば刃が欠けにくいか。

俺は十数種類の石を試し、研磨の時間を秒単位で調整して、この『石のスコップ・マーク14』に辿り着いた。

成長率50分の1の貧弱な体で土を掘るのは重労働だったが、それも「効率的な全身運動の検証」だと思えば苦ではなかった。


堀の随所には、計算し尽くされた配置で『落とし穴』を設置してある。

ただ穴を掘るのではない。

獲物の動線を観察し、逃げ場を限定した上で、踏み抜いた瞬間に確実に致命傷を与える角度で竹槍を仕込んでいる。


「物理法則は、この世界でも裏切らないからな」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、自分の仕事ぶりに小さく頷いた。


大樹の上にある寝床も、今や『屋根付きのツリーハウス』へと拡張されている。

竹を割り、組み合わせて床板にし、さらに粘土と枯れ草を混ぜて補強した壁を作った。

雨風を凌げるだけで、生存確率は跳ね上がる。

物置には乾燥させた果実や、自作の道具が整然と並べられていた。


そして、拠点の一角には『かまど』も完成している。

これも石と粘土を組み合わせ、熱効率を最大化する形状を追求した逸品だ。

今、そのかまどの上では、今日の収穫である『キラーボア』の肉がじりじりと焼けていた。


キラーボアは、この森の浅い層に生息する猛獣だ。

突進力だけなら冒険者でも手を焼く相手だが、俺の作った落とし穴の前ではただの肉の塊に過ぎない。

「……よし、焼けたか」


俺は木の枝を削って作った箸で、焼き上がった肉を口に運んだ。

キラーボアの肉は引き締まっていて、噛めば噛むほど濃厚な脂の旨味が溢れ出す。

本来なら、絶品と称賛すべき野生の恵みなのだが。


「……味が薄いな。というか、味がない」

俺は思わず愚痴をこぼした。

前世の俺は、仕事帰りにコンビニのジャンクフードを買い込み、濃い味のソースやスパイスをドバドバかけて食べるのが至福の時だった。


あの、舌を刺すような塩分と、脳を揺さぶる化学調味料の刺激。

それに比べれば、この天然の肉の味はあまりにも淡白すぎる。

「塩が欲しい……。せめて醤油か、マヨネーズがあれば……」


だが、この森にコンビニはない。

この物足りなさも、縛りプレイの醍醐味だと割り切るしかないだろう。

俺は味気ない肉を機械的に咀嚼し、空腹を満たした。


食後、俺はツリーハウスの縁に腰掛け、夜の森を眺める。

生活基盤はようやく整った。

水、食料、住居、そして防衛。

これらが安定した今、次に向かうべきは『力の検証』だ。


「そろそろ、魔力操作の修行を開始するか」

俺は自分の手のひらを見つめ、意識を集中させる。

この世界の住人は、15歳で授かるスキルに依存して魔法や技を使う。

だが、スキルはあくまで「自動化されたマクロ」のようなものに過ぎないのではないか、というのが俺の仮説だ。


孤児院で聞いた話では、微妙なスキルしか持たない低ランクの冒険者でも、地道な魔力操作の訓練次第で、それなりに戦闘できるようになるという。

ならば、スキルが一切ない俺であっても、操作技術を極限まで高めれば、スキル持ちと同等、あるいはそれ以上の戦闘ができるはずだ。


最大魔力も頑強さも、成長率は通常の50分の1。

それはつまり、通常の人間が1回練習して身につける感覚を、俺は50回繰り返さなければならないことを意味する。

通常の50分の1というのは、過去に誰か「検証」したのだろう。


【鑑定】スキルに準ずるものがあるのだろうか。

まあ俺は、俺のやり方で検証するしかない。

「まずは、魔力の『視覚化』から始めるか」これは出来るようになると聞いている技術だ。


目に魔力を流してみるといいらしい。

俺は目を閉じ、体内の奥底に眠る、微かな熱源のようなものを探し始めた。

1秒、1分、1時間……。


暗闇の中で、俺は自分という存在の内部にある魔力を探るように、神経を研ぎ澄ませていく。

これが、後に「魔力操作の極致」と呼ばれることになる、長い検証の旅の第一歩だった。

俺は心の中で女神に毒づいた。


「見てろよ女神様。あんたが面白がって放り込んだこの最弱キャラで、この世界の仕様を全部暴いてやるからな」



◇ ◇ ◇ ◇ 


7話 仮説と検証、そして『魔力まとい』の片鱗


「まずは、魔力の『視覚化』から始めるか」

俺はツリーハウスの縁に座り、静かに目を閉じた。

体内の奥底にある微かな熱源、すなわち魔力を探り当て、それをゆっくりと両目へと引き上げていく。


孤児院にいた5年間、俺は誰にも見向きもされないことをいいことに、ひたすら魔力操作の基礎練を繰り返していた。

最大魔力も成長率も50分の1というハンデを背負っている以上、他人と同じことをしていては一生最弱のままだからだ。

起きている間はずっと魔力を体内で回し続けるという、常人の何十倍もの反復練習。


その血の滲むような地道な下地があったおかげで、目に魔力を流す作業自体は思いのほかあっさりと成功した。

ゆっくりと目を開けると、世界は先ほどまでとは全く違う顔を見せていた。

大気中を漂う青白い靄のようなもの、それがこの世界の『魔力』の可視化された姿だった。


「なるほど、UIユーザーインターフェースが拡張された気分だな。悪くない」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、周囲の景色を観察した。

視覚化に成功した今、次に検証すべきは「魔力による身体能力の向上」だ。


孤児院時代、冒険者たちが魔力操作によって戦闘技術を上げているという噂は何度か耳にしていた。

しかし、その情報はひどくまちまちで、信憑性に欠けるものばかりだった。

「体が硬くなる」「剣が鋭くなる」「体が速くなる」といったポジティブなバフ効果。


一方で、「吐き気が出る」「イライラする」といった謎のデバフ効果まで混ざっていた。

前世のゲーマーとしての経験から言わせてもらえば、おそらく全部が正しい情報ではない。

バフ効果は正しい魔力操作の結果であり、デバフ効果は魔力酔いや操作ミスによる状態異常だろう。


「魔力を目に巡らせて視覚化できたなら、腕に巡らせれば筋力が上がるんじゃないか?」

俺はさっそく、右腕の筋肉の繊維一本一本に染み込ませるようなイメージで魔力を循環させてみた。

そして、その辺にあった手頃な石を全力で持ち上げてみる。


「……うん、全く変わらないな」

上がった感じは一切しない。そのまま石のナイフを研ぐ作業をしてみたが、効率もいつも通りだった。

体内で魔力を回すだけでは、物理的な出力(筋力)に直接的なバフはかからないらしい。

あるいは、俺のステータス成長率が50分の1であるがゆえに、向上の幅がミジンコすぎて実感できないだけか。


「なら、体外に魔力をまとわせるとどうなる?」

体内がダメなら体外だ。俺は右腕の表面から数ミリ外側に、魔力の薄い膜を張るようなイメージで放出してみた。

すると、明確な変化が訪れた。


「……重い」

気持ちほんの少しだが、右腕が重くなったのだ。

そのまま作業を続けてみたが、常に見えない重りをつけているような感覚があり、目に見えて作業スピードが落ちてしまった。


「デバフがかかっただけじゃないか。いや、待てよ……?」

俺は作業の手を止め、魔力をまとった自分の右腕をじっと見つめた。

重みが増したということは、そこに質量や密度のような『物理的な干渉力』が生まれているということではないか。


「もしかして、頑丈になっているのかな?」

これを確かめるには、物理的な衝撃を与えてみるのが一番手っ取り早い。

とはいえ、痛いのは嫌なので自分の腕で試すような馬鹿な真似はしない。


俺は手頃な太さの竹を拾ってくると、その右半分にだけ、先ほどと同じように魔力の膜をまとわせた。

そして、自作の石の包丁を振りかぶり、まずは魔力をまとわせていない左半分に思い切り叩きつける。

ザクッという鈍い音とともに、石の刃は竹の表面を難なく削り取った。


「次は、魔力をまとわせた右半分だ」

同じ力、同じ角度で、魔力の膜が張られた部分へと石の包丁を叩きつける。

次の瞬間、ガキッ!という硬質な音が森に響いた。


「おおっ……!?」

石の包丁は竹の表面で弾かれ、刃先が少しだけ欠けていた。

竹の方には、傷一つついていない。


「頑丈になっている! 物理法則を無視した完全なアーマー化だ!」

俺は思わず立ち上がり、ガッツポーズをした。

ただの竹切れが、鉄のように硬くなったのだ。


俺はこの時、知る由もなかった。

これがこの世界の冒険者たちが当たり前のように使っている『魔力まとい』という基本技術であり、俺がその習得のスタート地点に立ったという事実を。

名前も詳細も知らないブラックボックスの仕様を、俺は自らの仮説と検証のみでこじ開けたのだ。


「面白い。……この『まとい』の効率と強度、極限まで検証してやろうじゃないか」

俺のゲーマーとしての、いや、生粋の『検証者』としての血が完全に沸き立った。

寝食の確保という最低限のタスク以外、すべてのリソースをこの検証に全ツッパする。


誰にも邪魔されない、俺だけの完全なソロプレイ環境。

失敗しても誰にも笑われないし、成功しても誰にも干渉されない。

――それから、狂気じみた検証の日々が始まり、あっという間に1年という歳月が経過した。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第8話 常識という名の壁と、新たな検証の火種


森での生活も、気づけば1年が過ぎていた。

俺は16歳になり、体つきも少しずつ大人に近づいている。

だが、この1年で俺が最も成長させたのは、体ではなく『魔力操作』の精度だった。


「ふぅ……。ようやく、ロスをコンマ数パーセント以下に抑えられたか」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、自分の右腕を覆う魔力の膜を眺めた。

1年前、竹を硬くしたあの技術を、俺は『魔力まとい』と名付け、徹底的に検証してきた。


体外に放出した魔力を、いかに薄く、いかに高密度に、そしていかに長時間維持するか。

血を吐くような試行錯誤の末、俺は今、呼吸をするように全身を硬質な魔力で覆うことができる。

これなら、森のそこら辺にいる魔獣の牙など、蚊に刺された程度にも感じないだろう。


俺はこの技術こそが、スキルを持たない俺が掴み取った『独自の最強戦術』だと確信していた。

「よし、今日は少し遠出して、保存の利く食材でも探しに行くか」

完璧に制御された『魔力まとい』を維持したまま、俺は拠点の外へと足を進めた。


しばらく歩いていると、遠くから金属がぶつかり合う音と、荒々しい怒号が聞こえてきた。

どうやら、冒険者たちが魔獣と戦闘しているらしい。

目立ちたくはないが、現地の『プロ』の戦いぶりを確認しておくのも立派な検証だ。


俺は気配を殺し、木々の隙間から戦いの様子を盗み見た。

そこには、3人組のモブ冒険者が巨大な熊のような魔獣と対峙していた。

「おい、いくぞ! 強化を忘れるな!」


リーダー格の男が叫ぶと同時に、彼らの武器や腕が、青白い光を帯びた。

それは、俺が1年かけて、数千、数万回の実験を経て辿り着いた『魔力まとい』そのものだった。

彼らは特に集中する様子もなく、歩きながら、あるいは喋りながら、当然のようにそれを使っていた。


「……え?」

俺の思考が一時停止する。

俺が編み出した、極限の効率を誇るはずの技術。

それが、そこら辺の冒険者たちの間で、まるで靴を履くかのような『常識』として扱われていたのだ。


「そんな……。僕の1年間の、血の滲むような検証は……ただの常識だったのか?」

愕然とした。

目の前が真っ暗になるような衝撃だった。

50分の1という成長率に抗うため、死に物狂いで積み上げてきた日々。


それが、この世界の住人にとっては、わざわざ検証するまでもない基礎中の基礎だったのだ。

冒険者たちは、俺の宝物のような技術を使って、あっさりと魔獣を解体し、笑いながら去っていった。

一人残された俺は、森の静寂の中で立ち尽くすしかなかった。


だが、数分後。

俺の脳内で、ゲーマーとしての冷徹な回路が再び動き始めた。

「……いや、待て。落ち込んでいる暇はないぞ」


俺は深呼吸をし、再び存在しないメガネを押し上げる。

「このままではダメだ。彼らと同じことをやっても、彼らと同等にすらなれない」

俺にはスキルがない。最大魔力の成長も、体の頑強さの成長も、彼らの50分の1だ。


彼らと同じ『常識』の範疇に留まっている限り、俺は永遠に最弱のままだ。

「仕様が同じなら、運用を変えるしかない。……検証のやり直しだ」

俺の胸の奥で、先ほどまでの絶望が、冷たく、そして鋭い検証の炎へと変わっていく。


魔力をただまとうだけでは足りない。

もっと薄く、もっと硬く、あるいは……全く別の形へ。

「彼らには見えていない『魔力の仕様』が、必ずどこかにあるはずだ」


俺は食料調達を切り上げ、足早に拠点へと引き返した。

失意など、新しい仮説を立てればすぐに上書きできる。

「俺が知りたいと思ったら、既に検証は始まっているんだ」


森の奥に消えていく俺の背中には、以前よりも深い、狂気にも似た情熱が宿っていた。

新たな魔力操作の検証。

それは、世界の常識を置き去りにする、孤独な探究の始まりだった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第9話 魔力操作の極致と旅立ちの決意


あの絶望から、さらに5年の月日が流れた。

俺は21歳になり、体つきもしっかりとした大人の男へと成長した。

だが、この森での孤独な生活が、俺をただのサバイバーで終わらせることはなかった。


「ふむ……。出力、安定。固定強度、問題なし」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、何もない空中を一歩踏み出した。

そこには透明な足場が存在し、俺の体重を事も無げに支えている。


これは俺が編み出した技術の一つ、『魔力固定』だ。

空間に魔力を高密度で定着させ、壁や床のように扱うことができる。

空中に階段を作って移動したり、不可視の盾として攻撃を防ぐことも可能だ。


俺にとっては、高い場所にある果実を採るための便利な踏み台に過ぎない。

さらに俺は、魔力を極限まで細分化した粒子として飛ばす『魔力粉』も習得した。

これを物や生き物に付着させれば、遠くからでも、また壁越しでも見つけられるようになる。


いわば、魔力によるマーキング技術だ。

周囲の探索で役に立つのが『魔力波』だ。

魔力に「波」の性質を持たせて飛ばし、反射した波を調べることでレーダー的な役割を果たす。


他にも、『魔力固定』を応用して六面体を構築する『魔力の箱』。

これは獲物の捕獲や、雨を凌ぐための即席シェルターとして重宝している。

さらに、『魔力まとい』を施した物体を遠隔で操作する『魔力念力』も完成させた。


これを使えば、座ったままで薪を拾い、焚き火にくべることができる。

そしてその『魔力念力』の応用で、物体の分子構造に振動を与えて熱を生む『魔力温度変化』。

これのおかげで、火打石すら使わずに食材の加熱や温度調整が可能になったのだ。


(セリが行き着いたのは、見様見真似では決して辿り着けない「魔力操作の極致」だった。

しかし、比較対象のない孤独な検証生活を送るセリは、その事実に全く気づいていない)


「……まあ、不便を解消しようと思えば、これくらいは当然の帰結か」

俺にとって、これらはあくまで「不自由なサバイバルを快適にするためのライフハック」に過ぎない。

50分の1という成長率の壁を、俺は「運用の工夫」という物量で強引に突破してしまったのだ。


だが、そんな俺にも、どうしても解決できない深刻な問題があった。

「もう21歳になるのか。……そろそろ、岩塩以外の調味料が恋しくなってきたな」

俺は焚き火で焼いたキラーボアの肉を見つめ、深いため息をついた。


この6年間、俺の口にした味付けといえば、偶然見つけた岩塩を砕いたものだけだ。

前世であれほど愛した、あの暴力的なまでのジャンクフードの味が忘れられない。

醤油、味噌、マヨネーズ。そして脳を痺れさせる化学調味料の刺激。


転移してから一度も口にしていないそれらへの渇望が、今や限界に達していた。

検証作業は確かに楽しい。だが、このままこの森で一生「味の薄い肉」を食べ続けるのか?

その問いに対する答えは、既に決まっていた。


「シービアダの街から離れて、新しい街を探そう。

シービアダの街以外なら、俺がスキル無しだと知らないはずだし」

シービアダの街に行けば、俺は「スキル無しの大罪人」として再び石を投げられるだろう。


だが、この森から遠く離れた別の街であれば、誰も俺の過去など知り得ないはずだ。

スキル鑑定の儀式さえ受けなければ、俺はただの「少し腕の立つ流れ者」として通る。

「よし、決めた。引越しだ」


俺は6年間お世話になった、思い出深いツリーハウスを見上げた。

石のナイフ一つで始まった俺の異世界生活も、今や最強の魔力操作という武器を手にしている。

俺は長く世話になったシービアダ北の森を出るのであった。


目的は、失われた「味」を取り戻すこと。

そして、この極致に至った魔力操作が、外の世界でどこまで通用するのかを確かめることだ。

「まずは、まともなソースが売っている街を探すとしようか」


俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、ニヤリと笑った。

スキル至上主義の世界を、スキル無しの検証者が踏みにじる。

その旅路の第一歩が、今ここに刻まれた。

◇ ◇ ◇ ◇ 


第10話 フコーヘイの街と、6年ぶりの文明


シービアダの北の森を出てから、実に30日。

俺はひたすら南へと歩き続け、ついに新しい街へと辿り着いた。

巨大な城壁に囲まれたその街は、フコーヘイ伯爵領の城下町『フコーヘイの街』というらしい。


道中の1ヶ月は、検証の成果を実戦で試すには十分すぎる期間だった。

森や街道を抜ける途中、不運にも命を落とした冒険者の死体を20ほど見つけた。

身元を証明する冒険者カードと路銀だけをありがたく回収させてもらい、遺体は丁重に埋葬しておいた。


ついでに、道中に出くわしたゴブリンの集落も2つほど潰しておいた。

『魔力波』で索敵し、『魔力粉』でマーキングしてからの遠隔処理だ。

おかげで、集落に溜め込まれていた金目の宝も大量に回収することができた。


「これだけ資金があれば、当分は食うに困らないな」

俺はフコーヘイの街の門で関税を支払い、堂々と中へと足を踏み入れた。

門番の簡単な手荷物チェックはあったが、怪しまれることなくあっさりと通過できた。


ここはシービアダから遠く離れた別の街。

俺が「スキル無しの大罪人」であることを知る者は、この街には誰もいない。

「もしスキルのことを聞かれても、秘密と答えるようにしよう」


冒険者の中には、手の内を隠すためにスキルを明かさない者も多いと聞く。

それで通せるなら、無用なトラブルは避けられるはずだ。

6年ぶりに嗅ぐ、人が密集する街の匂いと活気に、俺の足取りは自然と軽くなっていた。


石畳の敷かれた大通りには、多くの露店が並び、人々の活気ある声が飛び交っている。

「さて、まずは宿を探すか。……できれば、飯の美味いところがいい」

屋台から漂ってくる肉を焼く香ばしい匂いに、俺の胃袋が限界を訴え始める。


愛しのジャンクフード、あるいはそれに類する「濃い味付け」を求めて。

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、伸び伸びと街の探索を開始した。

スキル至上主義の世界で、スキル無しの検証者が歩む第二の人生が、今ここに始まったのだ。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第11話 再会のジャンクフードと料理人の悩み


