王弟殿下は嘆き、腹黒王女は断罪される
残酷描写、流血表現に注意です。
サンドライト海軍の進撃を、侍女長から報告された。
レティシアは戦慄した。
まさかと思ったが、窓から遥かな階下を見おろせば、陸に上がったシーサーペントライダーたちが、アンデッドワイバーンを矢継ぎ早に屠っていた。
空を飛ぶアンデッドの心臓部に槍を命中させては、落下したそばから動力源である「核」を破壊している。
ライダーたちの捕獲には、武器すら使っていない。
ルス州軍の空中部隊が、いともたやすく解体されてゆく。
サンドライト海軍の主戦力と思われたシーサーペントたちが、アンデッドライダーたちを攻撃しようとしては、「殿下の尋問が終わるまで、殺すんじゃねー!」と、自らの騎手たちにぶんなぐられている。
最も沢山の星をあげているのは、野生味溢れる大男ながら不思議に王弟と似た気品を持つ、金髪のワイバーンライダーだった。
あれが、叔父ファルカノスと借り腹の間に生まれた熊……ではなくて、庶子だろうか。
あまりのおぞましさに、窓から目を逸らすことしかできない。
旧北王国連合が、帝国に併合されて援助を受けたルス州軍が、こんなに弱いなんて。
サンドライト海軍が、これほど強かったなんて。
知らない。聞いていない。
だが、情報が隠蔽、もしくは改竄されていた理由については、思い当たる節がある。
サンドライトに居た頃から、自らの手駒が何人か兄に寝返っているような感触があった。
それにしても、エイミとマリアベルが拐われてから王弟が動くまでが迅速すぎる。
侍女や出入りの商人だけでなく、この近辺で生まれ育ち、下働きや衛兵をしている者、食料を卸す農民あたりにも、情報源が紛れていたのだろうか。もはや、確かめる術もないが。
レティシアは極力冷静さを保ちながら、自らの居室を見渡した。
ドレープが美しく、重厚な織りのカーテン。
デザインの統一された、女性らしい猫足の家具。
上品で華やかな調度品の数々。
クローゼットのドレスは全て一流のデザインで、サンドライトの王妃以上に高価な布地を使っている。宝石もアクセサリーも、国宝級の芸術品ばかり。第一側妃に相応しい豪華な居室である。
レティシアはここを気に入っているが、ランにでも明け渡そうと思った。
優美で贅を尽くした居室にいては、囚われの側妃が成立しない。
この部屋で、叔父と再会するわけにはいかないのだ。
こっそりと居室から抜け出したレティシアは、マリアベルとエイミが監禁されていた部屋に向かった。
今ごろはふたりとも純潔を散らされて、茫然自失としているはずだ。オケアノスとスゥ、ランの姿が見えないから、現在進行中かもしれないが。
高鳴る胸の鼓動。尖塔の階段を1段、1段と登り、最上階の「客間」ーーー通称「ヤリ部屋」の扉を、細心の注意を払って押した。
音もなく開いた扉の裏側は、なぜか血のにおいに満ちていた。
巨大なベッドで息絶えているのは、司祭姫のキミか。色素の薄い特徴的なロングヘアが、血濡れている。
彼女の側には、ここにいるはずのない男がひとり、立ち尽くしていた。
「それにしても。おめーがひとりで、200体ものアンデッドを作ったなんてな。オレの生徒どもと、そう変わらん年齢じゃねーか。教会の子育てって、どーなってんだよ」
雪で濡れた金髪とマント。海竜鱗の青い鎧。名匠の会心作を思わせる三俣の鉾。
音もなく開いた扉をそっと閉じようしたレティシアを、低く通る声が呼び止めた。
「幸せっていやー、幸せなんだろな。竜どもから報復を受ける前に死ねて。おめーはどう思う?」
振り返りもせずに。
「似たようなもんだし。な? レティシア?」
レティシアの肩がぴくりと震えた。
「叔父さま……」
喉の奥がキュッと詰まって、声が掠れる。
叔父であり、教師であり、海軍を統べる王弟ファルカノス。
父サーガフォルスと瓜二つだが、正反対な性質で言動が荒々しい彼を、高貴な血を穢す愚行を繰り返す彼を、レティシアは少々苦手としていた。
自由を約束してくれた父と逆に、ファルカノスはレティシアを子ども扱いする。レティシアの学年にいじめや転校や原因不明の体調不良が多い理由を、やたら追及してくる。
個々の理由など、わかるはずがないのに。
そして、レティシアが知らないことを、知らないままでいることを罪だと言う。
「久しぶりだな。ずいぶんとめかし込んでるじゃねえか。皇太子の第一側妃様だもんなあ。まー当然か」
ファルカノスの声は飄々としていて、レティシアを責める空気は微塵もない。
レティシアの瞳に、みるみる涙が溢れた。
「叔父さま。ごめんなさい……わたし」
「何もできなった?」
「……はい」
肩を震わせて両手で顔を覆えば、王弟の口からため息がもれた。幼少期より「妖精姫」ともてはやされてきたレティシアは、自分の望む待遇を、他人に決めさせることに長けている。
