59.種を撒く
液体のような空が雨となって降って来た。
その報告を受けたディガードは、部下に待機命令を出し、一人外へと出てきていた。
「ロベリアの覚醒。それ以外は全て順調だ……」
そう、ディガードの計画は、あと少しの所まで進んでいた。
「人間一人ひとりを少しずつ調べ上げ、イフェイオンの解析も済み、今まさに種を撒くことが出来ている……」
しかしながら、不可欠なピースが運任せという状況下。
「……あと少し、あと少しだ。ロベリアさえ、覚醒を遂げれば……」
顔をしかめながら、ディガードは天を仰ぎ、手を高らかに掲げる。
ポツリと肌に落ちた雨粒は、どこか温かく、手に触れた瞬間に弾けて消える。いや、体の中へと吸収される。
これが根源だ。
本来であれば、人間は見ることも触れることもできない。
術式に通せば、自身の体を駆け巡る根源を感じることもできるが、あれらは純粋な根源とはまた違う。
かつてのディガードが編み出したそれは、人のために根源をチューニングする技術だ。
それらに命令を与え行使する。
誰も気にも留めないような些細な違い。それこそ、魔女であっても、その違いを明確には認識できないような小さな違いだ。
しかし、それでは駄目だったのだ。
「そう、駄目だったはずだ……私はかつて、失敗したはずなのだ……」
人を魔女へと変化させるためには、純粋な根源に触れさせた方が安定するはずなのだ。
だが、人の身では根源に触れることは叶わない。
ならばどうするのか。
魔女の力を使う他ない。
魔術の中に、共有と言うものがある。これは魔法を元に作られたものだ。
端的に言えば、他者と術者を繋ぐ魔術。魔術師がこれを使えば、当然チューニングされた根源での接続となる。
ならば、純粋な根源を操ることのできる魔女であればどうだろうか。
この降り注ぐ雨は、魔女アレノスがあらゆる人間と魔法で繋がった証だ。
根源を用いて人々と、世界を共有した。しかし、魔女アレノスが魔法を使用したまま死亡したために、パスが途切れ、共に見ていた世界が崩れ始めたのだ。
「……」
ディガードは呼吸を整える。
「いわば、これは種まきだ。いつか来る目標を叶えるための、下準備に過ぎぬ……」
ディガードは一つ、深い息を吐いた。
空から落ちてくる、雨粒の一つ一つを噛み締めるようにしながら、深い深い息を吐いた。
◇
「ディガードよ、私はもう迷うことはないだろう……」
星の雨に当てられながら、仮面の男ヘケロン・オディクスもまた、空を見上げていた。
人でも魔女でもない成れの果てとなって、何百年もの月日が流れた。それでもこの選択に後悔はなかった。
例え、友が自身のことを忘れてしまっても、自身が暮らした故郷が火の海に呑まれる様を目の当たりにしても、心が折れることは一度もなかった。
自身は生きる証なのだ。ディガードがこれから成すことの全てを知り、彼が残した研究成果を保管する。
自身の体ですら、その一つに過ぎないのだ。
人の歴史、これまでの事象、積み上げてきた価値。その全てが美しい。
だからこそ、ヘケロンは友のためにその全てを保管する。
「私はどこかで期待していたのかもしれないな……君が、私のことを思い出し、また私を頼って、傍に置いてくれるかもしれないと……」
ヘケロンは仮面を取った。
体の奥底から延びる手が、顔の中から天を掴もうと蠢き、雨粒に触れる度、満足したように内側へと戻っていく。
「例え、君が私を忘れていたのだとしても、私はまた、君の助けになりたいのだ……だからどうか、私の憧れを背負ってしまった君の行く末を共に歩ませてくれ」
ヘケロンは何かを決心したかのように仮面を被り、暗闇の奥底へと消えていく。
影を纏い、生きていく――何でもない自分にしかできないことを成すために。
◇
「もうすぐ外だよ……だから、静かにね」
赤ずきんに連れられ、シェリーたちは外へと出た。
時刻はアレノスが倒されるよりも少し前。まだ、パレードの音が鳴り響き、空が水面の様に揺れる頃。
その光景を見て、ユニ・フローラは何かを飲み込むように、悲しそうに口から言葉をポツリ吐いた。
「アレノス……」
ユニ・フローラは、もうディガードが後戻りできないであろうことを嫌でも理解させられる。
その様子を見て、シェリーは何かを感じ取ったが、決して口にすることはなかった。
自分がここで何かを口にしたとしても、今はきっと、意味がないのだろうから。
「さっきの光のこともあります。皆様、ここは早々に離脱しましょう」
シュバリエが言った。
その言葉に皆が賛同し、一度リリステナへと戻ることとなった。




