第26話
「──ぷはっ!」
戦いを終えて緊張から解放されたジンは地面に尻もちをついて荒く息を吐く。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
ギリギリだった。表面上余裕を取り繕ってはいたが、張り詰めた神経は限界寸前。トゥール伯が勝負を焦らなければ勝利の天秤はどちらに傾いてもおかしくなかった。
「ふぅ…………行くか」
厳しい戦いではあったが、まだ終わりではない。自分の役割は敵の指揮官を倒すことではなく敵本隊を足止めすること。彼らがユースティアたちと接敵する前に食い止めなくてはならなかった。
ジンが疲弊した身体に喝を入れヨロヨロと立ち上がろうとする、と──
『ワォォォォン!!』
「!」
ブランカの警告の遠吠えが平原に響き渡り、一拍遅れて無数の足音が近づいてきた。
──ドドドドドド……ッ
「うぉ……」
そちらに視線を向けると、北に向かった筈のドルネシア軍本隊が引き返してきていた。
どうやらトゥール伯は部下たちには慕われていたらしい。あるいは指揮官なしで同数の敵とぶつかることを嫌がっただけかもしれないが、少なくとも必要とされる存在ではあったようだ。
「ぅ゛……っ」
「──お、生きてたか」
地面を揺らす足音に反応して、意識を失っていたトゥール伯の目が開く。
「な、ぜ……?」
「どうして殺さなかったのか、って意味なら偶々だ。手加減した訳でも情けをかけた訳でもない」
そう言って、ジンは鉈で切り裂かれたトゥール伯の胸甲に視線をやる。ジンの攻撃はトゥール伯の鎧を砕き、刃は肉に達して衝撃で肋骨を砕いたが、内臓までは届いていなかった。首は腕でガードされていたし、ジンが手心を加えたのではなくトゥール伯がしぶとかったというのが正解だろう。
『──ぁっ! 閣下ぁぁっ!!』
流石にブランカでもあの数を撹乱することは不可能だ。ドルネシア軍の姿が見る見るうちに大きくなる。
ただトゥール伯は生きてはいるが指揮が執れるような状態ではなく、ドルネシア軍本隊が引き返してきてくれたおかげでユースティアから頼まれた『時間稼ぎ』については既に達成したと言える。
──これなら後は適当にブランカと逃げ回ってりゃ目標達成だな。伯爵は……主の仇だ何だのと因縁つけられても面倒だし、このまま放置しときゃいいか。つーかこの後はどうなるんだ? あいつらがユースティアを追い回して返り討ちに合うか、不利と見て逃げ出すか──ああいや、街には家族とかにいるだろうし戻って抵抗することになるのか?
駆け寄ってくるブランカを待ちながら、ぼんやりとこの戦いの後始末について考える。それは本来ジンの役割ではないが、何となく。
──こいつが指揮を執れたらまだ対抗できたかもしれんが、この様じゃ無理だろうな。都市の防御力を加味しても、同数の兵力じゃあのマケドニア軍を防ぎきるのは不可能だ。上手く降伏なりできりゃいいけど、トップがこれじゃぁ泥沼になっちまうかもなぁ……
「ふむ……」
この戦いの結末がどうなろうとそれはジンの責任ではないが、それでも思うところはあった。
折角だから強者の論理を振りかざしてみよう、と。
「おい、伯爵様。あんた、生き恥を晒すつもりはあるか?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……思ったより手間取ったな」
各砦に分散していたドルネシア軍を一通り蹴散らして、ユースティアはやや疲れた表情で呻く。
「そうかぁ? 後半はほとんど戦いにならなかったから味方の被害は少ねぇ。順調だろ」
「その戦いにならなかった、というのが問題です」
首を傾げたギデオンに、ベアトリスがユースティアの懸念を補足する。
「戦力差を見て逃亡や降伏を選ぶ敵が多く、想定より対処に時間がかかりました。また味方の損害が少ないことは喜ばしいことですが、その分捕虜の管理などに人手がとられています」
敵とは言え降伏してきた者を殺すわけにはいかない。だが捕虜にするのも手間がかかる。今はそんな捕虜たちを占拠した砦の一つにまとめて放り込み、エルマが見張りをたてる段取りなどをしていた。
「味方が死ぬよかマシだろ。それに後は敵の本隊を叩くだけだ。最初にお嬢から話を聞いた時は何の冗談かと思ったが、あの坊主、上手くやったみてぇじゃねぇか。敵の本隊が追いついてきてねぇってことは、マジで足止めに成功したってこったろ?」
