第一部のあらすじ
物語をより深く楽しんでいただくためのガイドです。
不要な方は、無視して下さい。
時は元亀四年(天正元年)
浅井長政の九歳になる嫡男・万福丸の脳内に、突如として昭和初期の帝国大学で昆虫学を極めた「時任」の意識が宿る。
史実において、秀吉に捕らえられて関ヶ原で串刺しにされるという凄惨な運命を知らされた万福丸に対し、時任は己の持つ近代的な昆虫学の知識を総動員し、歴史をねじ曲げてでも万福丸を生き残らせることを誓う。
小谷城が織田信長の大軍に包囲され落城が迫る中、長政は忠臣をつけて万福丸を敦賀へ逃がそうとするが、それは史実通りの「死のルート」であった。万福丸は父の美しき滅びの美学を捨て、名誉を泥に塗れても生き延びる道を選ぶ。
彼は、常人には見えぬトタテグモやクロオオアリの痕跡から崖の地盤の強度を読み取り、生存ルートを開拓。
藤堂高虎と遠藤喜三郎を従え、燃え落ちる城から脱出する。
母・お市の方や妹の茶々たちが織田に保護される一方で、万福丸たちは幾重にも敷かれた織田の包囲網を、時任の、助けを得て、突破していく。
逃亡の過酷な道中、彼らは極限の飢餓と高熱に襲われるが、時任の冷徹な指導のもと、カミキリムシの幼虫を抉り出し、巨大なミミズを丸呑みにして命を繋ぐ。
やがて裏社会に生きる男装の少女・鵜飼冴衣を道案内に加えた一行は、魑魅魍魎が跋扈する京の都を経て、独自の掟で外界を拒絶する自治の地・甲賀の隠れ里へと辿り着く。
甲賀に身を潜めた万福丸は、五十三家の当主たちの前で己の異質な価値を証明し、里の実権を握っていく。
瀕死の重傷を負っていた里の童・六助を救うため、万福丸は不浄とされる肥溜めから無菌の蛆を培養し「マゴットセラピー(無菌蛆治療)」を施す。これらの奇跡に驚愕した甲賀の忍び・三雲佐助は万福丸に深く帰依し、時任の知識を現実の策として具現化する最強の手足となる。
万福丸は里の慢性的な飢餓を救うため、次々と革新的な策を実行する。コオロギを乾煎りにして粉末化し上質なタンパク源を確保すると、田畑の畔草をあえて残して蜘蛛や蛙を呼び込み、無農薬での「生物的防除」を確立。周囲が深刻な日照りと飢饉に苦しむ中、甲賀にのみ「黄金の稲穂」を実らせた。さらに、南方由来の紫鉱の分泌物から前代未聞の美しさを誇る「甲賀の緋色」の染料を抽出し、蚕の蛹を塩と麹で発酵させて莫大なアミノ酸(旨味)を生み出す「昆虫醤」を練成。甲賀は富と兵士の胃袋を満たすことが出来る強固な要塞へと変貌を遂げる。
その一方で、万福丸は強大な織田の軍事力に対抗すべく、安価で凄惨な「狂い汁」、「泥の筒」、「泥の羽音」の開発に着手する。それはオオスズメバチを特定の標的に集中攻撃させる生物兵器であり、また、アブ、ダニ、カメムシ等の不快・吸血昆虫を戦場に散布する生物兵器である。
また、稲を枯らす病原を宿した長翅型のウンカなど、敵国の兵站を内部から破壊する狂気の生物兵器であった。
天正五年。織田の猛将・佐久間盛政が四千の兵を率いて甲賀へ侵攻してくる。しかし万福丸は、秋の虫たちの鳴き声が止む現象を利用した「天然の諜報網」で敵の行軍を完全に捕捉。空腹の敵兵にあえて発酵させた下剤入りの餌を食わせ、行動不能に陥った頭上から発情期のオオスズメバチを放つ「狂い汁」の策で、一切の刃を交えることなく四千の軍勢を自壊させた。
この圧倒的な勝利を背景に、万福丸は信貴山城で爆死したと見せかけ、梟雄・松永久秀を密かに救出して配下に加える。
一方では、信長に対して直接交渉を突きつけ、人質となっていた叔母の京極一家を無傷で奪還することに成功した。
天正六年、十四歳で元服を迎えた万福丸は名を「満福」と改める。自己犠牲的な死を否定し、「七福八存」を掲げて泥をすすってでも生き残る冷徹な現実主義を宣言した彼は、名誉ある降伏を選んだ歴戦の猛将・磯野員昌を陣営に迎え入れた。
完成したばかりの安土城に対しては、急所にイエシロアリを放って将来的な自壊の楔を打ち込むなど、魔王・信長の権威を不可視の領域から確実に蝕んでいく。同時に、過激さを増す叔母上からの政略結婚の圧力に悩まされながらも、甲賀の防衛網をムネアカオオアリなどの習性を利用して自動化し、来るべき最終決戦に備えていった。
天正七年から九年にかけ、信長はいよいよ伊賀・甲賀の完全殲滅に乗り出す。第一次侵攻では、北畠信雄が率いる一万の軍勢が押し寄せるが、満福は山中の水源を汚染し、病原菌を媒介する蠅を大量に放つことで、敵軍を内臓から腐らせて壊滅に追い込む。
しかし天正九年九月、信長の後継者である織田信忠が総大将として五万という圧倒的な大軍を率いて第二次侵攻を開始する。満福は非情にも隣国である伊賀を見殺しにして時間を稼ぎ、甲賀の入り口である玉滝口などに地獄の防御網を展開した。
オオスズメバチの波状攻撃と、トビズムカデの神経毒にハシリドコロを調合した致死の毒を刃に塗った甲賀の精鋭部隊が、織田の主力と激突する。磯野員昌、藤堂高虎、そして瀕死の重傷を負いながらも狂信的な突撃を見せた遠藤喜三郎の決死の刃が、ついに織田信忠の命を奪い取る。信長の血脈を断ち切るという、歴史を根底から覆す未曾有の戦果であった。
信忠の死により五万の大軍は退却を余儀なくされ、最愛の後継者を失った信長は安土城で深い絶望と殺意に沈む。
そして運命の天正十年六月。
明智光秀が、ついに京の「本能寺の変」を引き起こす。燃え盛る本能寺の裏側で、満福の仕掛けていた傀儡・六角親子が身代わりとなって果てる中、満福自身はすでに五万の軍勢を退けた甲賀の精鋭を率い、手薄となった天下の巨城・安土を奪取すべく、暗闇の中から静かに進軍を開始していた。九歳の時にすべてを奪われ、泥をすすり、理不尽に抗い続けた少年の足跡は、ついに戦国の歴史そのものを大きく歪め、新たな覇道へと繋がっていくのである。




