いたいけな忠臣と、キラキラ王子の救出劇、と、反撃
がんばれよ。フレデリック王子。
力強い激励が、ある種の子ども扱いが、くすぐったいような。悔しいような。
ーーーていうか、まぶしい。
朝の斜光で、まどろみから覚めたフレデリックは、錫杖を握りしめる自らの手に、小さく息をもらした。
(とにかく、『贈り人』との約束はとりつけた。あとは……あれ?)
なぜだろう。マリアベルが囚われているはずのスコーネ城が、見あたらない。
なぜか、ダイヤモンド鉱山が見下ろせる。
「なんで、ホワイト准男爵領に?」
首のあたりの毛を無意識に撫でると、スノーローズは嬉しそうにゴロゴロいってきた。
大天竜はやがて、瘴気砲で黒く朽ちた岩肌に着陸した。今は見る影もない、レイアリス上王の居住地だった場所に。
眠すぎてもう目を開けるのも辛そうだ。
本気でフラフラしている。
『ヨサゲ ナ 寝床 発見』と、適度なサイズの洞を見つけ出すと、スノーローズとフレデリックをポイっと放り投げた。
錫杖を手に、受け身を取って着地するフレデリック。
サーガフォルスにコテンパンにされたのに、なぜかあまり痛くない。
フレデリックが身体を伸ばして状態を確認すると、スノーローズも「ニャー」と伸びをした。
「ここ、瘴気で地形が変わってるけど……転生の泉だよな。スコーネ城と反対方向だよ?」
スノーローズも、こてんと首をかしげた。
大きな金色の瞳が、昇ったばかりの朝日みたいに輝いていて、なんとも無垢な佇まいだ。
フレデリックは質問を続けた。
「……もしかして、マリアベル、この洞窟の中にいる?」
純白の幼竜が、それはもう、嬉しそうに頷いた。
そして「乗って良きですよ」と、背をかがめてくれた。
「疲れてるだろう? スノー。ここのところずっと大活躍だから。お父さんとお昼寝しておいで」
耳の辺りを撫でると、すりすりゴロゴロぺろぺろして、『乗った方がはやいよー』と、言わんばかりに首を振った。
「……ありがとう」
フレデリックがまたがると、スノーローズは嬉しそうに尻尾を振り、純白の翼を広げた。
洞窟の最深部。スゥとマリアベルが神堂に追われている。
カツカツち、力強い足音が近づいてくる。
幼いオケアノスが「4のルート」と名付けた、成人男性が身をかがめなければ進めない小路を目前に、鍾乳洞が落ちてきた。
スゥは反射的に踵に力を入れ、マリアベルの体を抱いて激突を免れた。
即座にマリアベルを背後に守り、剣を構える。
オケアノスを奪った神堂に、ついに追いつかれてしまった。
「なんだ? その態度は。スゥごときが、この俺様に勝てるとでも?」
幻想の光を放つ地底泉を背に、黒髪の戦士が嗤っている。
それは、とても不思議な笑顔だった。
右半分は、スゥが10年間憎悪した男の嘲笑を。
左半分は、スゥが10年間待ち望んだ皇子の微笑を浮かべている。
しかし、おそらく本人は気がついていない。
「雌犬なら雌犬らしく、獲物をよこして這いつくばれよ」
「裏切ってなどいない。私の忠誠は、第15皇子オケアノス殿下ただひとりのもの」
スゥは目を細め、あざけるように口の端を歪めた。
「神堂穂成などという、悪霊に捧げた覚えはない」
「てめー、その名前を……!」
初動なしのラッシュに、スゥは受け身だけで精一杯だ。
『贄』を奪った『咎』は強い。
戦い方を熟知しているスゥでも、防戦しかできない。
「おめーは本来、前衛向きじゃねーんだよ。ほれ、足がふらついてきたぞ」
「くっ!」
「ほれ、跪けよ! おっ広げて寵をねだれよ! オレ様の敵じゃねえんだからよ!」