街を歩いていると、立派な構えの冒険者ギルドが目に飛び込んできた。

俺は迷わず中に入り、受付のカウンターへと向かう。

道中で回収した、亡くなった冒険者たちのカードをドサリと置いた。


「これ、拾ったものだ。適当に処理してくれ。じゃあこれで失礼」

「えっ!? これだけの数を……。あ、お待ちください! あなたのお名前は!?」

呼び止める声を無視して、俺はさっさとギルドを後にした。


どうせスキルなしの俺は、正規の登録なんてできやしない。

名声を上げたところで、教会の耳に入れば面倒が増えるだけだ。

今は名誉よりも、俺の胃袋を満たす『味』の方が重要だった。


「お、ここはおいしそうな香りがするな」

路地裏で見つけたのは、比較的お手頃な価格の宿屋だった。

フコーヘイの街一番の料理人(自称)だという、ドベンが経営する店だ。

俺は迷わずここに泊まることに決めた。


夕食に出されたのは、焼きたての柔らかいパン。

そしてハーブをたっぷり効かせて焼いた鳥の魔獣肉だ。

さらに山盛りのポテトフライと、冷えた果汁水まで付いている。


「……最高かよ」

前世のジャンクフードを彷彿とさせる、油と塩気が脳を刺激する。

6年ぶりの濃い味に、俺は夢中で食らいついた。

サバイバル生活では決して味わえなかった、文明の暴力的な旨さだ。


だが、店主のドベンはカウンターの奥で苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「すまねぇな、客。満足してくれたようだが、明日からもこの肉だ。

ボア系の肉が、よそに全部買い占められちまってな……くそっ」


ドベンの嘆きによれば、何者かが街中のボア肉を不自然な高値で買い占めているらしい。

このままでは店自慢のボア料理が出せなくなると、彼は悔しそうに拳を握った。

「あんた、料理の腕は確かだ。……よし、俺が肉を採ってきてやるよ」


俺の言葉に、ドベンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

検証を重ねた俺の魔力操作があれば、ボアの狩猟など造作もないことだ。

愛しの『ジャンクに近いフード』を守るため、俺は再び狩りに出ることを決めた。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第12話 Bランク魔獣と職人技の解体


宿を出た俺は、街の武具屋に立ち寄った。

そこで採取用の鉄のナイフを1本と、とりあえずのなまくらの剣を1本購入した。

今の俺には、魔力さえ通せばどんなナマクラでも名刀になるからだ。


翌日、俺はドベンとの約束を果たすため、ボアの生息地である森へと向かった。

しばらく進むと、何やら前方で怒号と金属音が聞こえてきた。

駆けつけると、他の冒険者パーティが巨大なボアと死闘を繰り広げていた。


ただのボアではない。通常の数倍はあろうかという巨体を持つ『キングボア』だ。

冒険者の一人が俺の姿に気づき、血相を変えて叫んだ。

「あ、あんた、逃げろ! ここは俺たちが食い止める!」


「こいつを倒したら、肉を分けてもらってもいいか?」

俺が呑気に尋ねると、冒険者は悲鳴のような声を上げた。

「何を言っている!? 相手はBランクの魔獣だぞ!?」


彼らの制止を背に受けながら、俺は突進してくるキングボアを見据える。

俺はすかさず、キングボアの足元に『魔力固定』で透明な段差を作り出した。

「ブギュォォ!?」勢いよく足を引っ掛けた巨体が、無防備に宙を舞う。


その隙を逃さず、俺は『魔力まとい』で極限まで切れ味を鋭くしたなまくら剣を構える。

落下してくるキングボアの急所へ向け、迷いなく心臓を一突きにした。

Bランク魔獣の巨体が、ズシンと重い音を立てて絶命し、地面に崩れ落ちる。


「よし、鮮度が命だからな」

俺は即座に鉄のナイフに持ち替え、手際よく頸動脈を切り裂いて血抜きを始める。

「さあ解剖、解剖」と呟きながら、俺はさらに『魔力温度変化』を発動させた。


地面の温度を急激に下げ、天然の冷蔵庫を作り出して肉が傷むのを防ぐ。

血抜きから解体、そして冷却まで、一切の無駄がない流れるような作業。

そのあまりにもスムーズな職人技を見て、冒険者たちはポカーンと口を開けていた。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第13話 適当な嘘と『漆黒の影』


ポカーンと口を開けていた冒険者たちは、やがて我に返った。

彼らは解体作業を進める俺を信じられないものを見るような目で見つめ、

そして一斉に深く頭を下げてきた。


「す、すげぇ! あんなの見たことねぇぞ!」

「頼む、あんたのその腕を見込んでのお願いだ!

ぜひ俺たちのパーティのリーダーになってくれ!」


Bランク魔獣を瞬殺した手際を見れば、そう言いたくなる気持ちもわかる。

だが、そもそも俺は冒険者ギルドに所属すらしていない身だ。

スキル無しの大罪人だから登録できない、なんて馬鹿正直に言うわけにもいかない。


俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、わざとらしくため息をついた。

面倒くさいことになりそうなので、ここは適当な嘘で煙に巻くしかない。

「……悪いが、その誘いには乗れねぇな」


「俺は闇ギルド『漆黒のブラック』の構成員だ。

表の連中とつるむ気はねぇよ」

俺は凄みのある低い声で、その場で思いついたでたらめを言い放った。


「や、闇ギルド!?」「『漆黒の影』だって……!?」

冒険者たちはその物騒な響きに顔を青ざめさせ、恐れおののいて後ずさる。

もちろんそんな中二病全開の組織が存在するのかどうか、俺は全く知らない。


俺は怯える彼らを放置して、解体した極上のボア肉を自作の『魔力の箱』に収納した。

「じゃあな。命拾いしてよかったな、表の冒険者さんたち」

俺は適当にはぐらかし、意気揚々とドベンの待つ宿へと帰還するのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 

第14話 究極のジャンクフードと至福の時


宿に戻った俺は、厨房にいるドベンに声をかけた。

「約束通り、ボアの肉を獲ってきたぞ」

俺が『魔力の箱』から極上のキングボア肉を取り出すと、ドベンは目玉が飛び出そうなほど驚いた。


「こ、こりゃあ普通のボアじゃねえ! しかもなんて鮮度だ!」

肉の断面には美しい霜降りが入り、魔力冷却のおかげで傷みは一切ない。

ドベンは料理人の魂に火がついたのか、顔を紅潮させて俺に詰め寄った。


「あんた、ただ者じゃねえな! この極上肉、俺が最高の料理にしてやる!」

「本当か? じゃあ、俺の希望通りの料理を作ってくれ」

俺は前世からずっと渇望していた、あの究極のジャンクフードのレシピを口にした。


「油ギトギトで味付けの濃い料理だ。肉をミンチにして固めた焼き物と野菜を、パンで挟んだやつが食べたい」

「……お、おう。極上の肉をミンチにするのはもったいねぇ気もするが……まあ、作るがな」

ドベンは少し戸惑っていたが、すぐに腕まくりをして厨房の奥へと消えていった。


しばらくして、店内に肉が焼ける暴力的な匂いが漂い始めた。

そして俺の目の前に、夢にまで見た至高のプレートが運ばれてきた。

「待たせたな。あんたの注文通り、味の濃いギトギトの特別メニューだ」


そこにあったのは、肉汁が滴る分厚いハンバーガー。

山盛りのポテトフライと、ボア肉の脂がぎっとりと浮いたミネストローネだ。

俺は震える手でハンバーガーを掴み、大きく口を開けてかぶりついた。


「……ッ!!」

ガツンと脳を殴られるような、強烈な肉の旨味と塩気。

パンの甘み、野菜のシャキシャキ感、そして滴り落ちる濃厚な脂。


「……最高かよ」

6年間の味気ないサバイバル生活が、この一口で全て報われた気がした。

前世で愛したジャンクフードの記憶が、異世界の極上素材で完全にアップデートされた瞬間だ。


俺は無我夢中でポテトを頬張り、ミネストローネで脂を流し込む。

スキル無しの最弱ボディで放り込まれた、このクソゲーみたいな異世界。

だが、今の俺は、誰よりも至福のひと時を過ごしているのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第15話 閑話:至高の紅と正体不明の影


フコーヘイの街の裏社会を牛耳る闇ギルド、『至高の紅』。

そのギルド長であるセーラは、今日獲れたてのキングボアの極上ステーキを、ギルドの酒場で優雅に頬張っていた。


「美味しいわね。これ、一体誰が討伐したの?」

セーラが肉を堪能しながら尋ねると、部下が神妙な面持ちで口を開いた。

「実は、表の冒険者からの情報によりますと……」


「闇ギルド『漆黒のブラック』の構成員を名乗る男だとか」

その報告を聞き、セーラはナイフとフォークを動かす手をピタリと止めた。

「『漆黒の影』? ……初耳ねぇ。この街に私たちが知らない同業者がいるなんて」


セーラは面白そうに目を細め、部下に指示を出した。

「とりあえず、その構成員とアジトの場所だけ調べておいて」

「はっ! すぐさま手配いたします!」


しかし、セーラの期待に反して、調査は完全に難航した。

翌日になっても、さらにその次の日になっても、部下たちが持ち帰る情報は一つだけ。

『キングボアを瞬殺した男』という、最初の1点のみだった。


当然である。その男は森からやってきたばかりの、ただの『検証好きのおっさん』なのだから。

アジトも組織も存在しない架空の闇ギルドなど、いくら探しても見つかるはずがない。

しかし、裏社会の頂点に立つセーラは、その情報の無さを「完璧な隠蔽工作」だと深読みしてしまう。


「尻尾すら掴ませないなんて。……一体、何者なのかしらねぇ」

セーラは赤ワインをゆっくりと飲みながら、妖しく唇を吊り上げ、一人つぶやくのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第16話 知識の値段と技術革命の火種


ドベンの宿での生活は、俺の荒んだ精神を急速に回復させてくれた。

ジャンクフードに近い味付けの肉料理、ふかふかのベッド、そして安全な寝床。

ここ数日は、6年間の過酷な森でのサバイバル生活の疲れを癒やすように、ただひたすらに貪惰な時間を過ごした。


だが、休息も3日を過ぎると、俺のゲーマーとしての血が再び騒ぎ始めた。

『魔力操作』については、空間への固定や温度変化など、これ以上ない極致にまで達した自負がある。

だが、この異世界の仕様は魔力操作だけではない。


魔法陣、錬金術、魔道具の仕組み、あるいは『スキル』というシステムの根本的な解明。

俺が知るべき隠し仕様ブラックボックスは、まだまだ山のように存在しているはずだ。

これ以上の検証を効率的に進めるためには、絶対的に必要なものがあった。


「なぁドベン。この街に、図書館のようなものはありますか?」

朝食のボア肉入りスープを飲み干しながら、俺は厨房で仕込みをしているドベンに尋ねた。

まずは先人たちが残した『攻略本』、すなわち情報源を確保したいと考えたのだ。


「図書館? なんだいそりゃ。本がいっぱい置いてある場所のことか?」

ドベンは手を止め、不思議そうな顔で首を傾げた。

「ああ。誰でも入れて、本を読んだり調べ物をしたりできる施設のことだが」


「そんなもん、このフコーヘイの街にあるわけねぇよ。王都ならあるかもしれないが……」

ドベンは苦笑いしながら、残酷な事実を口にした。

「それだって、貴族様や高位の魔導師専用だろうからなぁ。俺たち平民には縁のない場所さ」


なるほど。この世界では『知識』は特権階級に独占されているらしい。

スキルの有無だけで身分が分かれる世界だ。情報統制が敷かれているのは想像に難くない。

「まあ、個人でやってる本屋くらいなら、商業区の裏通りにあるはずだぜ」


ドベンのその言葉だけを頼りに、俺は宿を出て街を探索することにした。

活気ある市場を抜け、人通りの少ない静かな裏通りをウロウロと歩き回る。

しばらくすると、古びた木の看板に『知識の泉』と書かれた、薄暗い店舗を見つけた。


カラン、とドアベルを鳴らして中に入ると、古い紙とインクの独特な匂いが鼻を突いた。

天井まで届く本棚には、革張りの分厚い本や、丸められた羊皮紙がぎっしりと詰め込まれている。

「いらっしゃい。見慣れない顔だね」


店の奥から、分厚い眼鏡をかけた老人の店主が顔を出した。

「ああ。少し調べ物をしたくてな。魔法の歴史や、魔物に関する図鑑を探しているんだが」

俺はそう言いながら、手近にあった一冊の本を手に取り、表紙を開いた。


そこには、流麗な文字でびっしりと魔法の基礎理論が書き込まれていた。

素晴らしい。これなら俺の検証の足がかりになりそうだ。

だが、裏表紙に書かれた値札を見て、俺は思わず目を疑った。


「……金貨、10枚?」

この街の相場はだいたい把握している。金貨1枚あれば、一般の家族が1ヶ月は遊んで暮らせる額だ。

それがたった一冊の、それも基礎的な魔法書に金貨10枚だと?


「なぜこんなに高いのでしょう?」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、驚きを隠せずに店主に尋ねた。

すると店主は、やれやれと肩をすくめて答えた。


「そりゃあ、紙が貴重なのはもちろんのこと、あとは書くのが大変だからねぇ」

「書くのが大変?」

「当たり前だろう。専門の写本職人が、一文字一文字、何ヶ月もかけて書き写しているんだからな」


その言葉に、俺の脳内で雷が落ちたような衝撃が走った。

……何と、この世界の本はすべて『手書き(写本)』であったのだ。

印刷という概念が存在しない。だから本は超高級品であり、知識は平民に降りてこない。


「……なるほど。そういう仕様か」

俺は手にした本を静かに棚に戻した。

情報を集めるために、いちいち金貨を何十枚も払っていては検証のコスパが悪すぎる。


「ないなら、作るしかないか」

俺は誰に聞こえるでもなく、低くつぶやいた。

「活版印刷を広めなければ」


「かっぱ……何だって?」

聞き慣れない単語に、本屋の店主が目を丸くしている。

俺は店主の言葉を無視して、足早に本屋を後にした。


金属の活字を組み合わせて版を作り、インクを塗ってプレスする。

前世の歴史で学んだ、知識の大爆発を引き起こした技術革命の火種だ。

俺の『魔力固定』と『魔力念力』による精密作業があれば、活字の鋳造など造作もないことだ。


だが、それを作るための設備と、金属を加工する専門の職人が必要になる。

「まずは資金の確保だな」

俺は街の大通りに戻ると、道中で潰したゴブリンの集落から回収した戦利品が入った袋を探った。


中には、粗悪だがそれなりに大きい宝石がいくつか入っている。

これを現金化すれば、必要な機材を揃えるための初期投資としては十分だろう。

俺は身なりの良い商人が出入りしている、大きな宝石商の看板を見つけて店に入った。


「買取を頼みたい。これだ」

カウンターにいくつかの宝石を転がすと、恰幅の良い商人の目が鋭く光った。

「ほう……。カッティングは素人仕事ですが、原石の質は悪くありませんな」


商人は鑑定用のルーペを目に当て、丁寧に石を調べた。

「金貨30枚、といったところでしょう」

ぼったくられている可能性もあるが、今の俺には相場を検証している時間はない。


「それでいい。全額現金で頼む」

ずっしりと重い金貨の入った革袋を受け取ると、俺はそのまま職人街へと足を向けた。

目指すは、この街で最も腕が良いとされる鍛冶職人の工房だ。


カン、カン、というリズミカルな金属音が、職人街のあちこちから響いてくる。

俺は熱気に包まれた通りを進み、ひときわ大きな炉を持つドワーフの工房へと向かうのであった。

検証のための情報網を、自らの手でゼロから構築するために。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第17話 技術革新への投資とドワーフの職人魂


職人街の奥深く、ひときわ熱気と騒音が激しい一角。

そこが、この街で最も腕が良いと評判のドワーフの工房だった。

中に入ると、筋骨隆々のドワーフたちが、汗だくになりながら鉄を打っていた。


「頼みがある。複雑な機械を二つほど作ってほしいんだが」

俺が声をかけると、一番奥で図面と睨み合っていた赤髭の親方が顔を上げた。

「ん? 見ねぇ顔だな。ウチの仕事は安くねぇし、妥協も一切しねぇぞ」


「それでいい。むしろ、妥協されたら困る代物だ」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、持参した羊皮紙を広げた。

そこには、俺が前世の記憶を頼りに描いた『活版印刷機』と『巨大なミキサー』の設計図がある。


「なんだこりゃ? 歯車とプレス機……それに、この細かい金属のブロックの山はなんだ?」

親方は羊皮紙を覗き込み、眉間に深いシワを寄せた。

「そのブロック一つ一つに、文字を浮き彫りにする。それを組み合わせて板にし、インクを塗って紙に押し当てる機械だ」


「……同じ文章を、何度でも大量に写し取れるってことか?」

さすがはドワーフの親方だ、少し説明しただけでその機械がもたらす意味を理解したらしい。

親方の目の色が、ただの職人から『未知の技術への探究者』のそれへと変わった。


「面白い。こっちの歯車やプレスの機構はなんとかなる。だが、この細かい文字のブロックは骨が折れるぞ」

「構わない。文字の規格さえ統一されていれば、多少の粗さは俺が後で調整する」

俺には『魔力念力』によるミリ単位の削り出し技術がある。大枠さえ作ってもらえれば十分だ。


「で、こっちの刃がぐるぐる回る巨大な筒は何に使うんだ? 大がかりな拷問器具か?」

親方が次に指差したのは、巨大なミキサーの設計図だった。

「このミキサーで何を作るんだ?」


「紙だ」

俺が短く答えると、親方は目を丸くした。

「はぁ? 紙ってのは、職人が羊の皮をなめしたり、特殊な草を煮込んで漉いたりして作るもんだろうが」


「この世界ではそうかもしれないな。だが、もっと安価に、大量に作る方法がある」

俺はミキサーの図面をトントンと指で叩きながら説明を続けた。

「その辺に生えている木の枝や、不要になった植物の繊維を、この機械で極限まで細かく刻むんだ」


水と一緒にドロドロになるまで粉砕し、ペースト状の『パルプ』にする。

それを平らな網で漉き取り、水分を絞って乾燥させれば、立派な紙が出来上がる。

羊皮紙のように動物を狩る必要も、特殊な草を探す必要もない。


「植物の繊維を細かく刻んで、それを固めて紙にするだと?」

親方は口を半開きにして俺の言葉を聞いていた。

「……ほー? 木っ端から紙を錬成するってのか。そりゃあ、すげぇ錬金術だな」


親方は豪快に笑い飛ばしたが、その目は本気だった。

職人としての直感が、俺の持ち込んだ設計図がただのガラクタではないと告げているのだろう。

「いいだろう、引き受けた! だが、こんな前代未聞の機械だ。制作には丸3ヶ月はかかるぞ」


「わかった。それで構わない」

「料金も弾んでもらうぜ。金貨20枚だ。しかも、材料費や試作の手間があるから全額先払いだ」

金貨20枚。宝石を換金して得た全財産の3分の2が吹き飛ぶ計算だ。


「……高いな。だが、その価値はある」

俺は革袋から金貨を取り出し、親方の前の作業台にジャラリと積み上げた。

「よし、交渉成立だ! 三ヶ月後を楽しみにしてな、面白いもんを作ってやる!」


工房を後にした俺の懐は、ずいぶんと寂しい状態になっていた。

活版印刷が完成すれば、知識の複製という巨大なビジネスが始められる。

だが、それまでの3ヶ月間を生き抜くための当面の生活費が心もとない。


「そろそろ、手っ取り早い金策……仕事を探さなければな」

日雇いの依頼でも探そうかと考えながら、俺はドベンの宿へと戻った。

宿の扉を開けると、そこには頭を抱えてうずくまっているドベンの姿があった。


「どうした、ドベン。店が潰れそうな顔をしてるぞ」

俺が声をかけると、ドベンはバネ仕掛けのように跳ね起きた。

「おお、帰ってきたか! お前の作ってくれたあのハンバーガーってやつ、とんでもねぇことになっちまった!」


聞けば、俺の希望で作らせたジャンクフードの暴力的な味が、街の若い冒険者や荒くれ者たちの間で爆発的なブームを引き起こしたらしい。

「みんな、あのギトギトの肉とポテトを求めて押し寄せてきやがる! だが……」

ドベンは俺の肩をガシッと掴み、涙目で懇願してきた。


「済まねぇ、もっと肉が欲しい! お前が持ってきたあのボアの極上肉じゃなきゃ、あの味は出せねぇんだ!」

どうやら、需要に対して供給が完全に追いついていないらしい。

「頼めるか!? もちろん、市場価格より色をつけて買い取らせてもらう!」


俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、口角を少しだけ上げた。

資金繰りに悩んでいた矢先に、なんとも都合の良い金脈が向こうから転がり込んできたものだ。

しかも、報酬をもらって狩りをすることは、俺の『魔力操作の検証』の絶好の機会でもある。


「ああ、いいだろう。これ幸いと仕事として受けさせてもらう」

俺は二つ返事で快諾した。

資金稼ぎと実戦検証、そして至高のジャンクフードのための食材調達。


「よし、明日は少し本腰を入れて狩りをするか。……在庫管理の概念を、この街のボアどもに叩き込んでやる」

情報革命の準備を進めながら、俺は当面の資金繰りというクエストへと、意気揚々と挑むのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第18話 魔力波レーダーと生態系の検証


