第10話
エルソード・ブラックボックス
【深層メモリ:領域「L」】
状態: 強固な暗号化により封印。装着者の精神波(シンクロ率)が特定の閾値を超えた際、あるいは機体が深刻な損壊を負った際にのみ、一時的に展開される。
記録形式: 生体脳の記憶断片と、デジタル音声データの混在。
設計思想: > 記憶は残酷な毒にもなる。真実を知る準備が整わぬ者に、この扉を開ける鍵を与えてはならない。それは、救いではなく「呪い」の始まりかもしれないのだから。
第10話:亡霊の囁き
右手の甲から、細いケーブルが一本伸びている。それは教会の古い端末へと繋がっていた。エルソードの演算能力を外部回路に回し、自分自身の深層メモリを逆行掃査するためだ。
「……見つけた」
脳内に、ノイズの奔流が流れ込む。
通常のログには存在しない、意図的に隠蔽されたパーティション。そこには、育ての父アルヴィスの、生温かい「思考の残滓」が漂っていた。
【深層メモリ展開:成功】
【音声ファイル:識別番号 0001 ― 再生を開始します】
『――剣。……聞こえるか、私の息子よ』
ノイズ混じりの、しかし紛れもないアルヴィスの声。
第1話で死に別れた時よりも、少し若く、そして酷く怯えているような響き。
「父さん……。教えてくれ。俺は何なんだ。この身体の中には、何が入っているんだ……!」
祈るように問いかける。だが、記録された亡霊は答えない。ただ、あらかじめ刻まれた言葉を吐き出すだけだ。
『お前がこの記録を聴いているということは、お前は既に……「無敵」の自分に、絶望している頃だろう。……すまない、剣。私はお前に、あまりに重い「嘘」を吐き続けた』
心臓の奥が、冷たく震えた。
嘘。
その単語が、剣のアイデンティティを根底から揺さぶる。
『早水大地がお前を私に託した時……お前は既に、半分以上の「命」を失っていた。……私は、彼の遺した技術を使い、お前を「繋ぎ止める」ことしかできなかった……。剣、お前は……』
そこから先、ノイズが急激に激しさを増す。
【警告:データ破損。これ以上の再生はシステムに過負荷を与えます】
【警告:外部よりマケドニア帝国の走査信号を検知。通信を遮断してください】
「待て! まだだ、まだ切るな!」
剣は叫んだ。視界の端で、赤い警告灯が猛烈に明滅する。
ノイズの向こう側で、アルヴィスの声が最後の一節を紡ごうとしていた。
『――お前は、鋼鉄ではない。……お前の中に眠る「火」だけは、誰にも……』
ザッ、と世界が反転した。
【強制遮断:完了】
【BATTERY: 5% / 休息モードへ移行します】
ケーブルが焼け切れ、剣の身体が床に転がった。
「……お前の中に眠る、火……?」
答えは、再び闇の中に消えた。
分かったのは、自分という存在がアルヴィスにさえ「嘘」で塗り固められていたという事実。そして、自分の中に何か「別のもの」が眠っているという予感だけだ。
教会の外から、帝国の重機甲師団の地鳴りが近づいてくる。
剣は、立ち上がった。
絶望しても、身体は動く。
悲しくても、回路は最適解を弾き出す。
「……まだ、死ねない」
バイザーを下ろす。
そこには、一人の青年ではなく、ただ冷徹に標的を見据える「銀色の機械」の眼差しが宿っていた。




