《巴甘》(ペカン)
期待され、教育され、パティシエになることを義務付けられた少年。
それが、夕影惟斗という少年だった……
「夕影君! 夕影君!」
耳元で天彩の声が聞こえる、天彩が俺の名を叫んでいるのが分かる、天彩の荒げた息遣いが、天彩の焦りが、天彩の不安が、俺の皮膚を通じて優しく伝わってくる……
あれ……俺、どうなったんだっけ?
「よかった……夕影君ずいぶんうなされてたみたいだから……」
「そうです、あのオーディションもどきがひと段落した後、ふっと気が抜けて倒れてしまったからみんなびっくりしたんですよ」
隣には無相もいた。相変わらずの無機質な瞳だったが、心なしかその瞳は俺の方に向けて安堵を示していたように思えた。
「みんな! 夕影君が目覚めたよ!」
「左様か! それは良かった!」
「だーれがいまどき、左様かなんて使うのよ!」
ユルゲンスと我舞谷が天彩の呼ぶ声に気がついて夕影の方に駆け寄ってきた。
「なにより無事でよかったわ。センター兼プロデューサーが不在のチームなんて私はいやよ」
「まあ夕影なら大丈夫だと思ってたけどな! 私は!」
「あれあれ……さっきまで夕影は大丈夫なのか! 大丈夫なのか! ってそわそわしてたのはどこのだれだったのかしら」
「ばっ……それはっその……」
ユルゲンスは恥ずかしさに顔を赤らめていた。それを我舞谷が楽しそうににやにやと眺めている。
「そういえば……はい、これ」
我舞谷が何やら夕影に向かって何かを手渡した。
「別にあなたのためにつくったんじゃないからね。勘違いしないで欲しいわ」
字面だけをみるといかにもツンデレ風に見えてしまうが、決してそうではない。我舞谷はそのような語調で言ったのではない。あくまで棒読みだった。
「ありがとう、我舞谷! これは……何かの実?」
手渡されたそれを夕影はまじまじと見つめた。
「それは《巴甘》(ペカン)といわれるカロリーの塊よ。ってか脂質の塊ね。私たちが《克巧力》を使いすぎた時に口にすると《克巧力》を回復することができるみたい。美甘先生が一人一つずつってくれたのよ」
懇切丁寧に説明をする我舞谷、そのあとに天彩が鬼気迫る表情で言った。
「夕影君! 時間が! 時間がないんだよ!」
「時間?」
次回は6月19日7時更新です。




