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12後編「……楽しかったわ」



「でえとっ、でえとっ、でっ、えっ、とーっ」

 フォルノは無闇に機嫌がよかった。練習の行き詰まりなんて本当はただの理由付けで、アタシはそれに上手く乗せられてしまったような気がして釈然としない。

「……あくまでこれはユキの休暇よ。アタシはその荷物持ちに付き合うだけ」

「同じことです。ミコトさんと一緒にお出かけできるんですから。ね、ユキ」

「キューゥーッ!」

 無駄にポジティブなのは、この女神の厄介なところだ。

「ほらミコトさん! デートなんですからもっとくっつきましょう!」

「腕絡めないでよ暑苦しい……ユキも!」

「ほら、おっぱい当ててるんですよ? ドキドキしません? しますよね?」

「殺意が湧くわ」

 そんなこんなでアタシがまず連れて行かれたのは、商店街のような通りだった。食材から装飾品、本に至るまでごった煮の集まり。ちょっとしたお祭みたいだった。

「で、なんか欲しいものでもあるの?」

「そう仰ると思ってました。ミコトさん、一個に集中すると他のことには全然興味示しませんからね。行きたいところはありますかーって訊いても『別に』って答えるでしょう? それは熱々の夫婦愛すら零下に冷やすデンジャラス・ワード! ですからここは、私が行きたい場所、私がやりたいことに付き合っていただく形を取ることにしました!」

「ふうん?」

「それで、ユキが興味を示したものがあればそれも触らせてあげようという、誰も不幸にならない企画なのです! まさにWin‐Win‐Winの三角関係!」

「キュ、キュウーーーーッ!」

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう。私は意外とデキる女神なのです。主役に惚れてヨイショするだけの無能な乳だけヒロインとはもう呼ばせませんっ!」

「誰も言ってないでしょそんなこと」

 確かにアタシとしても、その方が気が楽だ。フォルノの言う通り別に興味ないし。後ろからついてくだけでいいなら、助かることこの上ない。

「では早速ですが、ユキ? 気になるものとかありますか?」

「キュ……」

 アタシとフォルノの境目にいたユキは、アタシの頭の上に移動する。首輪の効果で質量そのものが変化しているのか、ハムスターでも乗せてるかのように、ほとんど重さを感じない。

 ユキの様子は見えないけど、どうやらじっくり目を凝らし、周囲を見回しているようだった。

「キュウッ! ……キュ、キュキュ!? キューウ! …………キュウゥゥ」

「ずいぶん騒いでるみたいだけど」

「あっちもこっちも気になるみたいですね。でもどこに行けばいいのか悩んでいる、みたいな」

「ユキが行きたいなら、全部行けばいいじゃない」

「キュッ!? キューウーゥ!」

 パタパタと羽ばたいて、ユキは頬ずりしてくる。時間はたくさんあるんだし、アタシとしては至極当然のことを言ったつもりなんだけど。ま、喜んでくれるなら悪い気はしないわね。

「ミ、ミコトさん! 私も、ミコトさんと一緒に行きたいところがあるのですがっ!」

「独りで行けば?」

「ほらやっぱりそういうこと言いますーっ! あんまりヒロインに対して愛のない態度ばかり取ってると、『コイツ色々してもらってる立場で調子乗ってる』とか、『こんなのに惚れたばっかりに縛られてるヒロインが可哀想』とかネットで書かれて、ミコトさん自身の株が下がるんですからね! あんまり度が過ぎると『〇コト死ね』とか、不名誉な流行語となって後世まで語り継がれちゃうんですからね! 世間は厳しいんです! ここネットありませんけど!」

