シンデレラ水会
ちょっとみんな少し待っていてくれ! 俺、水会を探してくる!」
そう言い残して夕影は颯爽と部屋を後にして走り出してしまった。
「夕影君……」
天彩は寂しそうな声を漏らして、夕影のその後ろ姿を見送った。
夕影が一目散になって向かったのは、教室内の僻地、端っこの隅っこの一角にある壁龕だった。
「やっぱりここにいたのか……水会。今度はどうしたんだ?」
「私……アイドルって怖いんです。変ですよね?」
夕影には水会が嘘を言っているようには見えなかった。前に水会を見つけた時のように水会は体を丸めながらびくびくとしているのが分かる。
そして夕影は直感した。ここで選択を誤れば水会は確実に駄目になってしまう。
どんな事情があるのかは分からないが、慎重にこの問いに解答すべきで、この問題は細心の注意をもって取り扱わねばならない。そんな気がした。夕影は目の前に忽然として脆弱な硝子玉が現れたような錯覚にとらわれた。
だが、夕影が選択した未来はやもすればその硝子玉を壊してしまいかねないような、奇抜で狂逸な驚くべき選択だった。
「水会……ひとついいか?」
――俺と一緒にセンターで歌って踊って戦おう!
その言葉を耳にしたとたん、小刻みに震えていた水会はぴたっと動きを止め、まるで空間が凍結したように二人の間に沈黙が流れた。
それは水会にとっては予期せぬ回答で、夕影にとっても振り返ってみれば何故ここでこんなことを言ってしまったのだろうと反省せねばならない回答であった。しかしながら、この突拍子もない水会をセンターに誘うという選択が二人を含めた一年エクレア組にとって最善の策となったことは僥倖ともいえることであっただろう。
「わ、私になんて絶対に無理です……無理なんです……」
低いトーンで重々しく口を開き、夕影の申し出に対する拒否の意志を示す水会であったが、夕影はそれに臆することなく言い張った。
「俺は決めた! 水会雪凍乃を一年エクレア組のアイドルにするんだ! そして、水会を俺がプロデュースしてこの唯岳学園一のアイドルにする!」
水会は夕影の言葉に被せるようにして語気を強めながら抗言した。
「本人が無理と言ってるんです! 無理なものは無理です!」
「そんなの誰が決めたんだ!」
「私です!」
「まだ分からないじゃないか!」
「分かるんです!」
「どうして!」
「どうしてもです!」
「やってもたら変わるかもしれない!」
「やっても変わらないんです!」
「だからどうしてそんなこと分かるんだって!」
「私が昔! アイドルを目指していたからです!」
言いすぎた……という表情の水会、激しい舌戦を交えた二人の間にまたも沈黙が流れたが、夕影はこの好機を逃すまいと思った。
「水会さっきの言葉……本当なのか」
「夕影さん……さっきのは聞かなかったことに……」
「ならないからな!」
「ううぅ……」
こうなってしまえば猫の前の鼠、蛇に睨まれた蛙といったところで手玉に取ったも同然であった。
「水会……俺と一緒にトップアイドルへの階段をもう一度駆け上がってみないか?」
「…………」
水会は考えていた。本当にここで夕影の言う通りにしてしまっても良いのか、このままやっても以前と同じ惨めな結果に繋がってしまうのではないか。考えれば考えるほど分からなくなってくる。
「細かいことを考えても仕方ない! やってみようぜ!」
夕影の手が水会のか細い手に伸びて、水会は自らの意志でその手を掴んだ。かつて一度は諦めてしまった道ではあったがもう一度頑張ってみよう、そんな気がしてきた。この夕影惟斗という少年となら上手くいきそうな、そんな予感がした。
「よろしく……お願いします……」
夕影が見たのは硝子玉ではなく、硝子の靴を履いた雪のように白いシンデレラだったのかもしれない。これから夕影は凍えるように冷たかった水会雪凍乃の心を灯すかがり火となることが出来るのか、それは彼の努力次第である……
次回は6月21日7時更新です。




