4-2 : 調律の檻
半階上の踊り場。影の中に立つ嵯峨の瞳は、微塵の揺らぎもなく加賀美を射抜いていた。
その視線は、もはや部下を見るものではない。不具合を起こした精密機器を、修繕の可否を含めて検品する技術者のそれだった。
「……若林は、関係ないはずだ」
加賀美の声が、階段室のコンクリートに虚しく反響する。
項の奥が、軋んだ。
東雲に穿たれた「静止点」が、内側からの圧力に耐えかねて、熱を帯びた異物へと変質していく。
「関係は、あなたが作るのです」
嵯峨がゆっくりと階段を下りてくる。靴音が、メトロノームのように正確なリズムで近づく。
「彼というノイズを、あなたの手で東雲先生に差し出す。その時初めて、あなたの内部にある『最後の不純物』が抽出される。……それが、この街の一部になるということだ、加賀美さん」
加賀美は、手すりを握る指に力を込めた。
若林を救いたい。その想いさえも、嵯峨には「抽出されるべきデータ」として扱われている。
「……断る」
「あなたは、痛みを欲しがっていたはずだ」
嵯峨が、加賀美の目の前で足を止めた。
無機質な、体温を感じさせない笑みが、加賀美の視界を塞ぐ。
「もう一度、あの焼け付くような渇きに戻りたいのですか? 娘を救えなかった自分を、一生呪い続けて死にたいのですか? ……東雲先生は、それすらも『機能』に変えてくださるというのに」
「それは、人間じゃない」
「人間である必要が、どこにある?」
嵯峨の問いには、悪意すらなかった。
ただ、純粋な合理性だけがあった。
加賀美は、懐のUSBメモリを強く握りしめた。
この男を突き飛ばし、若林を追う。それが、刑事としての、いや、人間としての唯一の正解だ。
だが、右足が動かない。
脳が、拒絶している。
東雲に調律された肉体が、激しい「摩擦」を恐れ、静止を命じている。
「さあ、行きましょう。若林君は、既に確保されています」
嵯峨の言葉に、加賀美の心臓が大きく跳ねた。
「……な、に?」
「彼は素直な男だ。『加賀美さんが呼んでいる』と言えば、疑いもせず車に乗りましたよ。……向かっている先は、診察室です」
項の疼きが、爆発的な熱に変わった。
加賀美の視界が、一瞬、真っ赤に染まる。
壊れる。
何かが、自分の中で、決定的に。