「じゃあ訊くけど、行きたいとこってどこよ」

「産婦人科です」

「アンタの自業自得じゃない」

 ていうか必要な過程すっ飛ばしてるし。そもそも無理だし。

「キュウ……」

「大丈夫よユキ。フォルノを置いていったりしないから、好きにしなさい」

「キューウ! キュ、キュウゥ!」

 早く早くと急かすユキ。その表情は子供らしく輝いていて、思えば、こんな顔を見るのはひどく久々な気がする。

 正直に言えば、練習のことがまだ気がかりではあったけど……今日だけは自由に遊ばせることに決めた。もう諦めた。

 ユキはぐるりと辺りを見回すと、なにかに気づいたように動きを止めた。

「キュ、キュ……」

 鼻先がぴくぴく動く。アタシには感じられないけど、なにかの匂いを嗅ぎつけたらしかった。

 そして、

「キューウ!」

「「あっ!?」」

 ユキは突然飛び出していき、アタシとフォルノの声がハモった。デフォルメされた身体は人という木々の間を抜けていき、文字通りあっという間に見えなくなる。

「待ちなさいユキ! 一人で行かないで!」

 叫んだ時には既に遅かったのか、興奮したユキの耳に届かなかったのか。どっちにしても、ユキは引き返してこなかった。

 焦りが一気に噴き出す。初手からデートどころじゃなくなった。

「追うわよフォルノ!」

「手分けして探しましょう! 私は回り込みますから、ミコトさんはユキの行った方を!」

 言い、別方向から行こうとするフォルノ。アタシはその手を強く掴んで無理やり引き戻す。

「バカ! アンタまではぐれたらどうするつもりよ!」

「え? いえ、私は平気です。最悪一人でも帰れますし……」

「いいから一緒に来なさい! 手を離すんじゃないわよ!」

「ぁ……は、はぃ……」

 フォルノの意外に小さな手を、力の限り握る。振り返り際に見えたフォルノの顔は赤く、呆けているようだった。繋いだ手からはやけに熱が伝わってくる。

 アタシは人々をかき分け、できた隙間にすばやく身を滑り込ませていった。一刻も早くユキを見つけないと。そんな焦りに反して、まるで嘲笑うかのように進みは遅い。

 固く繋いだ手の先から、その原因が聞こえる。

「あっ、すみませ、あいたっ……あぅっ……」

「フォルノ! アンタ引っかかりすぎよ! もうちょっとスムーズに抜けらんないわけ!?」

「す、すみません! ですがミコトさんが作る隙間では私には狭すぎるんですよぅ! おっぱいが、おっぱいがどうしても当たるんですー!」

「後で覚えてなさいよクソが!」

「うわーん! せっかくロマンスな空気でしたのにー!」

 喚くフォルノは無視。今はとにかくユキが優先よ。

 ふと、アタシの耳が遠くの声を捉えた。

「――――」

 それはいつかを思い起こさせる、鳴き声であり、泣き声。それがどこから発されているのか、誰を呼んでいるのか。今度はアタシにもハッキリわかる。

「見つけた! こっちよフォルノ!」

「え? え? どういうことですかミコトさん!? エスパーにでも目覚められたんですか!?」

「はぁ? ユキを助けた時と同じよ! あの子が泣いて助けを呼んでるの、聞こえるでしょ!」

「……聞こえませんよ!? 本当に聞こえてます!? 空耳じゃないんですか!?」

「アタシには聞こえてる! いいから来なさい!」

 まだなにか言いたげなフォルノを無視して引っ張り、アタシはユキの声へと駆ける。ただまっすぐに。

 そして、

「ユキ!」

 無事再会。ユキは困り顔の人々に囲まれ、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら泣いていた。周りの人はユキを心配してくれていたようだけど、飼い主が駆けつけたことにホッとした様子を見せ、それぞれの日常に帰っていく。

 けどアタシの到着に一番安堵したのは当然、迷子本人。

「キュウ……! キューウー!」

 姿を見るや否や、アタシの胸に突撃。大声で泣き喚く彼女を、アタシはそっと抱き留めた。見たところ、ケガは認められない。

 よかった……無事でいてくれて。

 しかし、安心でいっぱいの胸に反して、吐き出されたのは強い叱責。ユキを腕の中に収めたまま、叫ぶ。

「どうして一人で勝手に行ったのよ!」

「キュ!? キュウゥ……」

「アンタはまだ子供なんだから、アタシの側を離れたら危ないじゃない! 今回は見つけられたからよかったけど、見つけられなかったらどうするつもりよ!」

「……キュウ」

「迷子になってもアタシを探しに来れるんならいいわよ! 家に帰ってこれるならいいわよ! でも違うじゃない! その場にへたりこんで泣くだけじゃどうにもならないのは、アンタもわかってるでしょ!?」

