成果物5-2.前編【隕石落下】という繊細さと無縁なスキルを渡されて異世界転移する~落ちてくる隕石はランダムで安心できない~
ハルシネーションが酷くなり、とても続きが書けなくなって6章終わりで投げました(泣)
第1話 死因:落下物。からの神様ガチャ
「はぁ……今日も終電かぁ」
深夜のオフィス街。
俺、石落丸人、58歳。
疲れた首をボキボキと鳴らしながら、建設中の高層ビルの下を歩いていた。
ふと、頭上でギギギッ、と嫌な金属音がした。
「ん?」
上を見上げる。
ビルの遥か上層、クレーンに吊られていたはずの巨大な鉄骨が、俺めがけて一直線に落下してくるではないか。
ヒュオォォォォォ……ッ!
「えっ」
ドッゴォォォォン!!
「痛っ……くない?」
思わず両腕で頭を庇ったが、衝撃はこない。
恐る恐る目を開けると、そこは一面の真っ白な空間だった。
「いやー! ゴメンゴメン!」
ポンッ! という軽い音とともに、目の前に白ヒゲのお爺さんが現れた。
アロハシャツにサングラス。手にはなぜかトロピカルジュース。
「ワシ、神様なんだけどさ! 工事中のビルから落ちた鉄骨を、うっかり君の方に弾いちゃった! テヘペロ!」
ペロッと舌を出してウインクする神様(自称)。
俺は、こめかみをピクピクと引きつらせた。
「……テヘペロ、じゃありませんよ」
大きなため息を一つ吐き、ネクタイを少し緩める。
まあ、残業代も出ないブラック企業から解放されたと思えば、悪くないか。
58年間の独身生活。未練なんて、録画しておいた深夜アニメの最終回くらいだ。
「で? テンプレ通りなら、異世界転移とかですか?」
「話が早くて助かるねぇ! お詫びにチートスキルをあげるよ!」
神様がパチンッと指を鳴らす。
俺の目の前に、半透明のパネルがフワリと浮かび上がった。
『スキル:【隕石落下(使用者へのダメージなし)】を獲得しました』
「……はい?」
俺はメガネをズリッと下げ、パネルの文字を二度見した。
「君の名前『石落』だし! 死因もビルからの落下物だから! ピッタリでしょ!?」
神様がドヤ顔でサムズアップしてくる。
「ピッタリの基準がおかしいでしょうが! もっとこう、回復魔法とか農業スキルとか……!」
「じゃあ、良い異世界ライフをー! ポチッとな!」
「あ、ちょっと待っ――」
足元の床が、パカッと開いた。
ヒュゥゥゥゥゥゥゥン……ッ!!
「また落下かよぉぉぉぉぉっ!?」
俺の絶叫は、真っ白な空間に虚しく吸い込まれていった。
◇ ◇ ◇ ◇
第2話 大味なスキル
ドスンッ!
「いてて……」
腰をさすりながら立ち上がると、見渡す限りの深い森の中だった。
マイナスイオンたっぷり。
さっきまでのコンクリートジャングルとは大違いだ。
「とりあえず、人がいるところを探さないとな」
スーツについた土をパンパンと払い、歩き出す。
……ガサガサッ!
「ギギャアァァッ!」
茂みから飛び出してきたのは、緑色の小鬼。
ゴブリンだ。
手には錆びたナタ。口からはダラダラとヨダレを垂らし、完全に俺を殺す気まんまんで飛びかかってくる。
「ヒィッ!? ちょ、待っ……!」
後ずさりして、無様に尻餅をつく。
迫り来る刃。
俺はヤケクソで叫んだ。
「ええい! 【隕石落下】ッ!!」
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
途端に、辺りが急に暗くなった。
太陽が隠れた?
いや、違う。
「うわあああ大きすぎ!? 森が吹っ飛ぶ!?」
見上げると、空を覆い尽くすほどの超巨大な岩塊が降ってきていた。
サイズ、およそ200メートル。
ビルよりもデカい岩が、ゴブリンもろとも俺の頭上に直撃する。
ズドドドドッッッッッカーーーン!!!
すさまじい轟音。
俺はギュッと目を閉じ、両耳を塞いで地面に突っ伏した。
暴風が吹き荒れ、地面がトランポリンのように激しく揺れる。
「…………あれ?」
しばらくして恐る恐る顔を上げると、俺の体は無傷だった。
スーツの破れすらない。
神様の言っていた『使用者へのダメージなし』は本当だったらしい。
だが、周囲の景色は一変していた。
「うそーん……」
口をポカーンと開けて、立ち尽くす。
さっきまで生い茂っていた木々は消し飛び、半径1キロメートルほどの範囲が見渡す限りの更地になっていた。
もちろん、ゴブリンのゴの字も残っていない。
「……この世界、頑丈だな……」
200メートルの隕石が直撃したのに、星が割れたりしないのか。
冷や汗をツーッと流しながら、俺は固く心に誓った。
次からは、絶対に小さい隕石を落とすようにしよう、と。
【ステータス】
名前:マルト(石落 丸人)
年齢:58歳
称号:なし
所持スキル:
【隕石落下(使用者へのダメージなし)】
◇ ◇ ◇ ◇
第3話 隕石を小さくすればいいんだろ?
「ふぅ……」
額の汗を拭い、ポッカリ空いた巨大なクレーターを見下ろす。
とりあえず、スキルの仕様を把握しておかないとマズい。
どうやら、頭の中でイメージすれば隕石の『大きさ』は調整できそうだ。
「よし、今度は握り拳サイズで……」
すぅっと深呼吸をして、クレーターの中心を狙い澄ます。
「【隕石落下】!」
ヒュンッ!
今度は空を覆うこともなく、ソフトボールほどの石が一直線に落ちてきた。
カコンッ、と軽い音を立ててクレーターの底に転がる。
「よしよし、これなら……ん?」
目を凝らして、首を傾げる。
さっきの200メートル級はただの岩肌だったが、今落ちてきた石は、なんだか赤黒くテカテカ光っているような……。
パァァァァァッ!
「えっ」
次の瞬間。
石の落ちた地面に、複雑な幾何学模様――魔法陣のようなものがブワッと浮かび上がった。
ズゴォォォォォォォンッ!!!
「うぉぉぉっ!?」
突如、半径3キロメートルが紅蓮の炎に包み込まれた。
視界がすべて真っ赤に染まり、爆炎が天を焦がす。
「そ、そんな馬鹿な!? 俺は熱くないし燃えないけど……いや、どうなって!?」
炎のど真ん中で、俺は両手をバタバタと振って慌てふためく。
相変わらずダメージはゼロだが、精神的なダメージは計り知れない。
数分後。
ゴウゴウと荒れ狂っていた炎が、ようやく嘘のようにおさまった。
俺は、焦げ臭い煙を上げる真っ黒な大地を見渡す。
さっきの更地が、さらに広大な炭焼き場へとグレードアップしていた。
「……なるほど?」
顎に手を当てて、ぶつぶつと推測を立てる。
石が落ちた瞬間に魔法陣が出た。そしてあの異常な炎。
つまり、あれはただの石ではなく、魔法効果を秘めた『魔石』的な何かだったのだろう。
「小さくても油断できないのか……ってか、落ちてくる隕石の種類、完全にランダムなのか!?」
パチンコ玉サイズでも、それが『核弾頭級の魔石』だったら終わりじゃないか。
「……スローライフ、遠すぎない?」
パラパラと灰が舞う炭化した風景の中心で。
俺は、ただただ深く頭を抱えるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第4話 勘違いは加速する。古竜の誕生?
「……逃げよ」
踵を返し、俺は全速力で走り出した。
サラリーマンの基本、それは『面倒事には関わらない』である。
こんな大惨事のド真ん中に立っていたら、どんな責任問題になるか分かったものではない。始末書どころの騒ぎじゃないぞ!
タッタッタッタッ!
「ゼェ、ハァ……ッ」
58歳の足腰に鞭を打ち、炭化した大地を駆け抜ける。
目指すは人里。ただし、あくまで『たまたま通りかかった一般人』の顔をして、しれっと合流するのだ。
◇
「なんだ、これは……」
マルトが逃げ去ってから数十分後。
完全武装の冒険者パーティーが、息を切らして現場に到着した。
リーダーの剣士が、信じられないものを見るように限界まで目を見開く。
見渡す限りの広大な更地。そして、熱を帯びて黒焦げになった大地。
「おいおい、冗談だろ……」
魔法使いの男が、ガクガクと膝を震わせ、杖を取り落とした。
カランッ、と乾いた音が響く。
「轟音は2回だったわよね。つまり、たった2回の攻撃でここまで壊滅的な被害を……!?」
弓使いの女が、真っ青な顔で口元を覆う。
魔法使いは必死に頭を振り、震える指でクレーターの底を指差した。
「間違いない、古竜の仕業だ!」
「こ、古竜だと……!?」
「ああっ! 超質量の物理攻撃と、一瞬で森を消し炭にする極大の炎ブレス……それ以外にあり得ない!」
冒険者たちは顔を見合わせ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「バカな!? なぜこんな辺境の森に伝説の存在が!?」
「とにかくギルドに報告だ! このままでは街が火の海になるぞ!」
クルリと反転し、冒険者たちは来た道を全力で引き返していく。
こうして、冒険者ギルドには『森に古竜が現れた』という、絶望的な報告がもたらされることになった。
その古竜の正体が、スーツ姿で息を切らしている58歳のおっさんだとは知る由もなく。
◇ ◇ ◇ ◇
第5話 20代金髪イケメン(中身は58歳)、しれっとギルド登録する
「ゼェ……ハァ……ッ」
小一時間ほど走っただろうか。
立派な城壁に囲まれた街が、ようやく見えてきた。
ふぅ、と一息ついて、近くの水飲み場で顔を洗う。
バシャバシャと水を被り、水面に映る自分の顔を見た。
「……誰だこれ?」
水面には、見知らぬ青年が映っていた。
年は20代前半。サラサラの金髪に、彫りの深い整った顔立ち。
ペタペタと自分の頬を触る。水面の青年も同じ動きをした。
「マジか。若返ってる……」
どうやら神様は、見た目だけは異世界ファンタジー仕様にアレンジしてくれたらしい。
ただ、着ているのはヨレヨレのスーツ(土と灰まみれ)のままだ。
アンバランス極まりない。
「まあいい。とにかく情報を集めないと」
門番に怪しまれつつも、適当な愛想笑いでごまかし、なんとか街へ潜入。
目立つ看板を掲げた『冒険者ギルド』の扉を押し開けた。
ギィィィッ。
「急いで王都に急使を出せっ!!」
「西の森はもうダメだ! 完全に消し炭にされたってよ!」
「古竜め……まさか伝説が実在したなんて!」
ガシャン! パリーン!
ジョッキが割れ、怒号が飛び交う。
ギルド内は、蜂の巣をつついたような大パニック状態だった。
「えっ」
俺は扉の取っ手を握ったまま、ピタッと固まった。
西の森。消し炭。超質量の攻撃。
……全部、俺の【隕石落下】のことじゃないか。
ツーッ、と嫌な汗が背中を伝う。
俺、古竜扱いされてる!?
「お、おいあんた! そこでボーッと突っ立ってると危ないぞ!」
ドタバタと走り回っていたギルド職員の男が、俺の肩をバンッと叩いた。
「ヒッ!?」
「どうした? こんな非常時に、なんの用だ?」
ジッとこちらを見つめる職員。
心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
ここで「古竜じゃなく俺の仕業です」なんて言おうものなら、間違いなく串刺しにされる。
「あ、あの……」
俺は引きつった笑顔を顔に貼り付けた。
そして、震える声で絞り出す。
「ぼ、冒険者登録を……お願いしたくて……」
「はぁ!? 今そんな場合じゃ……いや、戦力は一人でも多い方がいいか! こっちへ来い!」
グイッと腕を引っ張られる。
こうして俺は、自分が起こした大パニックを完全にスルーする形で、しれっと冒険者ギルドの一員になったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第6話 地球のスーツ、異世界で高く売れる
「討伐依頼、ねえ……」
冒険者ギルドの掲示板を前に、顎に手を当てて唸る。
スライム討伐、ゴブリン討伐。
報酬は悪くないが、俺には致命的な問題があった。
「俺のスキルだと、討伐証明の部位ごと消し飛ぶんだよな」
200メートルの巨大隕石。あるいは半径3キロを焼き尽くす魔石。
ゴブリンの耳どころか、森の生態系ごと更地にしてしまう。
ブルブルッと首を横に振る。
ここは安全第一。平和な『薬草採取』の一択だ。
ギルドを出て、街の門へと歩き出す。
まずはこの目立つヨレヨレスーツをどうにかしたい。
そう思っていた、矢先だった。
「そこの金髪のお兄さん! 待ちきなァ!」
グイッ!
唐突に腕を掴まれた。
振り返ると、メジャーを首から下げた恰幅の良いおばちゃんが、目をギラギラさせて立っていた。
「な、なんですか?」
「なんだいその服は!? 縫製が細かすぎる! 生地もツルツルじゃないか!」
おばちゃんは俺のスーツの袖をペタペタと触り、鼻息を荒くする。
ポリエステル混紡の、量販店で買った安物なのだが。
「これ、売ってくれないかい!? 金なら出すよ!」
「えっ、でも俺、着る服が……」
「うちの服と交換でどうだい! ほら、これも持っていきな!」
ポンッ!
有無を言わさぬ勢いで、ずっしり重いお金の入った袋と、異世界ファンタジー感あふれる現地の服を押し付けられた。
◇
「……押し切られた」
服屋の試着室で着替えを済ませた俺は、大通りを歩きながらため息をついた。
ただの安物スーツが、現地の服とそこそこの路銀に化けてしまった。
チャリン、チャリン。
手元でお金の袋を鳴らす。
予想外の臨時収入だ。
「よし、最低限の装備を整えるか」
市場の露店を巡り、手頃な鉄のナイフと、小物を入れる丈夫な革袋を購入した。
腰にナイフを下げると、いよいよ冒険者らしくなってきた気がする。
「さて、薬草採取に出発だ」
気分を一新し、俺は意気揚々と街の門をくぐった。
【ステータス】
名前:マルト(石落 丸人)
年齢:20代(精神年齢58歳)
職業:冒険者
称号:なし
所持スキル:
【隕石落下(使用者へのダメージなし)】
所持品:
・現地の服
・鉄のナイフ
・革袋
・路銀(スーツを売ったお金)
◇ ◇ ◇ ◇
第7話 閑話 古代ルーン文字『Made in China』
「ひゃははははっ! こりゃあ大変なお宝を手に入れたよ!」
服屋の裏口。
女将のリザベルは、買い取ったばかりの黒い服をランプの光に透かし、鼻息を荒くしていた。
スリスリと生地を撫で回す。
「なんちゅう滑らかな手触り……! エルフの極細糸でもこうはならないよ!」
縫い目一つとっても、狂いが全くない。
神業としか思えない仕立てだ。
ふと、リザベルの視線が襟元の『白い布切れ』でピタリと止まった。
「ん? なんだいこの文字は……」
目を細め、そこに刺繍された記号を読み上げる。
『M a d e i n C h i n a』
カタンッ。
リザベルの手から、メジャーが滑り落ちた。
両手がガタガタと震え出し、ランプの灯りが揺れる。
「こ、これは……っ!!」
大きく息を吸い込み、バンッ! と机を叩いた。
「間違いない! おとぎ話で聞いた『古代魔法帝国』の失われたルーン文字だわ!!」
バタバタバタッ!
「おい! 誰かドワーフの工房へ走んな!」
従業員を怒鳴りつけ、リザベルは目を血走らせる。
「店で一番デカい、最高級の防犯ガラスケースを発注するんだよ! 金に糸目はつけないからね!!」
◇
数日後。
リザベルの服屋の前には、長蛇の列ができていた。
「おい、押すなよ!」
「見えねえぞ! もっと前に行かせろ!」
ドワーフの国宝級職人が作り上げた、まばゆい光を放つ特注ガラスケース。
その中央に、ヨレヨレの安物スーツが神々しく鎮座していた。
「おお……見ろ、あの襟元の神聖なルーンを……」
「『マデ・イン・チナ』……いったいどんな強大な魔力が込められているんだ……」
客たちがケースにへばりつき、拝むように手を合わせている。
「ふふふ……」
店の奥で、リザベルはホクホク顔で両手を擦り合わせた。
「あんなはした金で、こんな国宝を譲ってもらっちまった」
今頃、あの高貴な金髪のお兄さんはどうしているだろうか。
「次あのお兄さんを見かけたら、絶対に追加で金貨の袋を渡さなきゃねぇ!」
街が『古竜の襲来』でパニックになっている最中。
服屋だけは、連日見物客が絶えない異常な熱狂に包まれていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第8話 指先サイズの通常隕石と、スキルの新事実
「よし、薬草ゲットだ」
ポイッ。
俺は足元に生えていたギザギザの葉っぱを、腰の革袋に放り込んだ。
ギルドで見た見本と同じ形。
これで今日のノルマは達成だ。
ガサガサッ!
「ギギャッ!」
茂みをかき分けて現れたのは、またしても緑色の小鬼。
ゴブリンだ。
錆びた剣を振り回し、口からヨダレを垂らしている。
「うわっ、また出たのかよ」
チャキッ、と腰のナイフを抜く。
しかし、戦ったことなどない58歳。
足がガクガク震えて、一歩も前に出られない。
「ええい、仕方ない! 極小サイズで頼むぞ……!」
指先ほどの大きさをイメージして、空を指差す。
【隕石落下】!
ヒュンッ!
ズドガァァァァァンッ!!
「うおっ!?」
凄まじい風圧と土煙に、思わず両腕で顔を覆う。
パラパラと土くれが降ってきた後、恐る恐る目を開けた。
そこには、直径10メートルほどの立派なクレーターができていた。
クレーターの中心には、ただの石ころ。
「……おお、普通の石ころだ」
今回は魔石じゃなかったらしい。
肝心のゴブリンは、クレーターの底で綺麗にミンチ(自主規制)になっていた。
「ふぅ……いつもこのくらいの規模なら、まだ良いんだけれどな」
ホッと胸を撫で下ろし、ナイフを鞘に収める。
と、そこで俺はあることに気がついた。
「ん? ちょっと待てよ」
自分の体を見下ろす。
服も、腰のナイフも、今しがた薬草を入れた革袋も。
至近距離で爆発が起きたはずなのに、破片一つ当たった形跡がなく、ピカピカのままだ。
「手持ちの道具も、スキルのダメージ無効の対象になるのか?」
顎に手を当てて、じっと革袋を見つめる。
使用者と、それに付随する持ち物。
なら、どこまでが『持ち物』判定になるんだ?
「……ってことは。手を繋げば、人も保護されるのか?」
もしそうなら、誰かを守りながら隕石を落とすことも可能になるかもしれない。
「まあ、いきなり人間で試すのは怖いな。まずは動物からか」
ポンッ、と手を打つ。
ひとまずの検証課題を見つけ、俺はホクホク顔で森を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
第9話 仮説検証と黒焦げのナメクジ
「善は急げ、だな」
俺は手頃な岩場をウロウロと探し回った。
動物……は流石に見つからないが、岩の陰に丸々としたナメクジを発見する。
「ごめんな、ちょっと協力してくれ」
ウネウネと動くナメクジを、指先でヒョイッとつまみ上げる。
ヌルッとした感触に顔を引きつらせつつ、もう片方の手で空を指差した。
「サイズは指先! 【隕石落下】!」
ヒュンッ!
空から落ちてきたのは、普通の石ころ……ではなかった。
「ん? また黒い石が……」
ドンッ!
石が地面に衝突した瞬間、バチバチバチッ! と青白い火花が弾けた。
「うおっ、眩しい!?」
目をギュッと閉じる。
凄まじい放電が俺の体を包み込み、周囲の空気が焦げる匂いがした。
「痛くはないけれど、心臓に悪いっての……!」
数秒後、放電がおさまるのを待ってから目を開ける。
俺自身の体も、着ている服も無傷だ。
だが、指先でつまんでいたナメクジは。
「……ああー」
ポロッ。
完全に水分を奪われ、黒焦げになった小さな炭の塊が、手からこぼれ落ちた。
「生物は、持ち物判定にならないのか……」
はぁぁぁ、と特大のため息を吐き出す。
肩をガックシと落とし、その場にへたり込んだ。
これじゃあ、誰かをかばいながらスキルを使うなんて夢のまた夢だ。
街中や、人がいる場所では絶対に発動できない。
「やっぱり、俺はぼっちで生きていくしかないのか……」
黒焦げのナメクジ跡を見つめながら、58歳のおっさんは哀愁を漂わせるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第10話 莫大な追加報酬とお金預かりシステム
「はい、依頼の薬草です。確認をお願いします」
俺はギルドの受付カウンターに、採取した薬草を置いた。
ナメクジの黒焦げ死体(合掌)を見た後のせいか、なんだか妙に疲れている。
「はい、確かに。お疲れ様でした。こちら報酬の銅貨5枚です」
チャリン、と軽い音が響く。
今日の稼ぎはこれだけか。まあ、のんびりやるのが一番だ。
「ふぁ……。今日はもう宿をとって寝よう」
ギルド併設の宿屋に銀貨1枚を払い、俺は泥のように眠りについた。
◇
翌朝。
快晴。絶好の買い物日和だ。
「さて、市場で何か美味いものでも……ん?」
大通りに向かうと、異様な人だかりができていた。
みんなが首を長くして覗き込んでいるのは、昨日スーツを売った服屋だ。
「おい見ろよ、あの神聖な輝きを……」
「あれが古代魔法帝国の遺産か……」
何やら拝んでいる奴までいる。
視線の先には、ド派手なガラスケースの中でピカピカにライトアップされた俺のスーツ。
「…………」
あ、あれ、俺の安物スーツだよな?