ドラゴンを殺した人間が持つ称号、竜殺し。
それは、ドラゴンライダーに匹敵する力の証明でもある。
得意な剣を獲物にしたこの男に、遠く及ばないことくらいわかっている。
だがスゥは、オケアノスの臣下になって以来、常に格上と戦い続け、主君の身を守ってきたのだ。
今のスゥの目的は、マリアベルを守ること。
そして、神堂の意識をスゥに全集中させること。
目論見通り、マリアベルはこっそりこの場を離脱し、4のルートを進みはじめている。
神堂が落とした鍾乳洞が、目眩しに良い仕事をしているのだから、皮肉なものだ。
「私が犬なら、貴様はカラスだな。皇子の威光を啄み、口やかましく威嚇するだけの、中身のない鳥よ」
服従しかしなかった無口な女が、滑らかな口調で神堂を煽る。
真紅の瞳が、キッと釣り上がった。
格下から反抗されたことで、プライドが傷ついたらしい。
この男は、ひどく短気だ。さらにいえば、尊大さの裏に強い劣等感を抱えている。
こういう人間を闇雲に怒らせるのは、本来は得策ではない。
だが、怒りは無駄な動きを生み、剣筋は大ぶりになって、照準を狂わせる。
与えられた能力を「チートだ!」と喜び、振り回すしかしなかった神堂の剣には、訓練した者に備わっているはずの基礎がないのだ。負けられないスゥは、そこを突いた。
「テメェ、殺す。1000回生まれ変わっても、コロス……!!」
我を忘れた神堂が、本気で切りかかってきた。
スゥは軽々と身をかわす。
しかし、怒りで剣筋がぶれても、この男が格上であることは覆らない。長期戦になれば、基礎体力がものをいう。
だが、スゥにとって彼は、恐るべき敵ではなかった。
死を恐れない忠臣にとって、は。
(よかった。これなら、間にあう……!)
マリアベルを行かせた時、スゥの卓越した聴覚が、ある「音」を拾っていた。確実にこちらに近づいている福音を。
耳障りな金属音と共に、細い剣が弾かれた。
(どうか、どうかオケアノス殿下を、本来のあの方に戻して……!)
スゥの掌から、腕から、肩から、首筋にかけて、鮮やかな血飛沫が舞った。
マリアベルは「4のルート」を順調に進んでいた。
女性にしては高身長のマリアベルは、低い天井にぶつからないように慎重に先を急いでいる。意外にも足元は平坦で歩きやすかった。
大人はヒヤヒヤするが、子どもが探検するには楽しかろう。
所々に光苔が自生し、カンテラが要らないのもありがたい。
しばらく歩くと九十九折の道がまっすぐになり、いくつかの通路と合流するに従って、天井が高くなった。
小路は緩やかな登り坂を経て、石壁の広間に辿り着いた。
床にはモザイクのタイルが敷かれ、黒いグランドピアノが2台、向かいあうように並んでいる。
「こんなところに……」
マリアベルは、吸い寄せられるようにピアノに向かった。
サイドテーブルには、竜琴が置かれていた。
学園の音楽室にあるものと少し形が違う。左利き仕様の特注品だ。この琴を奏でていた少年がいつ戻ってきても弾けるよう、調律してあるようだ。
『岩屋の庵で、殿下が竜琴を、上王と大上王がピアノを嗜まれる夕べは、なんとも雅なひとときでありました』
スゥの言葉が、脳裏に蘇る。
ピアノの奥は断崖で、転生の泉が輝く球体をたたえていた。
どれほど距離があるのか、戦いの音は聞こえない。
遠い岩場の隙間から青い空が見えた。
「スゥ……」
ふわふわと宙を舞う球体を見つめていると、自然、祈るように手を組んでしまう。
マリアベルを守るために囮になったスゥ。
10年間、片鱗も見せなかったであろうオケアノスの意思を目の当たりにして、彼女は神堂と戦えるのだろうか。
