第四十話 僕と母上
保育園も市立ピヨ保育園だった。近くてお財布にも優しく充実していると思い、二人には公立コースをお願いした。市立おひさま幼稚園、市立実が丘小学校とお揃いだ。二学年差だから、同じ所に通うときもある。
◆◆
平成二十九年二月のことだ。
「僕、美桜っちより先に登校班へ行くよ。母上」
梅芳は、小学校四年生になると自分のことを僕と呼ぶようになっていた。ママの私のことは、どうしてか母上になった。小さな反抗期なのか、ごっこ遊びなのだろうか。
「待って、待ってよ。姉ちゃ」
「美桜っちが遅いからだよ。じゃあね」
黒いランドセルを背負って、ベージュのシャツに黒いホットパンツを穿いて行った。ショートヘアで、表面上はさばさばしているが、梅芳の心根が優しいのは知っている。
「美桜緒さん、探し物をしているのかしら」
「ママ、大丈夫。自分でできるから」
「明日からパパは出張なの。スペシャルごはんにするから、早めに帰って来てね」
「うん。姉ちゃにも伝えるね。行って来ます」
ピンクのランドセルを背負って出て行った。服装は恥ずかしい程全身ピンク。他に好きな色がないか聞いたこともあったけれども、これでいいらしい。肩下までさげた三つ編みを解くとウエーブが可愛い。
「好みは変わるから、ゆっくり待とう」
子ども達のお陰で新しい学校像を知った。小学四年生のときに、成人の半分と言うことで式典を行う。二分の一成人式やハーフ成人式と呼ばれているようだ。小学校でも熱心に練習をしているらしい。声楽や器楽などに加え、保護者の方々へのご挨拶などだ。
「二分の一成人式かあ。ママはお洋服用意していたのよ」
「僕、スカートは苦手なんだ」
拝み倒して着て貰った。
「やーだー。可愛いー」
四十代がはしゃいでどうする。白いジャケットに黒のリボンタイのブラウス、黒と白の千鳥格子のスカートにソックスは白いレースで決めた。梅芳は、どんな服を着せても似合う和風の顔立ちと抜群のスタイルで惚れ惚れする。
「パパとママで参列するからね。緊張しないで、任されたピアノも落ち着いてね」
「僕をピアノ伴奏の代表に選ぶなんて、先生方も変わっていらっしゃる」
梅芳は、幼稚園の頃から休まずにずっと習って来た。それを知らないまでも実力があると信じている。
「体育館が狭いから、他学年の美桜緒さんは入れないそうね」
「想像しているよ! 姉ちゃの記念写真も楽しみだからね」
パパが妹の頭をぐしぐしにする。
「美桜緒さん、お祖母さんとご飯を食べて待っているんだよ」
「うん。パパも行ってらっしゃい」
◆◆
晩御飯も終え、お風呂にも入った後だ。居間を抜けて寝室へ行こうとする梅芳に声を掛ける。
「ママにパパまで。式に感動して泣いちゃった? はは」
「いい機会だと思ってな。ママとも相談していたんだ」
座布団を差し出して座るように促した。
「もしかして、もらわれっこだってことかな」
「梅芳ちゃん! どこで噂を聞いたの?」
「どこだっていいだろう。梨畑の前を通ると、石とか泥とか投げて来るんだよ」
知らなかった……。
「なるべく美桜緒ちゃんと一緒に帰ってね」
「え――?」
「危険なこともあるし、怪我したら大変でしょうよ」
黙って頷き、寝室へ溶け込んで行った。
◆◆
二年後には、美桜緒も同じ式典に参加した。美桜緒は変わらずにピンク一色がいいらしく、本人の希望通りにした。
「やった! ピンクが大好きなの」
これはこれでいい記念になると思った。担当はリコーダーだ。
「姉ちゃは、六年生だね」
「僕はね」
その晩、美桜緒がとんでもないことを訊いた。結婚前の自室を寝室として、一家四人揃って寝る所だ。
「あのね? さくらおばあちゃ、櫻絵ママ、美桜っちとサクラの字が入っているのに、姉ちゃには梅の字なの?」
「父上、母上……。僕も気になる」
梅芳が布団の中で身をよじらせ、両親をじっと見る。