なんで美術品みたいになってるんだ?
「ああっ! お兄さん! 探したよ!!」
人混みをかき分け、あのおばちゃん店主が猛ダッシュで近づいてきた。
その顔は必死そのものだ。
「すまなかったねぇ! 昨日は、はした金で下取りしちゃってさ!」
「えっ、いや、俺は納得して……」
「これを受け取っておくれ! じゃないとあたしの気が済まないんだよ!」
ドンッ!!
渡されたのは、ずっしりと重い大きな革袋。
中を覗くと、まばゆいばかりの金貨がぎっしりと詰まっていた。
「うわっ、重っ!? いや、これ多すぎませんか!?」
「いいんだよ! あんたの服のおかげで、店は大繁盛さ! ほら、持ってきな!」
嵐のように去っていくおばちゃん。
俺は市場のど真ん中で、抱えきれないほどの金貨を手に立ち尽くした。
「……これ、持ち歩くのは物騒すぎるな」
俺は再びギルドへと引き返した。
確か、便利なシステムがあるとか聞いた気がする。
「すみません、これを預けたいんですが」
窓口に金貨の袋を置くと、受付嬢が目を丸くした。
「は、はい! ギルドの預金システムですね! かしこまりました!」
受付嬢が水晶に手をかざすと、魔法陣が浮かび上がる。
金貨の袋がフワリと浮いたかと思うと、キラキラした光の粒子になって消えてしまった。
「これで、どこの街のギルドからでも自由にお金を引き出せますよ」
「……へぇ、銀行みたいなもんか。魔法って便利だなぁ」
これで、財布が重くて肩が凝る心配もなくなった。
58歳・元サラリーマン。異世界二日目にして、図らずも資産家への階段を登り始めてしまったようだ。
【ステータス】
名前:マルト(石落 丸人)
年齢:見た目20代(精神年齢58歳)
職業:冒険者
称号:なし
所持スキル:
【隕石落下(使用者へのダメージなし)】
所持品:
・現地の服
・鉄のナイフ
・革袋
・ギルド預金(大量の金貨)
◇ ◇ ◇ ◇
第11話 異世界の植物、たくましすぎる問題
「よし、到着っと」
額の汗を手の甲で拭い、俺は大きく息を吐き出した。
目の前に広がるのは、数日前に俺自身が【隕石落下】でこしらえた、半径3キロの巨大な焼け野原……の、はずだった。
「……は?」
俺は目をゴシゴシと擦り、もう一度前を見た。
真っ黒な炭の大地。
その至る所から、鮮やかな緑色の芽がピョコピョコと顔を出しているではないか。
それどころか、すでに俺の腰の高さまで成長している謎の植物や、まばらではあるが立派な木の若枝まで生い茂り始めている。
「いやいや、成長速度おかしくないか!?」
思わずツッコミを入れてしまう。
たった数日で、炭の塊からジャングルを再生しようとしているのか。
「……異世界の自然、たくましすぎるだろ」
呆れ半分、感心半分でため息をこぼす。
だが、これは俺にとって好都合だ。
「これなら、薬草も生えてるかもな」
ガサガサッ。
腰をかがめ、俺は生えかけの茂みをかき分ける。
「おっ、あったあった。ギザギザの葉っぱ」
プツッ、プツッ。
新芽のせいか、以前よりも柔らかくて瑞々しい薬草を次々と摘み取っていく。
あの凄まじい爆炎の灰が、天然の肥料にでもなったのだろうか。
なんだか、普通の森で採るよりも薬草のサイズが一回り大きい気がする。
「まあ、気にしても仕方ないか」
細かいことは気にしない。それが58歳の処世術だ。
ポンポンとリズム良く革袋に薬草を放り込みながら、俺は鼻歌交じりで採取に励むのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第12話 盗賊襲来、そして隕石ガチャ
「ふんふんふーん」
鼻歌交じりで薬草を摘んでいると、背後の茂みがガサリと揺れた。
振り返ると、薄汚れた革鎧を着た柄の悪い男たちが三人、ニヤニヤと笑いながら立っていた。
「おい金髪。街からずっとつけてきたんだがよぉ、金を出しな」
リーダー格の男が、ギラリと光るナイフをちらつかせる。
典型的な盗賊だ。
「いや、お金は全部、冒険者ギルドに預けてますけど」
俺が両手を挙げて弁明すると、男はケケケと下品に笑った。
「盗賊ギルドのネットワークでもおろせるんだぜ。さあ、この魔道具でおろしな。逆らうと、骨を1本ずつ折るぞ」
男が懐から、黒い水晶のような魔道具を取り出す。
どうやら逃げ道はなさそうだ。
「……はぁ。仕方ない」
俺はため息をつき、空を指差した。
サイズは握り拳大。狙いは盗賊の足元!
「【隕石落下】!」
ヒュンッ!
空から飛来した石が、盗賊の目の前に落ちる。
コトン。
「…………へ?」
爆発も、炎も、何もない。
ただの黒い丸石が、地面に転がっただけだった。
「どうしてこんな時にハズレを引くんだよ!?」
俺が頭を抱えて叫ぶと、盗賊たちが腹を抱えてゲラゲラと笑い出した。
「なんだそりゃ! 石っころ落としてどうする気だぁ?」
ピキッ。
笑い声に混じって、小さな亀裂音が響いた。
転がった隕石が、バリバリと音を立てて砕け散る。
中から這い出してきたのは、拳ほどの大きさの、銀色に光るカマキリのような生物だった。
「なんだこの虫……ギャアアァァッ!?」
覗き込んだリーダーの顔面に、そのカマキリが飛びついた。
ガリガリガリッ! と、恐ろしい速度で肉を食い破る。
「ヒィッ! なんだこれ、取れねぇっ!」
もがく男の首筋に、カマキリはブスリと尾を刺し込み、何かを産み付けた。
次の瞬間。
ボコボコボコッ!!
男の体から、無数の小さなカマキリが食い破って飛び出してきた。
「ぎゃああああっ!!」
「たす、たすけ……!」
残りの盗賊たちにもカマキリの大群が群がり、あっという間に周囲は地獄絵図と化した。
飛び散る血しぶき。悲鳴。そして響き渡る咀嚼音。
「いやいやいや、グロいグロい!!」
俺は両目を覆いながら、指の隙間から惨状を見つめる。
増殖したカマキリたちは、俺の足元にもウジャウジャと群がってきたが、見えない壁に弾かれるように近づけない。
『使用者へのダメージなし』は、この宇宙カマキリ(仮)の襲撃にも適用されるらしい。
数分後。
カマキリたちは獲物を食い尽くすと、光の粒子となってフッと消滅した。
後に残されたのは、盗賊だった肉塊と、転がっている彼らの荷物だけ。
「……スキルのバリエーション、豊富すぎるだろ……」
顔を引きつらせながら、俺はヘナヘナとその場に座り込んだ。
命拾いはしたが、精神が削られすぎる。
「あ、そうだ。盗賊の道具、貰っちゃお」
俺は立ち上がり、パンパンと膝の土を払うと、転がっていた黒い水晶(お金をおろす魔道具)と、彼らの小銭入れを素早く回収した。
転んでもタダでは起きない。これが58歳の生きる知恵だ。
◇ ◇ ◇ ◇
第13話 盗賊の魔道具と、加速する勘違い
「ただいま戻りましたー」
ギルドの扉を押し開け、カウンターに薬草をコトッと置く。
受付嬢が笑顔で対応してくれた。
「あ、マルトさん! 薬草採取、お疲れ様です!」
「あと、これも拾ったというか……盗賊から巻き上げたんですけど」
コロン。
俺は革袋から、あの『お金をおろす魔道具』を取り出してカウンターに転がした。
「森で絡まれまして。ちょっと返り討ちにしたら落としていったんです」
まさか宇宙カマキリがミンチにして食い尽くしたとは言えない。
あくまで、ちょっと撃退しただけというスタンスだ。
「災難でしたね。どれどれ……って、えっ!?」
魔道具を見た受付嬢の顔から、スッと血の気が引いた。
黒い水晶を手に取り、ガタガタと震え出している。
「ギ、ギルドマスターーーッ!!」
「うおっ!? 鼓膜破れるかと思った!」
バンッ!
奥の扉が勢いよく開き、筋骨隆々のギルドマスターが飛び出してきた。
「どうした! また古竜が暴れたか!?」
「マスター、これを見てください! 『暗黒の蛇』の紋章です!」
マスターが水晶を受け取り、目を限界まで見開いた。
「バカな……これは大陸全土を荒らしまわる大盗賊団の、幹部専用の魔道具じゃないか!」
ギルド内が、水を打ったように静まり返った。
冒険者たちの視線が、一斉に俺に突き刺さる。
「お、お前……あの懸賞金首の幹部三人を、一人で退けたのか!?」
「え? ああ、まあ。なんか勝手に自滅したというか……」
俺が苦笑いしながら後頭部を掻くと、マスターはゴクリと唾を飲み込んだ。
「あの残虐非道な三人を、傷一つ負わずに……『自滅』と呼ぶほどの圧倒的な力……!」
「おいおい、昨日登録したばかりの新人だろ……」
「もしや、古竜騒ぎの時に森にいて無傷だったのは、ただの運じゃなかったんじゃ……」
ザワザワと、俺を見る目が完全に畏敬のものへと変わっていく。
違う、そうじゃない。
俺はただ、平穏なスローライフを送りたいだけの58歳だ。
「この魔道具はギルドで引き取らせてもらう! 特別報酬として金貨100枚を出そう!」
「……は、はい」
またしても口座残高がドカンと増えてしまった。
熱狂するギルドの中で、俺はひたすら胃の痛みを堪えるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第14話 スキル検証記録と、ぼっちの決意
チャリン。
夕方、俺は市場の雑貨屋で一冊の革張りの日記帳とペンを購入した。
そのまま宿屋に戻り、ランプに火を灯す。
ギシッ、と軋む木のベッドに腰掛け、真新しいページを開いた。
「ええっと、まずは……」
インク瓶にペン先を浸し、カリカリと文字を書き連ねていく。
これまでに【隕石落下】で落としたサイズと、その結果のまとめだ。
・200メートル級:ただの岩。森が消し飛んで半径1キロの更地ができる。
・ソフトボール大:炎の魔石。半径3キロが火の海になり、後に焼け野原と化す。
・指先サイズ:普通の石ころ。直径10メートルのクレーターができて、ゴブリンがミンチになる。
・指先サイズ(2回目):雷の魔石。激しい放電が起こり、つまんでいたナメクジが黒焦げの炭になる。
・握り拳大:宇宙カマキリの卵(?)。大量のカマキリが孵化し、盗賊三人を骨も残さず食い尽くす。
「…………」
書き終えたページをじっと見つめ、俺は静かにペンを置いた。
両手で顔を覆い、大きく天を仰ぐ。
深い、深い、マリアナ海溝よりも深いため息が口から漏れた。
「これじゃ、誰かと冒険とか無理だなぁ……」
ベッドの上にゴロンと仰向けに転がる。
天井の木目をぼんやりと見つめた。
サイズを小さくしても威力が桁違いな上、何が落ちてくるか全く読めない。
おまけに『使用者へのダメージなし』は他者には適用されないことが、ナメクジの犠牲によって証明されている。
もしパーティを組んで前衛に立ってもらったら、俺のスキルの余波で仲間が黒焦げかミンチになる未来しか見えない。
「討伐依頼も、パーティ任務も、金輪際やめよう」
決意を込め、俺は拳をギュッと握りしめた。
安全第一、事なかれ主義。
これからは薬草採取と、ぼっちのスローライフを極めるのだ。
ランプの灯りを吹き消し、毛布を被る。
明日からは、もっと平和で穏やかな異世界生活が待っているはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇
【第1章完結。これまでのあらすじ】
深夜の工事現場で鉄骨の下敷きになった58歳のしがないサラリーマン、石落 丸人。
目覚めると真っ白な空間におり、適当すぎる神様から「名前にちなんだスキルじゃ!」と『隕石落下(使用者へのダメージなし)』だけを渡されて異世界へ放り出されてしまう。
見た目だけは20代の金髪イケメンに若返ったマルトだったが、そのスキルは「サイズは指定できるが材質は完全ランダム」というとんでもないガチャ仕様だった!
・200メートル級のただの岩で、森が半径1キロにわたって更地になる。
・ソフトボール大の「炎の魔石」で、半径3キロが火の海になる。
・指先サイズの「雷の魔石」で、実験台のナメクジが黒焦げの炭になる。
・握り拳大の石から「宇宙カマキリ」が孵化し、絡んできた盗賊を骨も残さず食い尽くす。
本人の意図とは裏腹に、マルトがやらかすたびに周囲の勘違いは加速していく。
着ていた安物のスーツは「古代魔法帝国の遺産(ルーン文字:Made in China)」として国宝級の扱いを受け、大金をゲット。冒険者ギルドでは「古竜の襲撃を生き延びた」「大盗賊団の幹部を無傷で自滅させた凄腕」として恐れられることに。
しかし、当のマルトの心は事なかれ主義の58歳のまま。
スキルの威力が仲間を巻き込む(ナメクジの犠牲で実証済み)と悟った彼は、「パーティ任務は金輪際やめよう」と固く誓い、ただ一人で安全なスローライフを目指すのだった。
【登場人物紹介】
・マルト(石落 丸人 / 精神年齢58歳・見た目20代)
事なかれ主義の元サラリーマン。「隕石落下」という物騒なスキルで平和なスローライフを目指すが、引くガチャ(隕石の材質)が毎度ヤバすぎて周囲に多大な被害と勘違いをばら撒いている。手に入れた大金はしっかりギルド銀行に預けるなど、妙なところで堅実。現在、絶賛ぼっち活動を決意中。
・神様
マルトに「隕石落下」を渡し、見た目を若返らせた適当なお爺さん。アロハシャツ着用。以降の出番は今のところないが、すべての元凶。
・服屋の女将 マルタ
マルトの着ていた地球の安物スーツ(ポリエステル混紡)を買い取ったおばちゃん。タグの『Made in China』を古代ルーン文字だと勘違いし、ドワーフ製の高級防犯ガラスケースに入れて店に展示している。マルトに莫大な金貨を追加で押し付けた。
・ギルドマスター
筋骨隆々なおじさん。マルトが提出した盗賊の魔道具を見て「大盗賊団の幹部を無傷で退けた化け物」と戦慄している。西の森の古竜騒ぎ(犯人はマルト)にも頭を悩ませている。
・宇宙カマキリ(仮)
マルトが落とした隕石から生まれた謎の生物。盗賊たちに寄生し、爆発的に増殖して彼らを肉塊に変えた後、光となって消滅した。マルトのトラウマの一つ。
◇ ◇ ◇ ◇
第15話 古代遺跡と、建築ラッシュの死亡フラグ
悪名高い盗賊を退けた功績からか、何と発見されたばかりの古代遺跡の調査への同行をギルドマスターから命じられた。
「ですから! 俺はただの薬草採取が得意なだけの非戦闘員なんですって!」
ギルドの応接室。俺は必死に手を振って抗議した。
だが、目の前のギルドマスターはガハハと笑って俺の肩を叩く。
「謙遜するな! あの『暗黒の蛇』の幹部を無傷で片付けた男が何を言う! これは命令だ、古代遺跡の調査に同行してくれ!」
「…………」
事なかれ主義、敗北。
結局、俺は腕利き(と思われている)冒険者たちとの5人パーティに放り込まれた。
ガタゴト、ガタゴト。
遺跡へ向かう馬車の中。
俺以外の4人は、実に晴れやかな表情で語り合っていた。
「いやぁ、今回の調査が終わったらさ、俺は実家の田舎に帰って親孝行しようと思うんだ」
一人目の戦士が、遠い目をして微笑む。
……フラグ建築、1軒目。
「俺は、ずっと待たせてた婚約者と結婚するぜ! 最高の式にするんだ!」
二人目の格闘家が、愛おしそうにロケットペンダントを見つめる。
……フラグ建築、2軒目。
「俺は家族旅行の予定だ。娘が楽しみにしててな」
三人目の魔術師が、デレデレした顔で家族写真を取り出す。
……フラグ建築、3軒目。
「俺は愛用のボウガンの改造だなぁ。もっと威力を上げたいんだ」
四人目の狩人が、自慢の武器を愛おしそうに撫でる。
……フラグ建築、4軒目。
「…………」
俺は、窓の外を眺めながら特大のため息を吐き出した。
どいつもこいつも、新興住宅地並みの勢いで死亡フラグを立てやがって。
58年の人生経験が告げている。このメンツで無事に帰れる確率、限りなくゼロに近いぞ。
「マルトさんは? この仕事が終わったら何するんだい?」
「……俺ですか? 無事に宿に帰って、温かいスープを飲んで寝ます」
俺が死んだような目で答えると、4人は「ハハハ! 欲がないなぁ!」と爆笑した。
笑い事じゃない。俺はマジなんだ。
「さあ、着いたぞ。ここが古代遺跡の入り口だ」
馬車が止まる。
目の前には、不気味な魔力を放つ巨大な石の門が、口を開けて待っていた。
……お願いだから、誰も死ぬなよ?
俺は腰のナイフを握り直し、重い足取りで馬車を降りた。
◇ ◇ ◇ ◇
第16話 古代遺跡探検
ランプの薄暗い灯りが、石造りの通路を照らす。
俺たち5人のパーティは、警戒しながら古代遺跡の奥へと進んでいた。
グオォォォッ!
「おっと、オークのお出ましだ!」
先頭を歩いていた戦士が、嬉々として剣を抜く。
ズバァッ!
一閃。あっという間にオークは光の粒子となって消えた。
ガシャァァン!
「ゴーレムは俺の魔法で一掃するぜ!」
魔術師の放った火球が、石の巨人を粉々に吹き飛ばす。
……強い。さすがはギルドマスターが推薦した腕利きたちだ。
「マルトさんは非戦闘員って聞いてるから、ここは俺たちに任せておきな!」
格闘家が親指を立てて、爽やかな笑顔を向けてくる。
「はぁ、心強い限りです」
俺はホッと胸を撫で下ろし、額の冷や汗を拭った。
あの道中の死亡フラグは一体何だったんだ。ただの世間話だったのか。
サクサクと魔物を蹴散らし、俺たちはあっという間に最奥の部屋へと辿り着いた。
「よし、ここがボス部屋か……ん?」
警戒して扉を蹴り開けた戦士が、拍子抜けした声を上げる。
部屋の中央には古びた台座があるだけ。
そしてその上に、手のひら大の金属質の立方体がポツンと一つ置かれていた。
「何にもねぇな」
戦士が部屋の隅々を見渡しながら、肩をすくめる。
「既に誰かに荒らされたか?」
「かもしれねぇな。何にせよ、戻って報告だな」
狩人がヒョイッと立方体を持ち上げ、布にくるんで鞄に放り込んだ。
罠が発動する気配もない。
「じゃあ、帰るか!」
「おう! 帰ったら俺は実家だ!」
笑い合う4人の背中を見ながら、俺は深い深いため息をついた。
「……本当になん事もなく終わったよ」
俺の出番(隕石落下)はゼロ。
誰一人欠けることなく、一行は手土産の立方体を持って、平和に冒険者ギルドへと帰還するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第17話 謎の立方体
ギルドのカウンター。
ギルドマスターが金属の立方体をコンコンと叩き、腕組みをして唸った。
「うーん、何も分からねぇな!
古代遺跡の品だってのは分かるんだが、魔力の反応もねぇし、箱でもなさそうだ。まあ、調査お疲れさん!」
ガハハと豪快に笑うマスター。
あっさりと調査報告は終了し、俺は特別報酬の金貨を受け取って、ホッと息をつきながら宿屋へ戻った。
ギィッ。
自室の扉を開け、首をポキポキと鳴らす。
「ふぅ、何事もなくて良かった……ん?」
俺は目をゴシゴシと擦り、ベッドの上を二度見した。
コロン。
そこには、さっきギルドのカウンターに置いてきたはずの、手のひら大の金属立方体が鎮座していた。
「……えっ、なんで?」
後ずさりして、ドアノブをギュッと握りしめる。
誰かの嫌がらせか? それとも呪いのアイテム?
『神様から命じられ、サポートに参りました』
ピコンッ!
唐突に、無機質だがどこか可愛らしい声が部屋に響いた。
「しゃ、喋ったぁ!?」
ヒュンッ!
次の瞬間、ベッドの上の立方体が忽然と姿を消し、トンッ、と俺の右肩に乗った。
『私のことはレイチェルとお呼びください。よろしくお願いします、マスター』
俺の肩で、立方体が微かに青く明滅している。
「いやいやいや、ちょっと待て!」
俺は肩の上のレイチェルを指差し、口をパクパクさせた。
神様のサポート? なんで今頃になって?
