現代に戻ったら歴史の教科書が…!
平成30年、社会科の授業。
今年は明治維新から150年目の節目ということもあり、幕末から明治維新にかけての話題で盛り上がっているさなか、事件は起きた。
「おい、ちょっと来てみろ。歴史の教科書が変なことになっているぞ。」
日本史担当の教師が生徒たちを呼んだ。
この教師は、松平時男がこちらの時代にいた時のクラスの担任教師でもあった。
「何だ?何だ?」
みんなこぞって集まってきた。
「実は、江戸無血開城の後、戊辰戦争はそれで終わったと書かれてあるんだよ。」
耳を疑うようなことを言った。教師自身がその目を疑うようなことが、その教科書には書かれてあった。
「なんだこりゃ?なんだこの教科書は、不良品か?ふざけて内容を書いてるのか?」
教師は、この教科書とは別の教科書や、さらには歴史資料などを手当たり次第に取り寄せ、調べてみた。
すると、松平時男が幕末でしでかしたことによって、教科書の内容も、歴史書の内容も変わっていた。
「なんだこりゃ?会津も長岡も函館も、一人の犠牲者も出さないで和睦が結ばれ、戦は終結したってか?
じゃあ会津の戦いも長岡の戦いも、五稜郭の戦いも起こらなかったってことかよ。」
さらには生徒たちも驚いた様子で発言する。
「禁門の変で戦車が使われたってのもあるぞ。
それに、長州征伐の時には幕府軍がペットボトルを使用していたって。」
ある男子生徒はこう言った。
別の女子生徒が発言した。
「白虎隊は飯盛山で切腹に追いやられた悲劇の隊士たちって習ったんだけど、
そもそも会津戦争自体が行われなかったってことは、白虎隊として参戦すらしなかったってことじゃない。
あれ?そうなると、その白虎隊として参戦するはずだったのに戦わなかった、その隊士たちはその後の人生を生きたってことだよね。」
さらに調べてみると、飯盛山で切腹するはずが切腹をしなかった隊士の一人が、
なんと会津若松が本社の、日本を代表する老舗大企業の創設者として、名前を残しているという。
さらに白虎隊になるはずが、松平時男の歴史改変で白虎隊にならなかったという隊士たちは、皆それぞれ、各業界に名を残すような人物に成り上がったのだった。
それを考えると、会津戦争で多くの犠牲を払い、飯盛山に追い詰められて切腹する羽目になってしまったことで、
いったいどれほどの素質のある会津の若者らが、命を散らしたことかと、あらためて思った。
白虎隊の隊士として、飯盛山で命を散らすはずだった若き隊士たちは、
松平時男の歴史改変によってその命を救われ、
史実でも一人生き残った飯沼貞吉を含め、白虎隊として戦に駆り出されることすらなく、
その後の人生を送り、そしてそれぞれの業界で成り上がった。
ある者は大学の学長となり、またある者は大学病院の院長にまで登り詰め、またある者は芸術の分野で花を咲かせる。
さらには、史実では長岡戦争で戦死することになっていた河井継之助はその後、新潟県知事となり、『米百俵』の逸話で知られる小林虎三郎らと協力して、新潟県の発展に貢献したという。
土方歳三、近藤勇、超党派連合政府の参与に就任する。
五稜郭で戦うはずだった土方歳三は、近藤勇らとともに新政府『超党派連合政府』の参与に就任し、山縣有朋らを押しのけて、主に政治、軍事の分野で活躍する。
榎本武揚はというと、わずか数ヶ月で、不平等条約と呼ばれた各国との修好通商条約の治外法権を撤廃し、これにより日本で犯罪を犯した外人たちを、ことごとく捕縛し、即日死罪に処せられた外人たちも数知れず。
さらに関税自主権も確保し、事実上この不平等条約をわずか数ヶ月で破棄することに見事に成功した。
本来、不平等条約改正のために尽力するはずだった陸奥宗光や小村寿太郎は、これとはまた別の形で多大な功績を残すこととなり、そちらの方にて評価される。
松平時男の歴史改変の影響は、ここまで及んでいた。
「ちょっと待ってよ、この歴史改変、これ全部、松平時男君が一人でここまでやったことなの?」
女子生徒たちもようやくそのことを悟った。
「ねえ、この写真さあ、明治の初めくらいの駿府の写真らしいんだけどさあ、ここに写ってるのって、ひょっとして松平時男君じゃない?」
しかし、それよりも何よりも、教師と生徒たちが最も驚いたのが、
バイク事故で死んだはずの同級生、松平時男が、
幕末、明治維新の時代に転生して、駿府でソフトクリームの店を始め、
さらにはわさびソフトクリームまで売り出して、それが大好評になっていたということを知った時だ。
「あれ?おい、この写真に写っているの、もしかしてうちのクラスにいた松平時男じゃねえか?」
「ほんとだ!えー!まさか明治初期の写真に本当に写っているなんて!
しかも何!?ソフトクリーム屋!?
さらには、わさびソフトクリームまで、この時代に売り出して、それがバカうけしてるって!?」




