第24話 魔王を倒したあとの仕事
「魔王を倒した人は、どこへ帰るの」
ヴェラが聞いた。
卓の上には、歴代の討伐の日付を並べた紙があった。
帰った町、与えられた土地、受け取った褒賞。
そのどれでもない欄が、必ず一つ残っていた。
受入。
エイルは、その文字から目を離せなかった。
四月一日、フィエナの資格停止への申立てを出した。
何人を搬送し、何を命じられ、どこで拒んだか。
監督役の報告と、患者を受け取った側の人数は同じだった。違っていたのは、最後の便を誰が決めるべきだったかという所だった。
オルセナは、撤退命令の根拠になった規定を取り寄せた。
そこには、古い結界庁の手順書が引かれていた。
現在の教会の内規ではなく、ずっと前の、都市の守り方の規則だった。
「ここを、どの区画へ適用したのかを聞きます」
オルセナが言った。
フィエナが、取り戻したい札のために読む紙が、別の棚の鍵になった。
旧結界庁は、王都の東寄りにあった。
建物の正面には、もう役所の名がなかった。石の上に、剥がした文字の跡だけ残っている。
保管の仕事は続いていて、今はほかの部署から来る人へ資料を出す場所だという。
エイルは、地下へ下りる階段の前で止まった。
乾いた石の匂いがした。
ゴルヴァンが、横を通り過ぎずに待った。
「先、見るか」
エイルは首を振った。
自分の足で下りた。
ここは、祝勝堂ではない。
階段の下には、窓のない閲覧室と、格子で仕切った保管室があった。
机へ持って来られたのは、指定した束だけだった。
ほかの棚を勝手に見に行くことは出来ない。
オルセナが参照番号を読み、係が奥へ取りに行く。
戻るまで、エイルたちは、引用された一行を何度も見た。
大きい防衛線を保つため、区画の力を切り替える。
その手順には、患者を残せとは書いていなかった。
しかし、人を移す時刻と、結界を切る時刻が別々に記されていた。
その間を、今の規定では、監督者の判断という短い言葉で繋いでいた。
フィエナは、そこを自分の紙へ写した。
ヴェラが見つけたのは、同じ束の末尾の図だった。
都市の外周を一巡する線。その途中へ、いくつもの小さい輪が繋がっている。
エイルが扱う戸口の図より、はるかに大きい。
力を受ける所と、渡す所が、別の印で描かれていた。
「これ、一人で維持する術じゃない」
ヴェラは指を動かした。
「町の側は、いくつもある。なのに、最初に入れる場所だけ、一つになってる」
図の端は、黒く塗られていた。
担当する部署を示す欄が、見えなかった。
オルセナが、何のための図かを係へ聞いた。
結界の更新に使う、古い概図だという返事だった。
次の束は、その日に出なかった。
封印した棚から動かすには、担当者の許可が要る。
オルセナは請求の番号を残し、四人は帰った。
外へ出ると、陽が眩しかった。
フィエナは、今日写した規定で、自分の申立てを補えるか聞いた。
オルセナは、患者を残す必然性があったかは、これから争えると答えた。
すぐ札が戻るとは言わなかった。
エイルは、図の黒い端を考えていた。
あそこへ繋がる人は、誰なのだろう。
九日後、更新の記録の一部が出た。
途中で失われた頁もある古い帳面だった。
討伐を終えた日。王都への帰還。その後の準備日数。受入。接続。
祝いの費用も、兵の帰還も、別の帳面に分かれている。
オルセナは、日付だけを一枚へ並べた。
帰還から、受入まで、毎回短い。
十日ある年もあれば、四日しかない年もある。
「三日」
エイルは、声に出した。
自分の時は、三日だった。
誰に聞かれる前に、紙へ目を落とした。
オルセナは今、百年以上前の日付を読んでいた。
「受け入れるのは、何ですか」
エイルが聞いた。
係は、次の番号の記録に書かれているはずだと言った。
その題には、門主とあった。
オルセナが写しを求める。
係は紙を確かめ、閲覧できる箇所だけを開いた。