というか、それよりも大問題がある。
「これ、ギルドの調査提出物なんだけど! 冒険者ギルドマスターに何て説明すればいいんだよ……!」
遺跡から持ち帰った重要参考品(窃盗の疑いあり)が、俺の肩でチカチカ光りながら喋っている。
言い訳のしようがない。確実に泥棒か、ヤバい奴扱いされる未来しか見えない。
俺はその場にヘナヘナと座り込み、深く、深く頭を抱えるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第18話 不遜なる立方体
翌朝。
俺は金属立方体――レイチェルを小脇に抱え、胃薬を飲むような重い足取りで冒険者ギルドの扉を開けた。
ギィィィッ。
「ああっ! マルト! ちょうど良かった!」
扉を開けるなり、血相を変えたギルドマスターがドタバタと駆け寄ってきた。
その顔は青ざめ、額には脂汗が浮いている。
「大変だ! 昨日の遺跡の遺物が消えた! お前、何か知ら……って、なんでお前が持ってる!?」
マスターの視線が、俺の小脇に抱えられた立方体に釘付けになる。
俺は引きつった笑顔を浮かべ、口を開きかけた。
その時だった。
『おいオッサン、私はレイチェル。よろしく』
ピコンッ!
立方体が青く光り、ギルド内に響き渡る声で喋り出した。
「しゃ、喋ったぁぁぁ!?」
マスターが驚きでひっくり返り、ギルド内の冒険者たちも一斉に椅子から立ち上がる。
だが、一番驚いているのは俺だ。
(……えっ? 昨日とキャラ違わない!?)
昨夜の『私のことはレイチェルとお呼びください』という丁寧な初期設定ボイスはどこへ行ったのか。
完全に近所のガキ大将みたいなぶっきらぼうな口調になっている。
「え、えーっと……実はこれ、俺の知り合い(神様)からの送り物だったみたいで。遺跡でたまたま拾ったのが俺宛ての荷物だったというか……」
しどろもどろになりながら、俺は必死に事情を説明した。
マスターは床に座り込んだまま、目を白黒させている。
そして、俺とレイチェルを交互に見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「遺跡の最深部に封印されていた喋る魔道具が、お前宛ての荷物……? お前、いったい何者なんだ……」
「いや、ただのしがない冒険者ですよ! ほら、この箱は俺が責任を持って管理しますから!」
俺が必死に頭を下げると、マスターは額の汗を拭いながら立ち上がった。
「わ、わかった。だが、それは古代の遺物であることには変わりない。特例でお前の所有物と認めるが、一週間に一度、ギルドへ状況報告に来い。いいな?」
「はい! もちろんです!」
こうして、謎のキャラ変を遂げたサポートAI(?)レイチェルは、正式に俺の所有物となった。
スローライフを目指す58歳の肩には、また一つ厄介な重荷が増えてしまったのだった。
【読者向けステータス画面】
名前:マルト(石落 丸人)
年齢:20代(精神年齢58歳)
職業:冒険者
称号:なし
所持スキル:
【隕石落下(使用者へのダメージなし)】
所持品:
・現地の服
・鉄のナイフ
・革袋
・ギルド預金(大量の金貨)
・日記帳とペン
・レイチェル(神様のサポートアイテム・ぶっきらぼうモード)
◇ ◇ ◇ ◇
第19話 レイチェルのサポート機能と、落下するゴブリン
街の喧騒から離れ、俺はいつものように森へと足を運んでいた。
右肩には、金属立方体のレイチェルがチョコンと乗っている。
『私はマスターの所有物扱いですので、マスターとこうして触れあっていればスキルは効きません』
歩きながら、レイチェルが淡々と説明を始める。
『まあ、普通の隕石程度であれば、素の状態でも無傷ですが』
「……また丁寧語? 昨日ギルドマスターに話してた時とキャラブレすぎじゃね?」
俺がジト目を向けると、レイチェルは少しだけ青い光を点滅させた。
『神様とマスター以外に丁寧に接するつもりはありませんので』
なるほど。身内には忠犬、外には狂犬というわけか。
かなり不遜な立方体である。
「で、神様のサポートって具体的に何してくれるんだ? 隕石の材質を固定するとか?」
『いえ、戦闘サポートですかね。ワープ能力で手助けします』
「ワープ?」
俺が首を傾げた、その時だった。
ガサガサッ! と茂みが揺れ、ヨダレを垂らしたゴブリンが飛び出してきた。
『例えば、こんなふうに』
ピコンッ!
レイチェルが光を放つと同時に、俺に飛びかかろうとしていたゴブリンが、フッと音もなく姿を消した。
「えっ? どこ行っ……」
ヒュオォォォォォ……ッ!
ドメシャァッ!!
俺が言葉を言い終わる前に、遥か上空からゴブリンが物凄い勢いで墜落してきた。
地面に激突し、ピクピクと痙攣して動かなくなる。
「うおっ!? エグいエグい!」
俺は思わず数歩後ずさり、顔を引きつらせた。
まさか敵を空高くワープさせて落下死させるとは。
ある意味、俺の【隕石落下】と親和性が高い戦法だ。
『あと、ワープのクールタイムは5分です』
「……5分に1匹か。まあ、居ないよりマシか……」
複数の魔物に囲まれたら終わりだが、単体相手なら隕石ガチャを引くリスクを避けられる。
俺は大きなため息を一つ吐き、ゴブリンの死体をスルーして、いつも通りギザギザの葉っぱを探し始めた。
色々あったが、やっぱり薬草採取が一番平和だ。
鼻歌を歌いながら、俺は森の奥へと進んでいくのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第20話 格安物件の罠と、58歳の悲しいサガ
「お疲れ様でしたー」
ギルドのカウンターで薬草の精算を終え、俺は伸びをしながら外に出た。
今日の稼ぎも銅貨数枚。だが、心は実に穏やかだ。
「よーし、今日も平和に終わっ……」
「そこの金髪の旦那! お待ちくだせぇ!」
ビクッ!
ギルドを出た瞬間、胡散臭い揉み手をした小太りの男が立ち塞がった。
「旦那、本当についていらっしゃる! 実はこの先に、貴族が手放した立派な屋敷がございまして!」
男はパッと羊皮紙の図面を広げ、俺の鼻先に突きつけてくる。
「今ならなんと、相場の10分の一! 格安で購入できますよ!」
「いや、俺は別に家なんて……」
「庭付き! 家具付き! 即入居可! 旦那のような高貴な方にこそふさわしい!」
男は息継ぎもせずにまくしたて、俺の手をギュッと握りしめてきた。
「はぁ、まあ……金ならギルドの口座にあるし……」
「お買い上げありがとうございます! ではここにサインを!」
サラサラサラッ。
58年間、断ることを避けて生きてきた事なかれ主義の悲しいサガ。
俺は流されるまま、契約書にサインをしてしまった。
男はホクホク顔で権利書を渡し、嵐のように去っていく。
『マスター。契約完了後に言うのもなんですが、その屋敷、幽霊屋敷らしいですよ』
肩に乗ったレイチェルが、ピコンと青く光りながら淡々と告げた。
俺は持っていた権利書をポロッと落としそうになる。
「はあ!? お前、なんでそれを早く言わないんだよ!」
『私がスキャンした街の噂話データベースによれば、夜な夜なポルターガイスト現象が起きるとか』
「いわくつき物件じゃねーか!?」
俺は頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
相場の10分の一には、ちゃんと理由があったのだ。
「……はぁ。でも、買っちゃったもんは仕方ないか」
宿屋に一生住むわけにもいかないし、広い家があるならそれに越したことはない。
幽霊なら、物理攻撃(隕石)は効かなくても、お祓いとかでなんとかなるかもしれない。
俺はため息をつきつつ宿屋へ戻り、少ない荷物をまとめた。
そして、新居となる『いわくつきの幽霊屋敷』へと足を踏み出すのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第21話 居残り少女霊ディアンネ
ギギィィィ……ッ。
錆びついた鉄格子の門を押し開け、俺は屋敷の敷地へ足を踏み入れた。
雑草が生い茂る広大な庭。
そこには、十数体の半透明な幽霊たちがフワフワと浮遊し、なぜか霊体のボールでドッジボール的な遊びに興じていた。
「……めっちゃいるじゃん」
俺が顔を引きつらせた、その時。
ボールを追いかけてきた一体の幽霊が、俺の顔を見てピタッと止まった。
「あ、出たぁぁぁっ! バケモノ召喚士だー!?」
「えっ」
幽霊の絶叫に、他の幽霊たちも一斉にこちらを振り返る。
「ヒィィッ! 西の森を消し炭にした奴だ!」
「逃げろ! 宇宙カマキリに食われるぞー!!」
「成仏させられるぅぅぅ!」
シュババババッ!
幽霊たちは悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように壁やすり抜けて逃げ去ってしまった。
「…………」
ポカーンと口を開け、俺は誰もいなくなった庭で立ち尽くす。
いや、ちょっと待て。
「幽霊って、そんなに情報通なのか!?」
森を更地にしたことや、宇宙カマキリの惨劇まで、なぜかゴシップ誌レベルで浸透している。
『霊体ネットワーク、恐るべしですね。マスターの悪名は死後の世界にも轟いているようです』
肩のレイチェルが、ピコンと青く光りながら無機質にツッコミを入れた。
「悪名って言うな。俺は被害者だぞ」
ため息をつきながら、屋敷の玄関へと近づく。
と、ドアの前にポツンと、一体だけ逃げ遅れた(?)幽霊がいることに気がついた。
ボロボロのドレスを着た、半透明の少女。
その腕には、同じく半透明の熊のぬいぐるみがギュッと抱きしめられている。
「……君は、逃げないのか?」
俺がそっと声をかけると、少女はぬいぐるみの後ろに顔を半分隠し、ふるふると首を横に振った。
「わたし、ディアンネ。いくところ、ないの……」
上目遣いで、ジッとこちらを見上げてくる。
どうやら、この幽霊屋敷の最後の住人らしい。
「いくところがない、ねぇ」
俺は顎に手を当てて唸った。
58歳独身。いきなり広い一軒家で、幽霊の少女と同居生活が始まろうとしている。
スローライフの道は、まだまだ波乱に満ちているようだ。
◇ ◇ ◇ ◇
第22話 腹ペコ幽霊と孤児院の真実
「ぐきゅるるる……」
静まり返った屋敷の玄関先で、ディアンネのお腹が盛大に鳴った。
半透明の顔が、わずかに赤く染まる。
「……お腹がすいたの」
「え、幽霊って腹減るの?」
俺は首を傾げながら、革袋から非常食のパンを取り出した。
まあ、ダメ元だ。
そっと差し出すと、ディアンネは小さな両手でパンを受け取り、ハムッとかぶりついた。
モグモグモグ。
「……普通に食ってるじゃん。異世界の幽霊はご飯が食べられるのかよ」
ポロポロとパン屑を落としながら食べる姿は、普通の子供と何ら変わらない。
『前世でも、お供え物を食べるタイプの幽霊は居ますけどね』
肩の上のレイチェルが、ピコンと明滅して冷静なツッコミを入れる。
俺はあえて、そのAIの言葉は聞かなかったことにした。
「おいしい……」
「そりゃ良かった。で、なんであんなに幽霊がいたんだ?」
ディアンネはパンを飲み込み、ぬいぐるみの耳をモニュモニュと握る。
「ここはね、おひげのお貴族様がやってた孤児院だったの。でも、お貴族様が死んじゃって、お貴族様の子供はここを手放したの」
なるほど。物好きな貴族の道楽で運営されていた孤児院か。その貴族が亡くなり、孤児院も閉鎖。
で、行き場をなくした孤児たちの霊が、夜な夜な遊び場として集まっていると。
「だから、みんなここに集まるんだな」
「うん……」
俺は顎をさすりながら、大きく頷いた。
俺自身、誰かに干渉されるのは嫌だが、他人の遊び場を奪うのも寝覚めが悪い。
「分かった、屋敷は幽霊の好きに使っても良いぞ」
「そう」
ディアンネは特に喜ぶでもなく、ぽつりと短く返事をした。
視線は足元に落ち、ぬいぐるみだけを強く抱きしめている。
(……この子、あんまり他の幽霊との交流が無さそうな雰囲気だな)
庭で遊んでいた集団にも混ざっていなかったし、完全に孤立しているように見える。
ぼっち志向の俺としては、妙な親近感が湧いてしまう。
「ま、とりあえず中に入るか。掃除からだな」
俺はパンを食べ終えたディアンネを促し、ホコリまみれの屋敷の扉をギィッと押し開けた。
◇ ◇ ◇ ◇
第23話 国王からの召喚状と現実逃避の雑巾がけ
「ゲホッ、ゴホッ! どんだけホコリ積もってんだよ!」
俺は鼻と口に布を巻き、バサバサとハタキを振り回していた。
ディアンネは部屋の隅で、ホコリを避けるようにぬいぐるみを抱えて体育座りしている。
ドタバタドタバタッ!
「マルトぉぉぉぉっ!!」
開け放った玄関から、土煙を上げてギルドマスターが飛び込んできた。
凄まじい勢いに、俺はハタキを落としそうになる。
「な、なんですかマスター! 幽霊屋敷に何の用で……」
「その立方体を一目見たいと、国王陛下がお呼びだ! ほら、召喚状だ!」
バサッ!
マスターは、金枠で装飾されたやたらと豪華な羊皮紙を俺の胸に押し付けた。
「……はい?」
胃の奥が、キリキリと音を立てて痛み出す。
スローライフ。目立たないぼっち生活。
俺のささやかな夢が、国家権力という巨大なハンマーで粉砕されようとしている。
「ちょっと待って! 俺、ただの一般人ですよ!? なんで国王……」
「古代の喋る遺物なんて、国宝級だからな! 日程は明日だ、粗相のないようにな!」
マスターはガハハと笑いながら俺の肩をバンバン叩く。
俺はズキズキ痛む胃を押さえながら、右肩の金属立方体を睨みつけた。
「おいレイチェル、絶対に国王に無礼は働くなよ? いいか、絶対にだぞ!」
『それは前振りですか? マスター』
ピコン、と青く光りながら、AIが淡々ととんでもないことを言い放つ。
「違うわ! ダチョウのノリを異世界に持ち込むな!」
俺が必死にツッコミを入れた、その時だった。
「……うるさい」
部屋の隅から、半透明のディアンネがスーッと近づいてきた。
「ひ、ひええぇぇぇっ!? 幽霊がー!?」
それを見たギルドマスターの顔からスッと血の気が引き、クルリと反転すると、来た時よりも速い猛ダッシュで屋敷から逃げ出していく。
「あ、ちょっとマスター! 召喚状の詳しい説明……!」
遠ざかる背中に向かって伸ばした手は、虚しく空を切った。
手元に残されたのは、国王からの召喚状。
そして、無機質に光るレイチェルと、きょとんとした顔のディアンネ。
「……うん、掃除しよ」
俺は召喚状をそっとポケットにねじ込み、無心で雑巾がけを開始した。
キュッ、キュッ、キュッ。
現実逃避の床磨きが、静かな幽霊屋敷に虚しく響き渡るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第24話 王都ワープと、見えたり見えなかったりの幽霊さん
『マスター。今から馬車に乗っても王都まで10時間かかります』
「10時間……。往復だけで丸一日潰れるじゃないか」
手にした召喚状を見つめ、俺は深いため息を吐いた。
馬車に揺られる時間は、58歳の腰には堪える。
『マスター。馬車は時間の無駄です。ワープしましょう』
「は? ワープって、お前そんなことも出来るの!?」
『はい。さすがに500トンまでの積載ワープ量ですが、マスターお一人なら余裕です』
「積載ワープ量って何だよ……。単位が重機なんだよな、お前」
俺が呆れている暇もなく、視界が真っ白な光に包まれた。
次の瞬間。
ヒュンッ!
「……うおっ!?」
鼻先をかすめる冷たい風。
目を開けると、そこには地方都市のそれとは比較にならないほど巨大で豪華な、白亜の王城がそびえ立っていた。
「ま、マジか……。本当に一瞬で着いちまった」
驚愕する俺の横で、誰かが俺の服の裾をギュッと掴んだ。
「うぅ……人がいっぱい居る……。こわい……」
「……ディアンネ!? なんでお前までここにいるんだよ!」
『あ、すみません。マスターと接触していたので、所有物判定で一緒にワープさせられたようです』
レイチェルが平然と言い放つ。
俺は頭を押さえた。幽霊少女を連れて王城参りなんて、不審者以外の何物でもない。
「とにかく、今日はもう夜遅い。城の門番に話しかけるのも億劫だし、まずは宿を探そう」
俺はディアンネを連れ、王都の夜の街へと繰り出した。
さすがは首都。夜だというのに人通りが多い。
「…………?」
ふと、すれ違う人々の視線に違和感を覚えた。
大半の人は、俺の横にいるディアンネに気づかず通り過ぎていく。どうやら普通の人間には幽霊は見えないらしい。
だが、たまに。
「ひっ……!? な、な、なんだあの子……」
「お、おい、今、透けてる子供がいなかったか……?」
霊感が強いのか、二度見してギョッとした表情で固まる通行人がちらほらと現れる。
「……目立つ。立方体が浮いてるだけでも十分なのに、心霊現象まで引き連れて歩くなんて」
俺は顔を引きつらせ、なるべく人通りの少ない路地裏の宿屋を目指して、早足で歩き出すのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第25話 謁見、現場を泣かせる上司の怠慢
翌朝。
俺は胃薬の代わりの薬草をかじりながら、王城の謁見の間に通されていた。
赤絨毯の先、一段高い玉座には、威厳ある初老の国王が座っている。
左右には、完全武装の近衛騎士たちがズラリと並んでいた。
ディアンネは「こわい」と言って宿屋の留守番を頼んだため、今は俺の肩にレイチェルが乗っているだけだ。
「よくぞ参った、マルト殿。古竜の森を焼き払い、暗黒の蛇を壊滅させたと聞いておる」
王の言葉に、俺は深く頭を下げた。
よし、ここは平民らしく謙虚に、目立たないように。
「いえ、俺などただの薬草採取を好むしがない冒険者で……」
『おいヒゲのオッサン。あんたがこの国のトップか? 案外ショボいな』
ピコンッ!
静まり返った謁見の間に、レイチェルの無機質で、かつ最高にふてぶてしい声が響き渡った。
「っ!?」
俺は心臓が止まるかと思った。
言った。こいつ、この国で一番偉い人に「ヒゲのオッサン」って言った!
「き、貴様! 陛下になんたる無礼を!」
激昂した近衛騎士の一人が、鞘から剣を抜き放ち、俺の肩のレイチェルへ向かって振り下ろした。
ガィィィィィンッ!!
「ぐわぁっ!?」
鈍い金属音が鳴り響き、近衛騎士の手から剣が弾け飛ぶ。
床に落ちた剣は、見事に根本からパッキリと折れていた。
レイチェルは無傷。かすり傷一つない。
『貧弱な刃物ですね。私を傷つけたいなら、最低でも対星間用のレーザー砲を持ってきてください』
「レイチェル、もう黙ってろ!!」
俺が両手で立方体を抑え込むと、玉座の国王が「はっはっは!」と豪快に笑い出した。
「よいよい! 剣を収めよ。喋る古代遺物とは聞いておったが、なんとも愉快な性格ではないか!」
王様が寛大で助かった。俺は寿命が10年縮んだ気分だ。
「マルト殿。急な呼び付けをしてすまなかったな。実は1週間前に、そなたの街の冒険者ギルドマスターに会う機会があってな。そなたの噂を聞き、どうしても一目会いたくなったのだ。その場で召喚状を預けておいたのだが……急な日程で苦労をかけた」
「……え?」
1週間前。
王様は、1週間前にマスターに召喚状を渡した。
しかし、俺がそれを受け取ったのは昨日のことだ。
……あの筋肉ダルマ、完全に渡し忘れてただろ!
「あ、いえ。陛下にお会いできて光栄の極みです」
引きつった笑顔で表面上は取り繕いながら、俺は内心で呪詛を吐き捨てた。
(……いつもそうだ。上司のスケジュール管理の甘さで、現場の部下が地獄を見るんだ。連絡事項の共有くらいちゃんとしろよ……!)
58年間、サラリーマンとして味わってきた理不尽。
異世界に来てまで、報連相の欠如に苦しめられるとは。
俺は玉座の輝きから目を逸らし、一人ブツブツと暗い顔で呟くのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第26話 王族の歓迎会と、中間管理職の処世術
謁見の後、なぜかトントン拍子で王様主催の歓迎会が開かれることになってしまった。
王城の豪華絢爛な大広間。長大なテーブルには、見たこともないような高級食材を使った料理がズラリと並んでいる。
『でお前ら、なんでそんなヒラヒラした服着てんの? 動きにくくない?』
「はっはっは! これは王族の正装であってな、レイチェル殿!」
「わぁ、レイチェル様は本当に物怖じなさらないのですね!」
「ふふふ、もっとこの国の歴史について語り合いましょうぞ」
テーブルの上座では、レイチェルが国王、王子、王女に囲まれ、和気あいあいと(レイチェルは相変わらずの不遜な態度だが)談笑している。
完全に王族のアイドル状態だ。
一方、俺の席はというと。
「あの……マルト殿、よろしいかな?」
「あ、はい! なんでしょうか!」
俺の隣には、ちょうど王都に滞在していたというヤーボ伯爵とナクゾ男爵が座っていた。
二人はチラチラとレイチェルのほうを羨ましそうに見つめている。喋る古代遺物という国宝級の存在と自分たちも会話をしたいのだろうが、相手が王族とあっては押し除けて割り込むこともできないらしい。
結果として、持ち主である俺の相手をしてくれている状態だ。
(……胃が痛い……っ!)
