老いた守り人は、次世代の統治者たちにエールを送る
未遂とはいえ、アンデッド・ドラゴンによる無差別攻撃を受けた王都は、いつになく混乱している。
臨時議会がひっきりなしに開かれ、雅やかな行事は全て中止となった。
帝国に併合された隣国と接する北部と、もとより帝国領に隣接している西部は厳戒態勢に入った。
「殿下、すまねえ!」
国境付近の住人たちへの疎開策を詰めていた会議室に、竜麟の鎧を着た男が飛び込んできた。
しかも、窓から。
開け放たれた窓から難なく絨毯に着地した男は、玉座に座る国王陛下には見向きもせず、その傍に控える王太子に駆け寄った。
「ヨアン?」
行政の執行者たちの視線が、吸い寄せられるように腐臭のする何かを包んだマントと、ダイヤモンドの錫杖を抱く騎士に集まる。
「おやっさんたち(鉱山とホワイト商会の従業員)を、疎開させてる隙にやられた! すまん。あんたの爺さんが……暗殺された」
治外法権のドラゴンライダーが、未来の国王たるフレデリックの前にひざまずき、許しを請う姿に、王侯貴族たちがざわめく。
赤黒く染まったマントに包まれているものは何ぞ。
しかし、異臭など歯牙にもかけず、フレデリックはそれとダイヤモンドの錫杖を、共に大切に胸に抱いた。
この錫杖は、たしかに祖父レイアリス上王が、杖を分解して組み立てたものだ。
「おもてを上げられよ。気高きドラゴンライダーよ。あなたの保護なしに動けば、巨万の富を産むダイヤモンド鉱山と商会の関係者たちは、とっくに捕虜となったか殺されていただろう」
フレデリックの表情と声は、非常事態でも凪いでいる。
「この首、侵略者を迎え撃つ我が国の、最大の大義となろうぞ。父上、海軍、辺境軍に迎撃戦の命令を」
父に体を向け、最敬礼とともに、マントの中身を暴いた。
腐敗しかけた生首のにおいが、窓を開け放っていても充満してゆく。多くの者が顔を背け、怒り、または嗚咽を堪えた。
サーガフォルス国王は眉ひとつ動かさず、だが、慈愛と憂いに満ちたまなざしで、変わり果てた父を見下ろした。
「ヨアン・カーマイン殿に感謝を。誇り高きレイアリス上王陛下に黙祷を」
着席していた貴族たちが一斉にたちあがり、頭を下げた。
「サンドライト全土は、これより迎撃体制に入る。北部峡湾地方、および西部辺境地方が主戦場となろう。軍港都市に陣を張るファルカノスを元帥とし、メルセデス公爵、アリスト辺境侯をそれぞれ大将軍に任命する。シュナウザー公爵領は北部、マンチカン公爵領は西部への支援、疎開者、難民の受け入れを急務とせよ」
「は!」
「軍部は兵卒に至るまで、喪章を腕に迎撃せよ」
威風堂々とした口調から、一転して慈愛に満ちた祈祷を思わせる命令に、国の重鎮たちは声をつまらせた。
「く……! じ、上王陛下」
「なんたる屈辱……!」
サーガフォルスの従者が、物言わぬ生首を恭しく受け取った。どのような死を迎えたのか、不思議と穏やかな表情であった。
会議は解散となり、重鎮たちはそれぞれの役割に散ってゆく。閑散となりつつある豪華な会議室には、誰がそう仕向けたわけでなく、フレデリックとヨアンが残された。
「ヨアン。ありがとう」
「何がだよ」
「特定の国家に与しないあなたが、サンドライトの為に」
「……オレの判断ミスだ。縄にくくってでも、爺さんも疎開させるべきだった」
立ち上がると、ヨアンはもう一度「すまなかった」と頭を下げた。柔らかな秋風がふいて、今度は白いモフモフがフレデリックめがけて突っ込んできた。
「スノーローズ?!」
2週間ぶりの再会に、ドラゴンの幼生はフレデリックにまとわりついて、頬をぺろぺろ舐めてきた。
「こらこら。相変わらず、懐っこいね」
フレデリックが目を細めると、ヨアンもガッシリした手で幼いドラゴンの頭を撫でた。ドラゴンは喉をゴロゴロしながら、パタパタと尻尾を振っている。猫か犬かドラゴンか、いまいち生態がはっきりしない生き物だ。
「今朝、こいつが爺さんの錫杖を咥えてオレらのとこに来たんだ。戻って様子を見に行ったら案の定……。こいつが教えてくれなかったら、しばらく野ざらしだっただろうな……」
サファイアブルーの瞳が、ハッと見開かれた。