『…………』
興奮した様子のギデオンとは対照的に、ユースティアとベアトリスはやや険しい表情で顔を見合わせた。
「ん? 何かマズイのか?」
「……ジンの足止めが上手く行き過ぎたのかもしれん。私の想定では敵本隊がもう少し追いすがってくると思っていたのだが、最初に出撃を確認した後は全く姿が確認できておらん」
「それの何が問題なんだ? 背中を気にせず落ち着いて戦えたんだから良かったじゃねぇか」
「問題だらけだ。無傷の敵本隊が領都に戻って待ち構えているかもしれんのだぞ?」
指摘されて、ようやくギデオンは二人が何を心配しているのかを理解する。
敵本隊の数はアルメニア軍とほぼ同数。いや連戦や捕虜の管理のために離脱者が出た今では敵の方が兵力では上回っているだろう。もしこの敵が領都に籠って防衛に徹しているとしたら厄介だ。まだ弾薬には余剰があるが、切り札である飽和射撃は拠点に籠った相手には効果が薄い。
「こっちを見失って外をうろつき回ってるって可能性は……ねぇか。いつまでも領都を空にはできねぇ。見失った時点で領都に帰還してるだろうな」
「ああ。そうならないよう敵がこちらを見失わない程度に侵攻を遅らせてくれるのが理想だったのだが……ジンの奴め」
これがさもジンの失態であるかのように呟くユースティアに、ギデオンだけでなくベアトリスも呆れた表情だ。
「……無茶苦茶言ってんな、おい」
「姫様。流石にそれは……」
「分かっている。冗談だ」
そう言ってユースティアは両手を上げて苦笑するが、今の発言は半分本気だった。もし本当に敵本隊が領都に戻って待ち構えているとすれば、落とせないとは言わないが敵味方、戦闘員か否かを問わず相応の被害を覚悟しなくてはならない。出来ればそれは避けたかったというのがユースティアの本音だった。
「何にせよ、まず領都に行ってみて状況を確認するしかあるまい」
捕虜の対処を完了させたエルマがこちらに戻ってくるのを見て、ユースティアはそう呟いた。
『…………』
しかし領都に到着した彼女たちの目に飛び込んできたのは、ユースティアをして想像すらしていなかった光景だった。
「おい……こいつは一体どういう状況だ……?」
ほぼ無傷のドルネシア軍本隊が、領都の前に陣取っている。ここまではまだ予想の範疇。
予想外だったのはそのドルネシア軍の前に立つ人影──ジン、ともう一人の存在だった。手足を縛られ地面に跪いた金髪碧眼の身分の高そうな騎士、恐らくは彼が敵将トゥール伯なのだろうが……
目に移る光景をそのまま受け止めれば、ジンはトゥール伯の首元に鉈を突きつけ、彼を人質にとっているように見える。そしてドルネシア軍は既に戦意を喪失しており、抵抗したりトゥール伯を救い出そうとする様子もない。
「…………」
ユースティアは一人ジンに向かって歩きだす。ベアトリスが「姫様!」と制止するが、彼女の耳には全く届いていなかった。
「遅かったな」
「…………」
軽い声音で語り掛けてきたジンに、ユースティアは緊張と困惑の空気を漂わせた両軍をぐるりと見回し口を開く。
「状況を説明してくれるか? そこの御仁が恐らくトゥール伯なのだろうが、流石にこの光景は想像していなかった。一体何が起きているんだ?」
「見ての通りさ」
ジンは少しだけ勿体ぶるように肩を竦める。
「敵の親玉を捕まえて、俺がこの街を占拠した」
「ほう? それは大戦果だな」
「だろう? だからこの街は俺のモノだ。お前ら勝手に入るんじゃねぇぞ」
アッサリととんでもないことを宣言する。
『…………』
その言葉の意味を理解するのに、ユースティアたちは暫しの時間を必要とした。
最初に再起動を果たしたのはベアトリス。
「き……き、貴様ぁぁっ! な、何を訳の分からんことを──っ!?」
抜剣しジンに詰め寄ろうとする彼女を我に返ったユースティアが片手で制し、険しい表情でジンに話しかける。
「……一体どういうことだ? 私が貴様に命じたのはあくまでドルネシア軍本隊の足止めだった筈だが」
「だから要望通り足止めはしてやっただろう? やり方は何でもいいと言ったのはあんただ。占拠するなとも奪うなとも指示は受けてない」