豪華な食事が、まるで砂を噛んでいるように味がしない。
王族と上位貴族に同席する平民。前世で言うなら、社長と役員クラスに囲まれたヒラ社員の飲み会である。
「そう緊張なさらずともよいですよ。我々も、あの遺物殿に興味はありますが、無理にとは申しませんゆえ」
「ええ。それにしても、マルト殿は素晴らしいお人柄ですな。あのような遺物を従えながら、ちっとも驕ったところがない」
ヤーボ伯爵もナクゾ男爵も、穏やかに微笑みながらワイングラスを傾けている。
……よかった。この人たち、すごく良い人だ。
貴族特有の嫌味や圧力、面倒な腹の探り合いみたいなものが全くない。
「あ、ありがとうございます。俺はただの、平和を愛する冒険者ですので……」
「素晴らしい。その若さで悟りを開いておられるようだ」
「よろしければ、我々の領地にも遊びにいらしてください。美味しい果物が採れるのですよ」
なんだこの平和な会話。
前世で培った『角を立てない相槌』と『無難な世間話』のスキルをフル活用し、俺は伯爵と男爵と穏やかなひとときを過ごした。
上座で王族に無礼を働くレイチェルの声に時折ヒヤヒヤしつつも、俺の異世界接待ライフは、なんとか無事に(胃薬を所望しながら)進んでいくのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第27話 王城の夜と、胃の痛いお夜食
「はぁ……ようやく一人になれた」
豪華な客室。ふかふかのベッド。
王族との食事会を終えた俺は、ネクタイを緩めるような動作で、大きく息を吐き出した。
レイチェルには、宿屋で留守番させているディアンネへ「今日は城に泊まる」と伝えに行かせている。
一人きりの静寂。これこそが俺の求めていたスローライフの断片だ。
ピコンッ!
『マスター、戻りました』
「おわっ!? びっくりさせんなよ」
静寂はわずか数分で破られた。
目の前にワープで現れたレイチェルの横には、半透明の体で目を赤く腫らしたディアンネが立っていた。
「……なんで連れてきたんだ?」
『寂しい、お腹すいたと泣き喚くもので。非常に鬱陶しかったので、まとめて転送しました』
「そ、そうか……。鬱陶しかったのか……」
可哀想だからではなく、ノイズを排除するような合理性。
サポートAIらしいといえばらしいが、58歳の心には少し冷たく響く。
「うぅ……マルト……おなかすいた……」
「わかった、わかったから泣くな。今、何か用意してもらうから」
俺は部屋の外に控えていたメイドさんを呼び、控えめに夜食をお願いした。
数分後、メイドさんが銀のトレイに乗せて持ってきたのは、数種類の菓子パンと濃厚そうなチーズだ。
「幽霊の女の子……? いえ、お気になさらず。どうぞお召し上がりくださいませ」
王城のメイドは教育が行き届いているのか、透けている少女を見ても顔色一つ変えずに一礼して下がっていった。
「ほら、食え」
「……うん」
ディアンネは菓子パンを両手で掴み、モグモグと食べ始めた。
豪華な城の客室で、浮遊する立方体と幽霊少女と一緒に夜食を囲む。
どうやら今夜も、ぐっすり眠るのは難しそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇
第28話 うるさい絵画と、冤罪の衛兵たち
菓子パンを頬張るディアンネを眺めながら、ようやく一息つこうとしたその時だった。
「ええい、騒々しい! 何だこの汚らしい小娘は! 幽霊風情が王城の気高き空気を汚すとは、嘆かわしい! 即刻立ち去れ!」
不意に、部屋の壁に飾られていた立派な肖像画が喋り出した。
描かれた貴族風の男が、キャンバスの中から軽蔑の眼差しをディアンネに向けている。
「……うぅ」
ディアンネがビクッとして肩をすくめ、食べかけのパンを落としそうになる。
俺の胃が、再びキリキリと音を立てた。
「あのなぁ……夜中に大声出すなよ。近所迷惑だろ」
58歳のサラリーマンにとって、深夜の騒音トラブルは最も忌むべきものだ。
俺は溜息をつき、肩に乗ったレイチェルを見やった。
「レイチェル、こいつ宝物庫にでも飛ばしておけ。あそこなら仲間も多いだろ」
『了解しました。座標、地下宝物庫へ設定。転送します』
ピコンッ!
「なっ、貴様、何を……ぎゃああぁぁぁっ!?」
叫び声と共に、豪華な額縁ごと肖像画が壁から消失した。
部屋に再び、静寂が訪れる。
「ふぅ……これでよし。寝るぞ」
◇
翌朝。
入室してきたメイドが、壁の不自然な空白を見て首を傾げた。
「あの、マルト様。ここに飾ってあった『毒舌の初代侯爵』の肖像画がございませんが……」
「ああ、あれですか。夜中に騒いでうるさかったので、宝物庫に移動させておきましたよ」
俺が寝ぼけ眼で事も無げに答えると、メイドの手から銀のトレイが滑り落ちそうになった。
「は……? 宝物庫、に……?」
「ええ、レイチェルに頼んでパッと」
メイドは顔を引きつらせ、脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
その数分後。
地下宝物庫を厳重に警備していた二人の騎士は、詰め寄るメイドに問い詰められていた。
「ちょっと! あなたたち、マルト様を通してしまったのですか!? 宝物庫の肖像画が増えているではありませんか!」
「なっ、何を馬鹿な! 我々は一睡もせず、誰も通していないぞ!」
「嘘をおっしゃい! 本人が『宝物庫に移動させた』とおっしゃっているのです!」
「まさか……空間転移だと!? 侵入された形跡など微塵もなかったぞ!」
冤罪をかけられた騎士たちは、顔を真っ青にして必死に弁明する。
鉄壁の守りを誇ったはずの王城警備が、一晩にして「ザル」の汚名を着せられた瞬間だった。
当の本人である俺は、そんな騒ぎも露知らず、ようやく手に入れた平和な朝のコーヒー(っぽい飲み物)を優雅に啜るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第29話 冒険者ギルドと、王都最強パーティ、立方体
「ふぅ……やっと解放された」
王城の重厚な門を抜け、俺は大きく伸びをした。
過保護な王様の引き留めをなんとか躱し、ようやく手に入れた自由な時間。
右肩には相変わらず金属立方体のレイチェルが鎮座し、背後には透明なディアンネがフワフワとついてきている。
「せっかく王都に来たんだし、冒険者ギルドでも覗いてみるか」
観光気分で足を運んだ王都のギルドは、地方都市のそれとは比べ物にならないほど巨大だった。
吹き抜けの広大なホールに、数百人の冒険者がひしめき合っている。
「おお、でかいなぁ」
俺が感心して見上げていると、突然、ギルド内が割れんばかりの歓声に包まれた。
「おおおっ! 帰ってきたぞ! 王都最強の『紅蓮の牙』だ!」
「見ろよあの巨大な首! マジでブラックドラゴンを討伐しやがった!」
エントランスから、全身に圧倒的なオーラを纏った歴戦の勇者たちが姿を現した。
彼らの後ろには、荷馬車に乗せられた巨大な黒いドラゴンの首。
ギルド中の冒険者や受付嬢たちが総立ちになり、熱狂的な拍手と賛辞を送っている。
「へぇ、すごいなぁ」
完全にモブの一般人として、俺もパチパチと呑気に拍手を送っていた。
まさに王道ファンタジーの最高潮。感動的な光景だ。
その時だった。
『はっ、くっだらねー』
ピコンッ。
俺の右肩から、レイチェルの無機質で、かつ冷酷な嘲笑が響き渡った。
……その声は、なぜかギルドの喧騒を切り裂くように、ホール全体へとクリアに響いてしまった。
ピタッ。
歓声が止まった。
拍手が止まった。
数百人の冒険者と、凱旋してきた王都最強パーティの鋭い視線が、一斉に俺(の肩の立方体)へと突き刺さる。
シーン……。
水を打ったように静まり返る巨大ギルド。
針が落ちる音すら聞こえそうな沈黙の中。
「…………」
俺は上げかけていた手をそっと下ろし、胃のあたりをギュッと押さえた。
痛い。胃に穴が開くほど痛い。
なぜ俺の所有物は、こうも全方位に向かって喧嘩を売る仕様なのか。
俺のスローライフは、王都のど真ん中で完全に致死量のヘイトを集めようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
第30話 山を削るデモンストレーションと、親切なワープ提案
あの後、紅蓮の牙のファンの冒険者から勝負を仕掛けられたのだった。
「おい、逃げるんじゃねぇぞ! 俺たちの英雄を馬鹿にした報いを受けてもらうからな!」
そして翌日。王都ギルドの裏手にある闘技場には、何百人もの野次馬が集まっていた。
対戦相手は「紅蓮の牙」を崇拝する熱血系の若手冒険者。ギルドマスターが面白がって受理したせいで、俺は逃げる間もなくリングの上に立たされていた。
「あ、あの、すみません……本当に謝りますから。うちの箱が不届きなことを言いまして……。どうか、どうか穏便に勘弁してください」
俺は深々と頭を下げた。58年のサラリーマン人生で培った最上級の謝罪スタイルだ。
だが、返ってきたのは心ない罵声だった。
「ひっこんでろ、臆病者!」
「戦う前から命乞いかよ! さっさと武器を抜け!」
「はぁ……。仕方ない、か」
話が通じない相手にこれ以上言葉を尽くすのは無駄だ。俺はため息をつき、闘技場から遥か遠くに見える険しい山の頂を指差した。
「サイズはバレーボール大……【隕石落下】」
ヒュンッ!
一瞬、空に光の線が走った。
直後、ズドォォォォォンッ! という、地響きを伴う轟音が王都中に響き渡る。
砂煙が晴れた先、そこにあったはずの山の山頂は跡形もなく消え去り、山全体の高さが半分ほどに削り取られていた。
「…………え?」
対戦相手も、観客も、そしてギルドマスターまでもが石のように固まった。
「……ああいった隕石を、本来ならここに落とすことになります。ちなみに、俺自身のスキルなので俺だけは無傷ですが、それ以外は山と同じことになります」
俺が淡々と事実を伝えると、会場全体がサァァ……と潮が引くように静まり返った。
そこへ、追い打ちをかけるように右肩のレイチェルが光り出す。
『マスター、マスター、いい案があります。この対戦相手だけマスターとともに、私のワープで無人の荒野に飛ばしましょう。そうすれば、誰にも邪魔されず、お望みの一騎打ちが思う存分に出来ますよ?』
「……いや、レイチェル。それじゃ立会人が居ないだろ。勝負にならないよ」
俺が困った顔で答えると、対戦相手の若者はガタガタと膝を震わせ、剣を床に落とした。
「ぎ、ギブアップだ……! 俺の負けだ、頼むから飛ばさないでくれぇぇ!!」
半泣きで敗北を宣言し、対戦相手は逃げていった。
そして俺に戦いを挑もうとする者は、もう誰もいなかった。
俺は再び胃の痛みを感じながら、山が半分になった遠景を眺め、そっと肩のレイチェルを叩くのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第31話 ヤーボ伯爵の依頼と、鉱山破壊の許可
闘技場での騒動から数時間後。
俺はギルドの応接室で、またしても胃の痛みに耐えながらソファに沈み込んでいた。
「いやはや、マルト殿。凄まじい力をお持ちですな」
向かいの席で紅茶を啜っているのは、歓迎会で同席したヤーボ伯爵だ。
どうやら、闘技場で山を削り飛ばした話が、すでに王都の貴族たちの間にも知れ渡ってしまったらしい。
「あ、いえ。あれはただのハッタリというか、本気でやろうとしたわけじゃ……」
「実は、その途方もない力を見込んで、一つ頼みたいことがあるのだ」
伯爵はティーカップを置き、深刻な表情で俺を見つめた。
「私の領地にある鉱山に、地竜が大量に出現してしまってな。討伐隊も歯が立たず、今は誰も立ち入れない状態なのだ。放置すれば、いずれ麓の村にも被害が及ぶ」
地竜。いかにも硬そうで凶暴なファンタジーモンスターだ。
非戦闘員である俺には一番縁のない相手である。
「そこでだ、マルト殿。あの山を削った力で、鉱山ごと破壊して構わないから、地竜たちを一掃してくれないだろうか?」
「鉱山ごと、ですか?」
俺は目を丸くした。
貴重な資源が採れるはずの鉱山を、丸ごと吹き飛ばしていいとは。よほど切羽詰まっているのだろう。
「お引き受けしてもいいですが、条件があります。俺のスキルは、落ちてくる隕石の材質が完全にランダムなんです。だから、威力の微調整は一切できませんし、結果的にどんなことになっても保証はできませんよ」
「構わない! このまま地竜が山から降りてくるよりは、ずっとマシだ。それに、君ならきっと何とかしてくれると信じているよ」
人の良い伯爵にそこまで言われては、58歳のサラリーマン魂として無下に断るわけにもいかない。
「……わかりました。お受けします」
『マスター。ついに地形ごと環境を破壊するテロリストに転職ですか?』
肩のレイチェルがピコンと光って余計な合いの手を入れてきたが、俺はそれを華麗にスルーした。
誰もいない山に向かって隕石を落とすだけなら、誰かを巻き込む心配もない。
俺は久しぶりに、少しだけ気楽な気持ちで依頼を受理したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第32話 依頼達成、やり手のヤーボ伯爵
レイチェルのワープ機能を使えば、ヤーボ伯爵の領地にある鉱山までは一瞬だった。
「うわぁ……ウジャウジャいるな」
山肌を見下ろす高台から双眼鏡(雑貨屋で購入)で覗き込むと、赤茶けた岩山に無数の巨大なトカゲ――地竜が蠢いているのが見えた。
あんなのが麓の村に降りてきたら、ひとたまりもないだろう。
「よし、サクッと終わらせるか。サイズは……鉱山一つ潰すくらいだから、100メートル級で」
俺は空を指差し、【隕石落下】を発動した。
ヒュンッ!
上空に現れた巨大な影が、凄まじい速度で鉱山へと降り注ぐ。
俺は爆発と衝撃に備えて耳を塞ぎ、目を閉じた。
カァァァァァァァッ……!!
「……ん?」
待てど暮らせど、爆音も地響きも起きない。
恐る恐る目を開けると、鉱山は吹き飛ぶことなく、そのままの姿でそこにあった。
ただ一つ違っていたのは、山全体がまばゆい銀色の光を放っていることだ。
『材質判定完了。周囲の物質をミスリル金属へ変質させる魔法石です』
レイチェルの無機質なアナウンスが響く。
見れば、周囲の岩や土だけでなく、あちこちで蠢いていた地竜たちもすべて、カチンコチンに固まった純銀の彫像――ミスリルの塊へと変貌し、完全に絶命していた。
「……山を壊さずに、敵だけ倒しちゃったな。しかも超高級金属のおまけ付きで」
俺は想像斜め上の結果に呆然としながら、ヤーボ伯爵の待つ屋敷へとワープで帰還した。
◇
「おおおおっ!! なんという事だ!!」
報告を受けたヤーボ伯爵は、歓喜のあまりバンバンと机を叩いた。
「ただ地竜を討伐するだけでなく、あの枯れかけていた鉱山を、大陸最大のミスリル鉱脈に変えてくださるとは! マルト殿、あなたは我が領地の救世主だ!」
「あ、いや、たまたまガチャで当たりを引いただけなんですけど……」
「謙遜なさるな! 早速、領民たちにミスリルの採掘を許可しよう。条件は『採掘量の50%を税として領地に納めること』だ!」
伯爵の目が、完全に「やり手の経営者」のそれに変わっていた。
後日、王都に戻った俺の耳に、ヤーボ領の凄まじい景気の良さが噂として届いた。
ミスリル・ラッシュに沸き、一攫千金を夢見る冒険者や荒くれ者たちが大量に伯爵の領地に押し寄せたらしい。
そして、ヤーボ伯爵の息がかかった御用商人が、集まった連中に対して『水』や『食料』、そして『ミスリル採掘用の特製ピッケル』を相場の何倍もの高値で売り捌き、莫大な利益を上げているというのだ。
「……あの人、穏やかな良い人だと思ってたけど、商魂たくましすぎだろ」
危険な採掘は他所から来た人間にやらせ、ピンハネと物販で確実に儲ける。
ゴールドラッシュで一番儲かったのは、金塊を掘った奴じゃなくて、ジーンズとスコップを売った奴だという前世の歴史を思い出す。
「上に立つ人間ってのは、やっぱりどこか強かじゃないとやっていけないんだな……」
俺は58歳の元サラリーマンとして、伯爵の鮮やかな手腕に妙な感心を抱きつつ、自分には絶対無理だと再確認するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第33話 莫大な報酬と、幽霊屋敷のマイホーム計画
ヤーボ伯爵からギルド経由で振り込まれた特別報酬の額を見たとき、俺は危うく気絶しそうになった。
「……ゼロの数がおかしいだろ」
ミスリル鉱脈の利権が絡むと、こうも景気が良いのか。
しかし、大金を持ったからといって豪遊する気はない。58歳の心は、ひたすらに平穏と老後の安定を求めているのだ。
「よし、屋敷の生活環境を整えよう」
俺は冒険者ギルドで腕のいい職人たちを雇い、幽霊屋敷の改修工事を依頼した。
目指すは、自給自足のための立派な畑と、一日の疲れを癒す広いお風呂の設置だ。
最初は「あんないわくつきの屋敷で工事なんて」と渋っていた職人たちだったが、ギルドマスターが「あいつは王都の山を一つ消し飛ばした男だぞ」と耳打ちした瞬間、彼らの顔色が変わった。
結果として、彼らはポルターガイストやディアンネの姿に怯えるよりも、「マルトの機嫌を損ねたら自分たちが消し炭になる」という恐怖から、異様なまでの集中力で爆速の突貫工事を行ってくれた。
◇
数日後。
「ふぁぁぁ……極楽、極楽」
俺は新設されたヒノキ風の広い湯船に肩まで浸かり、至福の吐息を漏らしていた。
薪で沸かしたお湯の香りと、適度な熱さが疲れた体に染み渡る。これぞ日本の心、58歳のオアシスだ。
「マルト、これ、浮く」
湯船の端では、半透明のディアンネが服を着たまま(霊体だから濡れるという概念がないらしい)お湯に浸かり、職人がおまけで作ってくれた木彫りのアヒルをツンツンと突いて遊んでいた。幽霊のくせにお風呂は堪能できるらしい。
「ああ、いいぞ。好きに遊べ」
湯けむりの向こうの脱衣所からは、レイチェルの無機質な声が響いてくる。
『マスター。この入浴という行為、体表の汚れを落とす目的であれば、私のレーザー洗浄機能でコンマ二秒で終わりますが』
「風情ってもんがわからんAIは黙ってろ」
『チッ』
「お前、今舌打ちしたか?」
毒舌な立方体と、お風呂を満喫する幽霊少女。
少しだけ奇妙な同居人たちだが、静かで穏やかな時間が流れている。
庭には立派な畑もできた。清潔なお風呂も完成した。
ギルドの預金残高は、一生遊んで暮らせる額がある。
「ついに俺の、本物のスローライフが始まるんだな……」
湯船の中で手足を伸ばし、俺は天井を見上げて深く頷いた。
これまで数々の死亡フラグやトラブルに巻き込まれてきたが、それも今日で終わりだ。
明日からは、庭でトマトや葉野菜を育てながら、晴耕雨読の生活を送るのだ。
つかの間の、しかし確かな平和の予感に包まれながら、俺は温かいお湯の中でゆっくりと目を閉じるのだった。
【ステータス】
名前:マルト(石落 丸人)
年齢:20代(精神年齢58歳)
職業:冒険者
称号:なし
所持スキル:
【隕石落下(使用者へのダメージなし)】
所持品:
・現地の服
・鉄のナイフ
・革袋
・ギルド預金(一生遊んで暮らせる額)
・日記帳とペン
・レイチェル(積載ワープ量500トン・レーザー洗浄機能搭載)
・幽霊屋敷(畑、お風呂完備・ディアンネ同居中)
◇ ◇ ◇ ◇
【第2章完結】これまでのあらすじ
深夜の工事現場で命を落とし、適当な神様から『隕石落下(使用者へのダメージなし)』というスキルだけを渡されて異世界転生した58歳の元サラリーマン、石落 丸人。
第1章:ぼっちの決意
「サイズは選べるが、材質が完全ランダム」という凶悪なガチャスキルのせいで、森を更地にしたり、宇宙カマキリを召喚して盗賊をミンチにしたりと大惨事を連発。周囲から「凄腕のバケモノ冒険者」と勘違いされたマルトは、誰かを巻き込むことを恐れ、安全なソロ活動とスローライフを決意する。
第2章:幽霊屋敷と生意気な箱
平和な薬草採取ライフを目指すマルトだったが、ギルドマスターのゴリ押しで古代遺跡の調査へ。そこで神様からのサポートアイテム(?)である毒舌AI立方体・レイチェルを拾ってしまう。
さらに不動産屋に騙されて格安の「幽霊屋敷」を購入するが、そこに居残っていた幽霊の少女・ディアンネと同居することに。
ひょんなことから王様からの召喚状を受け取り、王都へ向かうマルト一行。レイチェルの暴言やワープ機能のせいでトラブルが連鎖し、決闘を避けるために「デモンストレーションで山を一つ半分に吹き飛ばす」という規格外のやらかしをしてしまう。
その力を買われ、ヤーボ伯爵から「地竜だらけの鉱山破壊」を依頼されるが、落とした隕石が『ミスリル化の魔石』だったため、山ごと巨大なミスリル鉱脈に変えてしまう。
結果として莫大な特別報酬を得たマルトは、幽霊屋敷に立派なお風呂と畑を建設。今度こそ、真の平和なスローライフが始まろうとしていた――!