「桜より梅の方が先に咲くだろう? だから、お姉さんなのだよ。一番の理由は、梅の凛とした姿をパパが大好きだったから、愛情を込めて梅の字を入れたんだ」
パパが私の方へ目配せをした。
「うん、添え字を子どもの子にしようとしたら、赤ちゃんだった梅芳さんがお気に召さないようだったので、芳しいの芳にしたのよ」
先に口火を切ったのは、美桜緒だった。
「パパもママも最高! で、美桜っちが産まれてまた桜?」
ここもしっかりと納得して貰わないと、梅芳が拗ねてしまう。
「先ずパパから提案があってね。私も桜の字がいいと合意したのよ。パパは、姉妹がお花でお揃いになるって喜んでいたわ」
ママももそもそと布団から口元まで顔を出す。
「ママが梅だけ違うと思われないか心配したから、パパは梅芳ちゃんなら大丈夫だと踏んだのだよ。ママも考えようで仲良しになれると願ったしね」
パパは、狭そうにいつも横を向いて寝ている。心臓の位置が落ち着くとか不思議なご意見で。本当は布団が狭いだけだ。
「美桜の二文字だと櫻絵さんに似ているから、添え字にパパは緒をお勧めしたよ。物事の始まりと言うの意味もある。家族の手探りの愛情で美桜緒ちゃんも命名されたんだ」
梅芳はおすましだけれども、美桜緒が当社比二倍にも目を腫らして泣きそうだ。
「姉ちゃも美桜っちも愛され過ぎてない?」
私の隣に寝ている梅芳が、ママでも容赦なく頬を横にいーって弾いた。
「あうあ。ややや、やめてちょ」
「どうして僕だけミルクで美桜っちだけ母乳だったの?」
嘘は吐き通さなければ意味がない。
「たまたまよ。母乳の出が悪かったの。栄養が足りなくなってしまうから人工にしたのよ。くりっと可愛いお目目の梅芳ちゃんはお腹が空いていたようで、哺乳瓶のニップルに吸い付いていたわ」
頬の手を離してくれたが、そっぽを向かれてしまった。
「僕、恥ずかしいや」
「姉ちゃ……」
ほのぼのとしたその日、私は父の夢を見た。父は語ることはないのか、黙っているばかりだ。
『お父さん、空の上は寒くないですか。私達は見守られて幸せになれます。ありがとうございます』
気持ちが届いたかは分からない。けれども、父が微笑んでいたように感じた。
◆◆
令和二年七月の葉が茂る頃。
「お母さん?」
家を留守にしたのかと思っていたら、玄関の上がり口で転んでいた。
「お母さん! しっかりして」
年齢もあるので、以前よりも慎重に病院へと運ばれて行く。今度は、私も同行することができた。ちいさな転倒が切っ掛けで、母はゆっくりと危ない方向へと進んで行った。
◆◆
令和三年四月に春が微笑む。梅芳が市立栃ノ木中学校三年生、美桜緒が新入生になった。セーラー服が並ぶ。スカートの裾を伸ばした梅芳に、真新しく長い丈の美桜緒が眩しかった。時間というものは、川がどうどうと押し流すのだろう。あっと言う間過ぎてしまい、声も出ない。子育て日記に一喜一憂した日々が綴られていた。冊数も多くなり、見られたくない過去分は納屋の奥に片付けて、今年の分は夫婦の部屋にある小引き出しを寝床とさせている。
「うふ、しば桜の公園だわ。小さいわね」
子ども達が小さい頃は、よくしば桜の公園へ行った。子宝祈願をした真岡にある伯母のしば桜公園だ。遊びに行くと、花々にまで歓待される。
『梅芳さん、中学校三年生おめでとう。白からは、花言葉で〝忍耐〟を贈るね。辛いことがこれから先あってもがんばれますように』
『美桜緒さん、中学校入学おめでとう。薄桃は、花言葉で〝臆病な心〟を贈るね。人の弱さを知ることによって、人は優しさを理解できるから。生き物が大好きなまま、優しさを忘れないように』
私に囁きが聴こえるものだから、黙っているのも申し訳ない。
「嬉しいわ。ありがとうございます――」
所が、これを境にしば桜の声は押し黙ってしまった。




