足跡と残滓 前
白くかがやく蝶が頭上を舞っていた。
きらきらと飛ぶそれをしばらく眺めていたクレハは、自分の役目を思い出して数回瞬きをする。
「……はじめまして、メァルチダ。それとも久しぶりかな?」
クレハは蝶に話しかける。返事はない。
あたりを見回せばそこはつい数日まで入れられていたメドゥサの集落にある牢だった。
旋回すると、扉の隙間から蝶は出ていく。
――呼ばれている。
緩慢な動作で追いかけ、扉に触れるといとも簡単に開いた。
その先はにじむように景色が変わっていき、森の中にいた。
地面は抉れており何かが起きたことを示している。
しばらく考えたあとにクレハは思い出した。ワーウルフの住処の近くであり、この抉れた土は暗黒竜スーとの再会の場所だ。
「スーはどこにいるんだろう。君もあの子のことを可愛がっていたよね」
蝶は道を案内するようにひらひらと先へ行く。
クレハが行く手を阻む草を持ち上げた時には風景は変わっていた。
ゴトゴト国の街並みだ。噴水や、花畑。遠くにはキュロヒのいる建物が見える。
進んでいくと蝶はドヴェルグの工房へと入っていった。一歩踏み入れる。
「ここも見覚えがあるな」
再び森の中であるが、先ほどと違い綺麗な泉がある。
ユニコーンと出会った場所だ。本当にあの一連の出会いは何だったのか理解に苦しむところではあるが。
蝶は水面を飛ぶ。
「そこに入るの? 僕泳げないよ。あれ、泳げたっけ? まあいいか」
泉に足を沈める。冷たさはない。そもそも感覚など、とうの昔に失ってしまった。
つむじまですっかり潜ったとき、水は消え去っており、朽ちた建物と瓦礫の山が目の前に広がっている。
『魔王城』だ。かつてクレハを苦しめた研究施設は、封印されたクレハを縛り付ける場所になった。
「最悪」
思わず顔をしかめる。だが、何に対して不快な感情を抱いているのかクレハは思い出せない。
拷問まがいの実験の日々でクレハは様々な記憶をこぼしてしまった。
元の世界のこと――特に、両親や友人などつながりのあった人々の顔や声をもう思い出せない。こちらの世界では最近までキュロヒやネフィーのことを忘れていた。
クレハをクレハたらしめるものは、ほとんどない。
思考に沈むクレハの前を蝶は急かすように飛び、瓦礫でてきた空間へと消える。
「君は簡単に行けるだろうけどさ……」
文句を言いながらくぐり抜ける。
すべてが黒に塗りつぶされた空間だ。枯れ木がぽつんと立つだけであとは何もない。
蝶と共に進むと、いつの間にか森にいた。作りかけの矢、干された毛皮に、家の壁に描かれた文様からエルフが住んでいる場と推測できた。
「根の国と、エルフの村か。散々だったね」
直線を引いたかのようにすっぱりと森が消える。
足元に一瞬海が現れて、消える。
顔を上げるとかつてはひとが住んでいたらしい村が目の前にあった。あたりは荒野で川も枯れ、生活圏としては成り立たない。
「マーフォークの兄妹を帰した海と……ドクロがいた場所……」
無表示でボロボロの家屋を眺めていると、蝶がクレハの視界を邪魔して飛ぶ。うざったそうに顔を振り、足を進める。
根を地面に這わせた巨大な木々が生えていた。デスサクラだ。
動かないデスサクラの隙間を通ると、わずかに視界が揺らぎ、海の底に着いた。
「マーフォークの街? きれいなところだ」
石をくり抜いて作られた家が並び、サンゴや貝殻で道が飾られている。歩くことはしないのでこうした飾りもできるのだろう。
コツリとつま先になにかが引っかかる。見れば、船の甲板の一部だった。それを中心に船が現れる。
クレハは船の中にいた。だだっ広い空間で窓もない。
「奴隷船かな。意外に小さい船だったんだね」
ちらちらと雪が舞い降りてくる。振り返ると白銀の世界であった。