詭弁ですらない意味不明な発言に、話を聞いていた人間が敵味方を問わず絶句する。
「……なるほど、確かに言ったな。だがトゥール領が貴様のモノというのは納得がいかん。貴様の戦果は主である私に帰属する筈だろう?」
「勝手なことぬかすな。俺は一度もあんたの部下になるなんて言った覚えはないぞ?」
「む……」
「俺とあんたの関係はあくまで対等。頼まれたことはやってやった。そっから先は俺の勝手だ。俺が手に入れた獲物をあんたにくれてやる義理はない」
「────」
あまりに堂々と言ってのけるジンにユースティアは目を丸くして言葉を失い、背後でエルマがポンと手を叩いた。
「……確かに。理屈は通ってますね」
「エルマ!?」
ベアトリスがそれに突っかかりギャイギャイと揉め始める。ユースティアはジンの思惑を推し量るようにジッと彼の目を見つめた。
「…………」
「…………」
そしてフッと笑う。
「なるほど。だが私も獲物を横から掻っ攫われて『はいそうですか』と引き下がるわけにはいかん」
「ならどうする。力づくで奪うか?」
「さて、どうするかな……」
「…………」
「…………」
睨み合う二人に、本人たちよりその周囲の緊張がグッと高まる。
一触即発の空気の中、睨み合いは数十秒ほど続いただろうか。ふぅと息を吐いてユースティアが口を開いた。
「……条件を言え」
「二つある。それを認めるなら、こいつらはお前に降伏したってていで街ごと引き渡してやってもいい」
ユースティアはそこでチラとトゥール伯に視線をやる。彼の表情に動揺はなく、ジンの発言は予め打ち合わせ済みらしい。
「一つ。引き渡しは一か月後。それまでこの街とその住民には一切手を出すな」
「ふむ?」
ジンの言葉の意味を図りかねてユースティアたちが首を傾げる。が、ジンが付け加えた補足ですぐにその意図は知れた。
「──これは街から逃げ出す奴を含めてだ」
「ふざけ──!」
激昂しかけたギデオンをユースティアが片手を上げて制する。
「理由を聞こうか」
「こいつらは俺に降伏した俺の手下だ。お前に従うことを了承して降伏したわけじゃない。嫌がる手下を無理やり売り払うようなことはできんだろ」
「その言いぶりだと、彼らは貴様より私を下に見ているようにも聞こえるな?」
「うん? それ以外の意味があるのか?」
ジンの挑発的な物言いに周囲が冷や冷やする。だが当のユースティアは面白そうに笑みをこぼした。
「──つまりその一か月は彼らが私の統治者としての資質を見極める期間でもある、ということか」
ユースティアの言葉にエルマとベアトリスが「ああ」と納得したように頷く。
「兵士を含め住民たちのほとんどはこの都市に帰属する市民だ。逃げ出すといっても簡単なことではない。統治者が変わろうと、権利や生活が大きく脅かされなければほとんどの者は都市に残留することを選ぶだろう。逃げられたくなければ、その間に彼らが納得する方針を示せ、ということだな」
ジンがわざわざこのような回りくどい真似をし、しかもドルネシア軍がそれに従っているのは市民の権利を守る為か、と納得する。まだ戦う力が残っているというていで降伏したならば、こちらがある程度譲歩するのはおかしな話ではない。
ユースティアにとってもこの提案は、その後の統治を考えれば市民を丸ごと奴隷に落とすよりメリットが大きかった。
更にジンはついでのように付け加える。
「ちなみに兵士の半分くらいはこのトゥール領の所属じゃなくて王国軍から派遣されてきた連中だ。故郷は此処とは別にあるから、そいつらは基本的に送り返すことになる」
「おまっ! ふざけんな──!?」
「よい」
後だしの情報にとうとうギデオンがキレるが、しかしユースティアはあっさりジンの言葉を認めた。
「お嬢!? ドルネシアとの戦いはこれからも続くんだ! 敵に回ると分かってる連中をむざむざ逃がすこたぁねぇだろ!? 万一そいつらに味方が殺されでもしてみろ! 仲間や遺族にどう説明する気だ!?」
「逃がしたところでそ奴らが今後直接我らと戦う可能性は低い。まともな軍人なら敵国のスパイとなった可能性を警戒せぬ筈がないからな。恐らく数年は後方か別の戦場に回され監視下に置かれることになるだろうよ」
「いやでも…………くそっ」
