21話
ーー北畠顕泰ーー
「北畠殿、よろしきや?」
阿野様が来たり給いけり。
「先ほど、京方より使者を遣わしたりと、知らせ入り申した」
「次の和議の御予定には、早う御座いますな」
「されば、その使者というのが、九条家の十代目と申すなり」
「五摂家にておはすや!」
「明日には護衛一人を連れ、壷阪寺に着き給うべしと。さらに、北畠殿に護衛を頼みたしと申されるそうな」
「我に?いかに応じ給うや?」
「皆困りおるのです。五摂家と顔見知りにてはなき故、いかに扱い給うべきものか」
「主上に御目通りなされる御つもりにて?」
「右府禅門様も足利との和議にあらずやもしれぬと」
「五摂家の当主とあらば、無下に扱うこと能はず。我が御迎えに参らせ給う」
「よろしく御頼み申す」
(五摂家まで出で来るとは。降伏か戦か、苦しきことよ)
輿を用意させ、護衛どもと阿野様の屋敷を発ちけり。
ーー九条経教ーー
兼煕の案内にて大和を過ぎ、南の山の麓まで来たり。途中、東大寺の傍らなる興福寺、飛鳥川のほとりにある橘寺に宿り、入洛の段取りの由、説き聞かされけり。
「大旦那様、我らをお連れ下され。吉野方には悪党多く候ぞ」
護衛ども騒ぎ立つ。
「賊と悪党を一つに論ずるべからず。賊が帝を尊ぶことなど、あるまじ。左馬之助一人にて十分じゃ。然うであろう?」
「刀を置きて参ること、如何なるものかと」
「今の吉野方は、賊など動けぬほど張りつめておるわ。そなたが刀を持たば、皆嫌がるであろう」
護衛どもが聞き分く。山の方より二人の護衛を従えし僧侶、坂を下り来たりけり。兼煕と挨拶を交わし、僧侶の後に続きて山へ向かいぬ。装束の入りたる箱を背負う左馬之助、後ろに付き従う護衛を気にしけり。
ーー北畠顕泰ーー
正午前、使者が到着せりと知らされ、寺の入口にて待ちけり。僧侶の後に続きて、杖をつきたる翁と下男が現る。
「使者殿は何処ぞ?」
「民の装いにておはす」
(五摂家の当主ともあろう者が民に化けるなど、、、あの御隠居様か!)
気付けば、駆け出でたり。
「御隠居様ではおはしませぬか!」
「はぁ、はぁ、久しいのぅ北畠殿」
「はっはっは、いづれやんごとなき御家の方にておはすと存じ奉り候が、よもや九条様にてあらせらるとは。お二方ともお久しゅうおはしますなり」
「伊勢にては世話になり申したな。また参りたきものよ」
「いつにても歓迎いたし候。あの白拍子も健在にておはすや?」
「先日まで、共に若狭まで旅をしおりたり」
「なんとも羨ましきことにて候。ささ、座敷にて休み給えませ」
(つい、はしゃいでしもうたわ)
御隠居様が湯を飲み、一息をつかれけり。左馬之助が座敷を出で、二人きりとなりぬ。
「顔色よからぬように見ゆるのぅ」
「、、、降伏せよと申されるや?」
「足利の遣いにあらず。三種の神器を京に戻すのじゃ」
「それでは大覚寺統の正統性、揺らぎ奉ることになり候」
「神器と共に散るや?」
「伊勢にてあらば、、、」
故郷の景色を思い出だしけり。
「神器なくとも戦えるであろうぞ。足利を討ち、京に戻られよ」
御隠居様の鋭き目、此方を見据えらる。
(それが叶わぬ故、五十年も、、、)
「義満も戦など望んでおらぬ。和睦し京に戻られませば、帝に手出しはさせぬ」
「五摂家として主上に御目通りなされる御つもりにて?」
「他の者には成し得ぬゆえじゃ。このままにては二百年前の有様と変わるまい」
また湯吞を手に取りけり。しばし、静寂のみ。
「さぁ、山を下りようぞ。明日には帝に拝謁申す」
「途中まで輿に御乗りなされませぬが、よろしきや?」
「上り坂が少し堪えただけじゃ」
「では、今宵は五條に宿り候。明日の朝、賀名生へ参りましょうぞ」
「北畠殿は先に行かれよ。急なる話じゃ。公卿方にことの次第を通さねばならぬであろう?」
「忝い。されば、麓まで御供致し申す」
御隠居様がゆるりと立ち上がりけり。慌てて湯を飲み干し、後を追うて行く。
(まこと、軽やかな足取りにて。表舞台より離れたるごとく見ゆれど、誰よりも世を案じ給うやもしれぬ)
