第一話 燃ゆる恋
こんばんは。ようこそお越しくださいました。
いすみ 静江です。
楽しんでいただけたら、幸いです。
よろしくお願いいたします。
「櫻絵ちゃん。おれの大切な想い出話だ。生原家を見守っている囁きがあるからね」
十歳頃まで、私は祖父母が暮らす栃木県の茅葺の家に、母のさくらや父の志朗とよく里帰りをしていた。寝かし付けをするのは大好きな祖母のフクだ。
「はい。いい子にして寝ますね」
「よーしよし。ミミちゃん布団をとんとことん」
うとうととして来る。
「おれが東京で働いていた頃な」
いつもの語り出しだ。生原家の根底を流れるものが、ここに隠されていた。
◆◆
しば桜は燃える大地に焼かれていた。春には桜のような小花が薄く土を飾っていたのに。
『熱い、熱いね。白』
『ね、しば桜も根絶かな。薄桃』
『私のような薄桃は、花言葉で〝臆病な心〟と言われるよ。大丈夫かしら』
薄桃は、火の粉が迫る中で身を震わせる。
『では、白い私の〝忍耐〟で根絶を避けたいと願うわ』
白は、しば桜の精霊として親切な家系の人間を守ろうと決めた。薄桃も呼応する。
『そうしましょう』
『そうしましょう』
しば桜は囁き合うが、この火炎はどうにもならなかった。
大正十二年九月一日、関東一円を大震災が襲う。すぐさま火の手が上がり、ありとあらゆる命を引き摺り去った。後に、関東大震災と呼ばれる大災害だ。
「ひいい……!」
おれは町屋に居を構えていた。二十一歳の独り身で、旧姓の風間フクだった頃だ。おれは外へ飛び出す。お針のお仕事をしており、焼け始めたお屋敷にはお弟子さんが六人暮らしていた。
「逃げるよ! 外も激しい火事だ。手ぶらでいいからね」
若い娘のお針子さんなど、ここで焼け死んだら哀しくて涙も出ない。お針のお師匠さんなのに、唐突のことで中に誰がいるのかまで把握していなかった。
「おれは悪い人だ。逃げさせて貰うよ」
おれは涙を拭う。喉が激しく渇くので、一粒の雫も勿体なかった。火に囲まれて影一つない中、炎に己の罪深い姿を見た。
「すまねえ、すまないね。おれは仏様の供養を忘れないからね」
焼け焦げる中へ分け入り、草履も失いつつ上野を目指す。身体では壊れた琴の音色が泣き、心では自らの罪が騒ぎ立てていた。
「田舎のおじやんにおばやん、しんどいだろう。おれはよ、この身一つしか守れなかったよ」
おれは脇目も振らずに火の粉を掻い潜った。
「おれの仕立てた着物も仰山あったよ。駄目になっただろうな」
ふと、失くした物に郷愁を覚える。佇んだのがいけなかった。おれが着ている和服のしば桜文様までも燃えようとしている。
「裾が、裾が! 仏様のお怒りだ。水で消さないとなんねえ」
咄嗟に叩くが、おれの手までも熱い。上野も火傷をして飲み水をほしがる者が多く、消火用のは望めそうにもなかった。
『いつもお水をありがとう。白よ。土で消しましょう』
囁きが生きる道を教えてくれる。
「土、土が?」
おれは、なりふり構わず土に体をぶつけた。どうにか着物の火は払えたので再び立ち上がる。おれには余りにも酷な光景で、ぎっと瞼を瞑った。細く涙を流しながら天へと目を逸らした。こんな風炎の中、空耳に支配される。自身を地獄へ引き摺り下ろすのか、はたまたその逆か。
「風間さん! フクさんですか?」
絵具で殴り塗ったような火の中を掻き分けて、揺らぎながら近付いて来た。
「おれの名はそうだが? どちらさんで?」
逃げた禿山に知り合いなど居ない筈だ。でも、名に間違いはない。緩やかに燃えるしば桜を踏みつつ進めば、熱さを感じなかった。故郷、尋常小学校の知った顔が頬を焦がしている。
「おれも炎の熱で林檎の頬になった。懐かしいなや。一年上の生原元あんちゃんだろう」
「ああ、僕は尋常高等小学校を出て東京へ進学したんだ。美術学校が上野にあるんだよ」
どちらからともなく、お互いの手を握った。こんなに逞しいのだから、おれは仏様だとは思いたくない。
「風間さん、よく生きて。偶然に感謝したいよ」
「お互い命があるのが不思議だな」
元は手に力を込めた。闇雲に突っ走る。本当は道などないのに、着物のしば桜が炎で散り散りに照って伝えていた。
『こっちの道なら〝忍耐〟よ。私達しば桜は厳しい環境に負けない強さがあるわ』
おれには燃える大地から声が聞こえる。町屋で水遣りをしていた赤ちゃん花達だろう。
『毎日お世話してくれたご恩があるの。だから、根だけでも生き残ろうね』