オケアノスの意思が前面に出始めたのは、マリアベルが『贄』と『咎』を引き剥がすことができる『賓』だからだろうか。
しかし、マリアベルの逡巡は、耳障りな笑い声に阻まれた。
「こんなとこにいたのか! ありあ、みつけた。やっと、やっと……!」
招かれざる男が、光の球体を蹴散らすようにしてこちらに来る。
骨格だけの、禍々しい竜に乗って。
マリアベルは2、3歩後ずさると、きた道を引き返そうとした。
ドラゴンの背から飛び降りた神堂は、マリアベルの細い手首を難なくつかむと、広いピアノの上に柔らかな身体を押し倒した。
強く背中を打ち、マリアベルの呼吸が一瞬だけ止まる。
「くっ……!」
「オレだよ。穂成だよ。前世からの恋人だろ? オケアノスとマリアベルでもいーけど」
興奮して、恍惚として、目の焦点が合ってない。
「知りませんわ! あなたなど! スゥは?! スゥはどこですの?!」
精一杯身をよじるも、マリアベルの力ではとてもふり払えない。男はニヤニヤ笑いながら、抵抗する両手をねじり上げた。
「スゥなんかに妬いてんのか? バカだなあ、1番はお前に決まってるのに」
片方の手で両手首を押さえられ、もう片方の手に顎をクイと持ち上げられる。
マリアベルは、気丈な眼差しで神堂を睨み上げた。
「嫉妬? この私がそのような女心を捧げるのは、フレデリック・アレキサンドライト3世殿下、唯おひとりですわ」
「断罪が怖いからって、心まで奴隷になることないだろ? 解放してやるよ」
「やっ……だっ!」
マリアベルは必死で顔を背けた。
拐われた日から着たままの修道服は薄汚れ、メイクは完全に落ちている。
悪役令嬢らしい完璧な装いとは程遠い出で立ち。幼さの残る大きな目。涙に彩られたまつ毛。
「やめてっ! 離してっ……!」
マリアベルは知らない。
完璧に装った姿よりも、今の心許ない見目にこそ、この男が盛ることを。
嫌がって、怯えて、逃げようと、もがけばもがくほど、劣情を煽ることも。
神堂の口角が、欲望に歪み上がる。
「お前、たまんねえな。ほら、キスしてやるからこっち向け」
「絶対に、イヤ!!」
生理的な涙がこぼれ落ち、激しく首を振るマリアベル。
強引な男が迫ってきて、唇が重なりかけた。
その瞬間。
息がかかる近さにあった顔が、スッと引いた。
「案ずるな、未来の王太子妃よ。これ以上の不埒はさせぬ。余が抑える」
「え……?」
マリアベルは涙で曇った目で、自分を組み敷いている男を見上げた。
右半分は欲にまみれて歪み、左半分はどこまでも高貴で優美だ。サンドライトの王族さえも凌駕する気品に溢れている。
マリアベルに不埒を働こうとする右手を、左手が強く押さえていた。
「オケアノス……皇子?」
「左様。余はオケアノスなり。貴国にはこの者の暴走で迷惑をかけた」
「ありあ、こんな奴の話なんか聞くな! こいつは偽物だ!オレが本物なんだよ!」
声帯がどうなっているのか、ふたつの魂はひとつの体で別々に喋っている。
マリアベルはオケアノスの左側にうなずいた。そして、抑える力が緩んだ左側から逃げようとする。
「なんで逆らうんだよ!」
振り上げられた右手。それを止める左手。そしてーーー。
「ニャアアアアーウ! ミャアーーーオ!!」
耳をつんざくような、猫のような嗎きが洞窟に響きわたった。
「マリアベル!! どこだ?! 返事をしてくれ!!」
そして、愛しくて、会いたかった人の声。
アメジスト色の瞳に、涙が浮かんだ。先ほどまでの恐怖と絶望のそれとは違う。