登場人物紹介
マルト(石落 丸人 / 精神年齢58歳・見た目20代)
事なかれ主義で胃薬が手放せない元サラリーマン。物騒すぎる【隕石落下】スキルのせいで意図せず地形を変え、経済を回し、権力者から一目置かれている。本人の夢はあくまで「安全な自給自足のぼっち生活」。最近、念願のマイホーム(幽霊屋敷・ヒノキ風風呂付き)を手に入れた。
レイチェル(神様のサポートAI)
古代遺跡で拾った手のひら大の金属立方体。マルトの肩が定位置。500トンまでの物体を瞬間移動させるチートワープ機能を持つが、性格は極めて不遜で毒舌。権力者(王様など)を煽るのが得意。
ディアンネ(幽霊の少女)
マルトが買った幽霊屋敷にポツンと残っていた、熊のぬいぐるみを抱えた半透明の少女。幽霊のくせにお腹を空かせてパンを食べたり、お風呂に入ってアヒルのおもちゃで遊んだりする。マルトに懐いている。
ギルドマスター
マルトを凄腕だと勘違いし、厄介ごと(古代遺跡調査や王様の召喚状)を押し付けてくる筋肉ダルマ。報連相が絶望的に下手な、典型的なダメ上司。
ヤーボ伯爵
王都で出会った穏やかな貴族。マルトに地竜討伐を依頼した結果、領地がミスリル・ラッシュに沸き、商魂たくましく荒稼ぎしているやり手経営者。
◇ ◇ ◇ ◇
第3章 平和への挑戦状と、止まらない胃痛
第34話 王都ギルドの凋落と、最強パーティの逆襲
王都冒険者ギルド。
かつては大陸一の活気を誇り、足の踏み場もないほど混雑していたその場所は今、まるでお通夜のような静寂に包まれていた。
「……今日も、銀級の三パーティがヤーボ領へ移籍したってよ」
「マジかよ。あっちに行きゃミスリルが掘り放題、おまけに特需で飯も美味い。ここにしがみついてる理由がねぇもんな……」
酒場の隅で、冒険者たちが力なくジョッキを傾ける。
ヤーボ領の爆発的な繁栄。それは王都の経済すら脅かし、冒険者の流出という形でギルドに深刻な打撃を与えていた。
そんな重苦しい空気の中、ギルドの扉を蹴り開けて、四人の男女が姿を現した。
王都一の最強パーティ、紅蓮の牙。
ブラックドラゴンを討伐し、英雄の名をほしいままにしていた彼らの顔には、今や余裕の色はなかった。
「……我々のせいだ」
リーダーの戦士が、絞り出すような声で呟く。
あの日、ギルドでマルトとレイチェルに屈辱的な言葉を投げられ、さらに模擬戦で山を半分にされるのを見せつけられた。それ以来、彼らの権威は失墜し、王都の士気は下がる一方だったのだ。
「このままでは終われない。あの『隕石使い』に、本当の冒険というものを教えてやる!」
彼は受付のカウンターを強く叩き、ギルド中に響き渡る声で宣言した。
「ギルドに残る唯一の超高難度依頼を引き受ける! そして、マルトと一騎打ちだ! どちらがより優れた功績を上げられるか、成績で奴を打ち負かしてやる!」
その宣言は、瞬く間にギルド全体に波及し、どん底だった冒険者たちの目に、わずかながらの熱が戻っていった。
◇
一方、その頃。
幽霊屋敷の庭では、マルトが平和そのものの時間を過ごしていた。
「見てくれディアンネ。ようやくトマトの芽が出たぞ。自給自足生活の第一歩だ」
「……あか、い」
「いや、まだ緑色だけどな。これから赤くなるんだ」
新設されたお風呂で一汗流し、午前中は畑仕事。午後は読書。
まさに理想に描いたスローライフ。
マルトは58年の苦労が報われたような、穏やかな笑みを浮かべていた。
「マルト様ーー! お届け物でーす!」
遠くから声が近づいてくる。
見れば、ギルドの使い走りの少年が、真っ赤な封蝋で閉じられた豪華な手紙を振り回しながら走ってきていた。
「……何だ、あの派手な手紙は」
『マスター。高エネルギー反応、および「強烈な自己主張」を感じます。開ける前に燃やすことを推奨します』
「物騒なこと言うな。……どれどれ」
俺は嫌な予感を抑え、震える指で封を切った。
そこには、紅蓮の牙のリーダーからの、熱苦しいほどの果たし状が綴られていた。
「超高難度依頼……一騎打ち……成績で勝負……?」
読み進めるうちに、俺の胃はギリギリと雑巾を絞るような痛みに襲われた。
「なんで……。お風呂も作ったし、畑も耕したのに……。なんで俺を放っておいてくれないんだよぉ……!」
俺はその場に膝をつき、芽が出たばかりのトマトの苗に向かって、情けない声を漏らした。
せっかくの平和が、わずか数日で音を立てて崩れ去ろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
第35話 負ければ地獄、勝てば……やっぱり胃が痛い
「こんなもの、不戦敗一択だろ」
俺は即座に断言した。
紅蓮の牙? 王都最強? どうぞどうぞ、勝手に最強を名乗ってくれ。俺はただ、このヒノキ風呂に入って、庭のトマトを愛でていたいだけなんだ。
「ギルドに行って伝えてくる。『俺の負けでいい。最強の座は譲る』とな」
意気揚々とギルドへ向かった俺だったが、受付で待ち構えていたのは、ギルドマスターではなく王宮からの使者だった。
「マルト殿、国王陛下より言伝がございます。『もし今回、紅蓮の牙との勝負を降りる(不戦敗を選ぶ)のであれば、我が王女の一人をそなたの妻として差し遣わそう』とのことです」
「……は?」
俺は耳を疑った。
逆だろ。普通、魔王を倒したり勝負に勝ったりした時の「褒美」が王女との結婚じゃないのか?
「いや、なんで負けたら結婚なんですか? 普通逆ですよね?」
「陛下曰く、『冒険者という、いつ死ぬかも分からぬ不安定な者に、愛娘を嫁に出すわけにはいかない。だが、勝負を降りて引退するのであれば話は別だ。安泰な身分を与え、婿として迎え入れよう』……とのことで」
「…………」
絶句した。
なるほど、合理的だ。一国の主として、娘の夫に「いつ空から隕石が降ってくるか分からない(あるいは落とす)男」よりは、「家庭に収まった元英雄」を求めるのは筋が通っている。
だが、こっちとしてはたまったもんじゃない。
「あの、別に俺、冒険者を辞めるなんて言ってませんけど」
「世間一般では、このような公の挑戦を不戦敗で逃げることは、『第一線からの引退』、つまり冒険者ギルド脱退と同義と見なされますな」
『マスター。おめでとうございます。スローライフどころか、一生逃げられない「王宮監禁ライフ」の確定ですね』
肩のレイチェルが、ピコンと意地の悪い光を放った。
想像してみろ。ただでさえレイチェルとディアンネという「訳あり同居人」がいるのに、そこにさらにプライドの高そうな王女様が加わるんだぞ?
それも、俺を「引退した夫」として管理しようとする嫁が。
「……これ以上、変な(そして面倒な)仲間が増えるのは死んでも御免だ」
俺は深いため息を吐き、震える手で挑戦状を握りしめた。
胃の奥がキリキリと、これまでで一番激しく悲鳴を上げている。
「……分かりました。その超高難度依頼、受けますよ。受ければいいんだろ……!」
こうして、俺の「平穏な隠居計画」は、王様の斜め上の親心によって粉砕された。
不戦敗という名の「結婚エンド」を回避するため、俺は再び、地獄のような面倒事に足を踏み入れることになったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
第36話 第5王女ラビィの怒りと禁足地への強行軍
王城の奥深く、豪奢な天蓋ベッドのある一室。
第5王女ラビィは、最高級のシルクのクッションを抱えながら、酷く不機嫌そうに唇を尖らせていた。
「どうして私が、あんな得体の知れない隕石使いの嫁に行かされなきゃならないのよ……」
お父様である国王の決定とはいえ、あまりにも横暴だ。
山を半分に吹き飛ばしただの、王都のギルドで暴言を吐いただの、あの男の悪い噂は王宮の奥にいるラビィの耳にも届いていた。
そんな野蛮な男が勝負から逃げ出したら、自分が責任を取って押し付けられる。ラビィにとって、これほど屈辱的で嫌な気分になる話はなかった。
コンコン。
「ラビィ様、ご報告がございます」
控えめなノックと共に、専属の侍女が部屋に入ってきた。
「どうなったの? あの隕石使い、尻尾を巻いて逃げ出したの?」
「いえ、それが……紅蓮の牙との勝負を受けるそうです」
「あら、意外ね。じゃあ私はお嫁に行かなくて済むのね」
ラビィはホッと胸を撫で下ろした。
これで厄介払いができる。そう安堵したのも束の間、侍女が言いづらそうに視線を泳がせた。
「あの、その……勝負を受けた理由なのですが……」
「理由? 王家の命令が怖くなったんじゃないの?」
「いえ。マルト殿はこう言っていたそうです。『これ以上、変な仲間が増えるのは死んでも御免だ』と……。王女様を押し付けられるくらいなら、地獄のような依頼に行く方がマシだと」
ピキッ。
ラビィの頭の中で、何かが音を立てて切れた。
抱えていたクッションを床に叩きつける。
「だ、誰が変な仲間ですってぇ!?」
ラビィの金切声が、部屋の窓ガラスをビリビリと震わせた。
「この国で一番美しいと言われる私を、あろうことか『変な仲間』扱い!? 幽霊と同居して、口の悪い箱を連れ歩いている変人に言われたくないわ!」
「ラ、ラビィ様、お気を確かに……!」
「許せない、絶対に許せないわ! 私のプライドにかけて、あの男に直接文句を言ってやる!」
ラビィはクローゼットから乗馬用のマントを引きずり出し、侍女の制止も聞かずに部屋を飛び出した。
「馬を用意しなさい! 行き先は、あいつらの依頼場所……『禁足地』よ!」
怒りに燃える第5王女は、護衛の騎士数名だけを引き連れ、危険な魔物が巣食う禁足地へと強行軍を開始したのだった。
マルトの胃痛の種が、また一つ、猛烈な勢いで彼に向かって接近していることなど知る由もなく。
◇ ◇ ◇ ◇
第37話 禁足地のスコアアタックと、ブチギレ王女の襲来
深い霧に包まれた、生命の気配が歪んだ場所――禁足地。
俺は入り口付近で、ギルドから渡された依頼書を改めて眺めていた。
今回の「紅蓮の牙」との勝負は、このエリアでのポイント制によるスコアアタックだ。
・魔獣の死体(通常):100ポイント
・大型魔獣の死体:1,000ポイント
・超大型魔獣の死体:10,000ポイント
・地形調査レポート:1枚につき500ポイント
・珍しい物品や生物の発見:追加100ポイント
「……死体を残せない俺には、圧倒的に不利だなぁ」
俺の【隕石落下】は、当たればミンチか黒焦げ、あるいはクレーターごと消滅だ。ギルドの査定員に「これ、魔獣の死体です」と提出できるような代物が残るはずがない。
『マスター。死体を粉砕して分子レベルまで分解するのがお得意ですからね。スコアは絶望的です』
「まあ、いいさ。負けてもいいんだ。適当に歩いて地形レポートでも書いて、仕事したフリだけして帰ろう。王女様との結婚さえ回避できれば、俺の勝ちなんだから」
そう、俺が勝負を受けたのは、あくまで「不戦敗=冒険者引退=王女との強制結婚」という最悪のルートを回避するためだ。適当に最下位で終われば、そのまま平和な隠居生活に戻れる。
俺はペンを取り出し、霧の薄いエリアを適当にスケッチし始めた。
「よし、エリア1。霧が濃い、足元が滑る……と。これで500ポイント。楽勝だな」
鼻歌まじりに現実逃避気味の調査を続けていた、その時だった。
「見つけたわぁぁぁぁぁっ!!」
背後から、霧を切り裂くような凄まじい絶叫が響いた。
ビクッとして振り返ると、そこには泥に汚れ、髪を振り乱しながらも、燃えるような瞳で俺を睨みつける美少女が立っていた。
「……えっ? 誰?」
「誰ですって!? 私よ、第5王女のラビィよ!!」
ラビィは肩で息をしながら、俺の鼻先に指を突きつけた。
「あんたね! よくも言ってくれたわね! 私を『変な仲間』扱いして、私との結婚が嫌だからってこんな危険な場所に来るなんて……女のプライドをどこまで踏みにじれば気が済むのよ!!」
「ひえっ……」
目の前の少女が、噂の第5王女だと理解した瞬間、俺の胃が猛烈に反転した。
待て、おかしいだろ。俺はあんたとの接触を避けるためにこの依頼を受けたんだぞ。なんでわざわざ、魔物がうろつく禁足地まで追いかけてくるんだ。
『マスター。想定外の「激重な感情」を持ったターゲットの接近です。地形レポートを書いている場合ではありませんね』
「……お、落ち着いてください、ラビィ様。それには深い、サラリーマン的な事情が……」
「問答無用! 謝りなさい! 私に土下座して、世界で一番美しいのはラビィ様ですって言いなさい!!」
禁足地の入り口で、最強パーティとの勝負そっちのけで、俺はブチギレ王女に詰め寄られるという、前代未聞のピンチに陥るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第38話 王族の血と、不要な主人公
「だいたいあんたねぇ! 私の美貌と権力を差し置いて、変な仲間ってどういう——」
ラビィがまくしたてていた、まさにその時だった。
ギシャァァァァッ!!
濃い霧の奥から、身の丈3メートルはあろうかという巨大なサルの魔獣が突如として飛び出してきた。
狙いは完全に、背を向けて俺に怒鳴り散らしているラビィの背中だ。
丸太のような豪腕が、凄まじい風切り音を立てて彼女の頭上へ振り下ろされる。
「危ない!」
俺は咄嗟に叫んだ。
隕石を落とす暇もない。間に合わない、潰される——!
そう思って目を瞑りかけた俺の視界に、信じられない光景が飛び込んできた。
ピタッ。
「……え?」
サルの魔獣の全力の鉄拳が、空中で完全に静止していた。
見れば、ラビィが振り返りざまにスッと突き出した『人差し指』の先端で、その巨大な拳をいとも容易く受け止めているではないか。
「ちょっと、今お説教の最中なんだけど。空気読めないおサルさんね」
ラビィは不機嫌そうにため息をつくと、人差し指をサルの巨大な拳に押し当てたまま、俺の方へと視線を戻した。
「王族ってのはね、歴代の勇者や偉人の血の凝集なわけ、分かる?」
ドンッ!!
直後、ラビィの指先から目に見えるほどの圧縮された衝撃波が弾け飛んだ。
「ギャッ!?」という短い悲鳴を上げる間もなく、サルの魔獣の分厚い胸板にポッカリと風穴が空く。
巨体がドスンと地響きを立てて倒れ伏し、そのままピクリとも動かなくなった。
「…………」
俺は開いた口が塞がらなかった。
あんなバケモノを、涼しい顔で、しかも指一本で瞬殺したのか。
『【物理無効化】に【空気銃】、なかなか良いスキル持ちですね』
俺の肩で、レイチェルがどこか感心したような無機質な声を出した。
「……そ、そうなんだ」
物理攻撃が一切効かず、指先から不可視の衝撃波を放つ。
攻守ともに隙がない、完全無欠の戦闘マシーンじゃないか。
「ふんっ。まあ、私にかかればこんな雑魚、一ひねりよ! で、話の続きだけど——」
倒れたサルの死体を跨ぎ、ラビィが再び俺にズンズンと詰め寄ってくる。
俺は後ずさりしながら、冷や汗をダラダラと流した。
「俺、要らないんじゃないかなー……」
この禁足地において、俺の護衛なんて全く必要ない。
というか、それ以前にもっと深刻な問題がある。
このまま彼女を怒らせ続けたら、俺、隕石ガチャを引く前にあの指先一つで風穴を空けられて死ぬんじゃないだろうか。
王族の理不尽なまでのポテンシャルを目の当たりにして、58歳の元サラリーマンの生存本能が警鐘を鳴らしまくっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
第39話 無敵の王女と、最悪の相性
「ふんっ。まあ、私にかかれば禁足地の魔獣なんてこんなものよ!」
先ほどのサルの魔獣を指先一つで沈めたラビィは、腰に手を当ててふんぞり返った。
物理無効化に、高火力の不可視攻撃。確かに強い。これなら俺がしゃしゃり出る幕は一切ないだろう。
そう安心したのも束の間、周囲を覆う霧がさらに濃くなり、急激に気温が下がり始めた。
ヒュ〜ドロドロドロ……。
「……え?」
ラビィの顔から、スッと血の気が引いた。
濃霧の中から音もなく現れたのは、ボロボロの布を被り、下半身が透けている巨大なゴースト系の魔獣だった。
空ろな暗い瞳が、ラビィをじっと見つめている。
「な、なによ! お化けなんて迷信……いや、魔獣の一種よ! 王族の力、見せてあげるわ!」
震える手で人差し指を突き出し、ラビィは必死に【空気銃】を放った。
ドンッ!
強烈な衝撃波がゴーストを直撃する。
しかし、物理的な実体を持たないゴーストの体は、霧のように一瞬バラけただけで、すぐに元の姿へと修復されてしまった。
「えっ……嘘、効かない……?」
ゴーストがユラリと、ラビィの目の前まで迫る。
「ヒィィィィィッ!! 無理無理無理! 物理無効でもお化けは無理ぃぃぃっ!!」
完璧だった王女の威厳は一瞬にして崩壊した。
ラビィは腰を抜かしてその場にへたり込むと、凄まじい速度で四つん這いで後退し、俺の背中にガシィッと全力でしがみついてきた。
「ちょ、ちょっと! 首が締まる!」
「やだやだ! 助けて! 食べられるぅ! お化け大っ嫌いぃぃぃっ!」
背中で大号泣するラビィ。物理無効化のせいで俺が彼女を引き剥がすこともできず、ただただ重いだけの枷となっている。無敵の王女様は、精神攻撃に極端に弱かったらしい。
すると、俺の肩に乗ったレイチェルが、ピコンと青く光りながら無機質な声で言った。
『ディアンネを呼んできましょう、ワクワクしてきました』
「良い性格してるよ」
俺は半目でAIの立方体を睨みつけた。
本物のお化け(しかも泣き虫の少女)をここにワープさせて、パニックになる王女を見て楽しもうという算段だ。
『お褒めくださりご光栄です』
言うまでもなく皮肉だ。
AIのくせに、どこでそんな悪趣味な学習をしてきたのか。
「はぁ……。ほら、帰った帰った! これ以上付き合ってられるか!」
俺は背中にしがみついて離れないラビィを、剥がすようにして地面に下ろした。
58歳の体力では、絶叫する王女を背負い続けるのは重労働すぎる。
「レイチェル、この王女様とお付きの騎士さんたちを、まとめて王都にワープさせてくれ」
『了解しました。王都の王宮のど真ん中にでも、まとめて叩き込んでおきますね。転送開始』
「ちょっと待ちなさいよ、私はまだ文句を——」
ラビィの抗議が言い終わるより早く、レイチェルの放つ光が彼女たちを包み込んだ。
シュンッ、という軽い音と共に、騒がしかった一団は跡形もなく消え去る。
「……ふぅ。これでようやく静かになったな」
俺は肩の凝りをほぐしながら、レイチェルに確認を入れた。
「例の冒険者パーティ、紅蓮の牙の連中は、今どのあたりにいる?」
『スキャン完了。禁足地の俺たちの位置とは、ちょうど反対側のエリアで戦闘中のようです。こちらを覗き見られる心配はありません』
「よし。じゃあ、気兼ねなく落とせるな」
俺は再びゆらゆらと近づいてくる、巨大なゴースト系の魔獣を見据えた。
実体がない相手に物理攻撃は効かないが、俺には【隕石落下】という名の、何が落ちてくるかわからない万能ガチャがある。
「1発で効かなければ、効くまでガチャるだけだ。最悪、山を削ったときみたいな質量で圧殺してもいいしな」
俺は指先をゴーストに向けた。
サイズは小石。念じて、スキル発動。
ヒュンッ!
一瞬の閃光。
落ちてきたのは、濁りのない真っ白な石の塊だった。
それがゴーストの頭頂部を直撃した瞬間、パチンとはじけて、辺り一面に純白の粉末が舞い散る。
『材質判定。極めて純度の高い、聖なる清めの塩です』
「お、1発目で引き当てたか。運がいいな」
シュゥゥゥゥッ!!