翌朝、俺はドベンの宿を出て、フコーヘイの街の北側に広がる森へと足を踏み入れた。

目的は、ハンバーガーのパティとなる極上の肉の調達だ。

だが、ただ無差別に狩りを行うつもりはなかった。


俺は森の入り口で立ち止まり、目を閉じて意識を集中させる。

体内の魔力を練り上げ、波の性質を持たせて周囲へと放射する。

俺が編み出した探索技術、『魔力波』だ。


放たれた魔力の波は、木々や岩、そして森に生息する生命体にぶつかり、反射して俺の感覚へと戻ってくる。

脳内に森の立体的なマップが構築され、光点として魔獣の位置や大きさが浮かび上がる。

「……なるほど。この森の浅い層には、ゴブリンやスライムなどの低級がまばらにいるだけか」


俺はさらに魔力波の出力を上げ、森の奥深くへと波を浸透させていく。

すると、ひときわ強大な魔力の反応がいくつか返ってきた。

その波形と質量から、先日狩ったBランク魔獣『キングボア』と同種の個体であることがわかる。


「キングボアの反応……森全体で6体、か」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、小さく息を吐いた。

俺の『魔力固定』や『魔力まとい』を使えば、6体全てを今すぐ狩り尽くすことは容易い。


しかし、ゲーマーとしての経験則が、俺に警鐘を鳴らしていた。

限りあるリソースを一度に枯渇させれば、後々困るのは自分自身だ。

ドベンの宿のハンバーガーを安定して楽しむためには、持続可能な供給ルートを維持する必要がある。


「そもそも、キングボアという種族の仕様はどうなっているんだ?」

俺はふと、生態系に関する一つの疑問に行き当たった。

「キングボアは、生まれたときからキングボアなのか? それとも、通常のボア種が経験値を積んで変化(進化)したものなのか?」


もし生まれつきの希少種であれば、6体を狩り尽くせばこの森からキングボアは絶滅する。

もし進化種であれば、通常のボアを残しておけばいずれ補充される(リスポーンする)可能性がある。

少なくとも孤児院時代の座学でも、これまでのサバイバル生活の中でも、魔獣の進化現象に関する確かな情報は聞いたことがない。


「検証の余地があるな。……生態系を崩すリスクは冒せない」

俺は狩りの方針を即座に決定した。

「キングボアは1体だけ狩り、あとは他の大型魔獣を狩って肉質のバリエーションを試すとしよう」


ターゲットを絞り込んだ俺は、魔力波のナビゲーションに従って森を最短ルートで進む。

ほどなくして、泥浴びをしている1体のキングボアを発見した。

先日と同じように足元に『魔力固定』の段差を作り、体勢を崩したところを『魔力まとい』の剣で一突きにする。


「よし、まずはメインパティの確保だ」

即座に血抜きを行い、『魔力温度変化』で冷却して『魔力の箱』へと収納する。

続いて俺は、別の強大な魔力反応を示すターゲットへと向かった。


次に発見したのは、巨大な豚とオークが混ざったような醜悪な魔獣『グレートオーク』だった。

手には丸太のような棍棒を持ち、周囲を威圧するように歩き回っている。

「ふむ……。見た目は悪いが、かなり脂が乗っていそうだな」


グレートオークが俺の気配に気づき、咆哮を上げて棍棒を振り下ろしてくる。

だが、俺は避けることすらしない。

頭上の空間に『魔力固定』の壁を展開し、棍棒のの一撃を完全にシャットアウトする。


「ブギィ!?」

空間の壁に弾かれ、手首を痛めてたじろぐグレートオーク。

その隙に、俺は魔力を足にまとわせて踏み込み、鋭い斬撃を見舞った。


「パティに脂身を混ぜれば、さらにジューシーになるかもしれないからな」

これも血抜きと冷却を済ませ、箱に放り込む。

そして最後のターゲットは、森の木々を高速で飛び回る四つ足の魔獣『アーク・ジャガー』だ。


豹のようなしなやかな体躯を持つそれは、素早い動きで俺の死角へと回り込もうとする。

スピードだけで言えばキングボアを凌ぐかもしれない。

だが、どんなに速くても、俺の『魔力波』のレーダーからは逃れられない。


「直線的な動きなら、予測は容易い」

俺はアーク・ジャガーが飛びかかってくる軌道上に、不可視の『魔力念力』の網を張った。

空中で網に絡め取られ、身動きが取れなくなったジャガーの眉間を、正確にナイフで貫く。


「動きがしなやかな分、肉質は引き締まっていて赤身が多いはずだ」

ミンチにしてキングボアの肉とブレンドすれば、食感に深みが出るに違いない。

ジャンクフードのレシピ開発に思考を巡らせながら、俺は手早く三体目の解体を終えた。


「よし、今日のところはこのくらいにしておくか」

生態系を乱すことなく、最高品質の素材を3種類も確保できた。

完全なオーバーキルだが、俺にとってはただの食材の買い出しに過ぎない。


巨大な魔獣の肉塊が詰まった見えない『魔力の箱』を念力で引き連れながら、俺は森を後にする。

「待っていろよ、俺の愛しのジャンクフード。最高のパティで進化させてやる」

足取りも軽く、俺はドベンの待つ宿へと帰還するのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第19話 レシピの秘密と荒ぶる料理人


ドベンの宿の食堂は、今日も暴力的なまでに食欲をそそる匂いで満たされていた。

俺が調達してきたキングボア、グレートオーク、そしてアーク・ジャガーの極上肉。

ドベンは厨房の奥で、それらの肉を使い、ハンバーガー以外にも様々な肉料理の試作に没頭していた。


ジャガーの赤身肉にオークの脂を少し混ぜて焼いた串焼きや、煮込み料理。

厨房からは、肉が焼ける小気味よい音と、ドベンの上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。

俺は食堂の隅の席に陣取り、山盛りのポテトフライを頬張りながらその様子を眺めていた。


「サクサクでホクホクだ。……やはり塩気と油は裏切らないな」

熱々のポテトをかじり、冷たい果汁水で流し込む。

6年間のサバイバル生活で失われていた人間らしい時間が、ここにはあった。


平和な昼下がりを満喫していた俺だが、突然、食堂の入り口が乱暴に開け放たれた。

ドカカッ!と土足で踏み込んできたのは、ひどくガラの悪そうな男2人組だった。

彼らは俺を一瞥することもせず、一直線に厨房の奥へと向かって突進していく。


「おいドベン! いるのは分かってんだよ!」

男たちは厨房の入り口を塞ぐのれんを乱暴に払い除け、中に押し入ろうとした。

だが次の瞬間、ガンッ!という鈍い音と共に、男たちは見えない壁に激突して鼻を抑えた。


「いってぇ!? な、なんだこれ!? 壁……?」

男たちが混乱して 허공をペタペタと触っている。

当然だ。俺が指先一つで、厨房の入り口に『魔力固定』による不可視の壁を張ったからだ。


「用件なら俺が聞こうか」

俺は席に座ったまま、ポテトフライを片手でつまみながら声をかけた。

男たちは振り返り、のんびりと食事をしている俺を鋭く睨みつける。


「あぁ!? てめぇに関係ねぇだろうが! 俺たちはドベンに用があるんだよ!」

「あのハンバーガーとかいう新メニューのレシピを寄越せぇ!!」

男の一人が唾を飛ばしながら叫んだ言葉に、俺は思わずポテトを落としそうになった。


ハンバーガーのレシピ? そんなもの、見たまんまじゃないか。

パンに野菜と焼いた肉を挟むだけだ。隠し味のソースならともかく、構造自体は一目瞭然だ。

だが、そこで俺のゲーマーとしての分析回路がカチリと音を立てた。


「いや、待てよ……。そもそも、ハンバーグのレシピ自体がないのか?」

この世界では、肉は塊のまま焼くか、スープで煮込むのが一般的だ。

『肉を一度ミンチ状に細かく刻み、それを再び固めて焼く』という発想自体が存在しないのだ。


それを理解した瞬間、厨房で汗を流すドベンの評価が俺の中で一段階上がった。

ドベンは自称『この街一番の料理人』と豪語していたが、あながち嘘ではないらしい。

少なくとも、俺の適当な口頭の注文だけでミンチ肉を再現した、その柔軟な発想は人一倍だ。


「技術ツリーの進み方がいびつな世界だな。……さて、この二人をどうするか」

『魔力念力』で店の外に放り投げてやろうかと思考を巡らせていると。

厨房の奥から、ドスドスと重い足音を立ててドベンが歩いてきた。


俺は男たちとドベンが接触できるよう、静かに『魔力固定』の壁を解除した。

「またてめぇらか! 肉の供給の邪魔をした次は、直接妨害か!? ああ!?」

ドベンの怒号が食堂に響き渡る。あの買い占め騒動も、こいつらの仕業だったらしい。


「うっ、るせぇ! お前のせいでウチの食堂の客が減ってんだよ!」

男がナイフをちらつかせて脅そうとした、その瞬間だった。

ドベンは丸太のような太い腕で、男の胸ぐらをガシッと掴み上げた。


「ひっ!?」

「料理人なら、料理で勝負しろやぁ!!」

ドベンはそのまま男の体を軽々と持ち上げ、店の外へと豪快に投げ飛ばした。


ドシャァァッ!という派手な音と共に、男が路地に転がる。

「ひぃぃっ!」

もう一人の男も震え上がって逃げようとしたが、ドベンの巨大な手がその後頭部を掴んだ。


「てめぇもだ、二度とツラ見せるな!!」

二人目の男も、見事な放物線を描いて店の外へと投げ捨てられた。

ドベンはエプロンの汚れをパンパンと払い、何事もなかったかのように厨房へと戻っていく。


「……たくましい限りだな」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、小さく息を吐いた。

俺が魔法でどうこうする必要など、最初から全くなかったようだ。


「心配するだけ損だったな」

どうやらこの街一番の料理人は、腕っぷしも街で一番強いらしい。

俺は冷めかけたポテトフライに手を伸ばし、平和な食事の時間を再開するのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第20話 裏の顔と凄腕の女


荒ぶる料理人ドベンの大立ち回りを見届けた後、俺は腹ごなしも兼ねて街の探索を再開した。

フコーヘイの街は大きく、居住区や商業区だけでなく、複雑に入り組んだ路地が網の目のように広がっている。

情報収集の基本は足で稼ぐことだ。俺はあえて大通りを外れ、街の深部へと歩を進めた。


しばらく入り組んだ路地を歩いていると、ふと周囲の空気が変わったのを感じた。

街の喧騒が遠のき、代わりに重く、どこかヒリつくような気配が漂っている。

その路地の奥に、ひっそりと佇む古びた石造りの建物があった。


建物の入り口には、くすんだ赤色の看板が掲げられている。

「……ん? 看板の意匠、冒険者ギルドのマークに似ているな」

だが、俺が先日立ち寄ったギルドの建物とは明らかに規模も雰囲気も違う。


看板には『至高の紅』という文字が刻まれていた。

「冒険者ギルドは複数あるのか? それとも、ギルドの下部組織か何かか?」

前世のオンラインゲームでも、プレイヤーギルドが乱立することは珍しくない。この世界でも同じ仕様なのだろうか。


俺が少し離れた場所から建物の様子をうかがっていると、突然、中から激しい怒鳴り声が聞こえてきた。

「とぼけるな! お前たちがやったんだろう! ダメーナ男爵の暗殺を!」

分厚い扉の向こうから漏れ聞こえてきたのは、物騒極まりない単語だった。


「あら、証拠はあるのかしら? 私たちはただのしがないギルドよ」

ヒステリックに叫ぶ男の声に対し、女の穏やかで、どこか面白がっているような声が響く。

そのやり取りを聞いた瞬間、俺の中でこの建物の「正体」が完全に組み上がった。


「なるほど、全うなギルドではないらしいな」

表向きは冒険者ギルド、あるいはそれに類する組織を名乗っているのだろう。

だが、裏では貴族の暗殺や汚い仕事クエストを請け負う、いわゆる裏社会の犯罪組織だ。


「面倒なフラグが立っている場所だな。近づかないに限る」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、早々に立ち去ろうと踵を返した。

その時だった。ガチャリ、と重い音を立てて建物の扉が開いた。


「もうお帰りになって。証拠がないなら、これ以上は営業妨害よ」

扉の中から、一人の女性が姿を現した。

燃えるような赤い髪に、妖艶な笑みを浮かべた美貌の持ち主だ。


彼女は暗殺を疑いに来たであろう男を冷たく追い払うと、ふと俺の方へと視線を向けた。

目と目が合った瞬間、背筋に冷たいものが走った。

ほんの一瞬、俺の体の芯を、得体の知れない『何か』が通り抜けたような感覚。


「……あら? こまったらいつでもいらっしゃいな、スキル無しのセリさん」

女性は俺に向かってふわりと微笑み、それだけ言い残して歩き去っていった。

俺は一歩も動けず、彼女の背中が路地の角を曲がって見えなくなるまで立ち尽くしていた。


「……今のは、出会い頭に【鑑定】したのか」

俺は小さく息を吐き出し、強張っていた筋肉を緩めた。

名前はおろか、隠していた「スキル無し」という情報まで一瞬で見抜かれた。


俺は常に体内に極小の魔力を循環させ、不測の事態に備えている。

にもかかわらず、彼女が魔力を行使した気配エフェクトに全く気づけなかった。

「規格外だな。かなりの手練れだ」


6年間の検証生活で培った俺の感覚すら凌駕する、圧倒的な技術か、あるいは強力なスキルの持ち主。

だが、俺が一番驚いたのはそこではない。

彼女の態度だ。


この世界において、「スキル無し」は大罪人であり、忌み嫌われるのが仕様である。

神父も、ギルドの受付嬢も、街の住人も、俺を汚物のように扱った。

しかし、あの女性の目には、俺に対する偏見や侮蔑の色が一切見られなかったのだ。


ただ純粋に、俺という存在の『情報』だけを読み取った、平坦でフラットな視線。

「……裏社会の人間は、神の教えより実利を重んじるということか」

面白い仕様だが、だからといってわざわざ関わり合いになりたいとは思わない。


強力な魔獣よりも、底の知れない人間の方がよっぽどタチが悪いからだ。

「まあ、近づかないに越したことはないな」

俺は誰に言い訳するでもなくつぶやくと、そそくさとその場を去った。


俺の目的は、あくまで活版印刷による情報革命と、ジャンクフードの探求だ。

裏社会のゴタゴタなどという、面倒なメインクエストに関わる気は毛頭ない。

俺は足早に路地を抜け、平和で油臭いドベンの食堂へと帰を急ぐのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第21話 交差するフラグと、奢りのハンバーガー


裏社会のギルド『至高の紅』の前から早々に立ち去った俺は、路地を抜けてドベンの宿へと戻ってきた。

厄介なメインクエストのフラグは、見なかったことにしてへし折るに限る。

今はとにかく、失われたカロリーを補給して平穏な検証生活の計画を練り直す方が先決だ。


「おう、おかえり! 今日もすげぇ客入りだぜ!」

食堂の扉を開けると、厨房の奥から活気にあふれたドベンの声が飛んできた。

俺が持ち込んだ極上肉で作ったハンバーガー目当てに、店内は多くの客で賑わっている。


大繁盛は喜ばしいことだが、落ち着いて食事ができる空いている席はあるだろうか。

俺が店内を見渡した、その時だった。

「……ん?」


窓際のテーブル席に座る一つの人影に、俺の視線は釘付けになった。

燃えるような赤い髪。妖艶な雰囲気。

それは間違いなく、先ほど『至高の紅』の前で遭遇した、あの凄腕の女だった。


彼女は優雅な手つきでハンバーガーを口に運んでいたが、すぐに小さく眉をひそめた。

「……美味しいけれど、私には少し油っこすぎるわねぇ」

上品なハンカチで口元を拭いながら、彼女は誰にともなくそうつぶやく。


どうやら、彼女もただ食事をしに来ただけのようだ。

だが、あの底知れない手練れと同じ空間にいるのは、どうにも居心地が悪い。

俺は極力彼女の視界に入らないよう、店の一番奥にある目立たない席へと向かおうとした。


しかし、運命のシステムは俺に平穏な日常を許してはくれなかった。

バンッ!と勢いよく食堂の扉が開き、むさくるしい男たちが雪崩れ込んできたのだ。

「ドベンのおっさん! 噂のハンバーガー、俺たちにも食わせてくれ!」


陽気な声と共に現れたのは、3人組の冒険者パーティ。

それはつい先日、北の森でキングボアと死闘を繰り広げ、俺が助けてやった連中だった。

しまった、と思ったがもう遅い。


リーダー格の男の視線が、店内の奥にいた俺をしっかりと捉えてしまった。

「あっ!」

男は大きな声を上げ、バシッと真っ直ぐに俺を指差した。


「あーっ! あんた、あの時の! キングボアを瞬殺した人だろ!」

静かだった店内に、その大声が響き渡る。

他の客たちが「キングボアだと?」「あんなおっさんが?」と、一斉にこちらへ注目し始めた。


「人違いです」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、一切の感情を排した声で即答した。

目立つことは検証の最大の敵だ。全力で関わりを否定しなければならない。


「いやいやいや、とぼけんなって! あの時は名乗りもせずにいなくなっちまって……」

男は俺の冷たい対応を気にする様子もなく、ずかずかと俺の席まで歩み寄ってきた。

「あんたに何も礼ができてねぇんだ! ずっと探してたんだぜ!」


彼らは悪気など微塵もなく、純粋な善意と感謝で俺に絡んできている。

だからこそタチが悪い。

「俺たちは今、猛烈に腹が減っててな。とりあえず、ここのハンバーガー食ってみろよ!」


男は俺の肩をバンバンと叩きながら、満面の笑みで言い放った。

「ここの新メニュー、最高に美味いって街中で噂だぜ! 俺たちに奢らせてくれ!」

……ここの肉を供給しているのも、ハンバーガーを提案したのも俺なのだが。


それを言うわけにもいかず、俺はやれやれと深い深いため息をついた。

「……面倒な奴らに会ったな」

彼らのペースに巻き込まれれば、ますます目立ってしまう。どうやって切り抜けようか。


そう思考を巡らせながら、俺は何気なく視線を動かした。

そして、見てしまったのだ。

窓際の席に座る、あの赤い髪の女性の様子を。


彼女は食事の手を完全に止め、まっすぐにこちらを見つめていた。

先ほどまでの穏やかな表情は消え失せ、その目は獲物を狙う肉食獣のように鋭く細められている。

『キングボアを瞬殺した男』。


冒険者が不用意に叫んだその言葉が、彼女の中で何か決定的な情報を引き出したらしい。

(……なんだ? あの目は)

俺は背筋に嫌な汗が伝うのを感じた。


先ほどの出会い頭の【鑑定】では、俺はただの「スキル無し」として認識されたはずだ。

だが今の彼女の目は、俺という存在の奥底にある『異常性』に勘付いたかのような、危険な光を放っていた。

面倒な冒険者たちと、背後から突き刺さる凄腕の女の鋭い視線。


どうやらこの食堂は、俺にとって全くくつろげない危険地帯へと変貌してしまったようだ。

俺は奢りのハンバーガーをどうやって断り、この場から逃走するか。

脳内のリソースをフル回転させ、最適解の検証を急ぐのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第22話 強制イベントと裏ギルドの応接室


「いっけなーい、忘れ物しちゃったー」

俺は棒読みのセリフを吐き出しながら、食堂の席から立ち上がった。

奢りだなんだと騒いでいる冒険者たちに背を向け、回れ右をして出口へと急ぐ。


「えっ、おい!? 忘れ物ってなんだよ!」

背後で冒険者が困惑する声を無視して、俺は店を飛び出した。

あの赤い髪の女、至高の紅のギルドマスターの視線は明らかに「異常」だった。

ゲーマーの勘が、この場に留まるのは生存戦略上のミスだと告げている。


俺は早足で路地を抜け、人混みに紛れようと足を速めた。

「冗談じゃないぞ。あんな物騒な闇ギルドに目を付けられるなんて」

今の俺は、ただジャンクフードと情報革命を楽しみたいだけの一般人だ。

血生臭いメインストーリーに関わるつもりは毛頭ない。


だが、この世界の「強制イベント」の仕様は、俺の予想以上に凶悪だった。

しばらく歩き、ようやく追っ手がいないことを確認して足を緩めた、その時だ。

「――ターゲット補足」


無機質で冷徹な声が、目の前で響いた。

顔を上げると、そこには不釣り合いなほど端正なメイド服を着た女性が立っていた。

隙のない立ち振る舞い、そして手元に隠された武器の気配。


(速い……。いつの間に回り込まれた?)