ギデオンはまだ納得いっていない様子だったが、ユースティアに何か考えがあるのを感じとり、それ以上の追及を一旦収めた。
ユースティアはチラとトゥール伯に視線を向け、続ける。
「ただし、軍人ともなれば機密の管理など色々と確認せねばならぬこともある。そうしたチェックや選定には、我らも関わらせてもらうが宜しいかな?」
「……皇女殿下の御心のままに」
トゥール伯はユースティアの意を正確に読み取り、降参するように息を吐いた。つまり彼女は送り出す兵士の中に本当にスパイを紛れ込ませようとしており、それに協力をしろ、とトゥール伯に暗に迫ったのだ。
ドルネシア軍が幾ら警戒しようと数百単位の兵士を完全にチェックできる訳ではない。先ほど敢えて大勢の前でスパイという言葉を出したのは一種のブラフ。多少ドルネシア軍の総兵力が増えようと、こちらから人を送り込めるメリットの方が遥かに大きいとユースティアは判断した。
「それで、二つ目の条件は何だ?」
「ルマーンの復興はこいつらに担当させろ。基本方針はお前らが計画した通りでいい。ただ実務や現地の治安維持はこいつらに引き継げ」
「アルベルトたちの仕事ぶりに不満でもあったか?」
「いや? ただ、お前らにゃいつまでもルマーンにかかずらってる余裕はねぇだろ。いずれ手が足りなくなるのは目に見えてる。だからルマーンの復興は最後までこいつらに責任を持たせろ」
これも悪い話ではない。ジンの指摘はその通りで、元々ルマーンに関しては最低限の復興が済めば軍は手を引き、現地民の手で開発を進めさせるつもりでいた。
一方こちらに降ったドルネシアの兵士をすぐにドルネシアとの戦線に投入することはできないし、かと言って重要拠点のある後方に回すのもリスクが高い。そう考えるとルマーン方面を任せるのはアリだし、予め役割を設定しておけば彼らもこちらに降りやすいだろう。
恐らくトゥール伯あたりの助言もあったのだろうが、ジンの提案はユースティアたちにも旨味のある悪くない内容に思えた。ただ一点──
「貴様の要求は分かった。私としても無駄にトゥール領の民を苦しめたいわけではない──だが、我らがこれまで敵対し干戈を交えてきたという事実を軽く見るわけにもいかん」
「…………」
「降伏したと言うが、それが我らを欺くための偽計でないという保証はあるのかな?」
敗戦国の民は原則奴隷として扱われる。それは単に勝者が自分たちの欲望を満たす為ではなく、反乱を抑止し戦いを完全に決着させる為でもあった。彼らの提案にどれだけ利があっても、反乱を抑止するための手立てがなくては受け入れるわけにはいかない。
「それにつきまして我が妻と子を人質に──」
予め決めていたのだろう。トゥール伯がユースティアに人質を差し出そうとする──が、それをジンが片手を上げて遮った。
何のつもりだと不思議そうに彼を見上げるトゥール伯を無視して、ジンは真っ直ぐにユースティアの目を見て、宣言した。
「俺がその保証だ。もしお前に逆らう奴が現れれば、その時は俺が始末する」
『!』
それは本来、全く話にならない提案だった。お前の保証に何の価値がある、とユースティアは鼻で嗤っていただろう──これを言ったのがジンでなければ。
ドルネシア軍本隊を一人で足止めするどころか、領主を捕らえ、都市を制圧した彼の言葉はこの場において何よりも重い。
ユースティアはニヤリと笑って言う。
「それはつまり、貴様は今後、私の下で外敵を打ち払うため弓を引く、と理解して良いのだな?」
「…………」
ジンはその返しに顔を顰め、深々と溜め息を吐いた後、恭しく地面に膝を突き、主に頭を垂れた。
帝国歴158年、マケドニア帝国第17皇女ユースティア・フォン・アルメニアがドルネシア王国トゥール領を征服した。
年若い皇女が大国ドルネシアの牙城を崩したことに大陸の列強は新たな時代の到来を予感する。
だがこの時ユースティアにとって最大の戦果が、領土でも名声でもなく、一張りの弓を手にしたことだと知る者は、まだ誰もいなかった。
本話を以ってこの連載は一区切りとなります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続きをどうするかは反応を見ながら考えます(書くとすれば人間に滅ぼされたエルフとか亜人にまつわるエピソードかな?)。




