60.雨に溺れる(1)
リリステナへと向かう道中で、光をため込んだ雨が空から降り始めた。
「これは……」
パレードの音が止んでいたからか、少し離れた位置を先行するシュバリエの声がよく聞こえた。
シュバリエには、この雨が何なのかが分かっていたのだろう。
声すらも濡れているかのようだった。
「……赤ずきんさん、目的地までは後どれくらいなんですか?」
「まだまだ、先ですね。結構距離があるので、疲れたようなら、一度休みましょうか?」
「いえ、このまま行きましょう」
イフェイオンは立ち止まることが出来なかった。
今立ち止まってしまっては、もう歩き出すことが出来ないような気がして、胸が締め付けられそうだったのだから。
◇
アグスは避難所の惨状を見て、強く唇を噛み締めた。
「魔女が、これを……」
「あんたが気に病むことじゃないわよ……」
マーキュリーがアグスのことを気にかけて、そう言うが、その言葉は彼には届かないでいた。
「……ああ」
在りし日の記憶がアグスの中で蘇る。
貴族として暮らした幼少期に起きた、とある事件と重なった――
「――お兄ちゃん、庭園まで遊びに行こ?」
アグスの妹メリシアは生まれつき、病弱だった。
だから、屋敷の外にはめったなことでは出られない。
それでも、彼女は遊ぶのが好きで、よく、アグスと庭園まで散歩に行って、見慣れた景色でいつも楽しそうに振舞っていた。
「わかった。でもあまり、前みたいに動き回らないようにな」
「はい!」
アグスたちは、両親から愛情をもって育てられてきたと思う。
ただ、病魔にはそんなものが関係ない。それだけだった。
メリシアは、ついに歩けなくなった。
「メリシア、調子はどうだい?」
「あら、お兄様。ごきげんよう……」
メリシアは窓辺から外の様子を眺めていた。
「今日は、いい天気ですね」
「……そうだね」
前より気力がなくなった様子の彼女を見て、屋敷内も次第に暗くなっていく。
母は気力がなくなり、父は仕事に熱中するようになってしまった。
だから、せめてアグスだけでも彼女を気にかけようとしていたのだ。
「お兄様、良ければ、外へ連れて行ってくれませんか? 庭園までで大丈夫ですので」
「歩けるのか?」
「はい、今日は少し体調がいいので……」
メリシアは優しく微笑んだ。
「分かった」
花の香りが満ちた庭園の中で、杖を突きながら歩くメリシアを見つめ、アグスは考える。
何故、メリシアがこんな思いをしなければならないのかと。
でも、考えても意味はない。
自身には、何もできないのだから。
「今でも庭園が好きなのかい?」
アグスがそう問いかけると、メリシアは少し考える仕草を示した。
「……どうでしょう? 今は、そうでもないかもしれません。でも、好きな物はありますよ?」
「好きな物?」
メリシアはアグスの方を見つめ、空を指さし、言った。
「星です」
アグスはメリシアが指さした先を見る。まだ昼間だ。当然、星などが見えないことは分かっていた。
それでも、彼女の気持ちにアグスは答えたかったのだ。
「星?」
「はい、星は綺麗ですし、夜の暗闇の中でも私を支えてくれますから……」
メリシアは笑いながら言う。
しかし、アグスは気づいてしまった。目の奥が笑っていないことに……。
「……そうか」
「ええ……」
メリシアは頭を傾げ、俯いたアグスの顔を覗き込む。
「お兄ちゃん?」
その言葉に、アグスは昔を思い出す。
「え?」
「冗談です。どうですか、昔を思い出しましたか?」
「あまり人をからかうなよ……」
「えへへ、失礼しました」
そんな談笑とも呼べない会話を終え、メリシアを部屋へと送る。
その日は天気が良かった。だからアグスは、夜中に外へと出て、メリシアの言っていた星を見ようとしていた。
それが、幸か不幸かだったのかは分からない。
しかし、その日の夜に事件は起きた。
メリシアが、魔女であることが判明したのだ。
それも、屋敷の住人を皆殺しにしたことによって。
「ただいま戻りました……」
アグスが、戸を開け屋敷内へと戻って来たが、人の気配を感じなかった。
時間としてはそれほど遅くもない。
事前に使用人には、このくらいの時間に戻ってくると伝えていた為、本来であれば出迎えなどがあってもおかしくないはず。
それなのに、屋敷の中は不気味なほどに静かだった。
「……灯りはついている……なんだ? なんでこんなにも静かなんだ?」
アグスは一抹の不安を覚え、近くに飾られていた鎧の剣を手に取った。
「誰か……! 誰かいないのか……?」
「あら、おかえりなさい。お兄様……」
アグスが屋敷の奥へと人を探しに行こうとした時だった。
後ろから、メリシアの声がした。