「まあまあミコトさん、その辺にしてあげてください。ユキも反省してるようですし……それに」

 熱くなり、矢継ぎ早にまくし立てるアタシに、フォルノが控えめに口を挟む。

「ユキが苦しそうです」

「え?」

 言われてユキの方を見ると、どうやらアタシは無意識の内に力いっぱい抱きしめていたらしく、彼女は息苦しさに目を回しかけていた。慌てて腕の力だけはゆるめる。

「キュウ~……」

「……とにかく次から気をつけなさい。わかったわね?」

「キュウッ!」

「まったく……安心したらお腹減ってきたわ」

「でしたらおあつらえ向きですよ」

 フォルノが指すのは目の前の建物。アタシ達が住む『憩いの空』の、静かで落ち着いた(客が来ないだけとも言う)雰囲気とは違う、賑わいのある大衆食堂的な料理屋。

「お肉とスパイスのエネルギッシュな香りですね。ユキが吸い寄せられるのも無理ありません」

「キュウッ、キュウッ!」

「じゃあまずは腹ごしらえね」

 元は予定になかった、ユキ、そしてフォルノとのデート。その波乱の始まりは、結局今日も忙しいのだろうと覚悟させるには、十分すぎるほど十分だった。



 ……結局。

 それからのデートは、アイスに顔ごと突っ込んだユキを救出したり、フォルノの着せ替え人形にされたり、いつもとは逆にアタシがユキを乗せて人のいない道を全力疾走したり……予想した通り、デートと呼ぶにはアクティブすぎるくらい動き回る日だった。もしかしたら、練習に費やす普段よりも動いたかもしれない。

 でもそれも仕方ない。ユキが全力で楽しんでたんだもの。目を離さない意味でも、付き合わないわけにはいかないわよ。

 黄昏の帰り道。遊び疲れて眠るユキを抱き、フォルノと歩く。

「ミコトさんっ」

「なに?」

「今日、楽しかったですか?」

 別に……そう答えるのは簡単だったし、すんなり肯定してフォルノを調子に乗らせるのも面倒だ。

 けど、今日一日の余韻が、じんわりとした熱となって身体に残っていた。その不快じゃない熱が、アタシからひねくれた感想を奪い去る。

「……楽しかったわ。なんでかしらね。前は他人のことがあれだけ煩わしかったのに、アンタ達といるのは不思議と苦じゃないわ」

「それはよかったです。きっとユキも楽しかったはずですよ。ミコトさんと遊べて。ミコトさんが楽しんでくれて」

「そう、ね……」

 今日一日を全力で楽しんでいたユキは今、鼻ちょうちんなど作っている。きっとこのまま、朝まで目を覚ますことはないだろう。

「くー……くー……」

「…………」

 その安心しきった寝顔を見ていると、嬉しさが消えていく。熱が急速に冷え、目が覚めていく。

 アタシは今日、確かに楽しかった。それは素直に認める。でもそれは、これまでの自分や、ユキに対する裏切りじゃないの?

 過程がどうであれ、アタシは今日を休みにすることを選んでしまった。練習をサボって遊びに出ることをよしとした。

 もし……もし、この一日のせいで、本番に間に合わなくなったら? あと一日あれば……そんな後悔に繋がってしまったら? そう考えると、不安でたまらなくなる。

 楽観的な幻想は消え、後に残る冷たい現実が、罪悪感となってアタシの胸を深く突き刺した。

「…………」

 明日以降の練習で、今日を取り返さないと。言い方を変えるなら、練習のことを忘れてちゃんとリフレッシュできたのだから、予選に向けてもっと頑張るのよ。

 まず、アタシが防御魔法の練習をしないと。どういう原理なのかもまだわかってないし。昼間はユキの恐怖心克服に時間を割くから、夜に時間を取るしかないわね。スケジュールがハードになるけど、基礎体力はある方だから大丈夫でしょ。

 ユキにも練習中は厳しくしないといけないわね。リラックスしすぎて、本番で気がゆるむ事態だけは避けなきゃいけない。これからしっかり緊張感を高めていかないと。

 歩きながらあれこれ考えるアタシは、まるで気づいていなかった。

「ミコトさん……」

 フォルノがひどく不安そうな顔でアタシの横顔を見ていることに。



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