「まー。第一側妃は別にいーんだけどさ。おめー、自分が拐われる直前、隠れたレドリックを暴いてオケアノスに売ろうとしたろ? そこで死んでる司祭姫の私室、見た? レドリックぐらいの子どもが、何人も鎖に繋がれてたぞ」
「そんな……だって、知らなくて」
「そいつの性癖は知らんでも、自力で歩けん王子が酷い目にあうことぐらい、予想つくよな?」
「……」
「ま、それもレドリックの試練だって、クソ王はほざくんだろうけどよ。サンドライト王族はさ、みんな狂ってんだよ。クソ兄貴も、俺も、王妃も、側妃どもも、レドリィも。フレディはまあ、比較的まともなとこが逆におかしいが。とにかく、魂に狂気を宿してんのは、レティひとりじゃねえ」
ファルカノスは、手にしていたブランデーを一口あおると、レティシアに「飲むか?」と差し出した。レティシアは首をふってそれを拒んだ。
「歴代5人のドラゴンライダーを生み出してきた王族は、その血が濃いんだろうな。好色なくせに一途で執着心が強い。で、なぜか大公宰相家の血筋にほだされる。俺も兄貴も宰相には弱いし、姉貴はメロメロだし。フレディもアーチの為なら割となんでもするし。あのぶれねー日和見に、狂気が中和されんのかねえ。おめーがアーチに執着すんのも、わからんでもネェ」
「では……」
「けど、だからってこれはネェよ」
と、今度は別の袂から羊皮紙を取り出した。
どこで手に入れたのか。
厳重に保管されているはずの重要書類が、サンドライトの元帥の手に渡っているこの現実に、レティシアは息を呑む。
正式な刻印つきの書類には、レティシア直筆のサインが記されている。
ひとことでいえば、「サンドライト併合後、王族は全員処刑。レティシア側妃をサンドライト太守に任命することを承認した」ものだ。
「でも……わたし、拒否権なんて……」
レティシアを知らない者が見たら、庇護欲を刺激され、義憤に震える姿だろう。
だが、ここにはファルカノスしかいない。
あとは、物言わぬキミの骸だけ。
「こいつにサインした時点で、おめーは売国奴だ。悪意の有無は関係ねえ。もう、処刑しかねえよ。レドリィの裁判の時はギリギリ生かされたってのに、このバカ娘が」
「なんで……そんな……!」
常緑樹色の瞳から、透明な涙がポロポロと伝い落ちる。
「何故アンデッドの育成を黙認した? 竜の掟を厳守する王族の役目をどう心得る? サンドライトの王家を滅ぼし、自らが太守と成った後、アーチラインを侍らせる為か? そんなことの為に、竜の掟を無視したのか?」
「え、あの。…そ、そんな権限、わたしには……」
「質問に答えろ。アーチラインを手に入れる為に、次期太守の詔にサインをしたのか。サンドライトを滅ぼす有効手段だから、死屍飛竜部隊の創立にも調印したのか。イエスかノーか、2択問題だ。簡単だろ?」
先端の鋭い鉾が、まっすぐレティシアの首もとをなぞる。
白い首から、真紅の血が一筋流れ落ちた。
「ひっ……!」
ファルカノスには、情に脆い面があったはずだ。
レドリック暗殺未遂の裁判で、死刑に票を入れなかった王族は、ファルカノスだけだと聞いている。
幼い頃、「スパイでもダブルスパイでもかまわんが、娘のレティシアにわからんようにやれよ! この屑女!」と、側妃の胸ぐらを掴んで怒鳴ったのも、ファルカノスだった。
レティシア本人は、母が祖国のスパイだろうが、サンドライトに寝返ろうが、大して混乱しなかったのだが。
ただ、叔父の剣幕に驚いた。甘言も媚薬もなしに、無条件でレティシアを庇う大人に初めて出会ったから。
ファルカノスは、なんだかんだで自分に甘いと知っていた。
だからこそ、氷のように冷たいこの眼差しが信じられない。
「だ、だって。こんなの……」
「答えろ。レティシア」
「なんで……叔父さま。酷い……」
武器で脅しながら、ファルカノスは返事なんか期待していなかった。
この娘は、自分が不利になる発言をしないから。絶対にしないから。のらりくらりと責任転嫁して、話題を変えようとするだけだから。
虫も殺せない様な可憐な見目で、蛇の様に狡猾な毒使い。
この能力を違う形で発揮すれば、サンドライトの至宝となり得ただろうに。
「皇太子オケアノスが側妃レティシア。サンドライト軍元帥の権限を以て、国家反逆罪を認め、極刑に処す。何か言い残すことは?」
「お、叔父さま!?」
涙に濡れた瞳が、大きく見開かれた。
こんな時でも、いや、こんな時だからこそ、彼女は美しいのだろう。
「無力なわたしに、ご慈悲を。せめて裁判を……!」
両手を組んで見上げる双眼に、ファルカノスは決して絆されなかった。これがフレデリックだったら、苛立ちながらも司法の手に委ねただろうが……。