前の門主が持つ核を、次の受け手へ移す。
エイルは、その一行を、読めなかったことにしたかった。
剣で魔王を倒せば、終わる。
十年かけて、その最後まで行った。
その先に、次の人間を置く欄があった。
ヴェラは、同じ紙の下を指した。
受け手には、接続のための刻印を施す。
それがなければ、核の行先を定められない。
記された手順は、治療の図ではなかった。
エイルには、意味の分からない印が多かった。
ヴェラも、全てを読めるとは言わなかった。
「核が、勝手に誰へでも入る、とは書いてない。行先を、作るのね」
フィエナが、顔を上げた。
「人に、ですか」
「この図では」
ヴェラが答えた。
ゴルヴァンは、椅子の背へ置いていた手を離した。
誰も、すぐ続きを言わなかった。
帳面の横には、維持された都市の数も載っていた。
冬を越えた町。外周へ増設した居住区。
九人を移したあの熱病区画も、もっと後の地図では、その線の内側へ入っている。
嘘の守りではなかった。
そのことが、エイルには、むしろ苦しかった。
全く役に立たない仕掛けなら、壊せばよかった。
眠れると言った老人の靴が、頭を過ぎった。
では、受入の欄へ入る人間は、どう眠るのだろう。
開いてある帳面の中で、一番新しい門主の名は、マグナだった。
就任の欄に、受入を示す印がある。
後ろへ続く頁には、何年かごとの点検と、北方への移送が記されていた。
退任の欄は、空いていた。
「亡くなったなら、別の所へ書くんですか」
フィエナが聞いた。
係は、そこまでの記録はここにないと答えた。
オルセナが、移送先の記録番号だけを書き留めた。
エイルは、戦いで見た魔王の姿を思い出した。
人の名で呼ぶものではないと、思っていた。
まだ、その姿と、目の前の文字を繋ぐ根拠はなかった。
それでも、名前を書いた人の手は、普通の筆の線だった。
ヴェラが、受入の図を別の紙へ写した。
黒く隠れた所は、そのまま空ける。
繋がる線と、受ける輪と、外周へ向かう線。
「入口が決まっているなら、途中を分ける考え方はある。でも、人の中へ入ってから切る話にはしたくない」
彼女は、空いた部分へ筆を入れなかった。
「まだ、ここで何をしているかが、分からないから」
エイルは頷いた。
試験の鉄筒では、煙を止める順番を知らず、逆流させた。
この図で同じことをすれば、どこへ戻るのか。
町なのか、人なのか。
分からない所を、今なら出来ると思うには、あの失敗が近すぎた。
まず、受け手を作る工程を探す。
エイルは次に請求する題を、自分でも書いた。
ゴルヴァンにも読めるように、潰れた字を一つずつ書き直した。
オルセナは、その日に出た頁をまとめなかった。
原本の番号ごとに、見た日と範囲を残した。
「これで、今も同じことをしているとまでは、言えません」
エイルは顔を上げた。
「古い図だから?」
「廃止されたのか、今の別の手順へ移ったのか。確かめる物が要ります」
エイルは、自分の胸へ手を置いた。
熱かった記憶が、皮膚の下にあった。
今は、普通の鼓動がする。
今もあると、自分は知っている。
だが、言えば、どう知ったかを、また聞かれる。
二十日、帰りの階段で、ヴェラが立ち止まった。
「最初の図の黒い所。門主へ繋ぐ所なら、担当する人を隠したんじゃない。受け手を作る工程を、外したのかも」
エイルは、その背中を見た。
ヴェラが閉めたのは、地下室の扉だった。
今、開こうとしているのは、その扉へ自分が運ばれた理由だった。
「倒した後の仕事を、誰が決めるんでしょう」
エイルが言うと、ヴェラは振り返った。
「少なくとも、ここには、受ける人が選ぶ欄がない」
エイルは頷いた。
廊下の先で、係が、次に請求できる記録の題を呼んだ。
候補者の処置。
その言葉を聞いた時、胸の前へ置いた自分の手を、下ろせなくなった。




