15.隠密行動
社会運動家であるキール・エレインの名は、大陸内では知れ渡りつつあった。
それまでの人種的融和や共生を唱えた穏健派とは異なり、非純粋種による自治独立を訴え、最終的には東側大陸における亜人国家建設を目標としていた。
また彼らは自衛のために武器を携帯し、憲兵隊による武力行使に対しては、徹底抗戦の構えを常に崩す事はない。しかしそれゆえに、ごく少数の過激派やキール一派の名を騙った暴漢が取り沙汰され、彼らは暴力的反社会集団と見做されているのが現状である。
それにイブラヒムは着目していた。
彼らの代表にコンタクトを取り、早速ユーリが代理として赴くこととなった。
「…それで、用は何だね」
その長い白髪と刻まれた皺からは、キールが幾多の苦難を乗り越えきたであろう事が、容易に見てとれた。
彼らの根城は、すぐに判明した。キール本人ではなく、彼に近い仲間達を追跡・尾行すると、簡単に彼らの居所に辿り着いた。
恐らくは、キール本人は監視されている事は自覚していたものの、その仲間までは注意が回らなかったという所だろう。
「その前に…お会いする機会をいただき、光栄です」
ユーリは軽く腰を曲げ、礼をした。
「礼などいらんよ。奴隷に頭を下げられても、困るだけだ」
同じ亜人であるにも関わらず、キールはユーリに対していくばくか冷淡だった。
それというのも、彼は純粋種に付き従うだけの亜人を『人間の誇りを失った動物』として公式に発言するほど、その存在を嫌悪していた。政府の代理として人間に付き従うユーリの存在は、彼らにとって唾棄すべきものであるのだろう。
「…単刀直入に述べさせていただきます。亜人解放の為に、あなた方の力をお借りしたい」
「力を借りる? どういう事だ」
「我々の指揮のもと、武力による強襲を起こして頂きたいのです」
「…‼︎」
キールの鋭い目が、一気に見開くのが見て取れた。
「戦う意志をことさら強くお持ちの、貴方たちにしか頼めないことです」
「正気かね? 王族関係者が、テロを先導するというのか?」
「そう捉えられても構いません。無益な殺生は極限まで抑えて、という前提は無論ありますが」
「…詳しく聞かせてもらおうか」
ユーリは掌に術式を展開した。それは地図となっており、南の中立地帯ジラートが表示されていた。
「ジラートには王室統制局管轄の、非純粋種管理施設があるのをご存知ですか?」
「当然知っているとも。形ばかりの楽園で、常に監視の目を光らせている事もな」
ティアーノ国境沿いに位置し、永久中立地帯として存在する地。聖ミロワ生誕の地として、一切の戦闘行為が禁じられているジラートではあるが、その裏で管理を行なっているのはアズリエル側である。
実質的な支配権は純粋種にあり、人種的不平等の蔓延している状態にあった。
「立地上、ここはティアーノとの通信が多くなる。ここにはティアーノとの癒着に関する文書が残っていることが、こちらの情報で確認されています。ここを襲撃し証拠を公表すれば、世論は一気に非純粋種へと傾くでしょう」
その情報は確かだった。イブラヒムが放っていた内偵によれば、ティアーノ政府に資金を横流しし、亜人への差別政策を横行させるといった事態が先王の時代からあった。それを正すことで、憲法改正への追い風を強くするというのが、イブラヒムの目的であった。
「なるほど。しかし、そこまで情報を掴んでいるのなら、なぜ私たちに依頼する? わざわざ私たちを使わずとも、君たちで不正を暴けばいいだけじゃないのか?」
「確かにそれは可能です。しかしそれでは足りない。非純粋種が自らの手で自由を勝ち取ったという、英雄譚が後の世には必要になる。純粋種側には恐怖として、亜人側には民族的誇りとして。そのことを我が主人は、見通しておいでなのです」
「…気乗りはしないな。私も自衛のための武装程度は否定しないが、暴力による革命は望まない。そうしてできた遺恨は、生涯残る。まして歴史を変えるような革命ともなれば、その恨みは私の死後も語り継がれるであろう」
「仰る事はわかります。しかし、これは誰かがやらねばならない事…純粋種の側から、自然に良心が芽生えるのを待っていては、救えない命もあるのです。
確かにこの革命で、あなたは恨みを買うことがあるかもしれない。しかしそれ以上に、あなたは抑圧された人々を救うことが出来る。単純に恨みをぶつけるだけの暴力では、互いの憎悪が増すだけですが、ここで純粋種側の不正を暴くことができれば、その戦いにも正統性は生まれる。