俺の『魔力波』のレーダーにすら引っかからない隠密技術。

「どうされますか、ギルドマスター」

メイドの女性が、俺の背後へと視線を向けた。


「ひとまず、うちでゆっくりとお話を聞きましょうかぁ」

聞き覚えのある、しっとりとした艶のある声。

振り返るまでもない。あの食堂にいた、赤い髪の女性がいつの間にか俺の後ろに立っていた。


「……勘弁してくれよ」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、深いため息をついた。

左右を完全に封じられ、逃げ道はない。

ここで抵抗して街を破壊するのも、その後の検証生活に支障をきたす。


俺は抵抗を諦め、大人しく『至高の紅』へと連行されることにした。

再び訪れたあの石造りの建物。

だが今回は客としてではなく、重要参考人、あるいは「獲物」としての入館だ。


通されたのは、建物の一番奥にある、重厚な革張りのソファが置かれた部屋だった。

壁には高価そうな絵画が並び、窓からは街を一望できる。

まさに「ギルドマスターの部屋」に相応しい、権力の匂いがする空間だ。


「さて、まずは自己紹介から始めましょうか」

赤い髪の女性、ギルドマスターのセーラが、俺の対面のソファに深く腰掛けた。

彼女は優雅に脚を組み、ワイングラスを弄びながら俺を射抜くような目で見つめる。


「で、闇ギルド『漆黒のブラック』の構成員さん。本名はなんていうのかしら?」

その問いに、俺は正直に答えることにした。

隠し事をして状況を複雑にするのは、バグを増やすだけだ。


「……すまんが、それは口から出まかせの嘘情報だ。そんなギルド、俺は知らない」

俺の言葉を聞いた瞬間、セーラの唇が妖しく吊り上がった。

「うふふ、もちろん正直に話すとは思っていないわ。嘘を重ねるのも交渉の基本だものね」


「いや、本当に嘘なんだ。あの時は冒険者に絡まれて面倒だったから、適当な名前をでっち上げただけで――」

「Bランクのキングボアをなまくら剣で瞬殺し、独自の冷却魔法を操る『スキル無し』の男」

セーラは俺の言い訳を遮り、楽しそうに指を立てた。


「そんな化け物が、フリーの一般人なわけがないでしょう?

組織に属さず、このレベルの隠密と戦闘技術を磨くなんて、非効率極まりないわ」

……非効率。その単語が俺の心にグサリと突き刺さった。

俺は6年間、ただひたすらに効率と検証を追い求めてきたのだ。


「勘弁してくれよ……。俺はただの、検証好きの元サラリーマンなんだ」

正直に話している。一切の偽りなく、自分のアイデンティティを伝えている。

なのに、このギルドマスターは俺の言葉を「高度な情報戦」としてしか受け取らない。


「いいわ、焦らなくても。これからたっぷりと時間をかけて、あなたの後ろにいる『影』を暴いてあげるから」

セーラの瞳に、執着と好奇心が混ざり合った危険な光が灯る。

どうやら俺の異世界生活は、予想外の「高難易度ルート」へと突入してしまったらしい。


俺は再び、存在しないメガネを押し上げながら、天井を見上げた。

(女神様、これ、俺のステータス以上の難易度になってないか……?)

信じてもらえない正直者の悲哀を感じつつ、俺はこの詰みかけた状況をどうデバッグするか。

最悪の応接室で、新たな検証を開始するのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第23話 魔力波スキャンと深読みの迷宮


重厚な革張りのソファに深く腰掛けた闇ギルドのマスター、セーラは、優雅な笑みを崩さないまま俺への尋問(あるいは勧誘)を続けていた。

しかし、俺がどれだけ「ただの一般人だ」と真実を口にしても、彼女と背後に立つメイドはその言葉を『高度な情報戦のブラフ』としか受け取らない。


対話が完全に平行線をたどる中、俺は退屈しのぎと状況把握を兼ねて、水面下で検証作業を開始することにした。

体内の魔力を極限まで薄く広げ、波の性質を持たせて全方位へ放射する。

俺の生み出した最強のソナー技術、『魔力波』だ。


波は音もなく石造りの壁をすり抜け、床板を透過し、建物の隅々まで浸透していく。

反射した魔力の揺らぎが、俺の脳内に『至高の紅』の立体マップをリアルタイムで構築し始めた。

まずは人員配置だ。波の反射から、人間の体温や心音のわずかな鼓動を拾い上げる。


受付のフロアに1人。併設された酒場らしき空間に2人。

そして、この応接室のすぐ近くの部屋に、待機している手練れが2人。

この部屋にいるセーラとメイド、そして俺を合わせても、建物内にいるのはたったの8人だ。


「少精鋭のギルドか。……いや、そもそもこの建物の構造自体が少し特殊だな」

俺は脳内のマップをさらに下層へと広げた。

床下の空間、さらにその奥深くの地層に、不自然な空洞が真っ直ぐに伸びている。


「地下通路が……2本か」

いざという時の逃走経路、あるいは外部との秘密の搬入路だろう。

巧妙に隠されているが、物理的な空間のズレは魔力波の目からは誤魔化せない。


さらに波を上方へ、天井のそのまた上の屋根裏部屋へと向ける。

そこには埃を被った木箱やガラクタに混じって、妙な形状の物体が2つ鎮座していた。

「……なんだあれ。人間の形じゃない。布と綿の塊……ぬいぐるみか?」


より解像度を上げて探ると、それは人間の子供ほどの大きさがある、巨大なクマのぬいぐるみだった。

しかも、背中の部分の布の凹凸まで読み取ってみると、そこには『トーラル』という文字が刺繍されている。

裏社会の闇ギルドの屋根裏に、巨大なクマのぬいぐるみ。誰の趣味かは知らないが、ギャップが凄まじい。


俺が内心でそんなシュールな発見に呆れている間にも、セーラの言葉攻めは続いていた。

だが、その途中で彼女は不自然に言葉を区切り、指先でソファの肘掛けを軽く三度叩いた。

同時に、背後のメイドがわずかに視線を動かし、ドレスの裾を微かに揺らす。


(……ん? 今の動きはなんだ?)

俺のゲーマーとしての分析回路が、その些細な挙動の『違和感』を捉えた。

ただの癖ではない。規則性がある。これは……ハンドサインによる暗号か?


セーラの指の動き、瞬きの回数、視線の向き。メイドの足の重心移動。

それらの動作のパターンを、俺は魔力波で得た周囲の人員配置の状況と照らし合わせて高速で検証した。

「……なるほど。そういう法則か」


俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、つい好奇心に負けて口を開いてしまった。

「そのハンドサイン、『ミを呼んでくれ』って意味か?」

俺の言葉が応接室に落ちた瞬間。セーラの優雅な笑みが、文字通り氷結した。


メイドに至っては、隠し持っていた暗器に一瞬手をかけそうになるほど動揺していた。

「ミなんとかってやつが、近くの部屋に待機している2人のうちの1人ってことだろ。

ついでに言うと、受付に1人、酒場に2人。このギルド内にいる人間はそれで全部だな?」


俺がさらりとギルド内の人員配置まで言い当てると、室内の温度が一気に数度下がったように感じられた。

沈黙。あまりにも重く、ヒリつくような沈黙。

やがて、セーラは乾いた笑い声を漏らしながら、顔を引きつらせた。


「……へぇ。まさか、瞬き一つのサインを解読するだけでなく、内部の配置まで完全に把握するなんて。

となると、わざと私のメイドに捕まったのね? 最初から、ここを内偵するために」

違う。逃げようとしたけどメイドが異常に速かっただけだ。そして俺はただの検証好きだ。


だが、セーラの目にはもはや、俺が『底知れぬ巨大な闇組織から送り込まれた最強の刺客』にしか見えていないらしかった。

彼女は冷や汗を流しながら、探りを入れるような声でカマをかけてきた。

「だとすると……当然、地下通路のこともバレていそうね?」


地下通路。俺は先ほど魔力波で読み取った構造を思い出した。

(通路は2本あったが……ここで全部知っていると答えると、また面倒なことになりそうだな)

情報を少し隠して、適当に合わせておくのが無難だろう。


「まあ、1本の地下通路だろ」

俺が少し情報をぼかしてそう答えると、セーラはビクッと肩を震わせた。

そして、彼女はまるで『恐ろしい真実を突きつけられた』かのように、顔を青ざめさせた。


「ええ……。”1本”よ……。分かってるんでしょう?」

セーラの声が震えている。

彼女のその反応で、俺はすぐに状況を理解した。


(なるほど。2本ある通路のうち、1本はダミーか、あるいは致命的な罠が仕掛けられているのか。

俺が『1本』と言ったのを、『安全な本物の通路は1本だけだと見抜いている』と勘違いしたんだな)

俺の適当な返答が、彼女の壮大な深読みをさらに加速させ、勝手にこちらの格を爆上げしてしまったらしい。


「勘弁してくれよ……」

俺は心底疲れた声でつぶやき、ふかふかのソファに深く背中を預けた。

正直に話せばブラフだと思われ、適当に答えても裏の裏まで深読みされる。


どんなに弁明しても、ますます『やべー奴』として警戒されるシステム。

俺は天井を仰ぎ見ながら、屋根裏にある巨大なクマのぬいぐるみ『トーラル』の存在をいつ突きつけてこの空気をぶち壊してやろうかと、現実逃避の検証を始めるのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第24話 待ちぼうけと、物理的な足止め


重厚な応接室での軟禁状態が始まってから、およそ2時間が経過した。

俺はふかふかのソファにすっかりと背中を預け、出された冷たいお茶をすすっていた。

対面に座るギルドマスターのセーラは、窓の外と時計を交互に眺めながら、不満げに眉をひそめている。


「おかしいわね、来ないわね」

セーラが赤い髪を指でいじりながら、ぽつりとつぶやいた。

「来ないって……。ミなんとかさんなら、ずっとこの部屋の前に立って待機しているみたいだけれど」


俺が『魔力波』で捉え続けている気配について指摘すると、セーラは呆れたようにため息をついた。

「違うわよ、あなたの仲間よ。普通、仲間が敵対組織に2時間も捕まっていれば、様子見くらい来そうなものだけれど」

どうやら彼女は、俺をここに連れ込めば、俺の所属する(架空の)闇ギルドの連中が助けに来るか、あるいは交渉に現れると踏んでいたらしい。


「だから、俺は闇ギルドの構成員なんかじゃないってば……。ただの一般人だ」

何度目になるかわからない弁明を口にするが、やはり彼女は信じない。

セーラは哀れむような目で俺を見つめ、大げさに肩をすくめた。


「見捨てられちゃったのかしらね。トカゲの尻尾切りというわけ。……どう? うちに来る?」

「来ませんって。俺は帰って宿の飯が食いたいんです」

俺が即答でスカウトを断ると、セーラは面白くなさそうに頬を膨らませた。


そのまま不毛な沈黙と、勝手な深読みによる睨み合いがさらに2時間続いた。

窓の外の景色はすっかり夕暮れに染まり、俺の腹の虫が限界を訴え始めた頃。

「……もういいわ、帰してあげる。これ以上待っても無駄みたいだしね」


セーラはついに根負けしたように手をヒラヒラと振り、解放の許可を出した。

「最初からそうしてくれればよかったんだ」

俺は肩を回して立ち上がると、メイドの冷ややかな視線を背に受けながら、足早に『至高の紅』を後にした。


ギルドの重い扉を抜け、夕闇が迫る路地に出たところで、俺は再び『魔力波』を展開した。

解放されたとはいえ、あの用心深いセーラが何の策も講じないわけがない。

波の反射を探ると、案の定、俺の背後数十メートルの距離に2つの不自然な気配があった。


(……なんか2人ほどつけてきているんだが。さっき酒場に待機していた奴らだな)

気配の消し方は素人のそれではないが、魔力波の立体マップからは逃れられない。

俺のアジトや交友関係を洗い出すための、古典的な尾行というわけだ。


「面倒くさいな。このまま宿に帰れば、ドベンに迷惑がかかるかもしれない」

撒くのは簡単だが、それだと明日以降もコソコソと嗅ぎ回られることになる。

ならば、少しばかり『仕様』の違いというものを教えてやるしかない。


俺はあえて路地裏の行き止まりへと歩を進め、足音を消して壁の陰に身を潜めた。

しばらくして、俺を見失って焦った様子の尾行者2人が、路地の奥へと足を踏み入れてきた。

「くそっ、どこに行きやがった?」「あの角を曲がったはずだ、急げ!」


彼らが俺の潜む壁のすぐ横を通り過ぎようとした瞬間。

俺は彼らの足元の空間に、極めて強固な『魔力固定』を発動させた。

「なっ!?」「うおっ!?」


2人の男は、まるで地面に靴底を強力な接着剤で縫い付けられたかのように、前のめりに転倒しそうになった。

「あ、足が……!? 地面から離れねぇぞ!?」

「なんだこれ、魔法か!? くそっ、動けねぇ!」


男たちがパニックに陥り、必死に足を引っ張っているのを尻目に、俺は悠然と壁の陰から姿を現した。

「30分ほど、そこで頭を冷やしていくといい」

俺が声をかけると、男たちは幽霊でも見たかのように顔を引きつらせた。


「お前たちに恨みはないが、俺のプライベートをこれ以上詮索しないでくれ。面倒なのでな」

空間そのものに魔力を固定するこの技術は、物理的な力では絶対に解除できない。

魔力が霧散するまでの約30分間、彼らはその場で案山子のように立ち尽くすしかないのだ。


「ひぃっ……! わ、わかった! もう追わねぇ!」

怯える彼らを放置して、俺は今度こそ真っ直ぐにドベンの宿へと歩き出した。

「あー、腹が減った。今日の夕飯はなんだろうな」

裏社会の陰謀など知ったことではない。俺の頭の中は、すでに脂っこい肉料理のことでいっぱいなのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第25話 ミスターマスクと新たなる勘違い


あの後、無事にドベンの宿へ帰り着き、脂たっぷりの肉料理を満喫した俺だったが。

翌朝になると、冷静なゲーマーとしての危機感が首をもたげてきた。

「『至高の紅』のギルドマスターに顔が割れてしまったのは、かなりマズいな」


あのセーラという女は、完全に俺を「謎の組織の手練れ」だと勘違いしている。

昨夜の尾行を物理的に足止めしたことで、警戒度はさらに跳ね上がっているだろう。

このまま素顔で街を出歩けば、また厄介な強制イベントに巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。


「となれば、対策は一つ。……変装するか」

俺は街の北に広がる森へと足を運び、手頃な太さの木の枝を拾い上げた。

そして『魔力念力』による不可視の刃を展開し、木材をミリ単位で削り出していく。


「通気性と視界の広さ、そして着脱のしやすさ。検証の成果を見せてやる」

出来上がったのは、顔の上半分をすっぽりと覆い隠す、滑らかな曲線の木製仮面だ。

俺はそれを顔に当て、サイズ感がピッタリであることを確認してうなずいた。


そのまま街へ戻り、市場の古着屋で目深に被れる黒いフード付きのローブを購入した。

宿の部屋に戻って仮面をつけ、ローブを羽織って鏡の前に立つ。

「……よし、完璧な変装だ。素顔は完全に隠蔽できている」


俺は前世の癖で存在しないメガネを……仮面の上から押し上げる仕草をした。

「今日から、この姿で活動する時の俺は『ミスターマスク』と名乗ろう」

我ながらシンプルで分かりやすい、素晴らしいネーミングセンスだ。


「仮面を付けた黒フードの人物なんて、悪目立ちするんじゃないか」と思うかもしれない。

だが、このフコーヘイの街では、意外にもその手のファッションは珍しくないのだ。

街を歩いていると、確かに俺と同じような仮面とフード姿の連中を何人か見かける。


「お忍びの貴族か、あるいは正体を隠したいワケアリの連中なのだろうな」

彼らがいるおかげで、俺の『ミスターマスク』というアバターも街の風景に自然と溶け込める。

俺は自分の完璧な偽装工作に満足し、悠々と街の探索と情報収集を再開した。


しかし、俺は知らなかった。

この街にいる仮面と黒フードの連中、そのうちの実に7割は、とある組織の人間だということを。

彼らはフコーヘイの街に根を張るもう一つの闇ギルド、『幻想マスク』の構成員だったのだ。


一方その頃、『至高の紅』のギルドマスターの部屋では。

窓から街の様子を見下ろしていたセーラが、呆れたような、しかし納得したようなため息をついていた。

彼女の視線の先には、市場を悠然と歩く『ミスターマスク』の姿があった。


「あの歩き方、そして周囲の魔力の揺らぎ……間違いないわね」

セーラの手練れとしての目は、俺の安直な変装など秒で見破っていた。

だが、彼女はその「変装の意図」を、またしても明後日の方向へと深読みしていたのだ。


「あの仮面に黒いフード……。なんだ、『幻想マスク』の新入りだったのね。盲点だったわ」

セーラはワイングラスを傾けながら、面白そうにくすくすと笑った。

『幻想マスク』は、至高の紅とは不可侵の協定を結んでいる同業者だ。


「『漆黒の影』なんて適当な名前を騙って、ずいぶんと手の込んだお遊びをするじゃない。

同業者の有望な新人なら、これ以上手を出すのはルール違反ね」

セーラは背後に控えるメイドに、俺への尾行と詮索を完全に打ち切るよう指示を出した。


かくして、俺の「素顔を隠す」という素人丸出しの変装は、裏社会のパワーバランスに奇跡的に合致した。

セーラからの警戒は解かれ、俺はミスターマスクとして、誰にも邪魔されない平穏な時間を手に入れたのだ。

「よし、今日も尾行はなし。検証に集中できるな」


俺は自分が『幻想マスク』の構成員だと勘違いされていることなど露知らず。

ただの木製仮面越しの視界で、活版印刷の進捗とジャンクフードのさらなる高みを目指し、街を闊歩するのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第26話 深夜の鼠と招かれざる殺意


皆が寝静まり、街の喧騒が深い闇に溶けた深夜のこと。

俺は宿の自室で、眠りに就きながらも無意識下で『魔力波』のパッシブ・スキャンを継続していた。

6年間のサバイバルで染み付いた、生命維持のための自動化された「検証」だ。


脳内に展開されたモノクロのマップに、突如として2つの異質な光点が映し出された。

光点は裏口から侵入し、迷いのない足取りで1階のキッチンへと向かっている。

(……鼠か。いや、それにしては歩幅が一定で、足音を消す練度が高いな)


