21.継承、そして
未来を嘱望された王・イブラヒムの退陣は、あっさりとしたものだった。
度重なるスキャンダルに見舞われ、支持率を急激に落とした王を惜しむものは皆無に近かった。しかしそれも、最初の民衆の大いなる期待や、これまでの奴隷制撤廃などの成果を考えれば、無理からぬことかもしれない。
それに伴い新王モンゴメリーの戴冠式も華々しく行われた。それは全国民の大きな失望を穴埋めするような形であることは明白だった。
「この私こそが、真にアズリエル王国を未来ある国にして見せましょう!」
そう高らかに宣言するモンゴメリーを、民衆は受け入れはしたものの、いまだ旺盛に対する不信感は拭えなかった。さらには閣僚内でも彼を内心嫌悪する者により、行政の統率が取れないことが予想はされていた。
その予想は的中した。
モンゴメリー王はいまだ内戦の火種が燻る地域への積極的な派兵、そして軍備増強や増税といった政策を次々と打ち出していった。当然の様に戦火は激しくなり、民衆の間にも反対派の数は目に見えて増えていった。しかしそれでも保守層からの一定の支持は途絶えず、現政権は安定かのようにも思われた。
「…これが、この国の行き着く先と言う事か」
イブラヒムは手にした新聞を眺め、深くため息をついた。イブラヒムが全力を注いで革命を起こした結果、アズリエルはお互いを憎み合い、戦乱の絶えない国へと変貌していった。自らの理想の行末に、イブラヒムは肩を落とす他なかった。
「…イブラヒム、様」
その背を見つめるユーリが、小さく呟いた。その声色にも、やはり感情の動きが見て取れる。
そうして最後には、哀しげに目を伏せるのであった。
その数週間後、二人は国会の傍聴席へと招かれた。
おそらくは宿敵であったイブラヒムに、当て付ける意味合いも含めてのことだろう。世界が我がものへと変貌していく様を見せつけるという事である。
そこでは治安維持の名目の元、人種隔離政策の制定が進められようとしていた。それはつまり、亜人の施設利用や行動を制限し、実質的に純粋種の人間よりも下位に位置付ける事と同義である。さらに言えばモンゴメリー王の即位中にこの法はいくらでも改変が自由な為、また奴隷時代に逆戻りというのが一般的な見方であった。
「奴め…そこまで俺に、自分が勝つ様を見せつけたいのか」
「イブラヒム様、如何されますか?」
「…行くしかなかろう。ここで黙っているのも癪だ、せいぜいヤジでも飛ばしてやるさ」
そして開かれた国会には、既に閣僚を始めとした要人たちが詰めかけていた。中央に座するモンゴメリーだけは自信に満ち溢れた笑みを崩さなかったが、周りに人間の顔はどこか薄暗かった。
そんな姿を、イブラヒムもユーリも不快な気分で見つめていた。立場上彼に付いていかねばならない者、逆に反しなければならない者、どちらの側にとってもモンゴメリーは愉快な存在ではないということであろう。
「やぁ、イブラヒム…それにユーリじゃないか」
そこには懐かしい顔があった。ダントン・デュボワ、イブラヒムの唯一無二の親友の一人だ。
「ダン…久しぶりだな」
「お久しぶりです、デュボワ卿」
「ハハハ、ユーリは相変わらず老けないな…二人とも、ここに座れよ」
ダンは自らの隣の空席二つを指さした。
イブラヒムはその行為を受け取り、ダンの隣に座ることにした。
「君も招かれたのかい?」
「ああ、モンゴメリーにな。しかしダンはどうして?」
「アイザックだよ。彼も今や、王室の中では重鎮の一人だ。」
もう一人のイブラヒムの親友、アイザック・ロレンゾも今や元老院議員としては古株の部類である。どちらかと言えば中道右派ともいえる彼ではあるものの、当時のイブラヒム政権時代の人種的平等にも賛成を示すといった柔軟さは、左右問わずに一定の支持を得てはいた。