日昇りて、御隠居様を迎えに参る。屋敷に着きて、まもなく黒き直衣を身に纏い現れけり。仔細に見れば、二本の蔓絡み、数多の葉を円く広げたる九条の家紋あしらわれ、威漂う姿に息を吞む。
「似合いておるか?」
「見惚れてしまい候」
左馬之助が簾を上げ、顔をほころばせつつ輿に乗り給う。昨日よりも一層気を張りて輿を持つ男どもと歩き出しけり。
「公卿方は如何であったか?」
「昨夜は大騒ぎにて候」
「容易に諦め得ることならば、これほど永くは続くまい」
「皆、承知の上にて候。ただ、祖父の代より受け継ぎし物なれば、易々とは手放せませぬ」
「儂も若き日には、朝廷の御ためとて命をも顧みずと思いしが、彼の者の舞を見しより、かくも下らぬことに心を費やし来たりしかと悟りぬるかな」
「それにても、かくして参られたではありませぬか」
「世静まりなば、またそなたと舞を眺むる日も来るや?」
「されば、降伏するも致し方なし」
簾の向こうの御隠居様とともに、ひとしきり笑いぬ。白拍子との旅の話を聞けば、いかばかりもなく行宮に着きにけり。
御前にて、左右に居並ぶ十四人の公卿に混じりて座り、御隠居様の御入りを待ち侍る。
「ずいぶんと機嫌がよろしいな」
隣に座す楠木殿が此方を睨み給う。
「気を引き締めておる次第に候。九条様は敵にあらず候ぞ」
「ふんっ」
(穏やかに、とはいかぬなり)
御出迎えに上がりし阿野様が戻りて、皆居を正しければ、場静まりぬ。
「謁見仕る者、参る」
侍従の声ありて襖開き、冠を被りたる御隠居様が正座しておはす。一息置き、両手を畳に付きてゆるりと礼をなす。立ち上がる折も音を立てず、衣を正し、重ねて礼をなす。
「九条家十代の当主、経教、すでに隠遁の身とはなりにけれど、大覚寺統の帝に拝謁つかまつる」
低く落ち着きたる声に、思わず身が引き締まる心地す。
「進み給え」
侍従の声の後、再び一礼。歩み小さく、ひと足ひと足、前に進む。身はこゆるぎもせず、御簾の向こうにまします主上を見据えたり。畳を擦るかすかなる音、御前に響きけり。目の前にて歩みを止め、膝を折り、音もなく正座す。ふと目を外し見れば、皆が皆、御隠居様の所作に目を奪われたり。畳に両手を付きて頭を垂れ、口上を述べ入る。
「五摂家に列なりし者として、畏みて、ここに奏上いたし奉る」
身を起こして背筋を伸ばし、膝の上に手を重ね、主上を見据えけり。
「申せ」
主上の御声、わずかに上ずり給いぬ。
「足利との此度の和議、成らざるならば、三種の神器なりといえども、京に御返し申し上げたく存じ奉る」
しばし沈黙あり。万一に備え、身に力を籠めおく。
「朕こそ、大和の正統たる帝なり。神器と共にあるのこそ、理なり」
楠木殿の鼻息、いよいよ荒くなりぬ。
「平氏の如く、」
「おのれ!」
怒声を上げて立ち上がらんとする楠木殿を、又隣の六条殿と共に抑え込む。
「くっ、離せ!九条とて、足利の手先と成り下がりしや!」
御隠居様、動ぜず、横目にてそれを見返す。
「御前にてあるぞ!」
右府禅門様の一声にて、力を抜きけり。衣を正し、改めて座り直りぬ。主上の謦咳(咳払い)に接し、皆畏みて拝聴す。
「和議の最中に脅しをかけること、五摂家の習なりや?」
主上、静かに問い給う。
「両朝御流相代の御譲位、御受け賜りませ」
「足利を信ずるべしと、そなたは申すや?」
「持明院、此の事を知らぬと存じ奉る」
「なんと!」
(なんと!)
皆驚きて、ざわめき始む。再び謦咳に接す。
「自らの帝を欺く者をば、いかにして信じ得む」
「たとえ偽りなりとも、京に御戻りなされば、戦の時を延ばし得ると存じ奉る。譲位を確ならしめんと欲せば、足利を討つべし!」
御隠居様、此方へ向き、楠木殿に鋭き目を向け給う。重き言葉に、皆静まれり。
(もはや、ここまでか)
「誰が始めし争いなるや、孫の代に移りても、なおも因果に縛られけり。業が命を欲するならば、いつか果つるその日まで、我ら五摂家、御身を守り奉らむ」
静かなる言葉に添えて、再び頭を垂れたり。皆涙し、鼻をすする音ばかり響きけり。




