19.モンゴメリー王子
モンゴメリー・クリュス王子。
王位継承者としてはかつて第二位に位置し、幼年であるが故に養子となったイブラヒムにその王座を明け渡す事となった男である。イブラヒム亡き後にその座を継ぐのは彼であるというのが、関係者の間では常識に近かった。
しかし民衆も政治家たちも、誰しもが彼を見誤っていた。先王より受け継いだ選民思想、強烈な自己顕示欲といった、先王の負の部分を丸ごと受け継いでいるのが、このモンゴメリー王子であるということに。
「やはり、か…」
手にした書類を見て、モンゴメリー王子は酷薄な笑みを浮かべた。
それを見て媚び諂うように、ヘラヘラとした卑屈な笑みを周りの人間は浮かべていた。
「モンゴメリー王子の仰る通りでした。やはりイブラヒムは聖人の皮を被った偽善者です!」
「ふっ、そうだろう? 全く、この俺が言わなければ、お前らも調査さえしないのだからボンクラ揃いだな」
「いやはや、全くもってその通りで…」
モンゴメリーの明らかに見下した発言にも、周りの者たちは言い返そうともせずに変わらず遜った笑顔で、彼に対して世事を言うだけであった。その裏には、彼の強大な権力と敵意に対する恐怖があり、だからこそその光景は側から見れば醜悪である。
「これが公に出れば、確実に奴らは終わりだろうよ」
モンゴメリー王子の言葉が正しかったことは、すぐに証明された。
財務省から流出した財務記録の中に使途不明金や機密費の内訳があり、その額は歴代政権の中で最高額であった。それは先王の時代の実に三倍以上にも及ぶことが判明。瞬く間に王国を賑わす大スキャンダルとなった。
先の護憲派への攻撃疑惑と相まって、イブラヒムを始めとする現政権への不信感は急激に高まることとなる。明らかになった不正な金が、贈賄や凶行の”実行部隊”を雇うための資金として使われたという見方が濃厚になったからだ。
さらにイブラヒムを追い込むことになったのは、モンゴメリー王子がその権力によって起こした弾劾裁判である。彼はイブラヒムが憲法改悪のために数々の非道なテロを画策、王国を崩壊に追い込もうとする卑劣漢であると吹聴した。そうして弾劾裁判は行政府の中で過半数の同意を得、近日中に催されることとなった。
(…何ということだ!)
イブラヒムは手にした新聞を握り締めた。ユーリも側でそれを見つめていた。
そのニュースは否応なく彼に衝撃を与える事となった。彼の真の敵となる人物が、よもや彼の義理の親族であろうとは予想もしていなかったからだ。
しかも首謀者であるモンゴメリー王子はまだ若く、20代後半である。放っておけばイブラヒムは崩御し、勝手に玉座は自らのところに回って来る。
それを待ってはいられないと言うのが、イブラヒムにとっては完全に予期出来なかった。
「恐らくは、貴方のことが余程気に入らないのでしょう」
「気に入らない…?」
「人種的平等や和平を求める貴方が。モンゴメリーは生まれたその時から、特権階級のさらに頂点に立つ存在として生きてきました。
そんな彼からすれば、自らがいずれ立つ玉座の地位を下げようとする貴方は、一番の敵なのでしょう」
「…そんなことが、あるのか?」
「大いにあり得るでしょう」
イブラヒムは歯噛みした。自らが理想としていた世界の背中が、ようやく見えたかと思った矢先にこの有様である。
こうなれば弾劾裁判への出席だけは避けねばならない。理由はどうあれ政治資金を不正に利用したことは事実であり、その点においてイブラヒムは口答えは出来ないであろう。
「…やむを得まい。強硬手段を取らざるを得ないようだ」
「強硬手段、とは?」
「この裁判に関与した、司法大臣を初めとする関係者たちを罷免する」
「……!」
それはまさしく禁じ手であった。
この報告を受けた司法大臣らは激昂し、あらゆるメディアでイブラヒムに対する不満や不信を露わにした。これには世論も同調し、現政権に対する反発は目に見えて高まっていった。
そして新たに台頭し始めて行ったのは、モンゴメリー王子である。彼は先王の血を引く、正真正銘の正当な王である事を、世間に盛んに喧伝した。さらにはイブラヒムの事を、私利私欲のために王家に侵入してきた虫と呼び、口汚く彼のことを罵り非難した。
大衆のヒステリーに共鳴する手段は、イブラヒムに対する不信感が渦巻いているこの状況では功を奏し、一気にモンゴメリー新王待望論は大陸で高まりつつあった。
イブラヒムの策は裏目に出た。
貴族制撤廃、平等市民権の確定まで玉座を守り通す目論見は、逆に彼の政治生命を確実に縮めている。
(…どうする、どうすればいい!)