「フレッド……」
マリアベルはその名を口の中で呟いて、思いきり息を吸い込み、叫んだ。
「フレッド!! モザイクのタイルの床を探して! ピアノが2台あります!!」
マリアベルの叫びに呼応するように、広い洞窟の彼方から純白の幼竜が現れた。
「ベル!!」
竜の背には、金髪の青年が跨っていた。
汚れた旅装束に、上王レイアリスから受け継いだダイヤモンドの錫杖を携えて。
幼竜がピアノの手前に着地すると、青年は錫杖を置いて前方に飛び出した。
「私のマリアベルから、離れろ!!!」
そして、マリアベルから引き剥がすように神堂の顎を掴むと、重力まかせに床に沈めた。
マリアベルの体が軽くなり、直後にガゴッとイヤな音がした。
マリアベルの目には、一連の救出劇が、スローモーションのように映っていた。
夢の中というか。現実味がないというか。
「フレッ……ド……」
ピアノの上で横たわったまま、右手を握りしめ、呆然と瞬きを繰り返すマリアベル。
反射的に立ち上がり、震える婚約者を抱き起こすフレデリック。
マリアベルは信じられないと言わんばかりのまなざしで、フレデリックは安堵のまなざしで、お互いを見つめあった。
「ベル……!」
「フレッド……来てくれた…」
知らぬ間に傷ついていた指が、フレデリックのこめかみの辺りをそっと撫でる。
フレデリックはその広い胸に恋人を閉じ込めながら、オケアノスから距離を取った。
「こんなに遅くなって、ごめん!」
「いえ……いいえ。……いいえ!」
フレデリックの胸に頬を寄せて、震えながら涙を流すマリアベル。フレデリックは、ほつれた銀の巻き毛を優しく撫でると、優しく肩を抱いた。
「ベル。顔を見せて。怪我は?」
「わ、わ、私は大丈夫です。エイミさんは……」
「無事だよ。アーチと伯母上に預けてきた」
「……よかった!」
濡れた目尻をキスで拭うと、フレデリックはチラッと神堂を流し見た。
後頭部から全力で落としてやったのに、もう意識が復活したらしい。
「テメェ……! よくもオレのありあを、洗脳しやがったな!」
発言がおかしいのは仕様として、きっちり三半規管をやられたのだろう。動きに精彩を欠き、フラフラしている。
「この世界は、オレとありあのもんだ。オレのありあを返せ! ありあは、お前なんかのものじゃない!」
「世界は民のものですし、私はフレデリック殿下のものですわ!」
自分が犯そうとした時は全力で嫌がってた女が、フレデリックに安心して身を任せている。
全身で神堂を否定している。
その姿を目の前で見てさえ、現実が受け入れられないとは。
フレデリックは「なるほど」と、合点した。
聞いてはいたが、この男には、統合性や客観性といった概念がない。全くない。それを求めるのは、雲ひとつない夏空に、降雪を願うようなものだろう。
マリアベルや瑛美や二ノ宮は、アレに対抗するには常識的すぎたのではないか。常識人は、常識が育たない畑にも常識の種をまこうとする。おそらくは、彼らの良心に従って。
残念ながら、それは徒労だと思う。咲くのは、非常識の花ばかりだから。
だからフレデリックは、非常識の畑には常識やぶりの除草剤を撒くべきだと思っている。
「わかってないなあ。強いて言えば、ありあはマリアベルのものだよ? 神堂クン?」
フレデリックは満面の笑みを浮かべた。
マリアベルを背後に押しやり、その身を守りながらピアノの蓋を開く。
「はあ?!」
神堂の頬が、苛立ちに引きつった。
愛しげにピアノに触れる手つき。それは、神堂にとっては懐かしく、観察し慣れた仕草だった。




