第三十九話 姉妹の情
「赤ちゃんの名前をどうしようか。さくらお義母さんと櫻絵ママから、桜の字を残したいよね」
「気遣ってくれるの。さくらは、難しくない漢字の桜がいいわね」
「梅芳ちゃんともお花でお揃いになるよ」
長女にもフォローを忘れない。いい人だ。
「梅だけ違うと言われないかしら」
「梅の花は先に咲くから、お姉さんの証だよね」
「考えようで仲良しになれるわね」
私はお産の痛みより喜びへと心が躍っていた。
「美しいの美で、美桜ちゃんだと、ママの名前に似ているな」
「やーだー、パパ。素敵な添え字はないかしら」
「糸に者で、緒。物事の始まりとかの意味があるけれども」
二言、三言で、迷い道へ行くことなく辿り着いた。
「美桜緒ちゃんはどうかな」
「美桜緒ちゃんで決まりね」
書道を嗜むパパが綺麗な命名の和紙に墨で書き、台紙に挟んだ。幸せそうにパパがドヤ顔をしている。こんなお茶目な所も好きだったりする。
「美しいしば桜のように、代々続きますようにね」
三日目にしてクベースから出られた美桜緒ちゃんが個室に運ばれて来た。命名、美桜緒とある薄桃色の用紙が、赤ちゃんベッドに入れられる。
「ママそっくりだね」
母も義理の父母にパパも揃って、新鮮な気で磨かれた美桜緒を覗き込む。
「梅芳ちゃん、妹の美桜緒ちゃんが産まれたよ。ママががんばったんだ」
パパが梅芳ちゃんを抱き上げた。
「よしーよしー」
驚いた。誰が教えた訳でもないのに、梅芳ちゃんが妹に手を伸ばし、よしよしと撫でている。
「凄いわ。妹だって、分かっているのよね」
「梅芳ちゃんも美桜緒ちゃんもパパとママの子だからだよ」
「お母さん、間違いないわ」
「櫻絵さん、ありがとうございます。私達に素晴らしい絆をくださって」
「お義母さん……。体を大事になさってください。孫娘が幾つになってもお祖母さんを大切にする心を実感してほしいのです」
「よかったな、寧。俺も嬉しい」
ノックの音がする。
「失礼いたします。点滴を確認します。困っていることがありましたら仰ってください」
看護師兼助産師さんが、私と美桜緒ちゃんの方を向く。
「遺伝子って怖いわ」
彼女にまでご指摘を受けて大笑いだ。礼をして、次の仕事へと退室して行った。
「ははは。似ちゃうよね」
パパもにこやかで楽しそうにしている。
「梅芳ちゃんは、お祖父さんやお祖母さんに似たのかな」
鶴見のご両親に言われた。
「ぷっぷ。ばあば、ちゅき」
「目のあたりは似ているかな。偶々、両親の面差しと異なるようです。成長して行ったら変わるでしょう」
暫く賑やかに過ごせた。けれども、私と美桜緒ちゃんの退院と共に、義理の父母は鶴見へ帰られてしまった。生原の姓にすると言うことが、パパを縛っているようで私を殴りたくなる。
「ごめんね。一人息子なのに婿入りさせて」
「気にしないで」
庭に広がったしば桜は、歩き易いように玄関まで石を積んで道を作った。しば桜の花は靄のように咲いて見える。美桜緒は、蕾が開くかのように日々美しくなって行った。
◆◆
「絵手紙、難しくて四枚目よ」
「おお、大きく描かれた梅芳ちゃんのTシャツに、『大きくなりました』の一言がいいね。ママらしい愛し方だと思うよ」
絵手紙か。私に合っているのかも知れない。油と違って気構えが緩めで。
「しば桜のような痣があるのね」
おむつ替えをしていて気が付いた。よくあるイボだと聞いたけれども、梅芳ちゃんにもあるし私にだってある。
「偶然って恐ろしいわ」
私は呑気に構えていた。
◆◆
一年後の平成二十一年春。保育園問題が立ち上がった。入れるか否かではなく、入れるかどうかの問題だった。
「ママ、保育園をそんなに拒むのは、育児を投げ捨てたと思いたくないからかい」
「当たり。可愛い我が子を手放せないわ」
トイレトレーニング中の梅芳ちゃんをさっと洋式便座の上に置いたおまるにまたがせる。私はいつものウンチが出る歌でがんばらせた。作詞作曲櫻絵のしょぼめの歌だが気にってくれている。納豆の歌もしょぼめだったわ。勿論、美桜緒にも聞かせる予定だ。
「保育園は犯罪の助長ではないよ。ママは根詰める方だから、長い時間でなくてもいいから、預けることを考えた方がいいよ」
「甘ったるい考えを持って、育児だなんておこがましい!」
「ママ、怒った?」
梅芳ちゃんをおまるから下ろすと、便器は綺麗なものだった。
パンツ型おむつを穿かせる。ブ、ブブ……。
「おむつでするのでちゅか? 梅芳ちゃま」
いい音出して、気持ちがよさそうだった。
「ふ――。ブブっちゃ」
顔を腫らしてがんばっている。おむつの中で続きがあるかも知れない。
「僕は、ゆとりある生活もママに必要なのではないかと思うよ」
「お母さんなの。大丈夫よ」
おまるのトイレは失敗だ。新しいおむつを穿かせてやると、梅芳ちゃんは上機嫌で阿波踊りをする。
「梅芳ちゃんにもプラス要素があるよ。保育園でお友達との関係性構築とか、食育とかにもいいと思うし」
「理由が本人の為だと言うのなら反対しないわ。ごめんなさいね。トイレトレーニングに躍起になっちゃって」
保育園は間に相談機関を挟んであっさりと市立ピヨ保育園に入園が決まった。
「やっぱりお絵描き好きなのね、私は」
油絵は、絵手紙の手軽さに比べて、イーゼルを出したり下にシートを敷いたりするし画材も様々に要る。保育園の間に懐かしい油彩に専念する時間を持てた。数点描いたが、中でもお気に入りなのは、『薔薇の蕾と枯れ行くまで』の写実的な作品だ。淡さを呈していた紅が、恍惚なまでに開き、花弁を落とすまでの花の生涯を表す。絵のイメージとして、女性を重ねて描いた。蕾の赤ちゃん、開花途中の私、枯れかけの母と各々のありかたを求める。リアリティを出すことと物語性に夢中だった。
「パパ、これも燦展に出してみるね」
「よかったね。楽しみも持てて」
パパは腹で考えている。私は作戦にはまった。悔しいときは甘えるが一番だ。
「やーだー。甘いキスをしてくれたら、コンペが上手く行くかも知れないわ」
「がぶっ」
「しょ、しょれは、噛んだと言うのれは?」
◆◆
秋が過ぎ、紅葉も終わった。いよいよ本日発表だ。燦展の結果を居間に広げた新聞でいち早く知った。
「燦展絵画部門、燦賞受賞みたいよ! 聞いてよ、聞いて」
「よかったね……。今夜は、僕を抱いてよ」
聞き間違いかと思う。
「ん?」
「いや、聞かなかったことにして」
パパが、急にテレビを見始める。
「あのね。私が貴方をどれ程愛しているか。泣く程抱きたいわ……」
後ろから首に巻き付く。
「木枯らし恋しいわ。マフラーがほしいわよね」
「いや、聞かなかったことにして」
「だんめ」