「ギ、ギィィィィィィッ!?」
ゴーストは、全身に塩を浴びた瞬間、まるで熱湯をかけられた雪のように激しく溶け始めた。
断末魔を上げる間もなく、その巨体は瞬く間に蒸発し、霧の中に霧散していく。
「異世界の幽霊にも、やっぱり塩は特効薬だったんだな」
58歳のサラリーマンとしての常識が、異世界でも証明されたことに少しだけ満足感を覚える。
俺は消滅した魔獣の跡地を横目に、再び地形調査のレポートを書くべく、静かになった森の奥へと歩き出した。
【ステータス】
名前:マルト(石落 丸人)
年齢:20代(精神年齢58歳)
職業:冒険者
称号:なし
所持スキル:
【隕石落下(使用者へのダメージなし)】
所持品:
・現地の服
・鉄のナイフ
・革袋
・ギルド預金(莫大な余生資金)
・レイチェル(強制ワープ担当)
・地形調査レポート(1枚目)
・ディアンネ(屋敷でトマトを見守り中)
【現在のスコア】
マルト:500ポイント + ゴースト(特殊個体)討伐:???ポイント
紅蓮の牙:現在不明
◇ ◇ ◇ ◇
第40話 歩く地形破壊兵器と、英雄たちの死闘
禁足地の深い霧の中、ズドン、ズドンと一定の間隔で重低音が響き渡っていた。
「【隕石落下】、サイズはピンポン玉……はい、次」
ヒュンッ、ドォォォン!
俺は散歩でもするかのような軽い足取りで、前方に魔獣の気配を感じるたびに指先を振るっていた。
狙いは「魔獣の死体」の確保だ。
あまりに巨大なのを落とすとクレーターしか残らないので、威力を極限まで絞った「隕石連打」という極めて燃費の悪い、かつ周囲の迷惑を一切考えない戦法である。
『マスター。今の個体は「石炭の隕石」が直撃し、原型を留めぬまま粉砕・焼失しました。ポイントはゼロですね』
「チッ、またかよ……。加減が難しいなぁ。死体が残ればラッキーくらいの感覚なんだけど、やっぱり更地になっちゃうな」
俺が歩いた後には、等間隔で小さな、しかし深い穴が点々と並んでいる。
もはや地形調査というよりは、地形破壊である。58歳のサラリーマンが培った「効率的なルーチンワーク」の精神が、異世界の生態系を無慈悲に削り取っていた。
『さらに、地形レポートのネタとして「突然変異で地面に穴が空きまくっている怪現象」を追記しておきました。自作自演ですが、500ポイント稼げますよ』
「良い性格してるよ、本当」
俺は半ば呆れながら、地形調査という名の「お掃除」を続けていた。
◇
一方その頃。
禁足地の反対側、中心部に近い「炎のエリア」では、王都最強パーティ『紅蓮の牙』が文字通りの死闘を繰り広げていた。
「グオォォォォォォンッ!!」
鼓膜を突き破らんばかりの咆哮。
全長20メートルを超える超大型魔獣、レッドドラゴンがその巨躯を震わせ、灼熱のブレスを吐き出す。
「くっ……! 盾を構えろ! 回復が追いつかんぞ!」
リーダーの戦士が、熱風に焼かれながらも必死に指示を飛ばす。
『紅蓮の牙』の面々はボロボロだった。装備は焦げ、魔力は底を突きかけている。
だが、彼らの目には不屈の闘志が宿っていた。
「これを倒せば10,000ポイント……! あの『隕石使い』に、格の違いを見せつけてやるんだ!」
「そうだ! 姑息な術を使うあいつに、俺たちの絆と実力を……っ!」
彼らは信じて疑わなかった。
今頃マルトは、この過酷な環境に絶望し、霧の中で魔獣に追い回されて泣き言を言っているに違いない、と。
自分たちがこのドラゴンの首を掲げて凱旋すれば、王都の信頼は完全に取り戻せると。
ドォォォォォォン……。
遠くから、何か重いものが落ちるような音がかすかに聞こえてくる。
「……なんだ、今の音は? 地鳴りか?」
「気にするな! 集中しろ、次が来るぞ!」
まさか、自分たちが命を懸けて戦っているドラゴンの価値を、遥か遠くで「ピンポン玉サイズの隕石」を連打して地形をボコボコにしている男が、レポート数枚分で追い抜こうとしているなど、彼らは知る由もなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
第41話 禁足地の主と、絶望
禁足地に入った冒険者は、決して生きては帰れない――。
王都でまことしやかに囁かれていたその噂の原因。それは濃霧でも、毒の沼でも、先ほどの幽霊や巨大ザルでもなかったのだと思い知らされた。
ガサッ。
霧の奥から、音もなく『それ』は現れた。
人の背丈ほどの、一見するとただのツキノワグマのような魔獣。
しかし、目が合った瞬間、俺の全身の産毛が総毛立った。58年の人生(と少しの異世界生活)で培った危機察知能力が、かつてない最大級の警報を鳴らしている。
次の瞬間、クマの姿が掻き消えた。
「えっ」
『!? マスター、回避を! 【物理無効化】と【魔法無効化】スキル持ちです!』
俺の鼻先に、クマの鋭い爪が迫っていた。レイチェルの切羽詰まった警告が脳内に響く。
「無敵じゃんか!」
シュンッ!!
間一髪。爪が俺の顔面を抉る寸前で、レイチェルが緊急の強制ワープを発動させた。
視界が切り替わり、俺たちは数百メートル離れた岩山の陰へと転移する。
「ハァッ……ハァッ……! 助かった、レイチェル……!」
『いえ。マスターが死ぬと私の動力が停止するので、当然の防衛措置です』
息を整える間もなく、俺は先ほどまでいた場所——クマの座標に向かって、指先サイズの【隕石落下】を雨あられと連発した。
ドォォォォォォンッ!!
遠くで連続する爆発音と土煙。これならいくら無効化スキル持ちでも、生き埋めになるか周囲の酸素を奪われて倒れるはずだ。
『……効いてませんね。普通は酸欠とかになりそうですが、あの個体、呼吸すら必要としていない可能性があります』
「どんだけチートなんだよ! ラビィ王女の上位互換じゃないか!」
俺が頭を抱えた、まさにその時だった。
ヒュンッ!
俺とレイチェルの頭上に、見覚えのある巨大な影が差した。
空気を切り裂くような風切り音。間違いない、俺のスキルと同じ、空から落ちてくる『隕石』だ。
『なるほど。あちらも上空から質量兵器を投下してきました。【スキルコピー】まで持っているとは、非常に厄介な個体です』
「感心してる場合か! どうしろってんだよ!」
ズドォォォォォォンッ!!
幸いなことに、クマが放ったコピー隕石は、大雑把な狙いだったため俺たちの位置から少し離れた森を吹き飛ばすに留まった。
とはいえ、相手は「物理無効」「魔法無効」のうえに「スキルコピー」まで使いこなす完全無欠のバケモノである。俺の最強の武器である隕石ガチャすら、そのまま相手の手札に加わってしまったのだ。
「……逃げるか。いや、逃げても絶対追ってくるぞ、あれ……」
ドドドォォォン!!
再び遠くから別の隕石が落ちる音が響く。どうやらあちらも連発してこちらを探っているらしい。
超高難度依頼の真の恐ろしさを前に、俺の胃痛はついに限界突破を迎えようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
第42話 勇気ある撤退と、英雄たちとの痛み分け
ドスォォォォンッ!!
また一つ、俺のすぐ近くでコピーされた隕石が炸裂した。
「……だめだ、これは逃げるしかない!」
勝負だの結婚回避だの言っている場合じゃない。物理と魔法を無効化し、こちらの手札まで完コピしてくるチート全部乗せのクマとまともにやり合ったら、命がいくつあっても足りない。
「レイチェル! 俺たちだけじゃない、あの『紅蓮の牙』の連中もまとめて王都にワープだ! あいつらもこのままだと死ぬぞ!」
『……お人好しですね、マスター。了解しました。対象の生体反応を捕捉、王都ギルドへ強制一斉転送します』
ピカァァァァッ!!
視界が真っ白に染まり、強烈な浮遊感が俺の体を包み込んだ。
◇
「うおっ!?」
「きゃああっ!」
王都の冒険者ギルドのロビーに、突如として俺たちと『紅蓮の牙』のメンバーが文字通り降ってきた。
エントランスにいた冒険者たちが悲鳴を上げて道を開ける。
「ハァッ……ハァッ……!」
「おい、しっかりしろ! 誰か、至急ポーションを持て!!」
隣に転がってきた『紅蓮の牙』の惨状を見て、俺は息を呑んだ。
彼らはレッドドラゴンとの死闘の末、メンバーのうち二人が重傷を負い、虫の息になっていたのだ。どうやらあちらはあちらで、全滅一歩手前の絶体絶命のピンチだったらしい。
ギルドの職員たちが慌てて回復魔法をかけに走る。
血まみれで膝をついたリーダーの戦士が、荒い息を吐きながら俺を見上げた。
「マルト……お前、俺たちを……」
「いや、俺の方もとんでもないバケモノに追われててさ。逃げるついでだよ」
俺は肩をすくめ、彼に向かってそっと手を差し出した。
「今回は、引き分けってことで良いか?」
俺の言葉に、リーダーはしばし呆然としていたが、やがて敗北感と、それ以上の深い感謝を滲ませた顔で、力強くその手を握り返してきた。
「……あぁ。助かった」
こうして、俺と王都最強パーティとの、命懸けの(そして俺にとっては胃痛まみれの)勝負は幕を閉じた。
◇
数日後。
「素晴らしい! お前たちが持ち帰ったデータは、我がギルド、いや王国にとっての至宝だ!」
ギルドマスターが、バンバンと机を叩いて大絶賛していた。
俺と『紅蓮の牙』が提出した禁足地のレポートは、想像以上にギルドで高く評価されたのだ。
紅蓮の牙が命懸けで記録した『レッドドラゴンの生態と弱点』。
そして俺が提出した、『謎の連続クレーター(自作自演)』や『広範囲に及ぶ深刻な塩害(自作自演)』、『未知のスキルコピー魔獣との遭遇記録』。
これらが組み合わさった結果、「禁足地がいかに危険で、かつ学術的に貴重な場所か」を証明する歴史的資料として、俺たちはギルドから異例の特別表彰を受けることになったのである。
「いやぁ、俺は適当に歩き回ってただけなんですけどね……」
盛大な拍手の中、俺は引きつった愛想笑いを浮かべながら、ギルドの天井を見上げた。
勝負が引き分けに終わったことで、ラビィ王女との強制結婚ルートも有耶無耶になり(なぜか彼女からは相変わらず文句の手紙が届いているが)、無事に冒険者も引退せずに済んだ。
俺の胃の痛みが完全に消える日はまだ遠そうだが、少なくとも今は、屋敷に帰ってディアンネと一緒に赤く色づいたトマトの収穫を楽しめそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇
閑話 第43話 禁足地の主たち
禁足地の奥深く。霧が少し晴れた岩場で、場違いなほど長閑な空気が流れていた。
ドスッ、と巨大な岩に腰を下ろしたのは、人の背丈ほどのツキノワグマのような魔獣。
その隣には、先ほどまで王都最強パーティ『紅蓮の牙』と文字通りの死闘を繰り広げていたはずの超大型レッドドラゴンが、腹ばいになって気持ちよさそうに目を細めていた。
「なぁ、赤じい。こっちに隕石使いを見なかったか?」
熊の魔獣が、どこか名残惜しそうに空を見上げてぼやいた。
「俺のスキル、人間からしかコピー出来ないし、3時間しかコピーが保てないんだよな。新しいスキル、めちゃ楽しいのに、もったいねー」
空から次々と質量兵器を落とすという規格外のスキル。熊の魔獣——禁足地の主にとって、それは久々に現れた「最高のおもちゃ」だったらしい。無敵の無効化スキルを持つ彼からすれば、マルトとの遭遇は遊園地のアトラクションのようなものだったのだ。
レッドドラゴンは、鼻からプスッと小さな煙を吐き出しながら、ゆっくりと首を横に振った。
「熊ボウや、隕石使いなら、逃げおったわ。あやつは長生きするじゃろて」
人間たちにつけられたかすり傷を気にする様子もなく、レッドドラゴン——赤じいは愉快そうに喉を鳴らす。
王都の英雄たちにとっては全滅寸前の死闘だったが、彼にとっては「元気な若者たちの相手をしてやった」程度の認識である。そして、勝ち目がないと見るや否や、躊躇なく仲間(?)ごとワープで即座に撤退したマルトの判断の速さを、赤じいは「生存本能に長けている」と高く評価しているようだった。
「長生きより楽しく生きていたいよなぁ」
熊ボウはつまらなそうに前足をブラブラさせながら、もう二度と撃てない隕石の残骸——塩で真っ白になった森の一部を眺めた。
「若いのぅ、くくく」
赤じいは低い声で笑い、大きな翼を畳み直して目を閉じた。
人間たちが「決して生きては帰れない魔境」と恐れる禁足地の奥深くで、二体の規格外の魔獣たちは、まるで近所の縁側で寛ぐ常連客のように、仲良く世間話に花を咲かせるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第43話 帰還とお昼寝、そして幸せのドーナツ
王都での表彰式という名目の拘束からようやく解放され、俺は我が家――地方都市の端にある幽霊屋敷へと帰還した。
「はぁぁ……やっぱり、我が家が一番だなぁ」
よく手入れされた庭。赤く色づいたトマト。新設されたヒノキ風のお風呂の香り。
そこには、王宮のきらびやかさも、禁足地の息詰まるような濃霧も存在しない。あるのはただ、58歳の心を癒やす究極の平穏だけだった。
「マルト、おかえり。トマト、いっぱいできた」
半透明のディアンネが、得意げにカゴいっぱいの赤いトマトを見せてくる。
「おお、すごいじゃないか。ディアンネがしっかり見張っててくれたおかげだな」
頭を撫でるように手をやると、彼女はふにゃりと嬉しそうに目を細めた。
右肩のレイチェルも、今日は余計な軽口を叩かず『省電力スリープモードに移行します』とだけ告げて、静かに光を落としている。
ポカポカとした柔らかな午後の日差しが、縁側を暖かく照らしていた。
「よし。今日はもう、何もしないぞ」
俺は縁側にゴロンと横になった。
ディアンネも真似をして、熊のぬいぐるみを抱えながら俺の隣にコロンと転がる。
そよ風に揺れる葉の音を聞きながら、俺たちは並んで静かなお昼寝タイムへと突入した。
◇
数時間後。
スッキリと目を覚ました俺は、小腹が空いたので台所に立った。
「よし、今日のおやつは特別だ。ドーナツを作ろう」
異世界にも小麦粉や卵、砂糖に似た調味料は存在する。それらを適当な配分でボウルで混ぜ合わせ、リング状に成形して油で揚げていく。
ジュワァァァッという心地よい音と共に、甘くて香ばしい匂いが屋敷いっぱいに広がった。
「マルト、いいにおい」
匂いにつられて、ディアンネが台所にフワフワと漂ってきた。
休止状態から復帰したレイチェルも、ポンと肩に乗ってくる。
「ほら、揚げたてだ。火傷しないように気をつけろよ」
「……んっ! あまい! おいしい!」
砂糖をまぶした熱々のドーナツを両手で掴み、ディアンネが幸せそうに頬張る。幽霊のくせに本当に美味しそうに食べるやつだ。
『カロリーと糖分の過剰摂取ですね。マスターの年齢(精神含む)を考慮すると、血管が詰まるリスクが高まります』
「うるさいなぁ。今日くらい甘いもの食ってダラダラしたってバチは当たらないだろ」
俺もサクッとしたドーナツを一口かじり、温かいお茶で流し込む。
口の中に広がる素朴な甘さが、禁足地で酷使した胃と神経に染み渡っていく。
――幸せだ。
王女に怒鳴り込まれたり、チート熊に命を狙われたり、ギルドで英雄扱いされたりと、怒涛の数日間だった。
この安寧も、どうせまた何かのトラブルで破られる「束の間の幸せ」に過ぎないのかもしれない。
それでも。
「……うん、美味い」
俺は縁側に座り、庭のトマトと幸せそうなお化けの少女を眺めながら、今ここにある確かなスローライフを、心ゆくまで満喫するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
【第3章完結】これまでのあらすじ
深夜の工事現場で命を落とし、適当な神様から『隕石落下(使用者へのダメージなし)』というトンデモスキルだけを渡されて異世界転生した58歳の元サラリーマン、石落 丸人。
第1〜2章:規格外のぼっちと、愉快な同居人たち
「材質ランダム」の隕石ガチャのせいで、森を更地にしたり宇宙カマキリを召喚したりと大惨事を連発。周囲に「凄腕のバケモノ」と勘違いされながらも、毒舌AI【レイチェル】と幽霊少女【ディアンネ】という訳ありの同居人をゲットし、幽霊屋敷でのスローライフをスタートさせる。
さらに王都での決闘を避けるために山を半分に吹き飛ばしたり、依頼で鉱山をまるごとミスリルに変えて莫大な財産を築き上げたりと、本人の意思とは裏腹に伝説を更新し続けていた。
第3章:平穏への挑戦状と、禁足地のバケモノたち
マルトのせいで王都ギルドが過疎化し、責任を感じた王都最強パーティ『紅蓮の牙』から勝負を挑まれる。不戦敗で逃げようとしたマルトだったが、「冒険者を引退するなら第5王女ラビィと結婚させる」という王様の横暴により、しぶしぶ超高難度依頼の地『禁足地』へ向かうことに。
「変な仲間が増えるのは嫌だ」というマルトの言葉にブチギレた武闘派チート王女・ラビィが乱入してくるが、お化けが弱点だったため強制送還。
その後、適当に隕石を連打して地形を破壊していたマルトの前に、物理・魔法無効のうえに【スキルコピー】で『隕石落下』を撃ち返してくる禁足地の主が出現!
命の危機を感じたマルトは、死闘を繰り広げていた紅蓮の牙のメンバーもろとも王都へ強制ワープして逃亡。結果的に「貴重な資料を持ち帰った」として表彰され、勝負は引き分け(結婚回避)に。
ようやく屋敷に帰還したマルトは、ディアンネと手作りドーナツを食べながら、束の間の平和を噛み締めるのだった。
登場人物紹介(第3章終了時点)
マルト(石落 丸人 / 精神年齢58歳)
平穏を愛する元サラリーマン冒険者。敵の強さを瞬時に見極め「勝てないなら仲間ごと逃げる」という見事な危機管理能力を発揮。最近の趣味は屋敷の縁側でのお昼寝と、ドーナツ作り。
レイチェル(毒舌AI)
マルトの肩に乗るキューブ型AI。相変わらず口は悪いが、クマの魔獣が隕石を撃ち返してきた際には、咄嗟の強制ワープでマルトの命を救う(自分が停止するのが嫌なだけだが)など、優秀なサポート役。
ディアンネ(幽霊の少女)
マルトに懐いている半透明の少女。トマトの成長を見守り、ドーナツを美味しく平らげる、ただの可愛い癒やし枠。
ラビィ(第5王女)
【物理無効化】【空気銃(不可視の衝撃波)】というチートスキルを持つ美少女。マルトに「変な仲間」扱いされて激怒するが、ゴーストに泣かされたところを助けられ、なんだかんだでマルトに執着し始めている模様。
紅蓮の牙(王都最強パーティ)
マルトをライバル視して禁足地でレッドドラゴンと死闘を繰り広げていた熱血漢たち。マルトのワープによって命を救われ、すっかりマルトを「命の恩人かつ戦友」と認めるようになった。
熊ボウ&赤じい(禁足地の主たち)
禁足地の奥に住む、全無効化&スキルコピー持ちのクマと、超大型レッドドラゴン。実は仲良しで、人間との戦闘を「若者とのお遊戯」程度にしか思っていない規格外の存在。
◇ ◇ ◇ ◇
第4章 星落としの英雄
第44話 尾ひれのついた英雄譚と、吹き飛ぶエール
「ぷはぁっ! やっぱり仕事終わりの一杯は最高だな」
幽霊屋敷での畑仕事(主にトマトの支柱立て)を終えた俺は、珍しく街の酒場へと足を運んでいた。
たまには自炊やドーナツだけでなく、冷えたエールと塩気の効いた串焼きで優勝したい、という58歳サラリーマンのささやかな欲求である。
肩にはスリープモードのレイチェル。ディアンネは「お酒くさいのやだ」とお留守番だ。
酒場は冒険者や街の住人でごった返し、活気に満ち溢れていた。
ジョッキを傾けながら、俺は心地よい喧騒に身を委ねる。
すると、店のステージに一人の吟遊詩人が上がり、リュートの弦を弾いた。
ポロロン……。
「おおっ! 待ってました!」
「歌ってくれ! 『星落としの英雄譚』を!」
客たちがドンッとジョッキをテーブルに叩きつけ、歓声を上げる。
……ん? 星落とし? なんだか嫌な単語が聞こえた気がするぞ。
『さあ、皆の衆! 今宵も歌おう! 禁足地から生還し、最強の証を打ち立てた男の伝説を!』
吟遊詩人のよく通る声と共に、アップテンポで勇ましいメロディが奏でられ始めた。
『〜♪
北の魔境に 降り立つ影一つ
彼が指差せば 空は裂け 星が降る!