クレハは雪の上に立っている。通常なら胸まで埋まっていただろう。
蝶が雪と同じ色なので目を凝らしながらついていく。
「エティのところか。巨大な蛇を倒したんだからすごいよ」
雪が舞い上がる。
少しずつ色づき、それは城壁の形をとっていく。
クレハの前にはムシの羽根が貼り付けられた城壁がそびえ立っていた。
城壁をくぐると豪華とまではいかないが、丁寧に作られた道や鮮やかなタイルが張られた建物が広がる。あちこちにムシの絵が描かれた看板が立っている。
「ムシの国? へえ、こんなところなんだ」
近くの噴水の上を蝶が飛ぶ。覗き込むと、またたく間に水が広がり、小さな池となる。
拓けた場所に池はあった。花が咲き美しい場所だ。少し考えて、クレハは「ああ」と思い出す。
「聖女ちゃんとスライムちゃんが出会った場所だ。聖女ちゃんが毒池に叩き込まれた場所ともいう」
やけに蝶が手元のあたりにまとわりついていることが気になって手を伸ばすとドアノブを握っていた。そのままひねり、引っぱる。
明るい色の木材で作られた家だ。落ち着いた内装はどこか寂しさを感じさせる。
「おじゃましまーす……」
四人がけのテーブルがあり、その上にはジャム瓶が置かれていた。
背をかがめ、これが毒で作られたジャムかとまじまじと見る。確かに見た目には宝石のように美しく、おいしそうな艶をしている。
背を伸ばして蝶を探すと、窓辺で止まっていた。
「疲れたの? メァルチダ」
窓に触れると、触れた先から家が溶けるように崩れる。
代わるように真ん前には石を組んで作られた城壁が聳立していた。
「……」
城門を通り過ぎる。
修道院の回廊が先の先まで続いているが、ところどころ別の場所も混じっているようだ。
城下町や、王城の通路、質素な部屋。それらが何度も繰り返し現れる。
ただひたすらに歩いていくが、奥が見えない。終わりがあるのかも分からなかった。
ふいに見たことのない景色が現れた。庭園は様々な花が咲き誇っており、背の高い花が植えられた片隅は子どもが隠れられそうな空間がある。
クレハが指先を伸ばした先で花が崩れ、再び回廊へと戻された。
「直線の回廊って回廊と言わなくない?」
ぼやくが返事は返ってこない。期待はしていないのでどうでもよかった。
延々と歩いていると、それまでとは違う変化が起きた。
それまでなかったはずの木製の扉が道を塞いでいたのだ。鍵が掛かっていたが掴むとボロボロと砕けた。扉を開ければ下へと続く階段が現れる。
中は闇が停滞していたが、迷うことなく蝶と共に降りていく。
「なんだろう、ここ。地下貯蔵庫?」
一番下にたどり着くが、明かりがなく真っ暗だ。魔法火を灯す。
ふわりと広がる光が照らしたのは――
「……」
横たわった幼い少女だった。粗末なズタ袋を服のようにかぶっている。
足と腕は枝のように細く、頬はこけ、長い銀髪を床に散らしている。
2歳かそのあたり。クレハは見当をつけてみるものの、あまりにも小さな体躯なので実際の年齢は判断できない。
蝶は少女の肩にとまる。
「聖女ちゃん」
クレハは膝をつき、少女に顔を寄せた。
「聖女ちゃん、起きて。戻ろう」
少女はぴくとも動かない。深く眠っているのか、あるいは聞こえないのか。
壊れものを扱うようにクレハは少女を抱きかかえた。
出口に目をやると、先ほどは無かった無数の太いトゲが通さないとばかりに生えていた。ほか3面は壁であり、しっかり閉じ込められている。
蝶は壁の前をひらひらと羽ばたく。
「出口がないなら作ればいいんだよね。分かるさ」
腕が塞がっているため足を上げようとしたときだった。
少女は目を薄く開き、骨と皮だけの腕を壁へと伸ばした。その先で壁が嫌な音を立てる。
とっさにクレハは少女を庇うために覆いかぶさった。直後、轟音が鳴り響きすべてが崩壊した。