どことなく甘く、フワフワとした毛並みに顔を埋めると、肩についた飾りが自然に震えた。
「祖父は……自ら囮になったのかもしれません」
だが、次に顔を上げた時には、凛として微笑んでいた。握りしめた錫杖の先端を見上げ、シャランと飾りを鳴らして。
(亡命皇子を守りたかったのはわかりますけど……その分、孫に無茶ぶりが過ぎますよ)
アルコールをこよなく愛する老人を脳裏に描きながら、フレデリックは誓った。
(僕が関わる以上、悪いようにはしない。だから、のんびり酒でも飲みながら見物してくださいよ。祖父上)
ーーーー遡ること3日前。
老人は、ダイヤモンドの錫杖を杖代わりにして、花が咲き終わった山瀬にいた。
7本の十字架の前に立ち、秋風にふかれていた。
錫杖の鈴がしゃらしゃら鳴った。
夏に白い花の咲くこの山瀬は、転生の泉を守り、生涯を終えた上王たちの墓である。
遠目にも、目の前で見ても、かつての為政者の墓にしては素朴な墓陵である。
サンドライト王国では、上王の葬儀がない。
王太子に王位を譲った上王は、流浪の旅に出る習わしだからだ。
実際にはこの地で地底泉を守っているのだが、旅する上王は、客死した地にて霊となり、国を守ると考えられている。
老人は1番新しい墓に、フレデリックに貰った酒をかけてやった。
フレデリックの曽祖父ーーーレイアリスの父親の大上王は、酒好きで不摂生なくせに、長命だった。100歳を過ぎてもレイアリスと泉の守りをしていたのだから。
死因は病でも老衰でもない。『咎』による殺人だった。
現王には呆れられたが、上王と大上王は、帝国の皇太子オケアノスを保護していた時期がある。
幼い皇子と斥候が、洞窟の前で倒れていたのは、マリアベルが『賓』となった少し後くらいだ。
介抱してみれば、大層見識の広い、賢い少年だった。この子が皇帝を継げば、帝国はさらに栄えるだろうと思われるほどに。
ただ、生まれてくるのが遅すぎた。
正皇后の第一皇子だから、本来なら皇太子や天子と呼ばれる身分である。だが、生を受けた日には、側妃腹の兄皇子たちはとうに成人し、正皇后以上の強権を得ていた。
兄皇子たちは、地平線まで広がる煌びやかな帝都と、その覇権に腐心していた。機を見て「覇気も才もない我が身は、極東の太守を望む」とでも密書をしたためれば、大層もったいつけて任命されるだろうとオケアノスは予想していた。
国境の太守となることで、遣帝女の廃止、サンドライト王国の自主独立の承認、建国以来の小競り合いを収束するとも誓った。
亡命を助ける見返りとして、オケアノス自らこれを提案してきたのだから聡い。
帝位の継承権を返上し、兄皇子たちに媚びへつらう人生など、本意ではなかっただろう。
だが、オケアノスは宙を駆るドラゴンの勇姿や、沿岸に群れるシーサーペントの群青の鱗に魅せられてもいたようでもあった。
しかし、咎人来たりて、希望は潰えた。
『賓』も『咎』も、出現は似ている。
泉の中央に現れ、夢枕に呼ばれ、夢の中で魂が融合する。
『賓』は夢に呼ばれ、『咎』は夢を呼ぶ。
『咎』は迷うことなく、亡命皇子オケアノスを指名した。
『咎』とは、強い怨念を持って、この世界に災いをもたらす生霊だ。来宮瑛美の言う通り、びっくりするくらい話が通じなかった。
その上、『咎』は、『贄』に、尋常ではない力を与える。
無力さに打ちひしがれていた幼い皇子は、わけなく取り込まれてしまった。
皇子は、『咎』を引き剥がそうとした老人たちを切り捨て、控えていた暗部たちを倒し、洞窟を去った。斥候の娘も、迷わず皇子に従った。
一命をとりとめたレイアリスは、傷を見て峰打ちだったと悟った。殺された老父も、重傷を負った暗部たちも。
あの瞬間は、まだ、完全には乗っ取られていなかったのだろうか。それとも、『咎』の支配に抵抗した結果が、峰打ちだったのだろうか。
「どうして、マリアベルと来宮瑛美の前では言わなかったんです?」と、呆れた孫の苦笑いが、まぶたの裏に蘇る。
『咎』の追放は瑛美やマリアベルの課題だが、『咎』から解放されたオケアノスの処遇となると、また別の問題だ。
大上王を殺害しているのだから、極刑は免れまいが……。
とまあ、ここまで聞かせれば、フレデリックは憐れな皇子を見捨てまい。