俺は音もなくベッドから起き上がり、昨夜購入した黒のフードローブを羽織った。

そして、枕元に置いてあった木製の仮面――『ミスターマスク』の装備を装着する。

キッチンの目当ては、おそらくドベンの「レシピ」だろう。


階段を音もなく下り、キッチンののれんを潜る。

そこには、手燭の微かな明かりを頼りに、ドベンの書き置きや調理器具を漁る2人組がいた。

驚いたことに、彼らもまた、俺と同じような「仮面とフード」を身に着けていた。


「そこまでにしてもらおうか。不法侵入は、この街の仕様でもアウトのはずだ」

俺が低く声をかけると、2人組は弾かれたように振り返った。

彼らは即座に腰の短剣に手を伸ばしたが、俺の『魔力固定』の方がわずかに速かった。


「なっ……!? 体が、動かない……!?」

「空間に……縫い付けられて……っ!」

俺が指先一つで彼らの周囲の空間を固定すると、彼らは彫像のようにその場に固まった。


俺は念のためにキッチンにあった頑丈なロープを『魔力念力』で操り、彼らを縛り上げた。

「さて、どこのどいつだ。ドベンのハンバーガーに目を付けるとは、お目が高いがな」

その騒ぎを聞きつけて、2階からドベンがドスドスと大きな足音を立てて下りてきた。


「なんだ、泥棒か!? ……おい、こいつら、仮面を付けてやがるぞ!」

ドベンは俺の横に並び、捕縛された2人組を見て顔を真っ赤にして怒鳴った。

「俺のレシピを盗もうたぁ、いい度胸だ! ミスター、助かったぜ!」


事情を説明し、俺たちはそのまま憲兵に通報することにした。

憲兵に引き渡された2人組は、終始無言だったが、その仮面の意匠には独特の紋様が刻まれていた。

それが何を意味するのか、その時の俺には知る由もなかった。


翌日、フコーヘイの街のさらなる深淵――闇ギルド『幻想マスク』の本拠地にて。

「構成員が2人、憲兵に捕まっただと? 相手は誰だ」

ギルドの幹部が、報告に訪れた下っ端を鋭く睨みつけた。


「それが……『漆黒のブラック』の構成員を名乗る、仮面の男だそうです」

「漆黒の影? あの大罪人が所属していたという、あの小規模なギルドか?」

幹部は不快そうに鼻を鳴らし、手元の資料を捲った。


「おかしい。至高の紅のセーラからは、『幻想マスク』の新入りだという情報が来ていたが」

「おい、うちの構成員に『セリ』なんて奴はいないぞ。名簿を洗い直せ!」

幹部の怒号が響き、調査が行われたが、当然ながらセリの名は見つからない。


「……勝手に『幻想マスク』を名乗って活動しているということか?」

「待て、本人は以前『漆黒の影』を名乗っていたらしいが、今は仮面を付けて暗躍している……」

幻想マスクの連中は、セリの「変装」を自分たちへの敵対行為、あるいは偽装工作だと判断した。


「どうやら、第三の闇ギルドが俺たちの縄張りを荒らそうとしているってのは本当らしいな」

セリの「ミスターマスク」という安直な変装は、裏社会のパワーバランスを激しく揺さぶっていた。

彼らにとって、自分たちの象徴である「マスク」を使い、構成員を捕縛する存在は許しがたい侮辱だ。


「これ以上邪魔されると目障りだ。……殺すか」

幹部の冷徹な一言で、ギルド全体に「暗殺指令」が下された。

至高の紅のセーラが「同業者」だと勘違いして手を引いた一方で、幻想マスクは逆に牙を剥いた。


俺が宿でドベンの朝食を楽しみ、活版印刷の次の工程について思考を巡らせていた頃。

裏社会では、俺の「排除」を目的とした死のネットワークが、着実に張り巡らされていた。

「検証」を楽しむおっさんの平穏な日常に、本格的な殺意が迫りつつあった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第27話 終わらない奇襲と壊滅する闇ギルド


俺は今日もドベンの宿の食材調達のため、いつものように街の北の森へと足を運んでいた。

『ミスターマスク』の変装は完璧だ。誰にも正体を悟られることなく、狩りに集中できる。

俺は『魔力波』を展開し、脂の乗ったグレートオークの反応を探りながら木立を歩いていた。


その時だった。俺の展開する魔力波のレーダーに、不自然な6つの光点が引っかかった。

彼らは息を殺し、俺の背後から半円状に包囲を縮めてきている。

獣ではない。完全に統率の取れた、人間の足取りだ。


(……何だ? こないだキッチンに忍び込んだ泥棒の仲間か?)

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げる仕草をしつつ、ため息をついた。

ハンバーガーのレシピに対する異常な執着心には呆れるばかりだ。


「目標を確認。……やれ」

背後から微かな殺気が膨れ上がり、6人が一斉に短剣を構えて跳躍した。

だが、俺は振り返ることすらしなかった。


「検証の邪魔だ。少し頭を冷やせ」

俺は背後の空間に、6人分の『魔力固定』のフィールドを瞬時に展開した。

「なっ……!?」というくぐもった声と共に、跳躍した刺客たちは空中でピタリと静止した。


彼らもまた、顔の上半分を覆う仮面とフードを身に着けていた。

「やはり同じ趣味の泥棒集団か。……まとめて憲兵に突き出しておくか」

俺は動けなくなった6人を『魔力念力』でロープで縛り上げ、そのまま街の憲兵の詰め所へと引き渡した。


だが、面倒なイベントはそれだけでは終わらなかった。

その翌日も、さらにその次の日も。森で、あるいは街の路地裏で。

まるでゲームのランダムエンカウントのように、仮面の連中による奇襲が6回ほど立て続けに発生したのだ。


その度に俺は『魔力固定』で無傷のまま彼らを拘束し、憲兵の元へポイ捨てのように納品した。

「……うんざりだな。憲兵の牢屋もそろそろ満杯なんじゃないか?」

さすがの俺も、作業と化した捕縛劇に疲労を感じ始めていた。


そんなある日。街の大通りを歩いていた俺に、不意に声が掛かった。

「ちょっと、そこの彼」

振り返ると、そこには私服姿の赤い髪の女――『至高の紅』のギルドマスター、セーラが立っていた。


「あなた、『幻想マスク』の構成員じゃないの?」

彼女は俺の木製仮面を指差しながら、呆れたような、不思議そうな顔で尋ねてきた。

「『幻想マスク』……? 何それ」


俺は素で聞き返し、首を傾げた。

「というかお姉さん、どなたですか? 人違いじゃないですかね」

俺は『ミスターマスク』として完璧に変装している。素顔を知るセーラにバレるはずがない。


そう思ってとぼけたのだが、セーラは冷ややかな目を俺に向け、残酷な事実を口にした。

「言っておくけれど、全く変装になってないわよ。歩き方も魔力の癖も、丸見えだから」

「……そんなぁ」


俺は膝から崩れ落ちそうになりながら、素直に木製の仮面と黒ローブを脱ぎ捨てた。

せっかくの自信作だったが、手練れには文字通り秒で見破られていたらしい。

「で、結局のところ、本当に第三勢力の『漆黒の影』の人間なの?」


セーラは目を細め、俺の正体を探るように顔を近づけてきた。

「だから、それも出まかせだってば。俺はただの一般の検証好きだ」

「一般人が、闇ギルドを一つ壊滅させるわけがないでしょう?」


「……壊滅?」

聞き捨てならない単語に、俺は思わず聞き返した。

セーラは肩をすくめ、やれやれといった様子でため息をついた。


「ええ。あなたが憲兵に突き出し続けたせいで、『幻想マスク』の構成員、残り3人以外みんな捕まっちゃってるわよ」

「…………は?」

俺の頭の中に、縛り上げて憲兵に引き渡した仮面の連中の姿が思い浮かんだ。


あれは泥棒の仲間ではなく、立派な闇ギルドの暗殺部隊だったのか。

俺の知らないところで、裏社会のパワーバランスが完全に崩壊していたらしい。

「何をやってんだか、『幻想マスク』とやらは……」


自ら突っ込んできて勝手に全滅していく闇ギルドの杜撰な仕様に、俺は心底呆れ果てていた。

「……その呆れ顔、本当に無自覚なのね。恐ろしい人」

セーラが微かに引きつった笑みを浮かべていたが、俺はそれどころではなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第28話 仕組まれた幕引きと、紅の独壇場


セーラに半ば強引に連れられてやってきたのは、街の場末にあるひときわ薄暗い、窓のない石造りの建物だった。

ここが、連日俺を襲撃してきた刺客たちの本拠地、闇ギルド『幻想マスク』のアジトだという。

俺は心底嫌そうな顔を隠さず、前世の癖で存在しないメガネを押し上げながら足を踏み入れた。


「セーラ! 貴様、同盟などと言っておきながら、よくもぬけぬけと……!」

建物に入った瞬間、奥から仮面を付けた男が絶叫しながら飛び出してきた。

その後ろには、殺気立った構成員が2人。これが、俺が憲兵に納品し損ねた「残り3人」の全戦力だろう。


「その男を使って、わが『幻想マスク』の構成員を削りおったな! この卑劣な女狐が!」

男の指差す先は俺だった。どうやら彼らの中では、俺はセーラが送り込んだ「組織壊滅用の秘密兵器」という設定で確定しているらしい。

「……いえ、あなたたちの自滅でしょ。勝手に勘違いして、勝手に突っ込んできただけじゃない」


セーラは心底退屈そうに、ふわりと赤い髪をかき上げた。

その挑発的な態度が、絶望の縁にいた彼らにとどめを刺した。

「もう、こうなったら貴様らをここで殺してやるー! 死ねぇ!」


リーダー格の男と構成員2人が、ヤケクソ気味に武器を構えて俺たちに肉薄する。

(……やれやれ、最後まで検証の邪魔をしてくれる)

俺は溜め息をつき、彼らの足を空間ごと縫い付けるべく『魔力固定』のイメージを練り上げた。


だが、俺が魔力を発動させようとした、まさにその刹那だった。

バンッ!!

静寂を切り裂くような轟音と共に、建物の正面扉が文字通り蹴破られた。


「話は聞かせてもらった! 白昼堂々、市民を襲う悪党どもめ! 神妙にしろ!」

部屋に雪崩れ込んできたのは、重武装した憲兵の小隊だった。

「なっ、憲兵!? なぜここが……!?」

「う、動くんじゃねぇ! 抵抗すれば斬り捨てるぞ!」


あまりにも、ありえないタイミングだった。

暗殺計画の真っ最中、しかもアジトの奥深くで「犯行声明」とも取れる叫びを上げた直後。

まるで舞台装置の一部のように、憲兵たちが完璧なタイミングで介入してきたのだ。


呆然とするリーダーたち3人は、反撃の機会すら与えられず、あっさりと取り押さえられた。

「おい、離せ! 俺たちは……!」「やかましい! 連れて行け!」

男たちの叫びは虚しく響き、憲兵たちは俺たちを一瞥することもなく、連中を引きずって去っていった。


嵐が去った後のような静寂が、アジトの中に降りる。

「ふふ、これで一件落着ね。フコーヘイの街の治安も、これで少しは良くなるかしら」

セーラは満足げに微笑み、優雅な足取りで出口へと向かう。


「……どう見てもあの憲兵のタイミングは、都合が良すぎるぞ」

俺はその後ろ姿を冷めた目で見つめ、小さくつぶやいた。

憲兵が闇ギルドの本拠地を正確に把握し、最深部まで一切の抵抗を受けずに到達し、かつ最適の瞬間に突入する。


そんな「仕様」は、偶然では絶対に起こり得ない。

脅したのか、ハニートラップか、それとも莫大な袖の下を握らせたのか。

いずれにしても、ろくな理由ではないだろう。


セーラは振り返り、悪戯っぽくウインクをしてみせた。

「あら、私はただ、街の善良な市民として通報しただけよ? 手続きは正当だったわ」

その言葉を信じるほど、俺の脳は素直にできてはいない。


こうして、フコーヘイの街を二分していた闇ギルドの一角、『幻想マスク』は文字通り壊滅した。

構成員のほとんどが憲兵の牢屋にぶち込まれ、拠点は没収。

残ったのは、セーラ率いる『至高の紅』のみ。


フコーヘイの街の裏社会は、一夜にして彼女の一強状態となってしまったのだ。

「……最強の駒を使って、競合他社を公権力にデバッグさせるか。恐ろしい経営者だな」

俺は存在しないメガネを押し上げ、深くため息をついた。


利用されたことへの怒りよりも、そのあまりにも効率的で無駄のない「組織解体手順」に、検証者として少しだけ感心してしまったのも事実だ。

だが、これで当面の邪魔者はいなくなったはずだ。

俺は裏社会の覇者となったセーラを放置し、本来の目的である『活版印刷』と『ハンバーガー』への情熱を取り戻すべく、宿へと帰路に就くのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第29話 試作品の完成とクールなメイド


俺は自作の木製仮面と黒いローブを完全に封印した。

『幻想マスク』が壊滅し、至高の紅のギルドマスターにも「変装の無意味さ」を指摘された以上、身を隠すメリットが消滅したからだ。

平穏を取り戻した俺は、素顔のまま陽光の差し込む職人街へと足を運んだ。


目指すは、俺の全財産の大半を投資したドワーフの工房である。

「よう、来たな。まだ完成途中だけれどよ、こんな感じだ」

赤髭の親方は、熱気に満ちた工房の奥から、木と鉄で組まれた小さな機械の模型を運んできた。


それは、俺が発注した活版印刷機とミキサーの『試作品(ミニチュア版)』だった。

「こっちが繊維をすり潰す刃の機構で、こっちが文字を並べて圧をかけるプレスだ」

親方が手回しのハンドルを回すと、精巧な歯車が噛み合い、滑らかにプレス機が上下した。


「素晴らしい。動力の伝達に無駄がないな。文字ブロックの精度も申し分ない」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、試作品の精巧な作りに感嘆の息を漏らした。

これなら、俺の『魔力念力』によるミリ単位の調整を加えることで、完璧な印刷機が完成するはずだ。


「これの5倍のデカさのやつを作るんだろ? 骨が折れるが、やり甲斐は十二分にあるぜ」

親方はニヤリと笑い、俺もそれに応えて深く頷いた。

紙の大量生産と、活字による知識の複製。この世界の仕様ルールを根底から覆す情報革命の足音が、確かに聞こえた気がした。


満足いく進捗を確認し、意気揚々とドワーフの工房を後にした帰り道。

人通りの少ない裏路地に差し掛かったところで、俺の歩みはピタリと止まった。

「……また待ち伏せか。飽きない連中だ」


建物の影から、一切の足音を立てずに一人の女性が姿を現した。

端正な顔立ちに、不釣り合いなほど戦闘に特化した機能的なメイド服。

先日、至高の紅で俺を背後から捕らえた、あの凄腕のメイドだった。


「初めまして、と言うべきでしょうか。私はトーラルです」

メイドは恭しく一礼し、感情の読めない平坦な声で名乗った。

その名前を聞いた瞬間、俺の脳裏に『魔力波』でスキャンしたあの光景がフラッシュバックした。


「ああ、屋根裏にあった、巨大なクマのぬいぐるみの」

俺が素で納得して相槌を打つと。

メイドの――トーラルの完璧なポーカーフェイスが、ピキリと音を立ててひび割れた。


「……私は、冷徹でクールでビューティな女性です」

トーラルは声のトーンを一段階下げ、目を逸らしながら早口で言い放った。

「可愛いものには、一切興味ありません」


「そうか」

俺はあえてそれ以上は追求せず、短く返した。

顔は無表情を取り繕っているが、魔力波で読み取れる彼女の心音は、先ほどから激しく乱高下している。


(クールでビューティな暗殺者が、自分の名前を刺繍した等身大のクマのぬいぐるみを屋根裏に隠しているのか……)

裏社会の人間は、ストレスの捌け口の仕様がどうにも歪んでいるらしい。

俺が内心でそんな分析をしていると、トーラルはコホンと咳払いをして本来の目的を切り出した。


「ギルドマスターから、あなたへの提言をお預かりしています。

『お前も至高の紅にならないか』と」

「いやだ」


俺は間髪入れずに即答した。

いくら俺が「幻想マスク」の壊滅に一役買った(利用された)とはいえ、闇ギルドに就職する気など毛頭ない。

俺の即答に、トーラルは少しだけ伏し目がちになり、静かに口を開いた。


「そうですか。……あなたなら、この世界で不条理に虐げられている者の気持ちがわかると思ったのですが」

彼女の言葉の裏にある「重み」に、俺は少しだけ眉を動かした。

なるほど。至高の紅という組織は、ただの犯罪者集団ではないらしい。


スキル至上主義のこの世界において、有用なスキルを持たない者、理不尽に底辺に落とされた者たち。

そういった「システムから見放された者たち」のセーフティーネット、あるいは社会への復讐の受け皿。

それが、あのセーラという女が統べる闇ギルドの真の姿なのかもしれない。


俺自身、スキル無しというだけで石を投げられ、森へ追放された身だ。

彼女たちの抱える怒りや、世界に対する不条理への恨みは、痛いほど理解できる。

だが、気持ちはわかっても、闇ギルドに協力して社会と全面戦争をする気にはならない。


「理不尽への抗い方は、人それぞれだ。俺は俺のやり方で、この世界の仕様を書き換えるつもりだ」

俺は存在しないメガネを押し上げ、静かに、しかしはっきりと拒絶の意思を示した。

トーラルは俺の目をまっすぐに見つめ返し、やがて静かに一礼した。


「いいでしょう。ギルドマスターも、無理強いはしないと仰っていました。

せいぜい、これからも外側からギルドマスターに貢献することですね」

「しないっての。俺はもう関わらないぞ」


俺が呆れたようにツッコミを入れると、トーラルは身を翻した。

そして、メイド服のスカートを翻しながら、見事な「忍者走り」で路地の奥へと風のように消え去っていった。

両手を後ろにピンと伸ばして疾走するそのシュールな姿に、俺はしばらく言葉を失っていた。


「……クールでビューティねぇ」

ツッコミどころが多すぎる裏社会の連中との関わりを断ち切り、俺は再び平穏な日常の検証へと戻るべく、ドベンの宿へと歩き出すのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第30話 閑話:至高の紅と狂気の理論