「しかしもうアイザックでも止められないだろう。民衆も政治家も、皆分断の道を選んだ。それを今更、俺の力では止められない」
「…本当にそうかは、自分の目で確かめてみるといい」
ダンは何故か、不思議な微笑みを浮かべていた。
「それでは、これより本会議を始めます」
そうして国会は始まった。
「それは本日の議題である人種的措置法案について、王室統制局ハンス・クラン局長。王室代表としてどうぞ」
「はい」
彼が立ち上がると、モンゴメリーのニヤリとした笑いも一際深くなった。
「国内での治安悪化を受けまして、モンゴメリー王陛下をはじめとする我々王室は、ここに非純粋種における公共施設の利用を区分するなどの人種的措置法案を提出します。両者の怨恨は非常に根深く、解決の兆しはありません。
であるならば、居住区・利用施設ごと皆を物理的に距離を置くのが、ベストな解決策であるとの見通しです。それがお互いの尊厳や権利を侵害することはないという前提の元であれば、それは一つの法案として認められるべきであると思われます」
白々しいことを、とユーリもイブラヒムも共に感じていた。
これまで現政権によって亜人たちに割譲される土地は、大体においてが未開の地であり、農作物を育てる以外は特に何も価値のない土地だった。それならまだマシな方で、砂漠化の進んだ地域を割り当てられる者もいた。
第一いまだに参政権さえも持たない身である彼らをどう扱うか、それは目に見えて明らかであった。それをここにいる全員が肌で感じているであろう。
「では、賛成の方は挙手をお願いします」
誰一人として、手を挙げるものはいなかった。
「…え?」
その光景を、イブラヒムは一瞬認識できなかった。同じくモンゴメリーを始めとした王室側の人間も、何が起こったかわからないといった雰囲気で口を惚けたように開けていた。
「もうよろしいでしょう、局長殿」
アイザックは立ち上がり、口を開いた。
「非純粋種を差別しているかしていないか、それは些細な事だ。それよりも皆、これ以上の戦いを恐れている。貴方やモンゴメリー王、そしてそのお父上が為されたように、分断を進めればお互いの身がすり減るばかりだ。単純な損得感情を持っていれば、その事は嫌でもわかるでしょう」
「ば…バカな! 貴様らは、俺に歯向かう気か⁉︎」
「恐れながら陛下、あなたを心より慕い、支持する者はこの場には居ないでしょう。皆あなたからの力を恐れて、常に首を縦に振っているに過ぎない…それでは、いつかボロが出る」
そしてアイザックは、全員に訴えかけるように言った。
「皆さん、ここでもう一つ審議されるべきことが、もう一つあります。
それは先王イブラヒムがやり残した貴族制の撤廃、そして非純粋種たちへの参政権付与という事についてです。
分断ではなく融和…それこそが彼の悲願でした。そうした政策を前政権が押し進めた結果、争いの元となった人種間の軋轢は徐々に無くなっていったのではないですか? さぁ、皆さん…ご決断を!」
次の瞬間、イブラヒムは我が目を疑った。その場にいた議員の8割以上が、アイザックの法案に手を上げた。
国の中枢のほぼ全てが、イブラヒムの理想を選んだのだ。
そしてアイザックは高らかに宣言した。
「いまだ先王の理念は果たされてはおりません。しかしこれは、大きな一歩となるでしょう!」
するとどこからともなく、傍聴席からは拍手が聞こえてきた。やがてそれは伝播していき、ついには議事堂を埋め尽くすような大きな喝采となっていた。
「これは…」
「アイザックが、根気強く説得したのさ。みんな大なり小なり、君の言葉に心を動かされていたんだよ。
これは君たちの勝利だよ…イブラヒム。そして、ユーリ」
ユーリもまた、信じられないといった表情で、この光景を見つめていた。
しかしイブラヒムは最後に見た。
彼女の頬に、一筋伝うものがあるのを。