目を開けたとき、クレハは柔らかな椅子に座っていた。
同じ椅子が少しずつ高さを変えながら後ろまで整然と続いている。ひじ掛けの穴はドリンクホルダーという名前だったか。
大きなスクリーンには何も映し出されていない。橙色の室内灯が眩しくないように、しかし足元はしっかりと照らせるように点いていた。
「ここは、なんですか?」
隣で声がした。そちらを向けば、いつもの姿のパメラが座っている。
初めての場所にしては背もたれに身体を預けてリラックスしていた。図太い神経だ。
「映画館だよ」
「エイガカン」
「えーと……物語を、動く絵や写真で表現するんだ。それから、場面にあった音楽が流れたり、セリフを読む専門の人もいる。それを1時間とか2時間ぐらい見る場所だ」
「面白いんですか?」
「面白いこともあるし、クソつまらないときもある。学生料金が安い映画館が地元にあったから、よくきょうだいに引きずられて見に行ったよ」
そういうのは覚えているんだなと苦笑いする。
どうでもいい、ありふれた記憶のはずなのに。
クレハは立ち上がろうとする。どのくらい時間が経過したか不明だが、早く戻るに越したことはないだろう。
なにしろパメラにひどく愛着を抱いている仲間たちだ。一日千秋の思いで待ちわびているはずで、遅くなればなるほど小声の時間が延びかねない。
「あっ」
パメラがクレハの袖をつかんだため、クレハは立ちそこねた。
あたりがゆっくりと暗くなってきたことに驚いたらしい。
「なんで明かりが消えたんですか?」
「……君がそう望んだからじゃないの? 映画を見てみたいって」
ここはパメラの精神世界のようなものだ。彼女が無理だと思わなければなんだって出来るだろう。
だから、クレハはてっきりパメラが好奇心から映画を上映させようと試みたのだと思った。
間違えに気づくのはすぐ後だ。
「映画を見るのに暗くする必要はあるのですか? 見えないのでは?」
そう、パメラには映画館の知識など何一つない。
では誰が上映しようとしている?
ここにいるのは、クレハと、パメラと、
「たらーん!」
前の座席から蝶が舞う。
ほんの一瞬光を放つと、蝶はヒトのかたちに――少女の姿に変化した。
黒髪黒目、セーラー服。スクリーンの光で逆光になってはいるが人懐こい笑みを浮かべている。
「ひどいなぁ、せっかく案内したのに仲間はずれにするなんてっ」
「メァルチダ……」
「残念、私はメァルチダでも円美でもありません。『女神の輝石』と呼ばれる、女神の残滓。搾りかす。未練。まあなんでもいっか!」
『残滓』はくすくすと笑う。
「私はもうじき消える。メァルチダがかつて望んだように、意志のない純粋なちからと成る。それを私は受け入れる」
でもね、と悲しそうに頬に手をやった。
「私が今まで宥めていたこの子たちの苦しみや、悲しみ、怒りは、どこに向けたらいいんだと思う?」
「この子たち、とは……?」
「いるじゃない。周りに」
つま先まで隠す白い布を被った何かが全ての席を埋めていた。
ふたりのまわりにも囲むように立っている。
静かに、声を持たないかのように。
「まさか、これ……いえ、この方々は……」
「そう。全部じゃないけどね」
『残滓』は頷いた。
「歴代の聖女。この子たちも、私と同じく『残滓』。壊された自我の破片」
「彼女になにをさせたい?」
クレハはパメラと『残滓』の間に立つ。
かつての友人と同じ顔の存在を睨みつけながら問いただす。
「恨み言でも聞かせるのか?」
「違う違う。そんなちっぽけなものじゃないの」
『残滓』は手を広げる。
一切の表情を無くし、言う。
「パメラ・ドゥー。この子たちをどうするか決めなさい。そうしなければ『女神の輝石』はあなたごと呪いとなり、すべてを滅ぼします」