フコーヘイの街の裏社会を完全に掌握した、闇ギルド『至高の紅』の本拠地。

その最深部に位置する豪奢なギルドマスターの執務室で、セーラは上質な赤ワインの入ったグラスを揺らしていた。

窓の外には、彼女の掌の上で転がることになった街の夜景が、静かに広がっている。


音もなく重厚な扉が開き、一人の女性が恭しく一礼して部屋に入ってきた。

戦闘に特化した機能的なメイド服に身を包んだ、自称クールでビューティな暗殺者、トーラルである。

「戻りました、ギルドマスター。……勧誘に失敗しました」


トーラルの平坦な報告を聞き、セーラはグラスをサイドテーブルに置いてくすくすと笑った。

「やっぱりね。あの男が素直に首を縦に振るとは思っていなかったわ」

あの男――セリの瞳の奥には、権力への執着も、金への欲望も存在していなかった。


何より、スキル至上主義という『世界の不条理』に対する怒りすらも、彼の中には見当たらなかったのだ。

ただ純粋に、この世界を自分なりの方法で解き明かし、楽しもうとする異常なまでの探求心。

セーラの手練れとしての勘が、彼を「既存の枠組みには収まらない規格外の存在」だと告げていた。


「どうやら彼は、私たちの想像以上に『個人的な目的』のために動いているようね。

……勧誘を続けますか?」

トーラルの問いに、セーラはゆっくりと首を横に振った。


「いいわ、これ以上しつこくすれば逆効果になりそうだもの。

あのような底知れない化け物を、無理に敵に回す必要はないわ」

セーラは姿勢を正し、真剣な眼差しをメイドに向けた。


「それより、トーラル。彼が尾行の連中に使った、魔力操作による空間の足止め。

あれ、私たちのギルドでも真似できそうかしら?」

それが、セーラにとっての最大の関心事であった。


物理的な拘束具も使わず、魔法陣を描くこともなく、ただ一瞬で対象の足を空間に縫い付ける技術。

そんなものが『スキル無し』の人間に発動できるのであれば、それは魔法の歴史を覆す大事件だ。

トーラルは少しだけ眉をひそめ、尾行者たちから聞き出した情報と、自身の目で見た魔力の残滓を分析する。


「……かなり繊細で、狂気的なまでの魔力操作が必要です。

ですが、魔法の構築式や特定のスキルといった、複雑なシステムは一切介在していませんでした」

「つまり?」


「理論は恐ろしく単純で、子どもでも理解できるくらいのものです。

体内の魔力を体外へ放出し、極限まで密度を高めて、その場に留め置く。

……ただそれだけの、原始的な力技です」


トーラルの解説を聞き、セーラの背筋に心地よい悪寒が走った。

魔法を『スキルという自動化されたシステム』として使うのが当たり前のこの世界で。

全てを『手動操作』で行うなど、呼吸の仕方を細胞レベルで意識して行うような、常軌を逸した所業だ。


「馬鹿げているわ……。システムを介さない、純粋な魔力だけの物理干渉。

でも、構造が単純ゆえに、スキルの縛りを受けずに誰でも発動できる可能性があるということね」

セーラが呟くと、トーラルは深く頷いた。


「はい。ただひたすらに魔力を練り上げるという、死に物狂いの反復練習さえ積めば。

私達『至高の紅』の精鋭であれば、4か月で習得できるでしょう」

その言葉は、闇ギルドの戦術が根本からアップデートされることを意味していた。


たった一人の男が、何の気なしに見せつけた「ただの足止め」の技術。

それだけで、裏社会のパワーバランスはさらに強固なものへと変貌する。

「恐ろしい男ね。……多分、彼の手札はこれだけじゃないわ」


セーラは再びワイングラスを手に取り、街の夜景へと視線を向けた。

「あの異常な魔力探知も、冷却の魔法も、彼にとってはただの氷山の一角。

彼はまだ、世界をひっくり返すような技術を隠し持っていると思うのよ」


セーラはグラスに残った赤い液体を飲み干し、冷徹なギルドマスターとしての決断を下した。

「引き続き、彼への観察だけは続けましょう。

決して手は出さず、敵対もせず。ただひたすらに、彼のこぼれ落とす技術を拾い集めるのよ」


「御意に」

トーラルが深く頭を下げ、影のように部屋から退出していく。

こうして、フコーヘイの街におけるセリの日常には、ある決定的な変化が訪れることとなった。


市場でジャンクフードの代替品を探している時も。

ドワーフの工房へ活版印刷の進捗を確認しに行く時も。

あるいは、ドベンの宿で山盛りのポテトフライを頬張っている時も。


常に周囲の死角に、『至高の紅』の優秀な構成員たちの監視の目が張り付くようになったのだ。

(……また見てるな。まあ、手を出してこないなら放置でいいか)

もちろん、そんな素人の尾行など、セリの『魔力波』の全方位スキャンの前では筒抜けであった。


「不干渉の仕様を守るNPCならば、害はない。

向こうが『観察モード』なら、こちらも徹底的に無視するまでだ」

セリは心の中でそう結論付けると、どこかから見つめる視線を完全にスルーして、今日も熱々の肉料理にかぶりつくのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第31話 活版印刷の完成と知識の暴走


『至高の紅』による徹底した「不干渉の観察網」が敷かれてから数日。

俺はいつも通り、周囲の死角に張り付く数人の気配を完全にスルーしながら、職人街へと足を運んでいた。

本日の目的は、ドワーフの工房に発注していた特注機械の進捗確認である。


職人街の奥深く、熱気と金属音が交差する大通り。

赤髭の親方の工房に近づくと、いつものドスン、ガキンという重低音に混じって、聞き慣れない甲高い声が聞こえてきた。

「おおっ! 素晴らしい! なんという精密な機構だ!」


工房の扉を開けると、そこにはドワーフの親方だけでなく、見覚えのある人物がいた。

分厚い眼鏡をかけた、裏通りの本屋『知識の泉』の店主であるおじいさんだ。

「よう、来たなパトロン! 待ちわびたぜ!」


親方が俺の姿を認めるなり、白い歯を見せて豪快に笑った。

その背後には、俺が図面を描いた通りの『巨大ミキサー』と『活版印刷機』の完成品が鎮座していた。

「完成したのか。だが、なぜ本屋の親父さんがここに?」


俺が存在しないメガネを押し上げながら尋ねると、本屋の店主が興奮冷めやらぬ様子で振り返った。

「ドワーフの親方から『とんでもない機械を作るパトロンがいる』と聞いてな!

居ても立っても居られず飛んできたのだよ!」


どうやら、親方が酒の席か何かで情報を漏らしたらしい。

しかし、知識の専門家が自ら食いついてきてくれたのは、検証の効率化という意味では好都合だ。

「それより見てくれ! お前の言っていた通り、『紙』はもう作ったぞ!」


親方がドヤ顔で指差した先には、木箱に積まれた大量の真新しい紙の束があった。

表面はまだ少し粗いが、十分にインクを乗せられそうな立派な紙だ。

「……早いって」


俺は思わずツッコミを入れた。

機械の完成報告を受けに来ただけなのに、すでに巨大ミキサーは試運転を終え、パルプの製造から乾燥工程まで完了していたらしい。

「ドワーフの職人魂を舐めるなよ! 徹夜で調整して、昨日からフル稼働さ!」


親方が胸を張る横で、本屋のおじいさんが鼻息を荒くして身を乗り出してきた。

「次は、この機械で紙に文字を書く作業だな! 実は、既に準備しているのだ!」

店主が指差した先には、小さな金属の活字ブロックが、びっしりと木枠に組み込まれた『版』があった。


「だから早いっての」

俺は本日二度目のツッコミを入れた。

どうやら、活版印刷による情報革命を誰よりも心待ちにし、楽しみにしているのは、発案者の俺ではなくこの本屋のおじいさんのようだった。


「ワシは長年、知識が貴族に独占され、写本の手間で失われていくのを歯痒く思っていた!

この機械が本物ならば、歴史が変わる! さあ、早く動かしてみせてくれ!」

店主の狂気すら孕んだ熱意に押され、俺は印刷機の前に立った。


「よし、稼働実験テストプレイといこうか」

俺は組み上がった活字の版に、親方が用意した黒いインクを均等にローラーで塗りつける。

そして、その上に先ほど完成したばかりの真新しい紙をセットした。


「いくぞ」

俺は印刷機の太いレバーを掴み、ゆっくりと、しかし確実に押し下げた。

ガシャン、という重厚な金属音が工房に響き、プレス機が紙と活字を均等な力で圧着させる。


数秒のタメの後、俺はレバーを引き上げ、プレスを解除した。

紙の端を指でつまみ、インクが滲まないように慎重に剥がし取る。

そこには、手書きの写本とは比べ物にならないほど均一で、美しい文字の羅列がはっきりと刻み込まれていた。


「お、おおお……!」

本屋のおじいさんが、震える手でその紙を受け取った。

分厚い眼鏡の奥の瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出している。


「一瞬で! 一瞬で本が出来た!」

おじいさんが天に掲げるように紙を掲げ、歓喜の声を上げた。

「まあ、1ページだけだけどな」


俺の冷静なツッコミなど、もはやおじいさんの耳には届いていなかった。

「凄い、凄いぞ! 手書きで数日かかる文字量が、たったの数秒で!

今すぐ商業ギルドに人をたくさん寄越してもらって、これを大量生産しなければ!」


おじいさんはその場で足踏みをして興奮していたが、ふと我に返ったように俺の方を向いた。

「おっと、順番を間違えた。ワシとしたことが、あまりの興奮に我を忘れてしまったわい。

パトロン殿、頼みがある!」


おじいさんは居住まいを正し、真剣な眼差しで俺を見据えた。

「この素晴らしい機械、ワシがきちんとした使用料を払って、あなたと共同で所持することにしたいが、よろしいか?

販売ルートの開拓や人員の確保は、全てワシの店が責任を持とう!」


それは俺にとって、願ってもない好条件だった。

資金繰りと情報収集のために活版印刷を作ったが、実際に本を量産して売る営業活動など、俺一人では手が回らないからだ。

「どうぞ。好きなだけ使ってくれ」


俺が即答で許可を出すと、本屋のおじいさんは目を見開き、そして顔をくしゃくしゃにして叫んだ。

「ひゃっほおおおう!」

それは、知識を愛する老人が、文字通り子供のように純粋な喜びを爆発させた瞬間だった。


ドワーフの親方も「がははは!」と豪快に笑い、俺の背中をバンバンと叩いた。

俺は存在しないメガネを押し上げながら、その騒ぎを心地よく眺めていた。

(生産イベントのフラグ回収が、異常なスピードで進んでいくな)


本屋のおじいさんという『最高効率のNPC』の働きにより、この世界への本の普及は、俺が想定していたよりも遥かに早く行われそうであった。

スキル至上主義の世界の根幹を揺るがす、活字による知識の共有。

俺の始めた検証は、いよいよ街全体を巻き込む巨大なうねりとなろうとしていた。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第32話 衣の概念と至高のフライドチキン


本屋のおじいさんとドワーフの親方という、二人の狂気的な職人によって活版印刷の量産体制が整った日の午後。

俺は大きな達成感と共に、フコーヘイの街の裏通りにあるドベンの宿へと帰還した。

宿の食堂は、相変わらずハンバーガーとポテトを求める客たちで賑わい、暴力的な肉の匂いを漂わせている。


だが、俺のゲーマーとしての探求心は、すでに次のステージへと向かっていた。

「ドベン、少し厨房のスペースを借りるぞ。新しい『検証』をしたい」

俺が声をかけると、厨房の奥でハンバーグのパティを捏ねていたドベンが、目を輝かせて振り返った。


「おお、ミスター! 次はどんなとんでもねぇ料理を教えてくれるんだ!?」

俺は『魔力の箱』から、今朝の森の探索でついでに狩っておいた魔獣の肉を取り出した。

それは、牛ほどもある巨大な鳥の魔獣『ストーム・バード』のモモ肉とムネ肉だ。


「今日は、こいつを使って次なるジャンクフードの開発だ」

「鳥の魔獣か。こいつの肉はあっさりしていて美味いが、焼くと少しパサつくんだよな」

ドベンが肉の塊を突っつきながら、料理人としての的確な評価を下す。


「ああ。だから、油で揚げるんだ。外はサクサク、中は肉汁が溢れるようにな」

俺の提案に、ドベンは不思議そうに首を傾げた。

「油で揚げる? いわゆる素揚げか? それならうちでもたまにやるが、鳥肉は油に水分を持っていかれちまうぞ」


どうやらこの世界にも、食材を高温の油に直接投げ込む『素揚げ』という調理法は存在するらしい。

だが、あの悪魔的なジャンクフードの要である『ころも』を付けるという概念は、まだ料理の歴史に刻まれていないようだった。

「素揚げじゃない。揚げる前に、肉の表面を粉でコーティングするんだ」


俺は厨房にあった小麦粉や、芋をすり潰して作ったデンプン粉(片栗粉のようなもの)を指差した。

「肉に下味をつけ、この粉をまぶして油に落とす。粉が油の熱で固まって『衣』になり、中の肉汁を完全に閉じ込める」

俺の解説を聞き、ドベンは太い腕を組んで唸った。


「揚げる時に味付けした粉の混ぜ物を付けて揚げる、か。ふうむ、試してみよう」

さすがはこの街一番を自称する料理人だ。未知の調理法に対する適応力と好奇心が素晴らしい。

ドベンは早速、ストーム・バードの肉を一口大に切り分け、塩と香草で強めの下味を揉み込んだ。


そして、俺の指示通りに小麦粉をたっぷりとまぶし、煮えたぎる大鍋の油の中へと肉を放り込んだ。

ジュワァァァァッ!!

厨房いっぱいに、油が弾ける激しい音と、香ばしく焦げる小麦の匂いが爆発的に広がる。


「おおっ!? 油の跳ね方が素揚げと違う! 周りの粉が、見事に固まってきやがる!」

ドベンは長箸で鍋の中の肉を転がしながら、興奮した声を上げた。

数分後、油から引き上げられたそれは、見事なきつね色に輝く『フライドチキン』そのものだった。


「よし、まずは試食だ」

俺は皿に乗せられた熱々の塊を一つ手に取り、大きく口を開けてかぶりついた。

ザクッ!!


脳髄に響くような、完璧なクリスピーの破砕音。

その直後、衣に閉じ込められていたストーム・バードの濃厚な肉汁が、口の中へと一気に決壊した。

「……ッ!!」


香草のパンチが効いた下味と、油を吸って旨味の塊となったサクサクの衣。

ハンバーガーの重厚な旨味とはまた違う、暴力的なまでのスナック感とジューシーさだ。

「美味い……。6年ぶりのフライドチキンだ」


俺が至福の吐息を漏らす横で、ドベンも自分で揚げたチキンを味見し、目を見開いていた。

「なんだこりゃあ!? 外のガリガリした食感の後に、肉汁の洪水が来やがる!」

彼はあまりの美味さに一瞬硬直した後、すぐさま厨房の粉の入った袋を漁り始めた。


「なるほど! 粉の種類によって触感が変わるのか! 小麦粉ならガリッと、芋の粉ならサクッと仕上がるってわけだ!」

ドベンは料理人の本能で、衣の配合比率による食感のチューニングという検証作業を自主的に開始した。

「さらに、粉の味付けで風味も変わる! 衣に香辛料を混ぜ込めば、無限に味が作れるじゃないか! これは面白いな!」


ドベンは完全にゾーンに入った顔で、次々と肉に粉をまぶし、狂ったように油の鍋へと投入し始めた。

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、揚げたてのチキンをさらに口へと運ぶ。

(……どうやら、完璧に定着したな)


こうして、フコーヘイの街の裏通りにある食堂に、またしても脂っこいファストフードのメニューが1つ増えたのだった。

活版印刷による情報革命が進む一方で、俺の胃袋を満たすジャンクフード革命も、確かな進化を遂げていた。

外の監視網など気にも留めず、俺はひたすらにサクサクのチキンを頬張り、至福の検証時間を過ごすのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第33話 過労死フラグとフランチャイズ戦略


その日の朝、俺がいつものように朝食を求めて食堂へ下りていくと、そこには異様な光景が広がっていた。

厨房の入り口で、ドベンがピクリとも動かずに突っ伏していたのだ。

手にはまだ、揚げ物用の長箸を握りしめたままで。


「……おい、ドベン。死んでるのか?」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、冷静に『魔力波』で彼のバイタルをスキャンした。

心音は力強く、呼吸も安定している。どうやら、ただ深い眠りに落ちているだけのようだ。


「ステータス異常:睡眠不足、か」

俺は安堵の溜め息をつき、彼を近くの長椅子まで運び込んだ。

昨晩も遅くまで、フライドチキンの衣の配合や、油の温度による肉汁の保持力の検証に没頭していたのを俺は知っている。


前世の社畜時代、俺も同じようにプロジェクトの追い込みでデスクに突っ伏して朝を迎えたことが何度もある。

検証にのめり込む気持ちは分からないでもないが、一人の職人の命に依存した運営は、リスク管理の観点から見て極めて危うい。

結局、その日のドベンの宿は臨時休業を余儀なくされた。


昼過ぎ、ようやく目を覚ましたドベンは、バツの悪そうな顔で頭を掻いた。

「済まねぇ、ミスター……。衣のサクサク感を追求してたら、いつの間にか朝になってやがった」

「謝る必要はない。だが、今のお前の負荷は明らかにオーバーフローを起こしている」


俺はドベンの向かいに座り、ある重大な提案を切り出した。

「マンパワーが足りないんだ。ドベン、2号店を作ろう」

「2号店……? なんだいそりゃ。この店を二つに割るのか?」


「いや、支店と言った方が分かりやすいか。この本店の味を完全に継承した、別の店舗を街の別の場所に出すんだ。

お前は料理を作るのではなく、料理を作る人間を教育する側に回る」

俺の言葉に、ドベンは目を丸くして驚いた。


「この味を、他人に任せるってのか!? そんなことできるわけねぇ……」

「できる。そのために、俺が作ったあの『活版印刷機』を使うんだ」

俺が考えていたのは、いわゆるフランチャイズ・ビジネスの異世界版だ。


レシピ、火加減、揚げる時間、接客の仕方に至るまでを全て言語化し、マニュアルとして大量に印刷する。

誰が作っても『ドベンの味』になるようにシステム化すれば、店舗の量産は可能になる。

「俺は技術提供の対価として、利益のいくらかをマージンとして徴収する。お前は経営者として、複数の店舗から上がる利益で楽ができるようになる」


ドベンはしばらく考え込んでいたが、やがてその野心に満ちた目で俺を見つめ返した。

「面白そうじゃねぇか……! 俺の料理が街中に広まるってわけだな。よし、商人ギルドに相談してみるぜ!」

そこからのドベンの動きは、驚くほど速かった。


商人ギルドの仲介により、中央広場に近い好立地の空き店舗が即座に確保された。

ドベンが「本物の味を学べる」と宣伝すると、腕に自信のある若手料理人や、仕事に飢えた者たちが殺到した。

俺は本屋のおじいさんの協力を得て、活版印刷機をフル稼働させ、世界初となる『店舗運営マニュアル』を完成させた。


「いいか! この紙に書いてある通りに動け! 秒数一つ違えるんじゃねぇぞ!」

ドベンによる地獄の特訓が始まった。

衣の付け方、油の温度の見極め、ポテトの塩加減。

今までドベンの感覚の中にしかなかった「暗黙知」が、印刷された文字によって「形式知」へと書き換えられていく。


雇用、教育、店舗の改装、調理器具の大量発注。

俺の『魔力の箱』に眠っていた宝石を現金化した資金が、猛烈な勢いで異世界の経済へと還流していく。

そして、過労による休業からちょうど1ヶ月後。


「本日開店! ドベン・ジャンクフード2号店、オープンだ!」

広場に面した新しい店舗の扉が開かれた。

看板には、ハンバーガーとフライドチキンを誇らしげに掲げるドベンの顔を象ったロゴが刻まれている。

これもまた、活版印刷の技術を応用して作った木版画によるものだ。


「おい、あの宿屋の美味い飯がここで食えるのか!?」

「座席数も多いぞ! フライドチキンの持ち帰りもできるんだってよ!」

開店と同時に、待ちわびていた市民たちが雪崩を打って店内に押し寄せた。


厨房では、ドベンに叩き込まれた若手たちが、マニュアル通りにテキパキと肉を焼き、ポテトを揚げている。

ドベンは厨房の入り口で腕を組み、満足げにその光景を眺めていた。

「がははは! 見てろよミスター、これなら俺が寝てても店が回るぜ!」


俺は店の一角にあるVIP席で、揚げたてのチキンを頬張りながらその様子を眺めていた。

(……検証完了だ。マニュアル化によるスキルの平準化は、この世界でも十分に機能する)

俺の手元には、初日の売上の数パーセントが、何もしなくてもマージンとして転がり込んでくる。


不労所得という名の、最高の検証成果。

そして、街のあちこちから漂い始める、脂っこいジャンクフードの匂い。

フコーヘイの街は、俺の仕掛けた情報革命と食の革命によって、取り返しのつかない変貌を遂げようとしていた。


監視を続けている『至高の紅』の連中も、この急激な経済圏の拡大には目を剥いていることだろう。

だが、俺はただの「経営参謀」に過ぎない。

俺は次のポテトに手を伸ばし、異世界でのフランチャイズ王への第一歩を、静かに噛み締めるのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第34話 迫害の不在と破壊された女神像