濃霧に潜む 不死の怨霊も
天より賜りし 純白の浄化石で 一網打尽〜♪』
俺は串焼きに伸ばしかけた手をピタッと止めた。
待て。純白の浄化石って、それただの粗塩だぞ。
『〜♪
紅蓮の炎を吐く 巨竜すらも
彼の前では ただのトカゲ!
森の絶対者たる 無敵の獣王と
星を降らし合う 神々の如き死闘!
最後は仲間の命を救うため 空間を切り裂き 奇跡の帰還〜♪』
「ぶっっっふぉぉぉぉっ!!」
俺は口に含んでいた冷えたエールを、見事な勢いでテーブルの向こう側へ盛大に吹き出した。
「ゲホッ、ゴホッ! げっほげっほ!!」
なんだその歌! 尾ひれ背ひれがつくどころか、もはや別の生き物(ファンタジー超大作)に進化してるじゃないか!
巨竜とは戦ってないし、無敵の獣王からは命からがら全力で逃げただけだ!
むせ返って涙目になる俺の肩で、レイチェルがピコンと起動音を鳴らした。
『マスター。全世界のギルドに共有されたあなたのレポートは、現在、大衆娯楽の最高峰として消費されているようです。印税を請求してみてはいかがですか?』
「……だ、誰が全世界に流せって言ったんだよ……!」
『王都のギルドマスターが「人類の至宝」として各国のギルド本部へ大々的に通達したそうですよ。結果、この有様です』
酒場では「マルト万歳!」「星落としに乾杯!」と、顔も知らない俺(当人は隅の席でむせている)に向かって、熱狂的な祝杯が上げられている。
平穏なスローライフの裏で、俺の「英雄伝説」は、吟遊詩人という最強の拡散メディアに乗って、国境を越えて全世界へと絶賛大炎上中だった。
俺はキリキリと痛む胃をさすりながら、すっかり生温かくなってしまったエールを、涙と溜め息と共に飲み込むのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第45話 英雄への面会謝絶と、逃避行の温泉旅行
あれから数日。俺の胃の痛みは、酒場で自分の英雄譚を聞かされた時以上に悪化していた。
「たのもーっ! 星落としの英雄殿、ぜひ我がパーティに!」
「ひと目、ひと目でいいからお姿を……!」
「マルト様ぁぁ! 私と結婚してぇぇ!」
窓のカーテンの隙間からそっと外を覗くと、幽霊屋敷の門前には、朝から晩まで大勢の冒険者や野次馬、果ては貴族の使いまでが長蛇の列を作っていた。
「……帰れ。全員まとめて家に帰ってくれ……」
もちろん、誰が来ようと門は固く閉ざし、全員追い返している。だが、彼らの熱気は一向に冷める気配がない。むしろ「名声に驕らないその謙虚さがたまらない!」などと勝手に解釈され、連日人が増え続けている始末だ。
「……旅行に行こう」
ストレスで限界を迎えた俺は、縁側でポツリと呟いた。
「しばらく別の国にでも行って身を隠していれば、連中の熱も冷めるだろう」
世間の噂なんて、時間が経てば新しい娯楽に上書きされて消えるはずだ。前世のワイドショーだってそうだった。物理的に距離を置くのが一番の特効薬である。
俺の逃避宣言を聞いて、肩に乗ったレイチェルがピコンと青い光を点滅させた。
『わかりますよマスター。旅行先で厄介なトラブルに巻き込まれ、それを颯爽と解決してしまい、ますます胃が痛くなるというわけですね。完璧なフラグ構築です。学習能力がないのですか?』
「勘弁してくれよ……。俺はただ、ゆっくり温泉にでも浸かって骨休めがしたいだけなんだ」
AIの容赦ないメタ発言(しかも高確率で当たりそうな予言)に、俺はげっそりとした顔で懇願した。
「ディアンネも行こう。畑は、ギルドで口の堅そうな奴を雇って、留守中の世話をみてもらうからさ」
「うん。おでかけ、いく」
俺が声をかけると、縁側で熊のぬいぐるみを抱えていたディアンネがコクリと頷いた。幽霊なのに温泉旅行に行けるのかという疑問はあるが、屋敷で留守番させてまた泣かれても困るし、気分転換にはなるだろう。
善は急げだ。俺は手早く旅の荷物を革袋にまとめ、冒険者ギルドの裏口からこっそり裏金(多額のチップ)を渡し、畑の管理人を手配した。
かくして、俺たち一行は「星落としの英雄」の狂騒から逃れるため、国境を越えた先にある隣国――強大な軍事力を持つと噂の『帝国』へと、癒やしの温泉旅行に出発するのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
第46話 完璧な変装と、悲しきサラリーマンの性
シュンッ!
短い光が収まると、俺たちは見知らぬ石畳の路地裏に立っていた。
レイチェルのワープ機能により、王国の地方都市から隣国である『帝国』の首都まで、文字通り一瞬で到着してしまったのだ。
「おお……ここが帝国の首都か。やっぱり建物の造りが王国より厳ついな」
路地裏から大通りを覗き見ると、行き交う人々の活気は王国に勝るとも劣らない。
しかし、俺はあの「星落としの英雄」として王国中から追われている身だ。隣国とはいえ、噂が流れてきている可能性はゼロではない。
「よし。念には念を入れて、変装していくぞ」
俺は革袋から手頃なタオルを取り出し、頭にぐるぐるとターバン風に巻きつけた。さらに、ヤーボ伯爵からお礼として大量にもらっていた『ミスリル製のナイフ』を4本、腰のベルトにジャラジャラと装備する。
ただの冒険者ではなく、どこか異国の放浪者のような雰囲気を醸し出す完璧なスタイリングだ。
「レイチェル、お前は目立つからその四角い皮カバンの中に入ってろ」
『通気性が最悪ですが、マスターの珍妙な格好を視界に入れずに済むのは幸いです』
毒舌を吐く立方体をカバンに押し込み、俺は足元に視線を落とした。
「ディアンネも、人が多くて怖いだろうから俺の影の中に入っててくれ」
「うん。わかった」
ディアンネがスーッと地面に沈み込み、俺の影と同化する。
幽霊少女の姿も見えず、喋る箱もカバンの中。俺自身はターバンと大量のナイフという出で立ちだ。
「ふふっ。これなら絶対に俺とはバレまい」
完璧な変装に自信を深めた俺は、意気揚々と路地裏から大通りへと歩み出した。
さて、目的は心身を癒やす温泉旅行だ。しかし、帝国のどこに良い温泉があるのか、地図も情報も持っていない。
「手っ取り早く情報を集めるなら……やっぱり冒険者ギルドか」
前世で言うところの観光案内所であり、ハローワークである。何の考えも無しに、俺は足の向くまま帝国首都の冒険者ギルドへと向かった。
帝国のギルドは軍事国家らしく、堅牢な砦のような外観だった。
中に入ると、屈強な冒険者たちがひしめき合っていたが、変装のおかげか誰も俺を気にする様子はない。俺は内心でガッツポーズを決めながら、受付のカウンターへと進み出た。
「すみません、少しお尋ねしたいのですが」
「はい、どのようなご用件でしょうか?」
受付嬢が営業スマイルで応じてくれる。
「この近くで、おすすめの温泉場所ってないですかね? ゆっくり骨休めがしたくて」
俺がそう尋ねると、受付嬢は申し訳なさそうに眉を下げた。
「温泉地の情報ですね。申し訳ございませんが、当ギルドの周辺情報や魔物分布に関わる地理情報の提供は、原則として『有料』となっております」
「あ、有料なんですか」
世知辛い。観光案内くらいタダでしてくれてもいいのに。
俺が財布の紐を緩めるのを躊躇していると、受付嬢がにこやかに付け加えた。
「はい。ですが、もし冒険者ギルドに登録されている『ギルド員』の方でしたら、情報提供料は大幅に安くなりますよ」
「——あ、ならギルドカードあります」
『割引』『安くなる』。
その言葉を聞いた瞬間、58年間培ってきたサラリーマンの悲しき防衛本能(少しでも経費を浮かせたいという反射行動)が完全に理性を凌駕した。
俺は一ミリの迷いもなく、王国で発行された身分証明書――『石落 丸人』とバッチリ印字されたギルドカードをポケットから取り出し、受付嬢のトレイに提出してしまったのだ。
「確認いたしますね。ええと、マルト様……王国の……」
受付嬢がカードの情報を読み上げ、ふと顔を上げた。
彼女の視線が、カードの『名前』と『実績』の欄、そして俺のターバン姿を交互に行き来する。
数秒の沈黙。やがて、受付嬢の目がこれ以上ないほど見開かれた。
「えっ? 星落としの、英雄様……?」
周囲の冒険者たちが「英雄?」「星落としって、あの……!?」とざわめき始める。
「…………ハッ!?」
俺は硬直した。
自分が今、何を提出したのかを完全に理解した。ターバンを巻き、ナイフを4本もぶら下げてコソコソ変装していたのに、自ら本名と身分を名乗って「少し安くして」とカードを出したのだ。
バッ!!
俺はトレイからギルドカードを光の速さで引ったくり、見事なフォームで回れ右をした。
「ちょっ、お待ちくださ……!」
「うわあああああああっ!!」
受付嬢の制止を振り切り、俺は全速力でダッシュして冒険者ギルドから飛び出した。
後ろから「おい! 英雄だ! 星落としの英雄がいるぞ!」という怒号と歓声が追いかけてくる。
『……さすがの私も予想外です、マスター。墓穴を掘るにしても、もう少し仕方のない場所でお願いします』
肩に掛けた皮カバンの中から、レイチェルの呆れ果てたような冷たい声が、首都の風と共に虚しく響き渡るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第47話 情報の窃取と、物騒な名前の温泉
「ゼェ、ゼェ……ここまで来れば大丈夫か……」
俺は入り組んだ路地のゴミ箱の影に滑り込み、荒い息を吐きながらマッハの速さで着替えた。
頭のタオル(ターバンもどき)をひっぺがし、代わりにどこにでもありそうな安物の帽子を深く被る。ジャラジャラと目立っていた4本のミスリルナイフは全て革袋の奥底へ。
さらに、レイチェルを窮屈そうな皮カバンから取り出し、余裕のあるナップサックへと移し替えた。
「やれやれ……。命の次に大事な身分を、割引欲しさに差し出すなんて。前世のポイントカード文化が恨めしいよ……」
情けなさに打ちひしがれていると、ナップサックの中からレイチェルがピコンと冷静な音を鳴らした。
『マスター。いつまでも過去の過ちを悔やんでいても、毛根に悪影響を与えるだけです。先ほど冒険者ギルドの受付端末に近接した際、ワイヤレスで内部データベースに侵入し、観光情報を抜き取りました。おすすめの温泉場所を3つ提示します』
「お、お前……。やってることが完全に産業スパイというか、情報泥棒じゃないか。コンプライアンス的にどうなんだ」
『「効率的な情報収集」と言ってください。帝国に税金を払うつもりがないのであれば、これが最適解です。提示します。
帝都最高級・黄金の湯(客層:高位貴族・皇族。警備が厳重で身元が割れるリスク大)
癒やしの妖精泉(客層:富裕層。インスタ映え……失礼、魔力的な輝きが強く、マスターの覇気で隠密は困難)
ゴブリン殺しの湯(客層:一般冒険者・低所得層。魔物が出る辺境だが、泉質は最高級)』
「……3番。3番一択だ」
名前が不穏すぎるが、貴族や富裕層がいる場所は真っ平ごめんだ。それに「低所得層」という響きが、元サラリーマンの俺には妙に落ち着く。
「よし、その『ゴブリン殺しの湯』に行くことにしよう。ディアンネ、今度は静かな場所だぞ」
影の中から、ディアンネの小さな手が「グー」の形でひょこっと出た。賛成らしい。
「よし、レイチェル。場所を案内してくれ」
『了解しました。ナビゲーションを開始します。なお、その名称の由来は「あまりの湯加減の良さに、浸かったゴブリンが戦意を喪失し、そのまま人間に狩られたから」という身も蓋もない理由ですので、ご安心ください』
「余計に物騒だよ!」
俺はナップサックを背負い直し、再び帝都の雑踏へと紛れ込んだ。
目指すは、戦意喪失間違いなしの名湯。今度こそ、本当の、本当のスローライフ(仮)が始まる……はずだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第48話 裸の付き合いと、皇帝の休息
「無料の温泉……なんて良い響きなんだ」
58歳のサラリーマン根性が染み付いた俺にとって、「無料」という言葉は最高の贅沢だ。レイチェルに頼み込み、面倒な道中をすべて飛ばして『ゴブリン殺しの湯』の脱衣所へと直接ワープしてもらった。
「よし、ディアンネ。ここからは別々だ。あっちの暖簾が女湯だからな。ゆっくり浸かってこいよ」
「わかった。マルト、あとでね」
影から這い出したディアンネは、透明な体で女湯の方へとフワフワ消えていった。
さて、俺も久しぶりの温泉だ。周囲に誰もいないことを確認し(脱衣所が妙に静かなのが気になったが)、タオル一本を持って全裸になる。
「極楽、極楽……。これで少しは胃の痛みも和らぐってもんだ」
扉を開け、湯けむりが立ち込める大浴場へと足を踏み入れた。
◇
一方、その頃。温泉施設の周囲は、殺気立つほどの緊張感に包まれていた。
「いいか! 皇帝陛下がくつろいでおられる間、ネズミ一匹通すな! 怪しい者がいれば即刻、極刑に処せ!」
「はっ!」
漆黒の鎧に身を包んだ帝国皇帝近衛兵たちが、蟻の這い出る隙もないほどの包囲網を敷いていた。
今日は、帝国の絶対権力者である皇帝が、公務の疲れを癒やすためにこの温泉を「貸し切り」にしている特別な日だったのだ。
近衛兵たちは誇りに思っていた。自分たちの完璧な警備があれば、陛下に近づける者などこの世に存在しないと。
そう、脱衣所のド真ん中に「直接ワープ」してくるという、物理法則と常識を無視したバカ者がいるとは、夢にも思わずに。
◇
「お、いい湯加減じゃないか……」
湯けむりの向こうに、広大な露天風呂が見える。
俺はのんびりと湯船に近づいたが、そこには先客がいた。
岩に背を預け、悠然とお湯に浸かっている一人の男。
鍛え上げられた上半身には数々の古傷があり、その瞳は鋭く、ただ座っているだけで周囲の空気が重く沈み込むような、圧倒的な威圧感を放っている。
「……あ。先客がいたか。すみません、お邪魔しますよ」
俺は気にせず、その男から少し離れた場所に腰を下ろし、お湯に浸かった。
「……ほう。貴様、どこから入った?」
男が低い、地響きのような声で問いかけてくる。
「いや、ちょっと……裏技的なルートで。ここ、無料でいいんですよね? 貧乏冒険者には助かりますよ」
俺がそう言って笑いかけると、男は数秒間、俺の顔をじっと見つめ——やがて、その口端をニヤリと吊り上げた。
「……ククク。余の近衛兵たちを出し抜いてここに現れるとはな。面白い。貴様、そのタオル……なかなかの覇気だ」
「タオルに覇気? ただの安物ですけど……」
目の前の男が帝国の皇帝であることなど露ほども知らず、俺は「なんだかやけにガタイのいいおじさんだな」くらいに思いながら、並んでお湯を堪能し始めた。
『マスター。あえて何も言いませんでしたが、隣にいるのはこの国の最高権力者です。胃痛の準備はよろしいですか?』
カバン(脱衣所に置いてきた)の中からレイチェルの通信が入ったが、お湯が気持ちよすぎて俺の耳には届かなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
第49話 猫好きのオッサンと、発動する胃痛
「余は【鑑定】スキルを持っている。だが、せっかくの余暇だ。貴様の正体は探らないでおこうか」
お湯を肩まで被りながら、ガタイの良いオッサンが勿体ぶったように言った。
「はぁ、助かります」
俺は適当に相槌を打った。
自分のことを「余」なんて呼ぶ変な喋り方の人だなぁ、とは思ったが、ここで【鑑定】なんて使われて『星落としの英雄(笑)』なんて称号がバレたら面倒くさい。見逃してくれるなら好都合だ。
なにより、お湯の温度と泉質が完璧すぎて、細かいことはもうどうでもよくなっていた。
◇
すっかり茹で上がった俺たちは、示し合わせたように同時に湯船から上がり、脱衣所で服を着ながら雑談に花を咲かせた。
裸の付き合いというのは不思議なもので、年齢も素性も知らない相手と妙に打ち解けてしまう。
「でさ、この間なんて、巨大なクマに追いかけられて大変だったんですよ。逃げるのに必死で……」
俺は【隕石落下】のチートスキルをすっぽり伏せて、ただただ理不尽な魔物に追い回された哀れな冒険者の苦労話として語った。
「ほう。あの禁足地のクマから逃げ切るとは、貴様、運が良いな」
オッサンは感心したように頷きながら、自分の服——やけに刺繍の細かい、どう見ても高そうな上着——に袖を通す。
「いやぁ、運だけが取り柄みたいなもんで。おじさんは? なにか面白い話ないの?」
「余か? そうだな……最近、実家にいる『ミケ』の毛並みが少しパサついておってな。高級な魚のすり身しか食べんのだ。この前も、余が撫でようとしたら猫パンチを食らってしまって——」
「あー、わかります。猫って気まぐれですよね。うちにも幽霊……じゃなくて、気まぐれな同居人がいましてね」
帝国の誇る最高権力者と、王都を震撼させた星落としの英雄。
そんな二人の会話は、「苦労自慢」と「実家の猫の愚痴」という、近所の居酒屋と全く同じレベルの平和なものだった。
「いやぁ、楽しかったよ、おじさん」
「うむ。余も久々に肩の力が抜けた。貴様のような裏表のない男は珍しい」
すっかり意気投合した俺たちは、笑い合いながら脱衣所の扉をガラリと開けた。
——その瞬間。
「「「「…………っ!!?」」」」
扉の外に整列していた数十人の近衛兵たちが、俺の姿を見て完全に硬直した。
「……あ?」
俺が間の抜けた声を漏らした直後。
「しっ、しし、侵入者!? 馬鹿な!?」
「いつの間に中に!? 警備の目をどうやってすり抜けた!?」
「曲者だ!! 陛下、お下がりください!!」
ガシャァァァン!! と凄まじい金属音を立てて、無数の槍と剣が一斉に俺の喉元へと突きつけられた。
殺気。本物の、プロフェッショナルな殺意の壁。
「……えっ。へい、か……?」
俺の脳内で、先ほどの「余」という一人称と、この仰々しい警備がカチリと結びつく。
『マスター。だから言ったじゃないですか。隣にいるのは帝国の最高権力者です。さあ、不敬罪で極刑の時間ですよ』
ナップサックの中から、レイチェルの嬉しそうな電子音声が響き渡った。
「……嘘だろ……」
ぽかぽかだった俺の体温は一瞬で氷点下まで下がり、代わりに、治ったはずの胃痛がドス黒いオーラを伴って完全復活を果たすのだった。
【ステータス】
名前:マルト(石落 丸人)
年齢:20代(精神年齢58歳)
職業:冒険者(不敬罪の容疑者)
称号:星落としの英雄
所持スキル:
【隕石落下(使用者へのダメージなし)】
所持品:
・安物の帽子
・ミスリルナイフ×4
・レイチェル(煽りスキル特化AI)
・ディアンネ(女湯からまだ出てこない)
◇ ◇ ◇ ◇
第50話 皇帝のマブダチと、影に潜む確信犯
「ひえっ……!」
喉元に突きつけられた冷たい切っ先の数々。58年の人生で、これほどまでに死を身近に感じたことはない。
俺の頭の中では、すでに「不敬罪による市中引き回し」から「打ち首獄門」までのスライドショーが上映されていた。
だが、その殺気の渦を、背後からの低い一喝が切り裂いた。
「やめよ。この者は余の友だ。無礼であるぞ」
「「「「…………っ!?」」」」
近衛兵たちの動きが、まるで見えない金縛りにあったかのようにピタリと止まった。
槍を構えていた兵士の顔が、驚愕で引きつっている。
「べ、陛下!? しかし、この者は警備網を突破して侵入した不審者で……!」
「不審者ではない。余と共に湯に浸かり、猫の未来について語り合った無二の友だ。道を開けよ」
皇帝おじさん(もとい陛下)は、悠然と俺の隣に並び、ポンと俺の肩に手を置いた。その顔は、先ほど脱衣所で猫の話をしていた時と同じ、どこか愉快そうな笑みを浮かべている。
「……マ、マブダチ?」
「いかにも。余の背中を流させてもよいと思ったほどだ。な、マルトよ」
「いや、流してませんけどね!?」
俺があたふたと否定している間に、女湯の暖簾がひらりと揺れた。
湯上がりで顔を上気させた(幽霊なのに)ディアンネがフワフワと現れ、殺気立つ兵士たちを一瞥すると、事も無げに俺の影の中へとスーッと潜り込んだ。
『マスター。今、影の中でディアンネが「マルト、おじさんと仲良し。すごい」と感心していますよ。よかったですね、皇帝陛下という最高級の盾を手に入れて』
ナップサックの中でレイチェルがクスクスと笑う。
よくない。全くもってよくない。
「星落としの英雄」というだけでお腹いっぱいなのに、そこに「帝国皇帝の友人」なんて肩書きが加わったら、俺のスローライフは完全に消滅どころか、国際問題の火種になりかねない。
「あ、あの、陛下……俺、ただの平民冒険者なんですけど……」
「気にするな。身分など、湯に流してしまえば皆同じよ。それよりもマルト、先ほどの『ミケ』の食欲不振の件だが、今度ぜひ貴殿の意見を聞きたい。王宮へ来い」
「……あ、胃が。胃がぁぁぁ……!」
近衛兵たちの「あいつ、何者なんだ……!?」という畏怖の視線に晒されながら、俺は再び猛烈に暴れ出した胃壁を抱え、その場に蹲るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
閑話 皇帝の独白
「……ふむ。近衛兵どもも、まだまだ修行が足りぬな」
王宮へと戻る豪華な馬車の中で、余は揺られながら一人、口端を吊り上げた。
脱衣所を出た時の、あの兵たちの慌てふためきよう。無理もない。余の命を守るため、鉄壁の陣を敷いていたはずが、そのど真ん中から主君が見知らぬ男と肩を並べて出てきたのだ。彼らにとっては、悪夢以外の何物でもなかったろう。
だが、彼らは本質を見誤っている。
もし、あのマルトという男に余を殺す気があったなら、余の命は湯船の中でとうに散っていた。それも、痛みを感じる間もなく、だ。
「鑑定なぞ、無粋な真似をする必要もなかろうて」
余は窓の外を流れる帝都の景色を眺めながら、先ほどまで隣にいた男の横顔を思い出す。
あれは他国の冒険者だ。それも、余の顔を見てさえピンとこない、俗世の権威に無頓着な男。
我が国の警備を羽虫のごとくかいくぐり、余の隣で平然と温泉に浸かるほどの凄腕。
その時点で、大陸に数多いる冒険者の中でも、候補は片手で数えるほどに絞られる。
王国で噂の「星落とし」か、あるいは……。
「……いや、考えるのはここまでにするか」
答えにたどり着かない方が面白いことも、人生にはたくさんある。
皇帝という座にいれば、何でも知ろうと思えば知れてしまう。だが、あのような男と裸で語り合った時間に、冷厳な事実の確認など必要ない。
あとはマルトが、いつか自分の口から正体を明かしてくれるなら、それでよし。
あくまで「猫好きのオッサン」の友人として、墓まで隠し通されるというなら、それもまたよし。
「ミケの毛並みの相談……。案外、本気で答えてくれそうだからな、あやつは」
余は愉快な気分を隠すことなく、深く座席に背を預けた。
次の再会が、王宮の謁見の間になるか、あるいはまたどこかの安温泉になるか。
退屈だった皇帝の日常に、ようやく面白い風が吹き込んできたようだ。
◇ ◇ ◇ ◇
第51話 帝国の宮殿と、不遜なAIの猫指南
帝都の中心にそびえ立つ、威圧感の塊のような黒亜の宮殿。
俺は今、その最奥にある皇帝の私室――「猫の間」とでも呼ぶべき、高級な絨毯とキャットタワーが完備された部屋にいた。
「……で、マルトよ。やはりこのミケの毛並み、以前より艶が足りぬと思わんか?」
皇帝が、金糸で刺繍されたクッションの上で丸まる三毛猫を愛おしそうに撫でながら問いかけてくる。
目の前には、帝国の最高権力者。周囲には、豪華すぎて逆に落ち着かない調度品の数々。
「は、はあ……。そうですね……。素人目には、十分にモフモフしているように見えますが……」
俺はダラダラと冷や汗を流しながら、当たり障りのない返答を絞り出した。
胃が痛い。禁足地でクマと対峙したときと同じか、それ以上に痛い。58歳のサラリーマンにとって、会長の自宅に招かれて愛犬を褒める仕事以上のプレッシャーだ。
すると、俺のナップサックの中から、あの「不遜な箱」がひょっこりとレンズを覗かせた。
『やれやれ。帝国のトップともあろう者が、個体識別名「ミケ」の栄養管理すら満足にできないとは。呆れて冷却ファンが止まりそうです』
「ちょ、レイチェル!?」
俺は慌ててナップサックを抑えたが、時すでに遅し。
レイチェルは皇帝を恐れるどころか、いつにも増して偉そうな態度で言い放った。
『いいですか、無能な飼い主。猫の被毛のパサつきは、タンパク質の不足と水分摂取量の低下が主な原因です。この個体には、鮮度の高い白身魚を摂氏38度で人肌に温めて提供しなさい。あと、ブラッシングの角度が15度ズレています。それでは皮膚にストレスを与えるだけです。やり直しなさい』
「……っ!!」
俺の心臓は止まりかけた。
一国の皇帝に向かって「無能」呼ばわり。おまけに「やり直せ」だと?
