17話 (永海)
ーー永海ーー
沈みたる気色のうちに、皆にて夕餉を参る。
「ぅぐ、ひっ、ひっ」
鼻をすする琳海の頬より、大粒の涙こぼれ落つ。椀を置く音ばかり、響きけり。
夕の勤行を終えて、寝支度を調えたり。筵を敷きて僧堂を出でむとすると、琳海が後より従い来たる。
「掛海様と語らいて参る」
「永海様も叱らるるでござるか?」
灯火にほのかに照らされける琳海の目に、涙が浮かびけり。
「他のことにて。そもそも叱らるるに足る事にはあらぬ」
「されど、山海様までも叱られて」
鼻をすすり始めたり。
「山海など、さらに叱られ給はばよろしきことなり」
山海がいささか不機嫌げに背を向け横たわり、照海は笑いを堪う。
「上弟子には’様’を付けねばなりませぬ」
「上弟子といえども、常に正しきとは限らぬ。日頃励む琳海をわかり給わず」
「山海様はさらに励み給うなり」
照海の方を見やる。
「寝る前に厠へ参らむ。琳海も共に行かぬか?」
機嫌のよき照海に灯油を渡し、三人にて廊下を歩みゆく。
「永海に御座いまする」
「入られよ」
戸を引きて中に入り、険しき顔の掛海様と向き合いたり。
「この辺には神様さどおはさぬと申せし」
深き息をつき、しばし静かにありけり。
「さりげなく尋ね出ださざりけむや?」
「悟られ申した」
語りをことごとく詳らかにすれば、また思い入るなり。
「あの者、童とは見えぬ」
「拙僧も左様に存ずる。失礼なることを申すなれど、掛海様と面と向き合わするが如く覚ゆるなり」
「ふっ、そちもか。儂はあの者の背に、師匠方を思い見たり」
「いかなる者にござろうか?」
「知らぬこそ仏なり。右平次様が隠さむとせしも、やむを得ざることよ」
「よもや、氏神様にてあらせらるると?」
「地蔵菩薩なれば、いかに致さむや?」
「、、、飢えに苦しみ、子を失せ、さらに亭主をも失せにしあの母を救はむがためと?」
「地蔵菩薩本願経にある二十八種利益はいかがや?
一者天龍護念、天の中川の暴れ竜ならむ。
五者衣服豊足、右平次様がおはす。
七者離水火災、水難を免れむがための、御告げなるべし。
八者無盗賊厄、襲われにけるな。
十者神鬼助持、山の神様や?
十三者端正相好、目鼻立ち整いたり。
十六者宿智命通、過去世に通じておるやもしれぬ」
「、、、逆様にてはござらぬか? 地蔵菩薩が、あの者のために御告げを与え給いしとすれば、理に適うなり」
「あの母が餓鬼道、地獄道にてあらば、聖観音にてあらせらるるや?」
「なれば神通力を用いることも叶い申しそうな」
「はぁ、心の内をことごとく悟られておはしたか」
「掛海様の苦悩を、理解し給うべし」
またふと、思いに沈みたり。
「御本尊を眺めつつ、’ただの木’と申された。読み書きもならず、般若心経を唱えらるると思うや?」
「また座敷を使わさせ給え。琳海ならば心に思い事なく、接して給はむ」
「左様に致さむ。明日は山に入らぬと申された。それと、右平次様に話あると申されるよう、頼み給え」
「任せ給え。さて、山海の事なれども」
「すこしく明かすよりほか、あるまじ。右平次様と語らい申すまで、しばし時を稼ぎ給え」
掛海様の居間を後にすれば、微かに般若心経の声、聞こえ来り。
「しばし、よいか」
僧堂の戸の前より、山海の声せし。二人にて暗き廊を歩み、肌寒き外へ出でたり。
「我が身に副住持が務まっておらぬや?」
「少しばかり、時を賜りたく。ようやく御告げの意を解き知り申そうに存ずる」
「あの童や?」
「身は童なれど、内に何か秘めたるものあり。神通力を用い得るやもしれぬ」
「なっ、菩薩と申すか!」
「寺を継がむと欲することは分かるなれど、下心を以ちて接すれば、心の内を悟られかねませぬ。何も知らぬ琳海ならば、よう相手をして給はむ」
「また苦労を掛け奉りぬ」
俯きて鼻をすすり始めたり。
「寒う御座れば、長居し給うなよ」
独り僧堂へ戻りゆく。
「叱られ給はなんだか?」
暗き中、琳海の隣の筵に横たわりぬ。
「弥太郎の事を語り来り。明日より座敷にて経を授けむと思う。琳海も手を貸してくれぬか?」
「よろしゅうござるか!」
「弥太郎は、早う身を横たえんと致すゆえな」
「くふふふふ」
「拙僧も手を貸し申そう」
「照海は栗を好むか?」
「な、何事も御座りませぬ」
(勘のよき者よ)
栗の木の下を思い浮かべつつ、目を閉づ。