ドベン2号店が大盛況となり、俺の懐には安定した不労所得が入り続けるようになった。

衣食住の全てが満たされ、サバイバル生活の過酷さから完全に解放された平穏な日々。

だが、落ち着いて周囲を観察する余裕ができたことで、俺の中にある一つの巨大な『違和感』が浮上してきた。


「そういえば、俺はこのフコーヘイの街に来てから、一度も迫害を受けていないな」

宿の自室で果汁水を飲みながら、俺はふとつぶやいた。

俺は本来、スキルを持たない『大罪人』である。この世界の仕様において、最底辺の存在だ。


孤児院時代は神父から虐待を受け、街の住人からは石を投げられ、森へと追放された。

それがこの世界の『当たり前』のルールだったはずだ。

だが、このフコーヘイの街の住人たちは、俺がスキルを使えない素振りを見せても、冒険者ギルドのカードを持っていなくても、誰も俺を蔑まない。


ドベンも、本屋のおじいさんも、俺のスキルなど一切気にする素振りを見せなかった。

例外的に俺の素性を暴いた『至高の紅』のセーラでさえ、スキル無しという事実をフラットに受け止めていた。

「……これは、ただの偶然か? それとも、この街特有の『隠し設定』があるのか」


気になり始めたら、検証せずにはいられないのがゲーマーの性だ。

俺は街の社会構造を調べるため、迫害の根本原因である『宗教』の中心地へと足を向けることにした。

この世界における絶対的な価値観の源泉、すなわち『女神教会』である。


街の中央区から少し外れた静かな区画に、その教会はあった。

石造りの立派な建物で、ステンドグラスからは柔らかな光が漏れている。

隣には孤児院が併設されており、子供たちが庭で無邪気に遊ぶ声が聞こえてきた。


「建物の規模も、孤児院があるのも、俺が追放されたシービアダの街の教会と同じだな」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、静かに教会の礼拝堂へと足を踏み入れた。

中はひんやりと薄暗く、信者の姿はまばらだった。


祭壇に向かって歩みを進めた俺は、そこに安置されている『ある物』を見て足を止めた。

「……なんだ、あれは」

教会のシンボルであり、人々にスキルを与える絶対的な信仰の対象であるはずの『女神像』。


だが、祭壇の中央に置かれたその大理石の像は、無惨な姿を晒していた。

顔の部分は執拗に叩き割られ、慈愛を示すはずの両腕は根本からへし折られている。

台座には無数の刃物の傷跡が刻まれ、どう見ても『意図的かつ悪意ある破壊工作』の痕跡だった。


「……ひどい有様でしょう」

背後から声をかけられ振り返ると、初老の神父が悲しげな顔で立っていた。

「誰かが夜な夜な忍び込んでは、女神像を破壊していくのです。修復しても、すぐにまた壊されてしまう」


神父の顔には深い疲労が刻まれていた。

信者たちが修復を諦めかけているのか、砕けた大理石の破片が祭壇の隅に虚しく掃き集められている。

「憲兵に相談しても、警備は形ばかり。……まるで、街全体がこの破壊を黙認しているかのようです」


俺は神父に少しばかりの寄付金(硬貨)を渡し、教会を後にした。

そして、路地裏のベンチに腰を下ろし、脳内で情報を整理する。

「教会に女神像があること、いや……『女神の権威が失墜していること』が、迫害の不在と関係あるのか?」


スキルを与え、身分を決定づける女神。

その女神を象徴する像が、この街では何者かによって執拗に破壊され続けている。

そして、憲兵すらもそれを止める気がない。


「女神の権威が弱ければ、『スキル無しは大罪人』という教義の効力も当然弱まる」

だから、この街の住人はスキルを持たない者に対しても寛容なのだろうか。

だが、これだけではまだ仮説の域を出ない。


この事象がフコーヘイの街だけの『ローカルルール(特例)』なのか。

それとも、俺が森でサバイバルをしていた6年間の間に、世界全体の仕様アップデートが変わってしまったのか。

「……比較対象コントロール・グループが必要だな」


検証を完璧なものにするためには、俺がかつて迫害され、追放された始まりの街の現状を確認しなければならない。

「シービアダの街、か。6年ぶりの帰郷というわけだ」

俺は立ち上がり、そのまま市場の古着屋へと直行した。


「すまない、黒のフード付きローブを一つくれ。それと……」

俺は自室の『魔力の箱』の奥底に封印していた、手作りの木製仮面を取り出した。

顔が割れている始まりの街に戻るのだ。セーラには「秒でバレる」と笑われたが、一般人相手の偽装なら十分に機能するはずだ。


それに、道中で『至高の紅』の監視網や、残党の盗賊どもと無用なトラブルを起こすのも面倒だ。

「完璧な変装だ。出番だぞ、ミスターマスク」

俺は木製の仮面を顔に当て、黒いフードを目深に被った。


社会構造の仕様という、最大級のブラックボックスを解き明かすためのフィールドワーク。

俺は不労所得でパンパンに膨らんだ財布を懐に忍ばせ、足取りも軽く、シービアダの街への検証旅行へと出発するのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第35話 バグ技移動と、女神への鉄槌(検証)


シービアダの街への検証旅行を決意した俺は、街道を馬車で進むような悠長な手段は取らなかった。

移動時間を極限まで短縮するため、俺が6年間のサバイバル生活で編み出した『特殊な移動技術(バグ技)』を使うことにしたのだ。

俺はフコーヘイの街の外れに立ち、空に向かって『魔力固定』の足場を階段状に展開した。


タタンッ、タタンッ!と、見えない空中階段を猛スピードで駆け上がる。

数百メートルの高度に達したところで、俺は用意していた黒いフードローブを大きく広げた。

そして、生地の全面に『魔力まとい』を薄く、かつ強固に展開し、布を硬質のグライダーのような形状へと固定する。


「よし、揚力は十分だ。……滑空開始!」

強風を孕んだローブの端をしっかりと掴み、俺は空中からシービアダの街の方向へと飛び出した。

『魔力まとい』によって形状を維持されたローブは、完璧なハンググライダーとして機能し、俺の体を空高く運んでいく。


高度が落ちてくれば、再び空中に『魔力固定』の足場を作って蹴り上がり、高度を稼ぐ。

魔力と物理法則を完全に無視したこの移動法を使えば、馬車で数日かかる距離も、鳥のような速度でショートカットできる。

風を切り裂きながら上空を滑空すること数時間、懐かしき始まりの街、シービアダの輪郭が見えてきた。


俺は街外れの森にひっそりと着陸し、魔力を解いてローブを元の柔らかい布に戻した。

そして、顔の上半分を覆う手作りの木製仮面を装着し、『ミスターマスク』の姿で街の門を潜る。

6年ぶりの帰郷だが、感傷に浸るつもりは一切ない。俺の目的はあくまで『検証』だ。


街の地理は完璧に覚えている。俺は迷うことなく、かつて神父に虐待されたあの教会へと向かった。

礼拝堂の重い扉を押し開けると、冷たい石の匂いと、微かな香の匂いが鼻を突いた。

ステンドグラスから差し込む光の先、祭壇の中央に、それは安置されていた。


「……綺麗なものだな」

フコーヘイの街で見た、無惨に叩き割られた像とは違う。

傷一つない純白の大理石で彫られた、慈愛に満ちた完璧な『女神像』が、そこにはあった。


だが、その完璧な微笑みを見上げた瞬間。

俺の脳裏に、スキル無しと判定された日の絶望、神父の嘲笑、石を投げつけてきた街の住人たちの顔がフラッシュバックした。

腹の底から、どす黒いマグマのような感情が湧き上がってくる。


「……これも検証のためだ!」

俺は仮面の奥で目を細め、祭壇へと一気に歩み寄った。

右の拳に、極限まで圧縮した『魔力まとい』を集中させる。


「すまない女神様……おらああッ!!」

口では謝罪の言葉を吐きながらも、俺の拳には魔力だけでなく、6年間の過酷なサバイバル生活の恨みつらみが120%籠っていた。

ドゴォォォォンッ!!という、礼拝堂に似つかわしくない爆発音が鳴り響く。


大理石の破片が四方八方に飛び散り、完璧な美しさを誇っていた女神像は、上半身から無惨に吹き飛んだ。

「きゃあああああっ!?」「な、何事だ!?」

静かに祈りを捧げていた信者たちや神父が、突如として粉砕された女神像を見て悲鳴を上げる。


「ははははは。さらば!」

俺は悪役のお手本のような高笑いを残し、パニックに陥る礼拝堂から風のように飛び出した。

検証の第一段階はこれで完了だ。俺はそのまま街の複雑な裏道へと駆け込む。


追っ手が来ていないことを確認し、路地裏の暗がりで木製の仮面と黒ローブを素早く脱ぎ捨てた。

マジックボックスに装備を収納し、ただの「少し小汚いおっさん」の姿に戻る。

6年も経っているし、俺の顔を覚えている者などこの街にはいないだろう。


俺は息を整え、何食わぬ顔で街のメインストリートにある『冒険者ギルド』へと向かった。

扉を開けると、そこはフコーヘイの街と変わらない、荒くれ者たちが集う喧騒に満ちていた。

俺は受付のカウンターへと歩み寄り、暇そうにしている受付嬢に声をかけた。


「冒険者ギルドに登録してもいいですか?」

「はあ。新規登録ですね、ではこちらの用紙に名前と、所持スキルを記入してください」

受付嬢は事務的な態度で用紙とペンを差し出してきた。


俺は自分の名前を書き、そして一番重要な『所持スキル』の欄を空白のまま提出した。

「……ん? スキルの欄が空欄ですが」

「ああ。俺は『スキル無し』なんだ」


俺がそう告げた瞬間。かつての記憶が正しければ、ここで受付嬢の顔が侮蔑に歪み、周囲の冒険者から罵声が飛んでくるはずだ。

だが、受付嬢は少しだけ困ったような顔をして、用紙を数回指で叩いた後。

「……スキル無し? まあ、いいです。肉体労働の依頼なら受けられますからね」


あっさりと、本当にあっさりと、俺の登録を受理してしまったのだ。

周囲の冒険者たちも、俺を気にする様子は全くない。

「……確定だな」


俺は心の中で、ガッツポーズをキメた。

『教会』と『壊れていない女神像』。この二つが揃っているエリアでのみ、システムによる強力な「認知の歪み(迫害)」が発生する。

だが、女神像という『発信機』を破壊してしまえば、その瞬間に街全体の「スキル至上主義の呪縛」が解け、NPCは通常の倫理観(フラットな状態)へと戻るのだ。


「フコーヘイの街の女神像を壊し続けている奴が誰かは知らないが、良い仕事をしているな」

社会構造のブラックボックスを完全に解き明かした圧倒的なカタルシス。

俺は最高の結果を得た検証に満足し、新しいギルドカードを懐にしまうと、再びバグ技のグライダーで油臭いフコーヘイの街へ帰るべく、意気揚々と空へ舞い上がるのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第36話 運営の意図と神のメリット


シービアダの街での「女神像粉砕検証」を終え、俺は再びバグ技の滑空移動でフコーヘイの街へと戻ってきた。

着陸して真っ先に向かったのは、この街の冒険者ギルドだ。

俺は受付のカウンターへ進み、事務的な態度で切り出した。


「所属の変更を頼みたい。シービアダのギルドから、このフコーヘイのギルドへな」

「はい、承りました。移籍手続きですね。少々お待ちください」

受付嬢は滞りなく処理を進めていく。この街では「スキル無し」がただの個性の一つとして処理されるため、手続きは驚くほどスムーズだ。


これで、万が一シービアダの街で女神像が修復され、再び俺へのヘイトが再燃したとしても、俺のギルドカードはフコーヘイ所属として保護される。

旧サーバーの規約違反でアカウント停止(凍結)を食らう前に、規約の緩い新サーバーへ拠点を移すようなものだ。

「……よし、これで当面のリスクヘッジは完了だな」


新しいギルドカードを懐にしまい、俺は宿への帰り道を歩きながら、この世界の『仕様』について思考を巡らせた。

検証の結果、女神像がある場所ではスキル未所持者への異常なヘイトが発生することが分かった。

だが、一番の疑問は「なぜそんな面倒な仕様にしたのか」という点だ。


「ヘイトをわざわざ忌み人に向けさせ、さらに忌み人からはレベルアップやスキルの習得といった成長の余地を奪う。これではただのサンドバッグだ」

一方的に虐げられ、抵抗する力すら与えられない。

ゲームバランスとして見れば、あまりにも不条理で、悪意に満ちすぎている。


だが、運営(神)が面白半分で決めたのでない限り、そこには必ず何らかの『メリット』が存在するはずだ。

例えば、特定の層を徹底的に排除することで、他の信者たちの連帯感を高める『社会的コスト』の削減。

あるいは、忌み人が流す「負の感情」そのものが、神にとっての重要な資源リソースである可能性。


「女神様に何かメリットがあるはずだ。もし信者の祈りが魔力的なエネルギーになるのなら、その逆もまた然り、か」

聖書があれば、神話の時代にそのヒントがあるかもしれない。

だが、聖典は往々にして神にとって都合の良いことしか書かれていないものだ。

「……まあ、現場の責任者にそれとなく聞いてみるのが手っ取り早いかもしれないな」


俺は足の向きを変え、先日訪れたフコーヘイの街の教会へと向かった。

夕暮れ時の礼拝堂は、相変わらずひんやりとしていて、人影もまばらだった。

祭壇の中央には、以前と変わらず、顔を叩き割られ両腕を失った無惨な女神像が置かれている。


「……またお会いしましたね」

奥から現れたのは、あの疲れた顔の神父だった。

彼は修復されることのない女神像を見上げ、力なく微笑んだ。

「ああ。また少し、この世界の成り立ちについて興味が湧きましてね」


俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、祭壇の隅に掃き集められた大理石の破片をじっと見つめた。

「神父様。この像が壊されている間、街の人々の心が荒んでいるようには見えません。むしろ、穏やかでさえある」

俺の言葉に、神父は少し意外そうな顔をして俺を見た。


「女神の加護が象徴カタチを失っているのに、なぜ人々は不幸にならないのか。神父様、あなたはどうお考えですか?」

俺はあえて、宗教家にとっては禁忌に近い問いを投げかけた。

この世界の仕様を管理する「末端のシステム管理者」である神父から、何をどこまで引き出せるか。


俺の新たな『世界構造検証』が、今、静かに始まろうとしていた。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第37話 魔王の出現条件と、悪意の総量


薄暗い礼拝堂の中、顔を叩き割られた女神像を前にして、初老の神父は静かに目を伏せた。

「……魔王を、ご存じかな?」

唐突に投げかけられたその言葉に、俺は眉をひそめた。


「魔王……。おとぎ話や神話に出てくる、人類の敵というやつですか?」

「ええ。今の世の人々にとっては、ただの古いおとぎ話に過ぎないでしょうね。

もう数千年も、この世界には現れていないのですから」


神父は祭壇の縁に手をかけ、遠い昔の記憶を辿るように語り始めた。

「ですが、忌み人が現れるより前の時代。

魔王は、およそ10年に1度の周期でこの世界に現れていたと言われています」


「10年に1度?」

俺は思わず聞き返した。

ゲームのボスモンスターのスポーン間隔だとしても、世界規模の災害がその頻度で起きるのは異常だ。


「その度に、勇者が立ち上がり魔王を討伐しましたが……

争いの余波で、毎回およそ7割の人間が亡くなったと記録されています」

「7割も……」


人類の7割が定期的に死滅する世界。

それはもはや『ゲーム』ではなく、ただの『リセットを繰り返すクソゲー』だ。

人類が文化や技術を蓄積する暇など、あるはずがない。


「そう。ですが、ある時代を境に世界は変わりました。

スキルを与えられなかった人や、特定のにおいを発する人、特定の目の色の人。

いわゆる『忌み人』と呼ばれる彼らが現れてからは……不思議と、魔王も勇者もパタリと現れなくなったのです」


神父の言葉が、俺の脳内でバラバラだった情報を一つの線に繋ぎ合わせていく。

「……はぁ」

俺は思わず、間の抜けた相槌を打ってしまった。


「女神様の御意向は、我々ただの人間には分かりません。

ですが、おそらく神々の間で何らかの『取引』があるのだろうと、私は考えています」

神父は痛ましそうに、破壊された女神像を見上げた。


「一定以下の悪意になった世界には、均衡を保つために魔王が現れる。

……とかでしょうかな」


なるほど。その理屈(仕様)なら、ゲーマーとしての俺には痛いほど納得できる。

神々が管理するこの世界には『悪意の総量』という隠しパラメータが存在するのだ。

人類が平和になりすぎ、世界から悪意が一定のラインを下回ると、システムが『魔王』という強制イベントを発生させて人口を間引く。


その理不尽な破滅のループを回避するために、女神が仕組んだパッチ(修正プログラム)。

それが『忌み人』というスケープゴートの創造と、女神像による『ヘイト(悪意)の扇動』だったのだ。


俺たち忌み人は、人類が7割死滅するバッドエンドを回避するために用意された。

世界に必要な『悪意の総量』を常に満たしておくための、システム上のサンドバッグ。

だからこそ、反撃して悪意を減らしてしまわないように、成長の余地スキルすら奪われていたのだ。


「完璧な理屈だ。……だが」

俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、ギリッと奥歯を噛み締めた。


世界を維持するための必要悪。多数を生かすための少数の犠牲。

管理者(神)の視点から見れば、非常に効率的で合理的なシステム設計だと言えるだろう。

だが、その『サンドバッグ』に指定された当人である俺には、到底納得できる理屈ではなかった。


6年間、理由も分からず理不尽に石を投げられ、森で魔獣に怯えながら泥水をすすった。

その痛みが、孤独が、絶望が。

「世界を平和に保つための、ただの『悪意のノルマ稼ぎ』だっただと?」


俺の内に渦巻く怒りは、先ほどシービアダの街で女神像を粉砕した時よりも、さらに冷たく、重く、静かに燃え上がっていた。

「神父様。貴重な話をありがとうございました。……とても、参考になりましたよ」

俺は神父に深く頭を下げ、教会を後にした。


夕暮れのフコーヘイの街は、今日も平和な空気に包まれている。

魔王の脅威から守られたこの平和が、俺のようなスキル無しの犠牲と、女神像が発信する人工的なヘイトの上に成り立っているのだとしたら。


「……上等だ。このクソゲーの仕様は、完全に把握した」

俺の目的は、もはやただの『検証』や『ジャンクフードの探求』だけでは収まらない。

このふざけた世界の根幹システム(神の設計)に、俺なりのやり方で強烈なバグを叩き込んでやる。

俺は夕闇が迫る路地を歩きながら、冷ややかな決意を固めるのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第38話 冷静な分析と、最善のデバッグ