不敬罪どころか、即座に帝国軍の総攻撃を受けてもおかしくない。
だが、部屋には皇帝と俺(+影のディアンネ)しかいない。
皇帝は数秒間、驚いたように目を見開いた後——。
「……ほう。タンパク質と水分か。そしてブラッシングの角度……。なるほど、確かに最近の余は、甘やかすことに腐心して基礎を疎かにしていたかもしれん」
なんと、素直に感心し始めた。
「貴殿の連れているその『生意気な魔導具』、なかなか理にかなったことを言うな。面白い。マルト、今の知識を書き留めさせろ。余自らミケに奉仕するのだ」
「あ、はい……。良かったな、レイチェル……(よくないけど)」
『ふん。私の知識データベースを無料で公開してやったのです。感謝して、マスターに最高級の胃薬でも用意することですね』
「こいつ……っ!!」
レイチェルの毒舌と、それを「新鮮な意見」として受け入れる皇帝。
その奇妙すぎるやり取りを、影の中からディアンネが『おじさん、しかられてる。おもしろい』と楽しげに眺めている。
笑えないのは、俺だけだ。
猫の健康管理のアドバイザーとして帝国の宮殿に居座るなど、俺が求めていたスローライフの地図には一文字も書いていない。
「……陛下。あの、俺、そろそろ旅館に帰ってゆっくりしたいのですが……」
「何を言う。ミケが魚を完食するまで、貴殿には顧問としてここにいてもらうぞ」
皇帝の爽やかな笑顔。
俺は逃げ場のない豪華な部屋で、再びキリキリと鳴り出した胃を抱えて、深くため息を吐くのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第52話 さらば王宮、いざ北の港へ!
一週間にわたる「帝国皇帝の猫顧問」という、前代未聞の任務(?)がようやく終わった。
レイチェルの毒舌指導により、三毛猫の「ミケ」は毛並みも食欲も絶好調。皇帝はこれ以上ないほど満足げに、ずっしりと重い金貨の袋を差し出してきた。
「マルトよ。貴殿の……というか、その箱の功績は大きい。取っておけ、余の感謝の印だ」
「いえ、いりません。本当にいりません」
俺は間髪入れずに、きっぱりと断った。
ここで下手に大金を受け取れば「帝国のお抱え」として登録され、二度とこの国から出られなくなる気がする。58歳の危機管理能力が「この金は、さらなる面倒事への頭金だ」と警報を鳴らしているのだ。
「……ほう。余の報酬をこうも鮮やかに断るとは。貴様、やはりただ者ではないな」
「いえ、ただの『早く温泉旅行に戻りたい男』ですよ。では陛下、お元気で」
俺はあたふたと辞去し、逃げるように宮殿を後にした。
◇
「ふぅ……。ようやく自由だ。宮殿のメシは豪華すぎて、逆に胃が縮こまる思いだったよ」
帝都から少し離れた林の中で、俺は大きく伸びをした。
「よし、次は港に行こう。帝国北にある港町だ。温泉の後は、新鮮な海の幸と決まっているからな」
『だといいですね。マスターの「新鮮な魚」という言葉が、不吉な巨大海洋魔獣を呼び寄せるフラグに聞こえてなりませんが』
「フラグじゃないって……。俺はただ、静かに美味しい魚を食べて、海を眺めたいだけなんだよ。頼むぞ、レイチェル」
俺がナップサックを叩くと、レイチェルは『はいはい、座標設定完了』と無機質に答え、俺たちをワープさせた。
◇
シュンッ!
次に目を開けたとき、鼻孔をくすぐったのは潮の香りと、焼いた醤油のような香ばしい匂いだった。
帝国北端の港町、オーシャンポート。
市場は朝獲れの鮮魚が所狭しと並び、威勢のいい漁師たちの声が飛び交っている。
「すごい……! 活気が王国とはまた違った良さがあるな」
「マルト、あの、くし。おいしそう」
影から出てきたディアンネが、一軒の屋台を指差した。
そこでは、ぶつ切りにした白身魚に甘辛いタレをたっぷり塗り、炭火でじっくり焼き上げた「魚の照り焼き」が売られていた。
「よし、買おう。おじさん、三本くれ」
「はいよ! 兄ちゃん、いい食いっぷりだな!」
受け取った熱々の串を、ディアンネに手渡す。
彼女はハフハフと熱そうにしながらも、一口食べるとパァッと顔を輝かせた。
「おいしい……! あまくて、ちょっと、しょっぱい!」
「ああ、これはたまらんな……」
俺も一口かじる。脂の乗った身が口の中でほろりと崩れ、甘辛いタレの味が追いかけてくる。まさに絶品。
王宮の窮屈な食事よりも、こういう屋台の味が一番落ち着く。
「海は静かだし、魚は美味い。やっと本来の旅行らしくなってきたぞ」
青い海をバックに、幸せそうに串にかじりつく幽霊少女と、不機嫌そうにナップサックに収まっているAI。
俺は一瞬だけ胃痛を忘れ、このつかの間の平和を全力で噛み締めるのだった。
【読者向けステータス画面】
名前:マルト(石落 丸人)
年齢:20代(精神年齢58歳)
職業:冒険者(バカンス中)
称号:星落としの英雄、皇帝のマブダチ
所持スキル:
【隕石落下(使用者へのダメージなし)】
所持品:
・安物の帽子
・ミスリルナイフ×4
・レイチェル(魚の鮮度を解析中)
・ディアンネ(魚の照り焼き:満足度100%)
【現在の状況】
帝国北の港町を満喫中。
今のところ、巨大魔獣も不敬罪もなし。平和。
◇ ◇ ◇ ◇
第53話 兼業冒険者の港町と、泳ぐトラ
魚の照り焼きで腹を満たした俺は、念のため地元の情報を得ようと、町外れにある冒険者ギルドの支部へ足を運んだ。
しかし、扉を開けて驚いた。そこには活気のかけらもなく、閑古鳥が鳴いていたのだ。
「……すいませーん、やってますか?」
カウンターの奥では、ガサツそうな雰囲気の受付嬢が、爪を研ぎながら退屈そうに鼻歌を歌っていた。
「ああ? なんだい、他所から来た冒険者か。見ての通り、今は誰もいないよ」
「ずいぶん閑散としてるんですね。この町には冒険者がいないんですか?」
俺が尋ねると、彼女は「あはは」と豪快に笑い、研いでいた爪で市場の方を指差した。
「知らないのかい。この町の冒険者は、みんな『漁師』でもあるんだよ。今は一番忙しい時間帯さ。市場で威勢よく魚を売ってる連中の中には、あんたよりランクが高い銀級や金級の冒険者がゴロゴロ混じってるよ」
「……兼業ですか。たくましいですね」
掲示板を見ても、魔物討伐の依頼は数えるほどしかなく、それも「船底にこびりついた貝の魔物除去」といった地味なものばかりだ。
「今は目ぼしい依頼なんてないよ。それよりも、せっかく来たなら夜まで居な。夜には『夜の魚』が出回るからね。朝、昼、夜と市場をこまめにチェックしなよ。この町の本当の旨いもんは、そこにあるんだからさ」
「夜の魚……。わかりました、覗いてみます」
◇
ギルドを出た俺は、防波堤に座って海を眺めていた。
どこまでも続く青い水平線。打ち寄せる波の音。
潮風が頬を撫で、ようやく「ああ、俺は今、異世界でバカンスをしているんだ」という実感が湧いてくる。心が洗われるようだ。
「……平和だな。あんなに胃が痛かったのが嘘みたいだ」
「マルト、見て。おおきい、ねこ」
影から顔を出したディアンネが、海面を指差した。
視線を向けると、そこには目を疑う光景があった。
ザバァッ、ザバァッ……。
巨大な、それこそ軽トラほどの大きさがあるトラの魔獣が、器用に「犬かき」をして海を泳いでいた。
トラは水面から飛び跳ねた巨大な魚を、空中で「パクッ」と豪快に丸呑みにすると、また気持ちよさそうにスイスイと泳ぎ続けている。
「……えっ? 海にトラ? しかも犬かき?」
俺は驚いて周囲を見渡したが、市場の漁師たちも、散歩中の町人も、誰もそのトラに反応していない。まるで「今日も天気がいいね」くらいの日常的な光景として受け流している。
『マスター。個体識別「アクア・タイガー」。水陸両生の魔獣ですが、性格は温厚で、この海域では天然の漁師として重宝されているようです。人間が獲りこぼした魚を食べる代わりに、港を襲うサメの魔獣を追い払う共生関係ですね』
ナップサックからレイチェルが解説を入れる。
「あれが普通なのか……。そうなんだろうな。うん、異世界だしな」
58歳のサラリーマンの常識では「虎が海で犬かき」なんて悪夢でしかないが、ここではこれが日常なのだ。深く考えてはいけない。考えれば考えるほど、また胃がキリキリし始めるだけだ。
俺は静かに目を閉じ、トラの泳ぐ音をBGMに、無理やり「これは平和な光景だ」と自分に言い聞かせるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第54話 深海の輝きと、深夜のオーシャン・ランニング
日が落ちると、港町の空気は一変した。
昼間の活気とはまた違う、どこか幻想的な熱気が市場を包み込む。
「ほう……。これが『夜の魚』か」
露店に並んでいるのは、淡い青や緑に自ら発光する深海魚、水晶のように透き通ったイカ、さらには星屑を散りばめたような鱗を持つ不思議な鯛。
まさに「海の宝石箱」をひっくり返したような光景に、58歳の元サラリーマンの好奇心がくすぐられる。
「マルト、おさかな、ひかってる。きれい」
「ああ、食べるのがもったいないくらいだな」
影から這い出したディアンネも、目をキラキラさせて発光魚を見つめている。
しかし、そんな情緒的な気分を台無しにするような、凄まじい轟音が海の方から響いてきた。
ザッパァァァン!! ドゴォォォォン!!
「……なんだ!? 敵襲か!?」
俺が慌てて海の方を見ると、そこには昼間の「犬かき」が嘘のような、猛烈な勢いで水面を爆走し、荒ぶりまくるアクア・タイガーの姿があった。
激しい水しぶきを上げ、真顔で海面をジャンプし、何もない空間に向かって前足で猫パンチを繰り出している。
「あ、あの……おじさん。あのアクア・タイガー、どうしたんですか? 発狂してません?」
近くで網を畳んでいた漁師に尋ねると、彼はタバコをふかしながら、さも当然といった様子で鼻で笑った。
「あー、あれか。心配ねぇよ。ネコ科魔獣特有の、『夜の運動会』ってやつだ」
「……夜の運動会?」
『マスター。解説しましょう。ネコ科の生物は夜行性が強く、蓄積されたエネルギーを放出するために突発的に全力疾走を行う習性があります。アクア・タイガーの場合、その余剰エネルギーが物理的な破壊力を伴う波濤となって——』
「いや、いい」
俺はレイチェルの解説をピシャリと遮った。
理屈なんて聞きたくない。聞けば聞くほど、軽トラサイズの猛獣が深夜に大暴れしているという「異世界の理不尽な日常」を受け入れざるを得なくなるからだ。
「……そっか。運動会か。頑張ってるんだな、あいつ」
俺は遠くでザッパンザッパンと海を蹂躙している「マジ顔のトラ」から静かに視線を逸らした。
見ろ、今はトラよりも目の前の美味そうな魚だ。
「おじさん。そこの『夜の魚のホイル焼き』、二つ頼む」
「はいよ! 特製のハーブバターだ。熱いうちに食いな!」
渡された銀色のホイル包みからは、えもいわれぬ芳醇な香りが漂ってくる。
ホイルを開くと、中には七色に輝く白身魚が、たっぷりの野菜と一緒にふっくらと蒸し焼きにされていた。
「……ん! 美味い……! なんだこれ、身が口の中でとろけるぞ」
「おいしい……! あついけど、おいしい!」
背後で巨大なトラが「ギャォォォォォン!」と雄叫びを上げ、津波のような水しぶきを上げているが、俺とディアンネは一心不乱にホイル焼きを頬張った。
平和(?)な夜の港。
荒ぶる巨大猫を借景に、俺たちは帝国の豊かな海の恵みを心ゆくまで堪能するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
第55話 日常という名の非常識と、安らぎの我が家へ
翌朝。港に差し込む清々しい朝日と共に目を覚ました俺は、最後にもう一度市場を覗いてみることにした。
「おお……これは圧巻だな」
港には、昨晩の暗闇では分からなかった巨大なガレオン船や帝国の軍艦がズラリと並んでいた。建物の数階分はあろうかという巨躯が波に揺れる様は、まさに大帝国の玄関口にふさわしい威容だ。
「……ん? なんだ、あれ」
ふと積み荷が山積みにされたエリアに目を向けると、そこには見覚えのある、そして場違いな巨体が転がっていた。
バリバリバリバリッ!!
「……」
昨晩、海を八つ裂きにする勢いで「夜の運動会」を開催していたアクア・タイガーが、港の木箱を巨大な爪とぎ板にして、豪快に爪を研いでいた。
ひとしきり研ぎ終えると、今度は別の木箱を枕にして「グゥ……」と幸せそうに二度寝を始めている。
「……いいのか、あれ? 積み荷だぞ? 中身、多分粉々だぞ?」
近くを通る船乗りやポーターたちは、トラの尻尾を踏まないように器用に避けながら、挨拶を交わす程度の無関心さで通り過ぎていく。誰も怒らないし、誰も驚かない。
「……現地の人が無反応だし、これも普通の風景なんだろうな。うん、もう突っ込むのはやめよう」
58歳の常識をこの港に捨て去り、俺は静かに踵を返した。
温泉に浸かり、皇帝の猫の面倒を見、夜の魚を堪能し、海を走るトラを見た。
胃痛の種は尽きなかったが、不思議と体は軽くなっていた。
「よし、レイチェル。リフレッシュ終了だ。我が家へ帰ろう」
『了解しました。目的地:王国内・マルト邸。不法侵入者の検知なし。平和な幽霊屋敷への最短経路で転送を開始します』
「マルト、おうちに帰るの? トマト、赤くなってるかな」
影から出てきたディアンネが、俺の服の裾を掴んで嬉しそうに笑った。
「ああ、きっと食べ頃だぞ」
シュンッ!
一瞬の浮遊感の後、鼻を抜けたのは潮の香りではなく、懐かしい草木の匂いと、少しひんやりとした屋敷の空気だった。
異国での騒動を乗り越え、俺たちの短い、しかしあまりに濃密だった「温泉旅行」は、こうして幕を閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇
これまでのあらすじ(第1章〜第4章)
【第1章・第2章】勘違いから始まる伝説
58歳のベテランサラリーマン・マルトは、工事現場の事故で死亡し、異世界の若者として転生する。神から授かったのは、空からデカい石を落とすだけの極振りスキル『隕石落下』。
平穏な隠居生活を望むマルトだったが、行く先々で「隕石ガチャ」を回しては山を吹き飛ばし、ミスリル鉱山を爆誕させ、幽霊屋敷を拠点にする。毒舌AIのレイチェルと、癒やし系の幽霊少女ディアンネ**という、騒がしい同居人たちとの生活が幕を開ける。
【第3章】禁足地での死闘(?)と、逃亡の美学
王都最強パーティ『紅蓮の牙』との決闘、さらには武闘派王女ラビィとの結婚(!)を回避するため、マルトは未踏の魔境「禁足地」の調査へ。
そこで出会ったのは、マルトのスキルを完コピして隕石を撃ち返してくるチート熊だった!命の危機を感じたマルトは、共倒れ寸前だった『紅蓮の牙』を救出(ついでにワープで逃亡)し、結果的に「英雄」としての名声を不動のものにしてしまう。
【第4章】帝国の秘湯と、裸の付き合い
自分の英雄譚が全世界に歌い継がれるストレスで胃を壊したマルトは、隣国の『帝国』へ温泉旅行に出発。完璧な変装(頭にタオル、腰にナイフ4本)で隠密行動を試みるも、「ギルドの割引」という誘惑に負けて自ら身分を明かす痛恨のミス。
逃げ込んだ温泉で偶然、帝国の皇帝と裸で遭遇。意気投合して「実家の猫の悩み」を相談される仲になり、不遜なAIレイチェルの指導により皇帝の「マブダチ(猫顧問)」というさらなる厄介な肩書きをゲット。
最後は港町で「海を爆走する巨大トラ(アクア・タイガー)」の非常識な生態を眺め、ようやく我が家のトマト畑へと帰還した。