「お願いです。せめて、死ぬ前にお兄様に。お兄様に、お会いしとうございます……」
「却下」
三叉の鉾が、肋骨ごとレティシアの胸を貫いた。
「こんな後始末を、フレデリックひとりに押し付けろって? あり得ねえよ」
串刺しになった体が、膝から崩れ落ちる。
「生きて帰れば、拷問の末に極刑が待っている。ここで殺してやるのが、最後の慈悲だ。受け取れ。レティシア」
背中を貫通した鉾を力任せに引きぬけば、背中がそりかえった。皇太子の1位側妃は、血飛沫をあげて横に倒れた。
「お…叔……な………」
「バカなヤツだよ。アーチが欲しかったら、正直に言えばよかったのに。自分はアーチへの妄執に囚われた怪物だから、目の前で他の令嬢と仲良くしないでくれ。何をするかわからないから、いっそ殺すか幽閉してくれって」
ファルカノスは、血のりと肉片のついた鉾を、手近なシーツでぬぐいながら、変わり果てた姪を冷ややかに見下す。
幼い頃のレティシアは、アーチラインを見つけると嬉しそうに駆け寄っていった。長くひとりっ子だったアーチラインも、実の妹のように慈しんでいた。
なんとなく、子ども社会ではふたりを祝福するような空気があったように思う。
フレデリックがマリアベルと婚約した頃、何も知らなかったファルカノスが「おめーらも婚約する?」とからかうと、レティシアは嬉しげに頬を染めたが、アーチラインは「僕には婚約なんて、まだ早いです」と、首をふった。
妙に引っ掛かかる笑顔だった。満面の笑みを浮かべながら、諦観していたというか。
聡いアーチラインは、誰よりもはやく気がついてたのだろう。
婚約者候補になり得る家柄の令嬢と親しくなれば、全員ではないが原因不明の腹痛や神経痛にかかる率が高いことに。
レティシアと一緒にいれば、被害者がゼロになることに。
いつしかアーチラインは、乳兄弟の家の侍女に恋をして、男友達とばかり遊ぶようになった。
「おめーがその狂気と向き合って、真剣にもがいていたら、人が良いアーチはほだされたんじゃねーかな。もしかしたら、自分からおめーとの婚約を打診したんじゃねーの?」
レティシアの口から血の泡がこぼれた。
もう言葉は紡げまい。光を失いつつある両眼は、「なぜ、それを早く言ってくださらなかったの?」と、問いかけていた。
「てめーで気がついて、悔い改めなきゃ、意味ねーわ」
ファルカノスの声は、死にゆくレティシアに届いただろうか。生命が失われてゆくさまを無言で見つめていたが、やがて腰を落として大きく息を吐いた。
「ま、おめーにゃ無理だわな。父親には精神的に放置されて、母親はダブルスパイで。そもそもが狂った血筋の王女サマだ。まともな情緒が育つわけがねえよ。な? レティ」
常緑樹の瞳は、もう何も映さない。
開いたままの目を閉じてやれば、指先から虚しさが伝わってきた。
「お前を娘にして、俺のマリアベルに預けるべきだったんだろうな。無関心な親とイエスマンしかいねー王宮よりは、海軍で育った方がマシだったろうから」
それをしなかったのは身分的な問題もあったが、選民思想の強いレティシアが、内縁の妻や我が子たちに、海で戯れるシーサーペントたちに、海軍の舎弟どもに、危害を加えない確証が持てなかったからだ。
なにしろ、11歳でアーチラインの借り腹を毒殺し、12歳で弟に障害を負わせた毒婦である。
ファルカノスは、初恋の借り腹に生涯の愛を捧げた男だ。
レティシアがアーチラインの借り腹と娘を暗殺した日から、可愛い姪ではなくなっていた。
長所も欠点も、全てひっくるめて面倒を見てやろうという覚悟は、ついぞ持てなかった。
それでも、紺色のマントを外して血塗れの骸をくるむと、まだ16歳なんだと思い至った。
サンドライトの16歳は子どもではないが、ファルカノスからしたら、自分の半分も生きていない。
抱き上げてみると、驚くほど軽かった。数多の宝飾品で身を飾りながら、レティシア自身の体重をあまり感じない。
ファルカノスは初めて、この姪を愛せなかった過去を悔やんだ。
「もしも生まれ変われたら、今度は俺の娘になりな。悪りぃことしたら泣かすし、いーことしたら褒めてやるから。毒薬作ったらブン殴るし、エリクサー作ったらめっちゃ撫でるからよ。あと、数学はできるまで解かす」
クソな兄貴や事なかれ主義の側妃は、レティシアの罪はレティシアの責だと断じるだろう。
間違ってない。正論だ。
だが、ファルカノスには割り切れない。「どこかに、こいつが救われた道があったかもしれない」と悔いずにはいられない。
こういう因果な人種を、「教師」と呼ぶのだろうか。
ファルカノスは、レティシアの亡骸を胸に、血塗れの客室を後にした。
この軽さを、姪を刺した感触を、この手は生涯忘れないだろう……。