もし本当に革命に命を賭す覚悟がお有りなら…ご決断頂きたい。光と影の両方を背負ったものとして、後世にその名を残す事を」
「…試されているというわけかね? 私は」
「ご自由に解釈していただいて構いません」
しばしの沈黙の後に、キールは溜息をついた。その後に、言い放った。
「いいだろう。君たちの計画に、乗らせてもらおう」
「ご協力、感謝いたします」
「ただし、極力相手を殺さないという事は守らせてもらおうか」
「ご安心を。荒事の8割は私が担当します。私ならば、殺さないよう手加減することも得意ですので」
その言葉は事実だった。基本的に先頭に関しては、素人の寄せ集めであるキールたちに対し、ユーリは軍人にも等しい戦闘訓練を何年も重ねてきた。まして有鱗族としての戦闘能力も加われば、相手を殺さずに制することは容易いことであった。
「…恐ろしい女だ。敵に回さなくて良かったよ」
「褒め言葉として、受け取っておきます」
建物の周囲は、警備兵5名が交代制で見回っていた。
人が入れ替わるタイミングで生じる一瞬の隙をついて、ユーリが先陣を切って突入する。
周囲の警備兵を無力化させた後は、極力ユーリが荒事を引き受け、後の人間は後方援護に回る手筈だった。
「…制圧するのは、恐らく難しくはないはず。見た限りでは、彼らは手練ではありません」
「一応確認だが、必要以上の殺しは無しだ。こちらも、正当防衛以上に命を脅かす真似は控える」
実行部隊のリーダーらしき男が、ユーリに話しかけた。
「わかっていますよ。えと…名前は…」
「ディミトリだ。ディミトリ・ラファト、それが俺の本名だ」
「では、ディミトリ。次の警備が交代するタイミングで突入します」
ディミトリと名乗った精悍な男は、口を堅く結んで頷いた。ユーリを含んだ全員が、頭と口元を布で覆い素顔を隠した。それらが戦闘準備の合図だった。
しばらくの間、沈黙が続いた。警備兵が交代するタイミングを、皆が固唾を飲んで計っていた。
そして、そのタイミングは来た。今いる警備兵の後ろから新たな兵が現れ、立ち位置を交換した。しかも見た限りでは、軽く談笑までしている様子である。
絶好のチャンスとばかりに、ユーリは飛び出していった。
「?」
「あ…」
警備兵たちが事態を把握する前に、ユーリは二人の眼前に軽い毒の術式を展開した。それを見た二人は崩れ落ち、即座に鼾いびきをかいて眠り始めた。
「さあ、突入しましょう」
「ここからはスピード勝負です。所長室まで一気に行きますよ」
そう言ってユーリはディミトリたちを引き連れ、一気に非常階段を駆け上った。このまま一気に最上階にある所長室へと潜り込み、彼とその側近を拘束し人質とする。その間にティアーノとの癒着の証拠を引き出せれば、全ては決する。極力足音を殺しながら、ユーリたちは建物の上層階へと上がっていった。
やがて最上階へと辿り着き、フロアに出た。事前に手に入れておいた見取り図によれば、右奥の部屋が所長室となっているはずである。じきに警備兵からの連絡がないことにも皆が気付くであろう。そうなれば全員で脱出することが難しくなる。作戦行動には迅速さが要求された。
とその時、奥の通路から警備兵たちが顔を出してきた。
「な…!」
「き、貴様ら…!」
彼らが自分たちを視認するや否や、すぐさまユーリはダッシュし、彼らの眼前へと肉薄した。すぐさま体がくの字に折れ曲がるほど強烈なボディーブローを喰らわし、もう一人には側頭部への鋭いハイキックも見舞った。
三秒とたたずに警備兵たちはノックアウトされ、さらには睡眠の術式で完璧に意識を失っていた。
「まずいですね、物音が聞こえたかもしれない。急ぎましょう!」
そうしてついに彼女たちは、所長室のドアを乱暴に開けた。中では所長らしき小太りの男と女性秘書が、目を見開いてこちらを見ていた。
「キャー‼︎」
「な、なんだお前らは!」
「静かにして頂きましょうか。我々は貴方方の不正の証拠を頂きに参りました。何かおかしな真似をすれば、無事は保証できませんよ」
「ふ、不正? 何の事だ」
「とぼけやがって。とりあえず、こいつらは拘束でいいんだよな?」
「ええ。早くしないと、今の悲鳴を聞かれたかもしれません」