着物も庭先の花を意匠にして絞染にしたものだ。元は誰も見ていないことを確認すると腰から水筒を出す。
「喉が渇いたろう。好きなだけ飲むといいよ」
「いただけない。生原さんだって必要だろう」
「遠慮はなしだ」
おれは受け取って逡巡していたが、あまりの熱さに水筒に口を伸ばし少しだけ傾けた。けれども、流れて来ない。もう少し傾けても水はなし。仕方なく垂直に持つ。
「水が沢山あっただろう」
「うん……。あったな」
「これで一安心だな。風間さんは長生きできるよ」
本当は一滴もなかった。おれは元にこれ以上気を遣わせたくないと初めての嘘を吐き、その訳に胸が締め付けられる。
「生原さんにだって長生きしてほしい」
熱い大地に縮れたしば桜の丘に、静かな囁きが残っていた。
『しば桜は死にながら見ているの』
業火の中、可憐なしば桜がそこだけ一面に咲き始めた。
『新しい命を育む二人を』
白や薄桃の綺麗な輪が、揺れて揺れてさざ波を作る。
「大好きな人。とっても愛してる人って変わらないものだね」
「生原さん、好いた人でもおるのか」
「だいぶ近くにね。結婚も考えているよ」
「えがったな」
おれは上京して仕事だけに熱意を注いで来た。元とは疎遠だったのに、想い出が走馬灯の如く駆け巡る。なんにもない、蜻蛉の色を追い駆けたあの頃、おれは赤がほしいと思った。おれは欲張りだ。優しい人を手放すのが惜しくなった。
「寂し気な面差しは風間さんに似合わないよ。笑ってほしい。大災害から先ず立ち直る。鎮火したら、お互いの家へ行こう」
「おれは恐ろしくてそんなことできね。お弟子さんの安否も確かめられなかった」
元は首を縦に振って、おれの肩に手を置いた。優し気でありながら、目で人生訓を唱える。
「仕方がないこともあるんだ」
「おれは仏様に手を合わせねえと」
◆◆
「もう、九月三日にもなったな。この燻り具合なら、風間さんの家に行けるかも知れない」
「おれも決心した。拝むつもりで屋敷を探す」
煤けた顔を二人は着物で拭う。昼には業火も暴れなくなっていた。熱い大地とその傷跡を踏みしめる。
「やはり、おれの家辺りも瓦礫の山だな」
「望みを持とう」
けたたましい音が聞こえて来た。杭でも打ち込むような激しいものもある。
「おれの家が、おれの家が。まさか、新しく建てているのか」
「君達、ここは風間フクさんの土地だが。どういう権利があって家など建てた」
元は冷静に所有権を主張した。
「さあ、俺達は旦那様の言うがままにだな」
「そうそう。旦那様に逆らうと怖いぞ」
元は落ち着きを崩さずに土地に入る。
「分かった。背景に男性がいるのだな。名を教えてくれ」
おれが元の袖を引く。
「おれは悔しい。生原さんがいてくれたなら、それでだけでいい」
「風間さん。勿体ないお言葉です」
杭を打ち込む音がする中、おれは小石を積んだ。
「お兄さん方。愛弟子達の仏様に拝ませてくれ」
「げ、気持ち悪いことをするな」
「風間さん、僕も一緒に拝ませてほしい。同じ被災者として」
二人は静かに手を合わせた。
「生原さん、優しいな。幼馴染だけんど特別な人になった。天地がまぜこぜで初めて感じる」
「風間さんのことを小さい頃から可愛いと思ってたよ」
鎮火しても恋の炎は始まったばかりだ。二人で頬を染め合いながら、東京府から栃木へと去る。おれは生原の実家に身を寄せ、またお針の仕事を始めた。
『しば桜の白と薄桃は、きっとまた芽吹くからね。遠くから祈っています』
◆◆
翌、大正十三年に二人は婚姻し、昭和元年に長女を儲ける。
「あれまあ、おれと同じ右乳房にしば桜のような痣があること」
「フクさんに似たんだよ。フクさんはヘソの上にもあるし、黒子のようなものか」
母となり、初めてのおしめと産着に緊張している。赤子が欠伸をして可愛いと思った。
「あたためていたお名前があるんだ。昭和元年生まれだから、昭和の和と書いて、和ちゃんはどうかな。生原和ちゃんだよ」
「いい娘の名で勿体ない」
父になった元が和の頭をそっと撫でる。微笑ましい光景からは、生原家に不思議なことが起こるとは思わなかった。朝焼けの中で産声が高く響く。
◆◆
生原家では夫婦の絆があたたかく、弟妹にも恵まれた。末子の生原さくらは第二次世界大戦の戦禍も酷い昭和十九年に、さくらは小さく生まれる。さくらの娘も小さかったが、夢は大きいようだった。櫻絵と、名前負けしない生き方をする。