怒りに任せてフコーヘイの街の路地を大股で歩いていた俺だったが。

頬を撫でる冷たい夜風を浴びているうちに、徐々にゲーマーとしての冷静な思考回路が戻ってきた。

「……待てよ。神父様1人の、それも『推測』を全て正しいと思ってはいけないな」


俺は立ち止まり、深く息を吐き出して頭を冷やした。

確かに、魔王の出現条件と悪意の総量という理屈は、世界の仕様の矛盾を完璧に説明できる。

だが、どれほど筋の通った仮説だとしても、検証者がそれを鵜呑みにするのは三流のやることだ。


たった一つの情報源からのデータを絶対視せず、多角的な視点から裏付けを取る。

それが、未知のバグに立ち向かうための正しいデバッグの手順である。

「調べるべき対象は三つだ」


俺は指を折りながら、頭の中で次なる検証のロードマップを組み立てた。

「一つ、女神様に関する本や歴史的文献。二つ、魔王という存在に関する詳細な情報」

ちょうど活版印刷が稼働し始めたところだ。本屋のおじいさんの情報網も利用できるだろう。


「そして三つ目は……可能なら、女神様に直接コンタクトをとる」

我ながら無茶苦茶な目標設定だと、自嘲気味な笑みがこぼれる。

運営のトップ(神)を直接呼び出すカスタマーサポートの窓口など、この世界のどこにあるというのか。


だが、もし俺がこの世界の『バグ』であるならば、システムに過負荷をかけ続ければ必ず管理者は現れるはずだ。

その時のために、今は情報を集め、手札を増やしておく必要がある。

俺は自分の両手――スキルを一切持たない、ただの平手を見つめた。


「わざわざ俺を『スキル無し』という最底辺のサンドバッグに指定したのだ。

ただの面白半分でこんなクソゲーを作ったのなら、絶対に一発殴る」

それは、6年間の地獄を味わった者としての、譲れない最低限の怒りだ。


「だが……そうでなければ」

もし女神にも、システムをそうせざるを得なかった切実な理由エラーがあるのだとしたら。

魔王による人類の7割の死滅を防ぐために、苦肉の策として忌み人のシステムを導入したのだとしたら。


「……解決したい。最も皆が幸せになる方法で」

特定の誰かを犠牲にするのではなく、魔王に怯えることもない。

システムそのものを書き換え、誰もが笑ってハンバーガーを食えるような、完璧な『トゥルーエンド』を。


それが、この理不尽な世界に放り込まれた俺が導き出すべき、究極の検証結果だ。

「よし。やるべきことが決まれば、あとは動くだけだ」

俺は前世の癖で存在しないメガネをクイッと押し上げた。


まずはドベンの宿に戻り、腹ごしらえをしよう。

美味しい肉とポテトは、いつだって最高の検証の活力になるのだから。

決意を新たに、俺は夜の帳が下りたフコーヘイの街を、迷いのない足取りで歩き出すのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第39話 正義の決起と、破滅へのカウントダウン


フコーヘイの街の地下深くに広がる、闇ギルド『至高の紅』の大集会所。

普段は静寂に包まれているその巨大な石造りの空間は、今日に限って異様な熱気と興奮に包まれていた。

集まっているのは、フコーヘイの街だけでなく、近隣の街からも密かに召集された数百人の構成員たちだ。


彼らの多くは、スキルを持たない者、あるいは忌み嫌われる特徴を持って生まれた『忌み人』たち。

社会から迫害され、石を投げられ、泥水をすすって生きてきた者たちである。

そんな彼らの視線の先、一段高い壇上には、燃えるような赤い髪を持つギルドマスター、セーラが立っていた。


「皆、よく集まってくれたわ。今日は、私たちの悲願に向けた、最重要な作戦を伝える」

セーラの凛とした声が、松明の炎が揺れる大集会所に響き渡る。

ざわめきは一瞬にして消え去り、全員が固唾を呑んで彼女の次の言葉を待った。


「私たちは長年、この街の教会にある『女神像』を密かに破壊し、検証を続けてきたわ。

その結果……確信に至った。あの像こそが、私たちへの不条理な偏見と差別の『発生源』よ」

その言葉に、構成員たちの間にどよめきが走った。


「女神像が、機能不全に陥っている間。この街の人々の私たちへの憎悪は、明らかに薄らいでいた。

つまり、あの忌まわしい像さえ消え去れば、私たちは人間としての尊厳を取り戻せるのよ!」

セーラの力強い宣言に、構成員たちの目に希望の光が灯り始める。


それは、彼らが生まれた時から背負わされてきた「絶対的な絶望」を覆す、一筋の光明だった。

セーラは傍らに控えるメイドのトーラルに目配せをし、さらに声を張り上げた。

「これより1ヶ月後。世界中に散った我らが『至高の紅』の同士が、一斉に蜂起する」


「狙うは、各国の主要都市、および全ての街の教会に安置された『女神像』の完全破壊。

世界同時多発的に、差別と偏見の元凶を断ち切るのよ!」

その壮大な計画に、一瞬の静寂の後、大集会所は割れんばかりの歓声に包まれた。


「おおおおっ!!」「やってやる! 俺たちの手で、未来を掴むんだ!」

涙を流しながら拳を突き上げる者。隣の仲間と抱き合い、歓喜に震える者。

彼らの瞳に宿っていたのは、犯罪者としての濁った光ではなく、不条理な世界に抗う『革命家』としての気高い炎だった。


セーラは熱狂する仲間たちを見渡し、自らも胸の奥から込み上げる熱いものを感じていた。

「……一時の平和に終わるかもしれない。すぐに新しい像が建てられ、迫害が再開するかもしれない。

だが、全世界の苦しむ者のために、我々は立ち向かう!!」


「おおおおおおおっ!!!」

地下の空気を震わせるほどの、悲壮なまでの決意と怒号。

虐げられた者たちが、己の命を懸けて世界を平和へと導こうとする、美しくも尊い反逆の狼煙。


だが。

彼らは知らなかった。

この世界の『悪意の総量』が、何を意味しているのかを。


女神像が破壊され、忌み人への迫害という『巨大な悪意の消費先』が世界から一斉に消失した時。

システムは「世界が平和になりすぎた」と判定し、人類の7割を死滅させる最悪の強制イベントを起動する。

そう、世界を平和にするための彼らの気高き行動は、世界を破滅へと導く『魔王降臨』のトリガーそのものなのだ。


「1ヶ月後……。全てを終わらせるわ」

セーラが力強くつぶやき、トーラルが静かに頷く。

誰もが自分たちの正義を信じて疑わない、熱狂の渦。


皮肉なことに、それが最も世界を平和から遠ざける最悪の選択になるとは、この時は誰も知る由もなかった。

フコーヘイの街の地下で、世界を滅ぼすための、悲しくも残酷なカウントダウンが静かに時を刻み始めたのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第40話 レベルキャップ解放と、下請けの魔王


『至高の紅』が世界中で決起すると宣言した日から、ちょうど1ヶ月後。

俺はフコーヘイの街の北の森で、日課である魔力操作の検証、いわゆる修行を行っていた。

活版印刷とジャンクフードの利益で生活は安定したが、システムをデバッグするための研鑽は欠かしていない。


その時だった。突如として、俺の体の奥底から爆発的なエネルギーが湧き上がってきた。

まるで、堅く閉ざされていた巨大なダムが、轟音と共に決壊したかのような感覚。

「……ッ!? なんだ、この異常な全能感は」


指先から溢れ出す魔力の密度が、今までとは桁違いに跳ね上がっている。

6年間、忌み人として世界のシステム(女神像)に抑制され続けていた『成長』。

それが一気に解放され、本来得られるはずだった莫大な経験値とステータスを取り戻したのだと、直感で理解した。


(ということは……まさか、世界中の女神像が本当に全て破壊されたのか?)

世界から忌み人への迫害という『悪意』が消え去り、システムが次のフェーズへ移行した証拠。

俺がその事実をゲーマーの思考回路で分析し終えた、まさにその瞬間だった。


背後の空間が不自然に歪み、俺の首元を刈り取るような鋭い殺気が放たれた。

「検証の邪魔だ」

俺は振り返ることすらせず、背後の空中に斜めの『魔力固定』の壁を瞬時に展開した。


ギィィィィンッ!!という甲高い金属音が森に響き渡る。

俺の背後から放たれた不可視の刃は、斜めに固定された魔力の壁に弾かれ、そのまま上空へと受け流された。

「なっ……!? 俺の不可視の一撃を、ノールックで弾いただと!?」


背後から聞こえてきたのは、酷く驚愕したような男の声だった。

ゆっくりと振り返ると、そこには闇夜のように黒い長髪を持つ、不気味なほど整った顔立ちのイケメンが立っていた。

全身から、俺が今まで森で狩ってきたどの魔獣とも比較にならない、禍々しい魔力を立ち昇らせている。


長髪のイケメンは俺の異常な防御技術を見て、即座に形勢不利と悟ったのか。

「チッ、規格外か!」と舌打ちをし、すぐさま身を翻して風のように逃走を図った。

だが、そんな素直な撤退を、レベルキャップが外れたばかりの俺が見逃すはずがない。


「逃げるな。話はまだ終わってないぞ」

俺は指を鳴らし、逃げようとするイケメンの足元の空間を『魔力固定』でガッチリと縫い付けた。

「ぐおっ!? な、何だこれは!? 足が地面から離れん!」


もはや俺のお家芸となった物理的な足止めに、イケメンは無様に前のめりに転倒しそうになりながら叫んだ。

俺は存在しないメガネを押し上げ、パニックに陥るその男を見下ろして静かに告げた。

「その禍々しい魔力、そしてこのタイミング……。あんたが魔王だな」


悪意の総量が減少した世界に、システムが強制的にポップさせる人類の間引き役。

俺の指摘に、魔王は足をもがきながらも、不敵な笑みを浮かべて見栄を切った。

「ふふふふ、さすがは勇者。出会って数秒で俺の正体を肌で理解したか」


「……勇者?」

俺は思わず眉をひそめ、素っ頓狂な声を出してしまった。

「そうだ。勇者とは、世界の誰よりも魔力量が多い者のこと。今の貴様の魔力は、間違いなく世界一だ」


なるほど、そういう仕様か。

システムによって抑制されていた俺の6年分の成長が、女神像の破壊によって一気に解放された。

結果として、俺の魔力値が世界のトップに躍り出てしまい、システムから自動的に『勇者』としてロール(役割)を割り当てられたというわけだ。


皮肉なものだ。世界で最も虐げられていた『忌み人』が、ステータスが解放された途端に、世界を救う『勇者』にされるなんて。

「……魔王。会ったら一つ、言いたいと思っていたことがある」

俺は呆れ半分、怒り半分の冷ややかな目で、足止めされた魔王を見下ろした。


魔王は己の威厳を保とうと、芝居がかった尊大な態度でふんぞり返る。

「ほう、聞こうか。命乞いか、それとも俺への挑戦の言葉か? 勇者よ、貴様の覚悟を――」

「神様のシステムの『下請け』なんかやってお前、死ぬほどダセェのな」


俺の口から飛び出したのは、ファンタジーの欠片もない、元サラリーマンとしての純粋な煽りだった。

神というクライアントに言われるがまま、定期的に湧いては人類を7割間引くという汚れ仕事を押し付けられる哀れな中間管理職。

俺のあまりにも予想外すぎる言葉に、魔王は完全に虚を突かれた。


「……は?」

長髪のイケメン魔王は、先ほどの尊大な態度を完全に忘れ、素で固まっていた。

俺の放った『下請け』という概念が彼の胸のどこかに致命的なダメージを与えたのか、静寂に包まれた森の中で、魔王はただ口をパクパクとさせているのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


第41話 魔王へのプレゼンと、運営への殴り込み


「下請け」という、ファンタジー世界に似つかわしくないビジネス用語。

その概念が魔王のプライドに致命的なバグを引き起こしたのか、長髪のイケメンは完全に固まっていた。

俺は拘束されたままの魔王を見下ろし、さらに容赦のない精神攻撃(言葉)を追撃として放った。


「もっと言ってやると、あんたが自分の意思でやっていると思っているその破壊行為すら、神様の想定内の行動だ。

神様の作ったシステムの上で都合よく踊らされて、7割間引くという用が済んだらポイ、だ」

「な、何を……何のことを言っている!?」


魔王は激しく動揺し、端正な顔を歪ませて叫んだ。

自分が絶対的な恐怖の象徴であり、世界の覇者だと信じて疑わなかった男にとって、俺の言葉は理解の範疇を超えていたらしい。

「……えぇ、気づいてすらいないのか」


俺は前世の癖で存在しないメガネを押し上げ、心底哀れむようなため息をついた。

クライアントの意図も知らずに、ただ現場で暴れ回るだけの悲しき中間管理職。

俺は足止めされている彼のために、懇切丁寧にこの世界の『ヘイトシステム』についてプレゼンをしてやることにした。


「いいか。この世界には『悪意の総量』というノルマがある。

平和になりすぎてノルマを下回ると、あんたという『災害』が自動的にポップして人類を間引く仕様だ」

俺は指を折りながら、神父から得た推測と自身の検証結果を淡々と語って聞かせた。


忌み人というサンドバッグを用意し、女神像でヘイトを煽って悪意を稼ぐことで、魔王の出現を抑え込んでいたこと。

その女神像が破壊されたことでシステムがエラーを起こし、こうしてあんたが強制出勤させられたこと。

「要するに、あんたは神が世界のバランスを保つために用意した、ただの『自動お掃除プログラム』に過ぎない」


俺の完璧な論理による種明かしを聞き終えた魔王は、しばらくの間、幽鬼のように虚空を見つめていた。

そして、プルプルと全身を震わせ、ついに絶叫した。

「ふ、ふ、ふざけるなあああ!!! それが本当なら、俺は……俺はただの道化ではないか!!」


森の木々を揺らすほどの、悲痛なまでの怒りの咆哮。

絶対悪としての誇りをズタズタに引き裂かれた男の魂の叫びだ。

「ダサいだろ?」


俺が冷静に同意してやると、魔王はギリッと歯を食いしばり、やがて顔を伏せた。

「ふ、くくくく……なるほど、なるほど。分かった、分かったぞ」

次に顔を上げた時、魔王の瞳からは先ほどまでの余裕や威厳は消え去り、底知れない狂気と殺意が宿っていた。


ただし、その殺意が向けられているのは、目の前の俺(勇者)や人類に対してではなかった。

「……神の世界に行って、奴らを血祭りに上げてくる」

魔王は恐ろしく冷たい声で、とんでもないことを宣言した。


「おお、スケールが大きいな。頑張れよ」

俺が他人事のように拍手を送ってやると、魔王は『魔力固定』の拘束を強引な魔力放出で打ち破り、空へと浮かび上がった。

そして、忌々しげに天を睨みつけ、最後に俺の方を一瞥した。


「貴様の言葉、信じたわけではない。だが……確認するだけの価値はある。

全て終わったら、今度こそ貴様を葬ってやろう……!」

三流の悪役のような負け惜しみを残し、魔王の姿は空間の歪みと共に完全に消え去った。


俺はポツンと残された森の中で、一人小さく息を吐いた。

「さて、神様と魔王の頂上決戦か。どちらが勝つにせよ、当分この下界は放置されるだろうな」

俺が手を下すまでもなく、最も理不尽なシステム(魔王)が、元凶である運営(神)のサーバーへと直接デバッグに向かってくれたのだ。


これ以上、世界を平和に導く完璧な『トゥルーエンド』があるだろうか。

俺はレベルキャップが外れて異常なまでに軽くなった体を動かしながら、意気揚々とフコーヘイの街への帰路に就いた。


――それから、3ヶ月が経過した。

『至高の紅』による女神像破壊テロは世界を揺るがせたが、恐れられていた魔王による大虐殺は、待てど暮らせど起きなかった。

魔王が神の領域でどれほど大暴れしているのか、あるいはあっさりと返り討ちに遭ったのか、地上にいる俺たちには知る由もない。


フコーヘイの街では、活版印刷による本が飛ぶように売れ、ドベンのジャンクフード店は連日大行列を作っている。

俺の『スキル無し』という身分が誰かに咎められることも、もはやない。

今のところ、世界は信じられないほど平和なのだった。


◇ ◇ ◇ ◇ 


最終話 後日談:勇者と魔王の老後生活


魔王が神の領域へデバッグ(殴り込み)に向かってから、長い年月が流れた。

世界から魔王の脅威は消え去り、同時に『至高の紅』が主導した世界同時多発的な女神像破壊行動は、後世の歴史書にこう記されることとなる。


『世界中の差別に対し、女神に異議を申し立て、忌み人の権利を勝ち取った気高きレジスタンス』と。

ギルドマスターのセーラや、クールなメイドのトーラルたちは、理不尽な身分制度を打ち壊した歴史的英雄として、世界中の教科書にその名を刻んだ。


一方、その革命の裏で活版印刷を普及させ、フライドチキンやハンバーガーという「ジャンクフード」を世界にばら撒いた俺の存在は、歴史の表舞台には立たなかった。

ただ、数々の画期的な発明品を世に出した「正体不明の物好き」として、一部の歴史愛好家や職人たちからマニアックに尊敬されるに留まった。

俺としては、面倒なイベントに巻き込まれることなく不労所得でジャンクフードを食べ放題の生活が手に入ったのだから、完璧なハッピーエンドと言えた。


――しかし、この世界のシステム(神の仕様)は、最後の最後まで俺に厄介なバグを残していった。


「勇者は、魔王が討伐されるまで死ぬことができない」

という、悪趣味なセーフティ機能である。

魔王は神の領域で暴れ回っている(あるいは長期戦に突入している)らしく、システム上は「未討伐」の扱いとなっていた。


その結果、俺の肉体は老化していくにも関わらず、寿命を迎えることができなくなってしまったのだ。

100歳を過ぎた頃、さすがに「あのパトロン、いつまで生きているんだ?」と世間から怪しまれるようになったため、俺は表向きの『セリ』という存在を死んだことにして、社会から姿を消した。


そして、かつて愛用していた木製の仮面と黒いフード付きのローブを引っ張り出し、『ミスターマスク』という都市伝説的な不審者として、街をのんびりと放浪する生活を始めたのだ。


それからさらに時は流れ――俺がこの世界に降り立ってから、およそ300年後。


フコーヘイの街は、俺がもたらした活版印刷と技術革新により、見違えるほどの近代都市へと発展していた。

ある日の夕暮れ。俺がいつものように裏路地を散歩していると、空間が不自然に歪み、そこから一人の男が転がり出てきた。


「はぁ……っ、はぁ……っ。勇者……よ、来たぞ……」

地面に這いつくばり、肩で息をしながら俺を見上げたその男。

かつては闇夜のような黒髪をなびかせていたイケメン魔王だが、今のその姿は見る影もなかった。

髪はすっかり白髪交じりになり、顔には深いシワが刻まれ、腰は曲がっている。


「……お前も、ヨボヨボじゃねーか」

俺は存在しないメガネを(仮面の上から)押し上げながら、呆れた声で突っ込んだ。


「ふ、ふざけるな……。運営(神)の奴ら、無駄に耐久力だけは高くてな。

300年……300年も、休むことなく殴り合いを……」

魔王はゼェゼェと息を切らし、膝を震わせながらなんとか立ち上がった。

どうやら、神の領域で300年間もブラック労働(神殺し)をさせられていたらしい。


「全て終わらせてきたぞ……。さあ、約束通り……今度こそ貴様を、葬って……ゲホッ、ゴホッ!」

魔王が枯れ木のような指を突きつけて宣戦布告をしようとしたが、途中で激しく咽せ返り、腰をさすってうずくまってしまった。

300年前のあの禍々しい威圧感は欠片もなく、ただの「腰痛持ちのおじいちゃん」にしか見えない。


「……もういいだろ。俺もあんたも、戦う気力なんて残っちゃいない」

俺は仮面を外し、同じようにシワだらけになった顔で笑いかけた。

魔王もまた、毒気を抜かれたように深い溜め息をつき、その場にどっかりと座り込んだ。


「まあ、とりあえず飯に行こう。久しぶりの下界だろ? ハンバーガーを奢ってやる」

俺が、今や世界最大の飲食チェーンとなった『ドベン・バーガー』の紙袋を掲げて提案すると。

魔王は嫌そうな顔をして、眉間にシワを寄せた。


「……油っこいな。胃にもたれる」

「言うな。俺も最近、ポテトの消化がキツくなってきたんだ」


かつて人類の存亡を懸けて相対した勇者と魔王は、裏路地で腰をさすりながら、そんな年寄りくさい愚痴をこぼし合った。

世界を理不尽に縛り付けていたシステムは消え去り、後はもう、この平和な世界でのんびりと余生を過ごすだけだ。


お互い、殺し合う気力など微塵もない。

フコーヘイの街の夕暮れに溶けていくジャンクフードの匂いを感じながら、俺と魔王は、いつまでものんびりと、果てしなく続く老後のスローライフを満喫するのであった。


【完】


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