「ついうっかり、弱者を保護するクセがある」と、国王が嘆き、王弟が褒めていたから。
良い子に育ったと思う。
「サンドライトの民は私のものだから、全員が幸せになる権利がある」と、本気で信じていそうな青さが良い。
それを実現しようと、人をアゴで使いつつ、自らも動く行動力が良い。
後宮を廃止しておいて、「恋愛の優先度は高くない」と言い張る、説得力のなさがすごく良い。
確かに、比類なき武君にして賢君のサーガフォルス王に比べたら、凡才かもしれない。
ドラゴンライダーのファルカノスはもちろん、スペアのアーチラインにも剣や統率力で劣るのだから。
だが、フレデリックには、強き猛者は力を、智に頼る者は知恵を、癒しを持つ者は安らぎを、弱き者は尊敬を、惜しみなく捧げられる才があり、それを受ける大器を育ててもいる。
今はまだ未熟だが、もがきながら、協力者たちに育てられながら、弱きを守護しながら、やがては良き王となるだろう。
愛孫が世に存る限り、この老いぼれは何ひとつ心配ない。
たとえ、今、この命が潰えたとしてもーーー。
強い風に、老体が煽られ、野草の絨毯に倒された。
王たちの墓を蹴散らしながら、アンデッド・ドラゴンが降りてきた。
「よお。久しぶりだな。死に損ない」
骨の隙間から向こう側の景色が見える生きる屍には、黒髪の戦士が乗っていた。
「シンドウ ホナリか」
這いつくばり、錫杖を握りしめたまま、懐かしい顔を見上げる。幼くも理知的だったオケアノス皇子を取り込んだ咎人。
真紅の目には今、爛々とした狂気だけが宿っている。
「元の世界に帰りたくなったかの?」
「だれが! このバグ野郎が。オレ様の作った世界と、ゲームシステムを狂わせやがって。バグは消されるのが定石だ」
男はアンデッド・ドラゴンから飛び降りた。
横たわる老人に黒い刀身の切っ先を向けるも、思いの外強い力で錫杖に払われた。
「ほっ! ワシの存在を10年も忘れておった男が、世界の創造主とはの! 笑わせるわ!」
「ジジイ……!」
真紅の瞳がつり上がる。
『贄』に取り憑くまでの神堂は、プライドばかりが高く、怒りの沸点が低い男だった。オケアノスに憑依してから幾分気が長くなった理由は、推して知るべしだ。
老人は、見透かしたように目を細めた。
「オケアノスよ。今までよう耐えてきたの。もう少しの辛抱だ。ワシは力及ばずだったが、孫が必ずそなたを救う。聡い皇子よ。しばし耐えよ」
老人が誰に語りかけているか、気づいた瞬間から怒りに火がついた。皇太子の剣は錫杖をなぎ払い、老人の胸に深々と突き刺さった。
「生き……ぐふっ!」
「死ね! クソジジイ! オケアノスはオレ様だ!」
心の臓を串刺しにされ、老人はこと切れた。
だが、以前殺しそびれただけに、実感が持てない。
老人の首を胴体から切り離してはじめて、偽りの皇太子は安堵した。
もはや、「殺人を罪とする日本人」の常識を、神堂穂成は捨て去って久しい。
では、この身は何者なのか。
この10年間、オケアノスは老人を峰打ちにしたことを、神堂に悟らせなかった。
それは、この男が生きていることが、10歳のオケアノス皇子にとっては望ましく、20歳の皇太子オケアノスにとっては望ましくないということだ。
そう思い至れば、バグなんか退治一択である。
(クソガキが。忌々しい)
その時、どんな時も迷わず自分についてきたスゥが、まぶたの裏に浮かんだ。
何をしても逆らわない、どんな命令にも従う、忠実な女。自分こそが、この世界の創造主だと気づかせた、攻略対象者が。
「なんか……殴りてえな」
気がついたら、口に出していた。そういうプレイもありだが、何故だか本気で殴りたくなった。
理由は、わからない。
オケアノスはもはや、わからないことを深く考察する人間ではなくなっていた。
それは、自我の消えかけている少年による、なけなしの抵抗であった。忠義に厚い斥候の、せめて命だけは守りたい少年のーーー。
オケアノスは転がっていた錫杖を拾い、騎乗してきたアンデッド・ドラゴンに命じた。
「そこの洞窟を薙ぎ払え。来た道を塞げば、あのクソみたいな世界と縁が切れるだろ」
ドラゴンが吐いた瘴気砲が、地底泉を擁する洞窟を破壊した。