自室にて、イブラヒムは良の拳を握り締めていた。
その背をドアの後ろで見つめる瞳があった。
ユーリである。
「……」
その顔は相も変わらず無表情であったが、瞳には微かに感情の色とでも言うべきものを備えていた。
「くくく…はっはっはっ! 大方貴族制撤廃まで漕ぎ着けたかったんだろうが、そうはいかんぞ!」
モンゴメリー王子は嘲笑った。
「お前の抵抗など、所詮は無駄な足掻きなんだよ…それを俺が証明してやろう」
「し、しかし…これ以上のスキャンダルがあると言うのですか? 暴動の煽動や不正献金については、今のところ証拠は無いのですよ?」
「なぁに、任せろ。一つアテがあるんだよ…奴の最高の泣き所がな」
その夜、ユーリは町外れの廃墟に呼び出されていた。
基本的にこの近辺は柄の悪い連中でさえも近づかない、人がほとんど立ち寄らない場所である。そんな場所にもかかわらず、ユーリがこの場所に足を運んだのには訳があった。
(…本当に、ここにモンゴメリー王子が)
その左手には、モンゴメリー王からの手紙が握られていた。
内容は、指定された場所でイブラヒムを待つとの事だったが、王冠をかぶる人間が直接出張るわけにもいかず、ユーリがその代理として立ち会うこととなった。
朽ちてボロボロになったドアを開けると、薄暗いランプの明かりの中でモンゴメリー王子が、数人のボディーガードに囲まれながらニヤニヤと陰湿な笑みを浮かべていた。
「ほう、あの爺さんの鱗付き人形か。こんな非人種の女が代理人とは、俺も舐められたもんだ」
「…モンゴメリー、王子」
金色の髪に緑色の両眼、そして陶器のように白い肌。それは正当な王族の末裔であることを、明確に表す容貌であった。そしてその彫りの深い顔に浮かべた酷薄な笑みも、この国の王侯貴族を代表するものであった。
「我々に何の御用ですか?」
「もうわかってるんだろ? 俺の、お前らに対する要求が何か」
「…玉座を明け渡せ、ですか」
彼の望むものは、詰まるところ権力、そしてそれを行使して得られる快感である。だからこそ下層階級に肩入れするイブラヒムが気に入らず、そしてそんな男が自らが最も欲する椅子に座っているのが我慢ならないのだ。
「わかってるじゃないか。もう民衆もお前らを信じちゃいない、これ以上罪が公になる前に、大人しく俺に王冠を渡せ」
「いくらモンゴメリー王子とて、そう言われてすぐに首を縦に振るとお思いですか?」
普段から無表情なユーリが、この時ばかりは眉間にシワを寄せ、不快感を露わにした。
「大層不服そうじゃないか…俺がお前らの上に着くのが、そんなに嫌かよ」
「当然です。あなたは所詮、その権力を振りかざして弱者を痛めつけたいだけでしょう? その代表となるのが、我々亜人です」
「痛めつけたい、ねぇ。ろくに字の読み書きも出来ないクズは、痛めつけて教育するのが一番なのさ。家畜だって殴る蹴るで教育するだろうが?」
「我々は家畜ではありません。それに、家畜の側も嬲られることを決して望みはしないでしょう」
「全く、ああ言えばこういう女だ…しかしまぁ、これを見てもそう言えるかな? おい、連れてこい!」
「…‼︎」
モンゴメリーが顎を振ると、手下の一人と思われる男が奥の部屋のドアを乱暴に開け、一人の男を引っ張り出してきた。
その男にはユーリも見覚えがあった。痩せ細ってはいるが、その堂々とした体躯と堀の深い顔は、昔と変わらなかった。しかし今やその表情には一切の力はなく、虚な目で口元に涎を垂らしながら時折痙攣するのみである。
「どうだ、この男には見覚えがあるだろう?」
「…ミハイル・グスマン」




